▼ 8.生首
10月8日、木曜日。
私の不安とは裏腹に、時は流れるように過ぎていく。特に問題も起きないまま、ゲームが始まってから既に1週間が過ぎていた。
赤司くんも、何も無いなら頻繁に会わない方がいいと言うのであれ以来二人では会っていない。私の役目は『動揺せず1か月をいつも通りに過ごす事』なのだから、何も無いに越した事はないのだけれど、それが嵐の前の静けさのように感じて逆に不安になる。なんて、自分でも面倒くさい事を考えつつ、赤司くんとああやって色々喋ることで不安を発散させていた事に気付いて自分の至らなさを痛感した。
未だに彼に対する罪悪感が拭えない。彼を巻き込んでしまった事では無く、きっぱり断る事が出来なかった事に対して。
例え彼が何と言おうと、やっぱり私は断るべきだった。ゲームに負ける恐怖の方が先行して、私はキョウハンの事を後回しにしたんだ。でも赤司くんと対等でいたいと思うなら、このままで良い訳がない。
私は、胸を張って、キセキと呼ばれる彼らの様に赤司くんに頼られる存在になりたい。それは、ゲームを通して彼を知る事で私が初めて思った事だった。それくらい、彼は魅力的な人物だった。
非日常な出来事に不安になるのはこの際仕方が無いとして、だからといって何時までもウジウジしているのは違う気がする。私も、何でもいいから何か自分に出来る事をしよう。そう思って、私は手元のスケジュール帳を開いた。日曜日は通常練が午前中までなのでマネージャーは早く上がれる。その時間を使って、図書館で調べ物をしよう。
※
10月11日、日曜日。宣言通り図書室で調べ物をしていると、久しぶりに赤司くんからメールが届いた。
『今からいつもの場所に来れるか。この前話せなかった生首の隠し場所についてと、これからの作戦について説明しようと思う。説明の必要がなければ返信はいらない。』
赤司くんは自分の中でもうプランを決めているから、本来なら私に説明をする必要はないのだろうけれど、どうやら私が朝礼での件を怒ってから気を遣ってくれているみたいだ。私は『すぐ行く』と返信をして、読んでいた本を棚に戻し図書館を出た。
今まで赤司くんからのメールと言えば部活の業務メールくらいなものだったから彼が普段どんなメールを打つのかなんてほとんど知らなかったけれど、このゲームを通して数度目になる彼の淡白なメールは彼の精密で繊細な印象と反してなんだか適当な感じがする。いつもとは違う彼の一面が見れたようで、私は心の中でくすりと微笑んだ。
※
少しして無事カフェに到着した私は、いつもの席で既に紅茶を啜っている赤司くんを発見して、たじろいだ。
(な…なんて絵になる光景!)
対面で座っているときには気付かなかった。このこじんまりと雰囲気漂うアンティークカフェと、赤司くんの背筋の伸びた立ち居振る舞いが、まるでどこかのお高い絵画のようだ。私が画家だったら迷わずスケッチしていたところだった。
柱時計のカツ、カツ、という音とともにしばらくその光景を楽しんでいると、ようやく彼はさっきから気付いていると言わんばかりの怪訝そうな目線をこちらに向けてきた。
「あらら、もう気付かれちゃったか。残念。」
「なんの話だ。」
「こっちの話。」
ふっ、と赤司くんがいつも私にするみたいな悪戯顔で返すと、赤司くんは一層怪訝さを露わにして眉間に皺を寄せた。
「随分余裕が出てきたみたいじゃないか。」
「余裕って訳じゃないけどね。私なりに足を引っ張らない様に、色々頑張ろうという決意の表れ、的な?それと、やっぱりキョウハンの件はちゃんと断っておこうと思う。」
「!」
赤司くんが今さら蒸し返すのか、という顔をしたのが分かった。先に突っ込まれる前に間髪入れず話を続ける。
「キョウハンになって欲しくない訳じゃないの。ただ、赤司くんの優しさに圧されてなあなあなまま危険に巻き込むのは嫌だなって。一度ちゃんと断って、それでも赤司くんは助けてくれるから、そしたらちゃんと頼らせて貰いたい。で、ゲームが終わった後…もし良かったら私と、友達になって欲しいな…なんて…。」
友達になって欲しい。それを言うだけでとても緊張した。赤司くんは驚くでもなく喜ぶでもなく、形容しがたい表情をしていた。もしかして嫌だったかもと、私は急に不安になってくる。
「あっ、でもそれは私が足手纏いにならずにゲームを終えられたらの話で!後赤司くんが嫌なら別にいいです変なことを言ってごめんなさい。」
「ぷっ」
急に慌て出した私が面白かったらしい。さっきの表情は消えて、苦笑を漏らしている彼の姿に私は酷くホッとした。
「俺はもう友人くらいの立場にはなれていたんじゃないかと思っていたよ。」
「えっ!あ、そう…?でも私はまだ足手纏いだし金魚のフンくらいの立ち位置かと…。」
「金魚のフン…。そんなものとキスをした覚えはないよ。」
「ぶっ!」
彼の剛速球に思わず吹き出してしまった。赤司くんが金魚のフンだなんて言うとは思わなくて、私の笑いのツボにクリーンヒットしてしまった。どうにか笑いを堪えようとお腹を押さえるが、どうしても肩の震えが隠せない。絶対赤司くん今機嫌悪くなってるって。早く態勢を立て直さなければ。
(赤司くんが…くっ…)
しばらく震えて笑っていたらようやく少し熱が治まってきたので思い出し笑いに耐えながら彼の方に向き直ったが、彼が目元に影を差して咳払いをしたので一瞬で真顔に戻った。
「じゃあ、生首の隠し場所について話すが。」
「よろしくお願いします。」
怒ったというより少し照れているのかもしれない。ちょっと可愛い。
※
ゲーム前日。カフェで苗字と別れた後、俺は生首をどこに隠すか考えていた。
大方の作戦は立て終わっているものの生首の隠し場所についてはじっくり考える必要がある。
明日俺が『ハンニンは俺だ』と公言しても、ケイサツが一切生首を探さなくなる訳じゃない。生首の隠し場所は分かり難ければ難いほど良い。
苗字に説明した通り、生首の移動は早い段階から…出来れば朝一番に移動を済ませておくことが好ましかった。今ならケイサツによってはゲームのルールさえ把握出来ていないかもしれないし、逆に時間が経てば経つ程ケイサツの警戒が強くなってこちらも動き辛くなる。ただでさえ生首なんてあんな大きな物を運んでいたら目立つのだ。早いに越した事は無い。
(せめて部活のエナメルバッグにでも入る大きさだったら怪しまれず移動出来るんだがな。)
さて、どうしたものか。
場所だけで考えるなら校門付近は良い。授業や部活中にも大抵の窓から目が行き届くし、深夜に近付こうものなら防犯センサーに引っかかって面白い事になる。俺は上がる口角を抑えようともせず夜の歩道を歩きながら考える。
ただ、残念ながら校門付近には隠せる場所が無い。植木の下にでも埋められれば一番良いが、深夜以外でそんな事をすれば必ず誰かの目に留まる。
なら裏庭に埋めるか?いや、穴を掘るという行為が不自然過ぎて誰かに見られたら言い訳し辛いし、何より時間が掛かる。生首を持ち出す時間は出来るだけ短くしたい。
隠し場所の理想条件は、意外性のある場所、そして誰にも見られず簡単に隠せる場所。なら、あの手は、この手は。次々とアイディアを閃いてはそれを否定し、思考を巡らせる。あらゆる可能性を考え、その中で最善の道を見つける。
(少し心許無いが、あそこなら今の条件にはすべて当てはまるか。後はケイサツの行動を心理的に制限して補う事としよう。)
生首を持って移動するリスク、移動時間、更衣室からの移動範囲、その他すべてを考慮して、俺は結論を出した。
そして翌朝。いつも通りに登校し、職員室に寄って鍵掛けの前に立った俺は、第一体育館の鍵と、そしてもう一つ、屋外プールの鍵を拝借した。
※
「屋外プール!なるほど、プールかぁ。確かにこの時期は使われないし、窓から死角の位置にあるから誰かに目撃される可能性も少ない。しかも部活の更衣室からも比較的近い。」
赤司くんから説明を受けて、私はこの手があったか!と素直に感心してしまった。
ルールの中に【生首は、校外に持ち出すことは出来ない】と書いてあったから、何となく校舎内ばかり思い浮かべてしまっていた。
「でも、あのままロッカーに隠しておいたら駄目だったの?鍵も掛けてたし。」
「ロッカーなんて一番見付かり易い場所だろうな。誰でもまずはそこに隠そうと考える。ならケイサツだって一番に調べようと思うだろう。それに、いくら鍵が付いていると言ったってマスターキーは必ずあるものだ。」
「あ!そういえば私、田中先生が机からマスターキー出してるところ見た事ある。」
「それは…管理の仕方としてどうなんだ。」
呆れながら、赤司くんは紅茶を口に運んだ。
そうだ。生首を校内から持ち出せない以上、いくら鍵を掛けたってケイサツがそれに辿り着く可能性はある。そう思うと血の気が引いた。そんな私を知ってか知らずか、紅茶を飲み終えた彼はポケットから小さな鍵を取り出した。
「はい、プールの鍵。君に預けておこう。」
「へっ!?」
てっきり職員室に返したものだとばかり思っていたから思わず変な声が出てしまった。だって、鍵が無くなったなんて騒ぎになれば安易に生首の隠し場所を教えているようなものじゃないか。赤司くんは一体何を考えているのか。
「返してなかったの?何故!」
「俺がプールを選んだもう一つの理由は、プールの鍵が南京錠だからだ。流石に南京錠はマスターキーでは開かないからな。」
赤司くんは全然回答になっていない回答を私に返した。いや、彼にとってはこれで立派な回答なのだろうが、もっと噛み砕いてくれないと凡人の私には理解出来ない。
「あの、鍵が無くなっていたら流石に誰か気付きますよね。不味くないですかそれ。」
「適当に家にあったそれっぽい鍵とすり替えてきたから大丈夫。」
(いやそれ大丈夫なの!?)
さも当然の事かの様に鍵を握らされて唖然とする。
「今までは俺が持っていたが、苗字が持っていた方がいいだろう。嫌なら俺が持っていてもいいが。」
「いや、でもこれ窃盗じゃ…」
「ゲームが終わったら返すよ。」
平然とそう告げられて、私はぎこちなく鍵を受け取った。
赤司くんはクスクス笑って「苗字は真面目だね。」と私をからかったが、真面目とかそういう事じゃない気がするのは私が甘いのだろうか。私は鍵に向かって「ゲームが終わったら返します。」とお詫びをしてからポケットに入れた。赤司くんはその様子も楽しそうに眺めていた。