REGAL GAME | ナノ


▼ 7.ケイサツ

俺の元に小包が届いたのは、仕事がたまたま長引いた日の夜だった。

職員室には主幹教諭と校長、副校長しか残っておらず、他の職員は既に退勤していたと思う。だから、小包の中に入っていた物を見た時の俺の小さな悲鳴は誰にも気付かれる事がなかった。

(誰の悪戯だ、クソガキが。)

それは、首の無い猫の死骸だった。生徒が気に食わない教師にこういった嫌がらせをする事は良くあると聞くので、俺は今回のこれも生徒の悪戯だと思っていた。厳格で怖い教師で知られるこの俺にこんな真似をするとは、俺も随分舐められたものだ。

(校長は別室にいるな。副校長はあそこからじゃ俺の事は見えない。田中は…よし、作業に集中しているな。)

嫌がらせをされたなどと他の教員に知られるのは俺のプライドが許さない。それに、こんな真似をした生徒にもきっちり“指導”してやらないと気が済まない。俺は犯人を特定する為、平静を装って中身を確認した。

(偽札?と、猫の死骸と、黒い器械…なんだコレは。それに封筒か。)

見慣れないそれらに動揺しながらも、白い封筒を取り出し中身を確認する。黒塗りの手紙に目を通し、これは生徒の仕業では無いと直感した。

(っ…!これは、)
「斎藤先生。」
「!!」

急に声を掛けられ、ビクッと反射的に肩が跳ねる。しかしすぐに冷静を取り戻し、手紙をこっそり隠しながら振り向いた。声を掛けてきたのは遠くに居たはずの副校長だった。

「校長と私はそろそろ帰るが、斎藤先生はあとどれぐらい掛かりそうですか?」
「ああ、このテストの採点を終えたら帰りますよ。」
「そうか。その量だとあと20分は掛かりそうだな。田中先生もあと少しで帰るそうだから、すまんが鍵をお願いしてもいいかい?」
「はい。分かりました。」

君も体を労って早く帰れだとか、そんな労いの言葉を俺に掛けつつ2人は帰って行った。ふぅ、と一息付いて机に向き直る。段ボールのフタを閉めていたことは不幸中の幸いだった。それにしても、背後の気配にも気付かない程余裕が無かったとは。自らの事ながら情けない。

小包の件は後だ。とりあえずテストの採点を終わらせて、家に持ち帰ってから考えよう。そう考えた俺は早々に採点を終わらせ、戸締りをすると自家用車を飛ばして帰路に着いた。





斉藤隆文は資産家の家に生まれた。

父親の英才教育の下、名門の大学を卒業し、父親の敷いたレールに乗せられるがまま順当に名門校の教師という立場を獲得した。家にとって、そして斉藤にとって、父親は絶対的な存在であり、そのことに一つの疑問も抱く事無く彼は成長した。

しかし、それは彼の盲信だった。社会に出て周りを知り、彼は初めて斉藤家が地位的にそれほど高い存在では無い事を知った。それは、彼の人生で初めての挫折になるはずだった。しかし、今までの教育と、父親から受け継ぎ肥大した自尊心はそう簡単には折れてくれない。斉藤は威厳という砂の城を自身のプライドと意地だけでなんとか保ってここまで来た。

(俺は人の上に立つ人間だ。他の奴等とは違う!)

遊びもなく、ただひたすら仕事に励んだ。他の奴等を見下すために。人の上に立つために。その為生徒からは『厳格で怖い先生』とあまり評判は良くなかったが、教師の中での斉藤の評価は上々だった。

20代半ばにしてそこそこの家柄の女性と結婚し、子供も授かった。そこそこ良い家柄、トップクラスの業務成績、美人な奥さんと可愛い子供。十分勝ち組といえる現状に、斉藤はなんとか自身の尊厳を守ることが出来ていた。

そんな斉藤に、そのいずれも欠ける事は許されなかった。





指紋認証をクリアすると、オートロックの扉が左右に開き、エレベーターで最上階まで登る。廊下の端まで早足で歩き乱雑にカードキーを溝に通せば、ガチャリと開錠の音がした。
死骸を捨て少し軽くなった小包を抱え、それ以外はすべて適当に放り投げてリビングまで向かうと、脱力する様にソファーに沈み込んだ。

「ふー。疲れたな。」

一言そう漏らして眉間を指でつまむように押さえれば、少しだけ疲れが取れた気になる。冷蔵庫からペットボトルの緑茶を取り出し喉に流し込んだ後、早速手紙の内容をじっくりと読み込んだ。『****あなたが『ケイサツ』に選ばれました!****』という文字が癪に障ったが、ゲームの内容については大体分かった。

大した事無いとはいえ、俺も資産家の端くれだ。現実にこういうゲームがあるという話くらいは聞いた事がある。

(クソが。お気楽な富豪共が人で遊びやがって。)

俺は憤慨を隠すこともなく手紙を握りつぶした。グシャ、という音で我に返り、しまったと自分でつけた手紙の皺をのばす。ここでイライラしては企画者の思う壺だ。逆に利用してやるくらいの気概がなければ、ゲームにだって勝てはしないだろう。

「ゲーム開始は明日か…。」

机に置いてあるデジタル時計を眺め、ひとり呟いた。
勝てば200万円だ。…いいだろう、このゲーム乗ってやる。





「あなた、私と別れてください。娘は私が引き取ります。」

目の前の、顔のぼやける女性がそう言った。思い出したくない記憶が蘇る。セピア色の写真が映像になったみたいだ。ああ、顔を思い出すだけでムシャクシャする。そこそこの家柄に生まれ、そこそこの美人と結婚し、娘も授かり、そこそこの生活を送ってきたつもりだった。

「家に帰ってきてもご飯を食べて寝るだけ。娘の世話も家族サービスも碌にしない。私は貴方の使用人ですか?もう冷たい貴方にはウンザリです。」

お前らは俺の稼いだ金で生活しいてる癖に、専業主婦が調子に乗りやがって、と映像の中の俺が言った。机には離婚届が置かれていて、あと一つの朱印で完成されるその届が妙に強く印象に残っていた。俺の押印を待たずして、妻は娘を連れて家を出て行った。

ああ、ムシャクシャする。

後日、家を出て行った妻が、慰謝料として200万円を請求してきた。その他、養育費等を合わせたその要求が飲まれなかった場合、離婚調停を家庭裁判所に申し立てるらしい。ははは、なんて笑い話だ。目の前がグラグラと揺れて、俺が築き上げてきた砂の城はみるみるうちに崩れて落ちて行った。





10月1日、朝5時。

今朝は最悪な目覚めだった。考えない様にしていた事柄すべてを夢に見せられて、苛立ちのままに枕を殴りつける。昨日は夕食を食べずに寝てしまった為余計に気分が優れないのかもしれない。ふらつく体に鞭打って、軽くシャワーを浴びてから家を出た。

運転中も、ゲームについて考える。
期間は1か月間。その間に生首かタトゥーをこの探知器にかざせば俺の勝ちだ。探知器を片手で弄びながら、運転の片手間それを観察する。黒く無機質、掌に収まる四角いボディーにはオン・オフのスイッチがついており、上部には虫眼鏡からレンズを取った様な丸い輪が付いている。この円状の部分に生首、またはタトゥーをかざせば器械が反応するのだろう。一通り動作を確認してから、俺はそれを丁寧に鞄に戻した。

「フッ、勝ったな。」

ルールを吟味した後、俺は勝ちを確信した。どう考えてもこのゲームはケイサツの方が有利だ。確率的に言っておそらくハンニンは生徒だろうから、今頃パニックでゲームどころでは無いかもしれない。ビビるガキを想像したら自然と顔がニヤけた。
この『キョウハン』というルールにしたって、こんなもの欠陥ルールでしか無い。だってそうだろう?キョウハンにメリットがない以上、どう足掻いてもハンニンに碌なキョウハンが作れるはずがない。

(まぁ、俺が有利なら欠陥でも何でも良いけどな。)

他人の面倒事を、自らを犠牲にしてまで引き受ける人間なんている訳がない。どんなに親しい友人だって、家族でさえ、自分に危害が加わる可能性があると知った途端手の平を返したように知らない振りをするんだ。賢い奴なら尚更そうだ。

…人は必ず裏切るんだ。
今朝の夢を蹴散らすように、俺は車のアクセルを強く踏んだ。





朝6時。学校に着いた時には既に副校長が出勤しており、真田の席にも鞄が置かれていた。出勤状況はいつも通りだ。

ゲーム開始まで後2時間半。ハンニンの心理からすれば、生首を隠すために少しでも早く登校してきそうなものだが、窓から校門付近を覗いてもまだバスケ部が2、3人しか登校してきていない。あの部員らがハンニンの可能性もあるが、その割には妙に落ち着いている。やはりハンニンはビビッて動けないのかもしれない。

もしそうなら今日の欠席者は要注意だ。授業はなるべく生徒の表情を観察して、下校時刻を過ぎたら生首を探しに行こう。1か月もあるんだ。ハンニンなんか見付けなくても、ゆっくり時間をかけて生首を探せばいい。個人ロッカーのマスターキーは主幹教諭の引き出しに入っていて、教師の持ち出しは自由だ。他の教室の鍵についても教師である以上なんら問題無い。
このケイサツという役割は、俺(教師)にとても有利に働いた。考えれば考える程、負ける気がしない。

俺は余裕の表情でパソコンを立ち上げ、テスト問題の作成に取り掛かった。すると、丁度同じタイミングで近くの扉がノックされ、挨拶と共に一人の生徒が教室に入ってきた。

「バスケ部の赤司です。第一体育館の鍵をお借りします。」

赤司征十郎。
この学校に在籍している者で知らない者はいない。俺の家とは比べ物にならないくらいの名家に生まれ、文武両道に眉目秀麗ときたものだから女子生徒だけでなく女性教諭にまで密かに人気があるらしい。俺の作ったテスト問題もいつも一問も落とさず正解しやがる。生徒のくせに可愛げが無く、入学時から気に食わない生徒の筆頭だった。
今日だって、こんな朝早くから部活だというのに嫌な顔一つせず澄ました顔をしている。こいつがハンニンだったら、家の力がある分一番厄介かもしれない。

俺は横目で奴の行動を確認しながら、奴が職員室を出ていくと同時に席を立った。先程まで奴が弄っていた鍵掛けの前に立ち、無くなっている鍵がないか、違和感は無いか等を確認する。

(…ま、そう単純なわけがないか。)

第一体育館の鍵以外欠けは無く、特に変わった点も無い。奴の動作にも不審なところは無かったし、まあそう都合良く行く話でも無いだろう。俺は大人しく席に戻った。
ハンニンが見つかれば全裸にしてでもタトゥーを見付けるんだが、見つからなければそれはそれで生首さえ発見出来ればいい。俺はそれ以上考えるのを止め、残りの業務に集中した。


――その2時間後、朝礼にて、俺は腹の底が煮え立つような思いを味わう事になる。





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