▼ 9.交錯
何も進展が無いまま、ゲーム開始から既に2週間が過ぎようとしていた。机上のデジタル時計は淡々と「10月11日(San)」の文字を表示している。俺は怒りのままにリビングの机を蹴飛ばした。
「クソッ!!ガキが、舐めやがって!!」
ガンッと鈍い音がした割に、重厚な机は少しずれただけだった。時計がコトンと音を立てて倒れる。しばらくの静寂で俺は落ち着きを取り戻し、苛立っているだけでは何も解決しないと冷蔵庫からペットボトルを取り出し一気飲みした。
『――『ハンニン』は俺だよ。』
「何がハンニンだ、舐めやがって。“自分がハンニンだ”とバラすハンニンがどこにいるってんだ!」
もちろん馬鹿なケイサツを引っ掛けさせる意味も込めてそうのたまったのだろうが、あの目はそれだけじゃない。
(奴は誰かも分からない俺を馬鹿にしてやがった!)
間抜けなケイサツよ、俺に手を出してみろ、と。あの時のクソ生意気な顔を見て、俺はそれを確信した。
赤司がハンニンだったら厄介だと思っていたが、キョウハンなら尚厄介だ。自由に動ける分、ケイサツの正体を知れば嫌と言うほど邪魔してくるだろう。
俺はハンニンがキョウハンを作れる訳が無いと高を括っていた。もしケイサツの正体を知られれば、良くて監視、最悪ゲーム終了まで動けないようにされるかもしれない。監禁か、手足でも折って入院させるか。手段は分からないが、奴には平気でそういう事を出来るような危うさがあると、俺はどこかでそう感じていた。
逆に俺が奴を監禁してしまおうか?いや、それはリスクが高すぎる。万が一ゲーム中にそれがバレれば警察沙汰だ。もちろん本物の方の、だ。赤司と違って俺には犯罪を揉み消せるほどの権力はない。勝利すればゲーム後の身の安全は保障されるのだから、もし実行するとしてもゲーム終盤だ。
この1週間ちょっとで、赤司の周りの人間は調べられるだけ調べたが、疑わしい人間は一人として見付からなかった。赤司が味方だから余裕なのか、しかしあんな脅迫紛いの手紙をもらった中学生が、動揺せずに1週間も過ごせるものだろうか。それこそ赤司ぐらいなものだろう。ならハンニンは教師なのか?他にも警備員等の可能性も無くはないが、大の大人が、わざわざ中学生のガキにキョウハンを頼むというのも考え辛い。考えが行き詰る。
「ふう…。」
一旦落ち着こう。ハンニン探しは置いておいて、取りあえずは生首だ。
俺は教師なんだ。生徒なら深夜の学校に忍び込むのも一苦労だろうが、俺は残業を使えば全生徒のロッカーを探すくらいは難しくない。
後は探す場所だ。本当にロッカーで良いのか?赤司の事だからそう単純な場所に生首を隠しているとは思えない。が、裏をかいて堂々と個人ロッカーに隠しているかもしれない。赤司がキョウハンなだけあって、他の相手なら考えもしないあれこれを細々と考えてしまう。
(…裏表を考えったって仕方が無いだろう!)
確率的に言っても、探すならやはりロッカーからだ。考えを纏めて一息ついたら、朝礼で壇上に立った際の赤司の顔がふと思い出された。
あの目。足元を見るように、格下の俺を馬鹿にしていた。激しく不愉快でとても耐え難い屈辱だ。
家の地位も、名誉も、将来も。あると思っていたものが俺には無くて、赤司征十郎にはある。そう考えると腸が煮えくり返りそうになる。ある意味、奴は俺の理想なのかもしれない。ならこれは嫉妬か?馬鹿馬鹿しい。
今の自分があんなクソガキに劣っていると思いたくない。負けたくない。
「奴には絶対負けない。勝つのは俺だ…!」
俺は飲み干したペットボトルを強く握りつぶした。ボコボコ、とプラスチックの潰れる音が妙に耳に心地良かった。
翌日、10月12日月曜日。俺は残業申請を出すと、田中の机からロッカーのマスターキーを取り出し、初めての捜査に足を踏み入れた。
※
赤司くんが言い出す事はいつだって突拍子もない。
「ケイサツを特定しようと思う。」
「え!?」
10月11日日曜日、生首の隠し場所を聞いた後、次に出た話題はなんとまさかのケイサツ特定だった。“ハンニンが”特定されない為の話は何度もしてきたが、赤司くんはその先まで考えていたのか。そりゃあケイサツが特定できてしまえばその人にだけ注意を払えばいいのだから、うんとゲーム運びが楽になる。とは言え、1060人程いる帝光中学校の人間から1人を見つけ出そうなんて、そんな事私にはとても無理だと思うのだが、どこまでも先を行く彼の思考には上限が無い。彼が可能と言えば、きっと可能なのだろう。
「でも、特定ってどうやって?」
「俺は今のところ、ケイサツは大人の可能性が高いと思っている。だからまずはそれを確定したい。」
「あ、もしかして前言ってたやつ?」
私はゲーム初日のカフェでの会話を思い出す。
『俺がハンニンであるかもしれないとケイサツに思わせられれば、ケイサツは動揺し、壇上からそれを見つける事が出来るかもしれないからね。
それに、もし何も反応が無い場合でも、ケイサツは物事に動じない、冷静で頭の切れる人物という事が分かる。』
それは赤司くんが以前説明してくれた公言の目的“の一つだった。
「そう。公言した時も、した後も、動揺している素振りの人間は見当たらなかった。ケイサツは相当肝が据わっていると見えるから、少なくとも生徒ではないと思う。」
「たまたま学校をお休みして朝礼にいなかった…とかは?」
「無いな。ケイサツは欠席すればするほど捜査時間が減って不利になる。むしろ、わざわざそんなリスクを冒す間抜けがケイサツなら願ってもない。」
また人を馬鹿にするような顔をして。私がケイサツだったらやりかねなくて結構グサグサ来ている事に、彼は絶対気付いていない。
「そ、そだね。それに、考えてみたらあの後しばらく学校中赤司くんの話題で持ち切りだったから、知らない人間はいない気がする。」
あの赤司くんが「ハンニンは俺だ」なんて、話題にならない訳がない。半分呆れ顔で言う私とは裏腹に、赤司くんはやけに誇らしげな顔をしていた。そういえば友人が増えたんでしたっけ。おめでとうございます。本当に赤司くんは呑気だなあ、とため息が漏れた。
(でも確かに、今までの赤司くんって結構近寄りがたかったんだよね。)
いわゆる高嶺の花ってやつだ。それ故に一見とても話し掛け辛くて、他の生徒も遠巻きに見ている人が殆どだった。もちろん私もその一人だったけれど、一回打ち解けてしまえば彼も他と変わりない、普通の中学生だと分かる。冗談も言うし、笑顔も沢山向けてくれる。
赤司くんも本当は皆と普通に接したいのかな。なんて、私はちょっと感傷的になってしまった。
「とりあえず生徒にケイサツがいるという線を潰そう。お前から見て、生徒の中にケイサツはいると思うか。」
「うーん。あの朝礼でのプレッシャーの中、動揺せずに過ごせる人だよね。頭が良くて、冷静で…。そんな生徒は赤司くんと、あとは緑間くんくらいかな。」
「あと、苗字もね。学年3位。」
そう言われると少し照れる。
「…2位とは雲泥の差の3位なんだよ。他の学年の事は良く分からないけれど、少なくとも赤司くんや緑間くんみたいにずば抜けて優秀な人はいない筈だよ。」
「緑間か…。練習を見る限り違和感は無かったが、注意しておこう。」
彼が自分でそう発言した瞬間、彼の瞳が一瞬揺れたことに気付いた。もしかして、赤司くん。すかさず私は彼に問う。
「赤司くん、無理に疑っている?」
「、そんなことは」
赤司くんは緑間くんのことを無意識に容疑者から外していたのだ。私はそれを直感した。
「私だって緑間くんは疑ってないよ。可能性があるとしたらって話。マネージャーだから、レギュラー1人ひとりの体調は良く分かるんだ。ほら。」
私は鞄から部活の個人記録ノート――通称『緑間くんノート」を取り出すと、パラパラとページを捲って見せた。このノートはマネージャーとして独自に私が始めた記録簿で、各個人のその日の特徴や体調等、色々と気付いたことを書き留めている。
「これ、緑間くんの日々の表情と調子のグラフ。おは朝で結果が悪い時、それからチーム内で揉めた時、グラフが若干波打ってるでしょ?けど朝礼の日の緑間くんは調子良かったよ。あと赤司くん――射手座との相性もバッチリ。」
「俺の星座まで把握しているのか。細かいな…。ん、これはなんだ。『はちみつレモンを食べた時の表情』?」
「そう。ひとりひとりチェックして甘さを変えてるの。他にも部員の好き嫌いとか塩飴を舐める頻度とかね。」
「…。」
「赤司くん?」
「いや、通りで…。どうやら、俺達は想像以上に優秀なマネージャーを持ったみたいだ。」
「ふふふ、部長が優秀ですから。」
良かった、私の説得で赤司くんの友人を容疑者から外すことが出来たみたいだ。赤司くんの一瞬固くなった表情も今は和らいでいる。
普段ロジカルな彼が、無条件に緑間くんの事を疑っていなかったなんて、それだけキセキの皆を信頼している証拠だろう。それを私が名前を出した事で疑わざるを得なくさせてしまったのだ。だから私は、どうしても彼らの身の潔白を証明したかった。
「苗字。これ、俺のノートもあるのか。」
「うん、もちろんあるよ。」
私は緑間くんノートを仕舞い、代わりに赤司くんノートを取り出した。赤司くんはノートを受け取ると、適当にページを捲った後、ふとその手を止める。私も正面からそれを覗き込む。はちみつレモンのページだ。
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はちみつレモン1回目:(蜂蜜50cc、12時間漬け)
・目を細めてすっぱそうにしているのを必死に隠している様子。わざと甘さ控えめで作ってみたが、次は甘めに作る。
はちみつレモン2回目:(蜂蜜70cc、16時間漬け)
・味の違いに気付いた様子。この前より美味しそうに食べている。声の調子が少しおかしいので明日は生姜を混ぜる。
はちみつレモン3回目:(蜂蜜70cc、17時間漬け、すりおろし生姜少々)
・美味しいと言ってくれた。(生姜に気付いたかは不明。)今後はこのレシピでいく。生姜は彼の調子に合わせて適宜調整。
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赤司くんはサッと内容に目を通した後、何故か不満げな様子でノートを閉じた。
「…別に酸っぱそうにはしていない。ましてそれを隠したつもりもない。」
「え…あ、1回目?そうだったかな。顔をしかめていたと思ったけれど。」
声色は普通だったけれど、もしかして照れているのではと思ってわざとらしくニヤけてみる。
「表情を読むな。」
「うぇっ、ふぁい。」
すると、図星だったのか眉間に皺を寄せて頬を軽くつままれた。彼の指が肌に触れて少しドキッとした。
「話を戻すぞ。…苗字と喋っているとつい自分まで気が緩んでしまって駄目だな。」
「それは落ち着くって意味?」
「もちろん。」
(私がバカだからって顔してる…。)
そんなこんなあり、作戦の話が全然進んでいないことに気付いた時には既に夕食の時間で、仕方無く私達は夕食をご一緒してから帰ることになった。
今日は私が少し前向きになれた事もあって彼と時間を過ごすのが楽しく感じられたので、私は不謹慎ながらも夕飯を一緒に食べられてラッキーだな、なんて思ってしまっていた。