黒い雨 8


「何でも言ってごらん。お兄ちゃん、何でも手伝うぞ」
「ないって言ってるだろ!」
「遠慮しなくていいんだぞ」
 すっかり自分の世界に入ってしまった兄貴は、それ以降も、洗濯、風呂掃除、アイロン掛け等々……。俺の仕事を「手伝う」という名目で、ことごとく家事の邪魔をしてくれた。しかもすべてにおいて颯が割り込んでくる。
 本来なら、心も体も休まるはずの休日。それなのに俺はそんな兄貴と颯に挟まれ心身ともに疲れ果てて、週明けの月曜日を迎えたのだった。





 さすがに、兄貴と弟たちから告白されたことや、兄貴にキスやその他妖しげな行為を迫られたことは省いたけど、弁当を食べながら、それ以外の休日の間の出来事やそれに困り果てていることなどを話すと、以前から兄貴の俺に対する過剰な執着を知っている梓は腹を抱えて笑い出した。
 ひとしきり笑うと、目尻に浮かんだ涙を人差し指で拭いとる。
「望の兄貴、前からちょっと変わってるなーとは思ってたけど、なんか、ひどいね」
「だろー?」
「おまけに下の弟! 兄貴二号じゃん!」
「そうなんだよー」
 弟の俺が言うのもなんだけど、兄貴は黙って立っていれば、女が十人でも二十人でも寄ってきそうな容姿なのに、中身は極度のブラコンで、おまけにその思考回路は、とても同じ血を引いているとは思えないほど斜め上をいっていて、俺には到底理解できない。
 兄貴一人でも厄介なのに、その上颯まで……。
 考えると憂鬱になるが、それでも溜まっていた鬱憤を言葉にして吐き出したことで、俺の心はだいぶすっきりしていた。
 やはり、持つべきものは友。
 きっかけを作ってくれた北斗に礼を言おうと、それまで話していた梓から北斗の方へと目を向けると、梓と違ってまったく笑わずに、むしろ探るように俺を見つめていた北斗の瞳が、眼鏡の奥でキラリ、と光ったような気がした。
 思わず、息を飲む。間伐入れずに北斗が核心を突いてきた。
「それだけじゃないだろう?」
「――なに、が……?」
「兄貴のことだけじゃないだろう?」
 あまりにも的を射ている北斗の言葉に、どくっと心臓が鳴る。
 内心冷や汗をかいている俺には気づかず、梓はおせっかいにも、北斗に言葉の真意を問いただした。
「なんだよ北斗、何か知ってんの?」
「いや別に。ただ俺は、望には何かもっと、他の悩みがあるんじゃないか、と思っただけ」
「望、そうなの?」
 北斗の言葉に、梓の瞳が真剣味を帯びて俺を捉える。
 四つの瞳に見つめられ、俺はどう答えていいのかわからないまま、机の上で両手をぎゅっと握り締めた。
 兄貴の言動や、それにもれなく付随する颯にも確かに困っていたけれど、そちらは言ってみれば、後をひかない悩み。
 もっと深刻なのは、俺自身の問題。
 休日の間ずっと、スキンシップを迫る兄貴や颯にもみくちゃにされては、そのたびに翼に助けてもらっていた。


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