黒い雨 3


 上体を起こしただけの体勢だったから、今度は両腕を押さえつけるようにして抱きしめられ、何が何でもキスしようと再び俺に迫ってくる兄貴。
 だけど颯が、それを許さないとばかりに兄貴の肩を掴み、強引に俺から引き剥がした。
 その勢いにバランスを崩した兄貴が後ろへ倒れこみ、後頭部を思いっきり床に打ち付ける。
 痛そうにしている兄貴には悪いけど……助かった。
 拘束されていた腕を撫で擦り、ほっと一息つく。だけど、そう思った俺は完全に油断していた。兄貴の代わりに、今度は颯が俺へとのしかかってきたのだ。
「ちょ……、なんだよ颯」
「ヒカ兄だけずるいよ! のん兄、僕にもおはようのキスして!」
「ずるいって……兄貴とはしてないっつーの!」
「ヤダ! 僕にもおはようのキスーっ!」
 人の話を聞かず、子供のように駄々をこねながらキスを求める颯。おまけに、どこまでもタフな兄貴があっさり復活してきて、おはようのキスにこだわり続ける二人にもみくちゃにされ、とうとう俺はブチ切れた。
「二人とも、いい加減にしろーーーっ!」
 ありったけの力で二人の体を突っぱねる。あまりの俺の剣幕に気圧されたのか、兄貴と颯がきょとんとした顔のまま動きを止める。そして――。
「なにやってんの?」
 リビングの扉から、自力で起きてきたらしい翼が現れた。
「あ、つ、翼……!」
 この状況を見て、翼はどう思うだろうか。
 まさかとは思うけど、翼も参戦、なんてことにならないだろうか。
 内心うろたえる俺をよそに、兄貴と颯は一瞬だけ目を見交わすと、まるで何事もなかったかのように立ち上がり、無言でダイニングへ向かい、まだ朝食の準備ができていないにもかかわらず、それぞれ定位置に座ってしまった。
「えっ、と……」
 状況の変化についていけず、戸惑う俺。しかし、兄貴と颯はすっかりいつも通りで、朝食の催促をしてきた。
「望、朝メシにしてくれ」
「のん兄僕お腹すいたー」
 兄貴と颯に続いて、翼までも椅子に座ってしまい、釈然としない思いを抱えつつ、俺は仕方なしに朝食の準備に取り掛かった。
 こんな風に待たれていると、当然、時間の掛かるものなんて作れない。朝からムダに体力を使って疲れ果てていたこともあって、俺は、目玉焼きと味噌汁、それに納豆という簡単だけど栄養の取れる朝食を用意した。
 さっきの出来事がまるで嘘のような、普段と同じ、朝食風景。それに安心して、炊き立ての白いご飯を食べ進めていると、早くも食べ終えた颯が「ごちそうさま」を言って立ち上がり、リビングのテレビでワイドショーを見始めた。
 皆の分の食事を用意してから食べ始めるため、終わるのはいつでも俺が最後。颯に続いてリビングへ行ってしまった兄貴の分の食器も流しに運んでいると、なぜか翼が俺の横に立った。
「後片付け、俺がやるよ」
「えっ!? い、いいよっ!」
 だけど翼は、俺の遠慮の声など聞き入れずに、スポンジを手に取るとそれに洗剤をつけて泡立て始めた。


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