愛なんて、ない、なんて 2


「……タバコ、吸うなよ」
「何で?」
「……壁に、ヤニつくぞ」
 学生向けの新築アパート。入居した時に払った敷金は、家賃の三か月分。
「いーだろ別に。俺の部屋なんだし」
 お前の部屋じゃなくて、借り物だろ。
 説教じみた言葉は、心の中だけで呟く。
 それを口にしたところで、芳男が俺の言葉を聞き入れるとは思えなかった。
 さっきまで散々俺を弄んでいた長い指。挟んだタバコにジッポで火をつけ、肺まで深く吸い込み、吐き出す。
 セックスの後の一服がうまいんだ。芳男はそんな風に言うけれど、俺にはわからないし、わかりたくもない。
 でも……。
 一連の動作は文句なくサマになっていて、俺は芳男から、目が離せなかった。
 空気に溶ける紫煙と、漂うタバコの香り。
 俺、どうしてこんなヤツと……。
 無理矢理芳男から視線を外し、投げ出した両足の、爪先部分をじっと見つめる。
「腹へったなー」
 一人ごちて、芳男は無言でキッチンへと向かった。
 一応、冷蔵庫を開けて中を覗きこんではいるけれど、俺は知っている。この家の冷蔵庫に、即座に空腹を満たすような食料など、何も入っていないということを。
 それすらいつもと同じ。そしてこのあとどうするかもわかっている。俺は芳男が話しかけてくる前から、返す言葉を用意していた。
「何にもないなあ、何か頼むか? 圭太は?」
「ピザがいい」
「またピザかよ。ま、いいや。じゃあいつものヤツな」
 ヨシオが、冷蔵庫の上に無造作に置かれたチラシの中から、ピザの宅配を選び出し、俺の元へと戻ってくると、目の前にかざした。
「電話しといて。シャワー浴びてくる」
 言うだけ言って、芳男はさっさとシャワールームへと消えた。
 裸の背中を追うように視線を向けながら、思う。
 ――芳男は、最初からこんなにそっけなかっただろうか?
 いつ始まったのかさえあやふやな二人の関係。それを思い出すのはひどく困難に思えた。
 記憶をたどることは早々に諦め、俺は、床に脱ぎ捨てたままの上着のポケットから携帯を取り出すと、ダイヤルを押した。
 非通知を選択して、発信。
「注文お願いします。電話番号は……」
 ピザに限らず、寿司でも、丼物でも、うどんでもそばでもラーメンでも。
 いつも電話を掛けるのは、俺。
「……302号室、コバヤシヨシオです。クワトロ一枚。Mサイズで」
 いつも、この瞬間、ひどく虚しくなる。
 使っているのは自分の携帯。それをわざわざ番号を知られないようにして、自分の声で、自分のものではない電話番号と住所と名前を告げる。
 ただの隣人で、セックスの相手。そんなヤツに甲斐甲斐しく尽くしているかのような、自分の行動が我慢ならない。それなのに拒否もできない。
「……なんで、いつも俺が……」
 思わず口をついて出てしまったけれど、芳男を責めたいわけじゃない。
 わかってる。
 俺は、自分が芳男に何を求めているのか、気づき始めていた。





 ほどなくして、芳男が浴室から出てきた。それと入れ違いに、逃げ込むように服を引っ掴んで浴室へと急ぎ、温かいシャワーを浴びて、セックスの名残を綺麗さっぱり洗い流す。
 きちんと身なりを整えて浴室を出ると、既にピザは届いていて、それを前にヨシオはビールを飲んでいた。
 八等分されたピザからは、すでに二切れほどが欠けている。
「圭太も飲む?」
「……いらない」
 この部屋に、俺の望む飲みものがあるとは思えない。芳男はそんなに気の利く人間じゃない。
 それでも一応冷蔵庫を開けると、そこには、予想に反してウーロン茶のペットボトルが入っていた。
 扉を開けたまま動きの止まった俺の背中に、芳男の声が飛んでくる。
「あー、それ、圭太のなー」
「………」
「お前のために買っといたんだ。お前、いつもそれだろ?」
「……うん、ありがと」


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