赤い痕 1


 家族の中で一番適応能力があったから。そんな理由で家事をしている俺だけど、基本的に家事は嫌いじゃない。
 掃除をしたときの達成感とそのあとのきれいな部屋は気持ちがいいし、乾いた洗濯物から香る日なたの匂いには心が癒される。
 そして、料理を作ることに集中していれば、他のことを忘れられる。そう、今日のことだって――。
「のん兄たっだいまー! あーおなかすいたー! 今日の夕ご飯なにー?」
 もう夜と呼んでもいい時間帯なのに朝出て行ったときと同じように元気なままの颯の声で、はっと我に返る。颯は、声の勢いそのままに、キッチンへ飛び込んできた。
 遅くまで部活をやっているから、相当お腹がすくんだろう。颯はいつもこうだ。帰ってくると必ず、何するよりも先に夕飯のメニューを聞いてくる。
「今日はハンバーグ。もうすぐ出来るから、手を洗って着替えてこいよ」
 本当はもう完成していてあとは盛り付けるだけなんだけど、それを言葉にしてしまうと空腹の颯はこのまま椅子に座ってしまいそうなので、まずは洗面所へと促す。だけど颯は俺の指示には従わずに、俺のそばによると、犬のようにくんくん、と鼻を鳴らした。
「のん兄、いい匂いがする」
「いい匂い?」
「うん」
「ハンバーグの匂いだろ?」
 今日は、市販のデミグラスソースに少々アレンジを加えて煮込みハンバーグにしたから、てっきりその匂いが服や髪についてしまったのかと思ってそう答えたけど、どうやら違ったらしい。
「ううん。のん兄さ、もしかして、お風呂入った?」
「ん? あ、ああ……」
 颯の言葉に一瞬、翼とのことを思い出してしまい、心臓が軽く跳ねる。
 大丈夫。たった今帰ってきた颯が、俺と翼の間にあったことを知っているはずはないんだから。
 そう自分に言い聞かせ、なんとか平静を装って、事実だけを説明。
「カサ持って行くの忘れて雨に濡れたから、シャワー浴びたんだよ」
 大した理由じゃないことを強調するように軽く笑いながら答えたのに、颯はじとっとねめつけるような目をして俺を見、その視線を固定したまま、リビングでテレビを見ている翼を指差した。
「ツバ兄もいい匂いがする」
「……、翼もシャワー浴びたみたいだから」
「二人一緒に?」
「まさか! そんなわけないだろう!」
 慌てて否定すると、急に大声を出した俺に、何ごとかと翼が視線を投げて寄越した。
 くそ……!
 なんでお前はそんなに平然としていられるんだよ……!
 ただひたすら不思議そうな目で俺を見つめる翼の視線にはイラつくし、探るように俺を捉えたまま離さない颯の視線には、どうしようもない居心地の悪さを感じて、背中を冷たい汗が伝う。
 さらに追い討ちをかけるような颯の質問に、俺の心臓はますます竦み上がった。
「……のん兄、ツバ兄と何かあった?」
「なっなんで?」
「そういうところが怪しい」
 思わずどもってしまったところをすかさず突っ込まれ、今度はうっと言葉に詰まる。


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