放課後の教室で 1


『那由、帰るよ』
 それは幼い頃から、変わらない習慣。変わらない言葉。
 あの頃はよかった、なんて、言うつもりはないけど。それでも――。





「那由多、今日、うち、来るだろ?」
 ざわめく放課後の教室。抑揚のない声で告げられる、なんてことない日常会話の一端。
 だけどオレは知っている。
 その言葉の裏にあるのは、セックスの誘い。
「………うん」
 二人にしかわからないとはいえ、それでもどこか気恥ずかしくて、気持ち顔を俯けてそう返事をすると、一貴は、持っていたカバンをオレの机の上に乗せた。
「悪いけど、先生に呼ばれてるんだ。少し待ってて」
「………うん」
 そう言われて、待つこと一時間。
 その間に教室からは一人減り、二人減り、残っているのは今ではオレ一人。
 一貴はクラス委員長をしているため、放課後でも委員会に出たり、今日のように先生に呼ばれて雑用を頼まれたり、と、何かと忙しい。
 一緒に帰ることは、もはやオレの中では日常の一部だったから、今までも時々こうして待たされることはあったけど、それはちっとも苦じゃなかった。
 だけど、最近ではオレの側の捉え方が違ってきていて、少しだけ、苦しい。
「はぁ……」
 いけない、と思いつつも、つい、溜め息が漏れる。
 広い教室で、たった一人。グラウンドや、体育館や、音楽室から聞こえてくるさまざまな部活動のさまざまな音。それなりに音が溢れているのに、オレ自身はそういったものを一切感じることなく、その意識は、否応なしにこの後に待っている行為へと向かっていた。





『那由、帰るよ』
 クラスが一緒でも、違っていても、そうやって毎日、オレを迎えに来るのは一貴の役目。
 約束なんてしたことなかった。
 でも、どんなに遅くなっても、いつも、必ず、一貴はオレを迎えに来た。
 あの頃、そこにあった感情は、一体何だったんだろう。





 カラリ、と扉の開く音で、ハッと顔を上げる。
 こちらに向かって歩いてくる一貴の表情は、冷徹な仮面の下に隠されていて、いつも真意が読めない。
「ちゃんと待ってたんだ」
「……っ、当たり前、だろ……」
 以前の、ただの幼なじみ同士だったら、こんな会話はなかった。
 体の関係を持つようになって以来、そういうものがチラチラと見え隠れするたび、どうしても逃げ腰になってしまうオレを、からかうように薄く笑う一貴。
 幼なじみのままで、友達のままでいられたのなら、オレはこんな風にはならなかった。
 それでも、こうなることを望んだのは、他でもないオレ自身。
 自分のカバンと、一貴のカバン。両手にひとつずつ持って立ち上がる。
 ゆっくりと近づいてきた一貴が手を伸ばし、自分のカバンではなく、それを持っているオレの手首を掴んだ。


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