REGAL GAME | ナノ


▼ 15.約束

10月26日 月曜日。
ケイサツを特定してから1週間が経った。俺は部活後の疲れた体をベッドに深く預け、光から目を覆うように腕を被せた。
ここまでの斉藤の動きと、挑発した際の動揺ぶりから見て斉藤が生首を探す事はもう無い。プライドが高い人間は挫折に極端に弱いというが、斉藤もまた一度崩せば脆い人間だった。実際彼の授業っぷりは酷いものだったし、しばらくは放心状態で何もして来ないだろう。
だが、終盤になれば自棄を起こして強硬手段に出てくる可能性も高くなる。決して油断はしない。
さらに最終日は土曜日。土日はいつもより人目が減るからゲームとして動き易くなる。多少の犯罪行為は勝てば企画が揉み消してくれるのだから、ケイサツが最後に足掻くならやはり最終日だ。今後は常に俺の存在を斉藤に意識させるように接触していって、苗字を斉藤の視野から完全に外す。苗字には今まで通り生活を送るよう念を押しておくだけで十分だ。

「はぁ…。やっと残り5日か。」

苗字に危害が加わらないよう慎重にゲームを進めるのは思った以上に神経を削いだ。自分の作戦に自信があっても、何が起こるかわからないこのゲームでは絶対は無い。

疲れた。体が重い。

段々と遠のく意識の先に、バスケ部で健気に働く苗字の姿が見え、俺は思考を手放した。





ランニング後の休憩中、シュート練の直後、苗字はやけに欲しいと思ったタイミングでドリンクや食べ物を差し出してきた。最初の頃は偶然だと思っていたが、あまりにも偶然が続くのと、他の部員も時々似たような事を言っていたので、俺はタイミングを見つけて苗字に聞いたことがあった。

「今日のポカリ、もしかして少し濃く作ってあるか?」
「今日は金曜日だからね。もし薄い方が良かったら言ってね。」

苗字はそれだけ言うと桃井を連れてタオルの洗濯に向かってしまった。月曜日より金曜日の方が肉体に疲労が溜まっているから、曜日によってドリンクの濃さを変える。そういう事なのだろうと俺は苗字の気遣いの細やかさに感心していた。

それから、苗字ははちみつレモンや果物ゼリー等の栄養補給の際いつもニコニコしながら部員の様子を伺っていた。俺が食べている時も当然こちらを見てきたので、その姿が犬の様に見えて「美味しいよ」と褒めれば嬉しそうに笑っていた。部を華やかにする姿や、泣き言を言ったりしない真摯なところがマネージャーにぴったりだと思った。

自分の為に部活に励む俺とは根本的に違う苗字の部活への取り組み方に、俺は純粋に関心があった。気付けばそうやって目で追っていて、――…視界が白ける。


「…ん、」

気付いたら朝になっていた。もう朝か、とひとりごちる。重い瞼を開いて窓を見上げれば、少し明るくなった空が目に入り、頭が段々と覚醒していく。昨日布団も掛けずそのまま眠ってしまった事に後悔しつつ、深い溜息を吐きながらゆっくりした動作で起き上がれば、サイドテーブルに乗っかった時計が目に入った。

10月27日火曜日、午前4時半。ゲーム終了まで後4日と12時間ちょっと。俺はふらつく足で身支度を済ませると、一通のメールを打った。

『最後の作戦会議だ。放課後、いつもの場所に集合。』

もうすぐすべてが終わる。





夜9時過ぎ。赤司くんの呼び出し通り例のカフェに到着すると、思った通り彼は先に来て優雅に紅茶を飲んでいた。この芸術品のような光景もこれで最後だと思うと、ちょっとだけ寂しい気持ちになる。

「おまたせ、赤司くん。」
「ん、ああ。」

私が声を掛けると、彼は口元に運んでいたティーカップをソーサーに戻し私に向かいに座るよう促した。私は荷物を置いて赤司くんの真正面に座り、店員にカモミールティーを注文する。私も赤司くんも、今日は雰囲気がどことなく固かった。

「メールで言った通り、ゲームの作戦会議はこれで最後にしようと思う。」
「うん。」
「とはいっても、苗字はこれまで通りに振る舞ってくれればいい。このままの状態でゲーム終了まで持っていく。」
「わかった。」
「俺はこれからゲーム終了まで、斉藤先生を挑発してなるべくお前から遠ざけるから、それで」
「ちょっと待って!なに言ってるの!?」
「え」
「ダメ!そんな危険な事したら絶対ダメです!赤司くんどさくさに紛れて何を言っているんですかまったく!」
「苗字、その、とりあえず落ち着け。」

いきなり私がテンションを上げるものだから赤司くんはちょっと戸惑っていた。私が心配していた通り、やはりキョウハンというのはケイサツに目をつけられる危険な立場のようだ。それでもコソコソと作戦を遂行する分にはまだいい。問題は赤司くんが自らケイサツに目を付けられに行っている事だ。

「赤司くんに何かあったら私はどう責任取ればいいかって、前に言ったよね。」
「俺がやりたくてやっているだけだ、とも言った。」
「ああ言えばこう言う!とにかく駄目なものは駄目です!はいこの話はおしまい!」
「…何故人の心配をそこまでするのか、俺には分からないな。」

赤司くんが目を伏せて表情を曇らせるものだから、私は赤司くんが正気か疑ってしまった。

「それ、赤司くんにだけは言われたくないんだけど…。」

赤司くんこそ、まさに私の為だけにキョウハンを引き受けて、危険を顧みずケイサツを挑発しようとしているではないか。私がそう主張すると、彼は憂いを帯びた表情のまま「俺は、全部自分の為だよ。」なんて言いだす。意味が分からない。つまりどういう事か聞けば、彼は目線を下げたまま言い辛そうに口を開いた。

「…下心が、あったってこと。だからこれは自分の為にやっている事であって苗字が気に病む事じゃないし、前にも言ったけれど苗字には俺をもっと頼って欲しいと思っている。」
「…え?え、と」
「ふぅ…。らしくもない話をしてしまったな。今の話は忘れていい。それに、斉藤先生には先週既に挑発済みだから今さら挑発の一つや二つした所で変わりはない。」
「え…ってああ!じゃあ最近斉藤先生の様子が可笑しかったのってやっぱり赤司くんのせいだったんじゃない!メールで聞いた時は『心当たりがない』とか言ってたくせに!」
「忘れたな。」
「嘘つき!」

上手い具合に赤司くんに乗せられて、場の雰囲気はいつも通りに戻っていた。多分赤司くんが話を逸らす為にわざとそうしたんだろうけれど、私も敢えてそれに逆らわず掛け合いに乗っかった。

ケイサツへの挑発。赤司くんはそれが危険な行為でも、私の反対なんか無視して自分の思う最善の手を尽くすのだろう。人には最善策を隠して作戦に関わらせないよう誘導するくせに。
彼は、きっと自分の認めた存在にはとても甘く優しい。もし私がその対象に入っているという事なら、すごく嬉しいのだけれど。

「赤司くん、無茶だけは絶対にしないでね。危ないと思ったらすぐに逃げること。それから、助けが必要ならすぐ言って。電話してくれれば駆けつけるから。」
「駆けつけられると不味いんだが。」
「き、気持ちの問題だよ。はい約束。」

渋る赤司くんと無理矢理指切りをしてから、私達は話を切り上げて二人一緒にカフェを出た。店内は暖房が効いていて、外との温度差に二人して身震いする。空気が冷たく澄んでいる今日は、夜空がとても綺麗だ。

赤司くんと空を見上げながら「月が綺麗だね。」なんて、ポツポツと言葉を交わしながら歩く夜道は、静かでとても心地が良かった。




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