黒い雨 10 「例えばさ、全然恋愛感情のない二人が、すごく危険な場面に遭遇するとする」 「危険な場面て……吊り橋?」 「そう。吊り橋は一例だけど、人間は生理的に興奮することで、自分が恋愛していると認識するっていう説があって、緊張感を共有することで、恋愛感情に発展する場合があるんだってさ」 「え? なんで?」 せっかく丁寧に解説してもらったのだけれど、なんだか納得がいかない。問い返すと梓はもう一度「要するに」と前置きをして、更に噛み砕いた説明をしてくれた。 「好きな人といると、ドキドキするだろ? 吊り橋を渡る時にもドキドキする。ドキドキの原因は別のものだけど、脳はそれを混同してしまうってわけ」 「……なるほど」 俺の場合に置き換えると、車に轢かれそうになったときの恐怖のドキドキを、一緒にいた翼に対するドキドキだと、脳が勘違いしてしまったってことか。 ……納得。 そりゃそうだよな。いくらなんでも、弟相手に恋愛感情を持つなんて……ありえない。 「梓、よくそんなこと知ってたなー」 感嘆の声でそう言えば、梓の目が、横にいる北斗に向いた。 「ま、誰かさんの受け売りだけどね」 「え? なに? 出所は北斗?」 同じように北斗を見やると、北斗はしたり顔で笑って見せる。 「ま、そういうことだ」 「なんだ、感心して損したー」 「損とか言うな。ありがたく思え」 「えー、でもこの話を知ってたのは北斗だろ?」 「教えてやったのは俺!」 「んー……。ならお礼くらいは言っておこうかな。北斗、ありがと」 わざとらしいくらいに笑顔を作ってから北斗だけを見てそう言えば、梓が更に騒ぎ立てる。 まるで言葉遊びのような他愛もないやり取りを繰り返しながら、俺は笑っていた。 少しだけ不安定になっていた気持ち。原因がわかって、すとんと納得がいって、だいぶ気が晴れたんだと思う。 だから俺は、声を上げて笑っていた。 この数時間後に、すべて覆されることなど知らずに――。 午後になると、急に空模様が怪しくなってきた。 本日最後の授業のための教科書やノートを用意しながら、窓の外に向かって呟く。 「雨、降りそうだな……」 あまりにも休日が忙しなかったため疲れが一気に来て、今朝は珍しく寝坊してしまったから、いつも欠かさずチェックしている天気予報を見ている暇がなかった。 カサがないから、帰るまで何とか持ってくれないかと徐々に暗くなる空を睨んでいると、視界に梓が入ってきた。 「望、俺たち帰るから」 「俺たち、って――北斗も?」 「うん、そう」 梓の返事で北斗の席に目をやれば、北斗が帰り支度をまとめてこちらへ向かってくるところだった。 普段は感じていなくても、こういうときに、ちょっとだけ疎外感を覚える。 幼なじみっていうのは、やっぱり特別なんだろうか。ただの友達とは違う、特別な存在。 「ん、わかった。じゃあまた明日な」 ほんの少しだけ顔をだした寂しさを押し殺してそう返せば、俺のふたつ前の席から、二人の行動をおもしろがるように、大きな声が飛んできた。 [戻る] |