10
「愛してる」

初めて見るのに、彼女に間違いないという確信があった。ローはゆっくりとこちらに向かってくる女をジッと見つめる。

「まぁまぁ、ようけお客さんがおってんじゃったんじゃね」

「お客さん言うて、わしじゃなしにあんたがたの……」

「あー、違うんすよ、おれたち」

シャチが老人の話を遮って話しはじめようとした時、初めてローと女の目が合った。女は驚いたようにローを見つめ、そしてローも、女を見つめながらゆっくりそちらへ歩み寄った。

「……ユリさん、だよな」

「っ……」

ローの言葉に、シャチとベポは驚いたように口をあんぐりと開けてユリを見た。ペンギンも目を見開いている。ユリの声はローしか聴いたことがないため自分たちは分からなかったが、ローが間違えるわけがない。

「ローさん……ですか?」

ユリが確認するように尋ねれば、ローはフッ口の端を吊り上げてユリの腕を引き自分の腕の中に閉じ込めた。ユリは突然のことに固まり、そんなユリにローは苦笑しながら緊張を解してやるようにゆっくりとユリの背を撫でる。

「……あぁ、やっと逢えたな。ずっと、こうしたかった……」

耳元でそっと甘く囁いてみれば、ユリはビクリと肩を震わせ耳まで赤くなってしまう。突然の状況に追いつけないシャチとベポは困惑気味に2人を見た。

「え、ユリさん……なの?なんでキャプテンいきなり抱き締めてるの?」

「おれが知るかよ!?ってか、いつの間にそんな関係に……?」

つくづく鈍い奴らだと1人溜息をついたペンギンは、固まったままのユリに向けて声を掛ける。

「ユリさん、一応初めまして……か?おれがペンギンで、あっちがシャチで、こっちがベポだ」

「は……い、あの、初めまして……?」

ぎこちない言葉で返された返事に、ローは声を出して笑った。緊張しすぎだと。けれどユリにとってみればどれも初めての経験なのだ。逢いたかったなどと言われることも、こうして抱き締められることも。何が何だかわからなくなりそうだ、とユリは必死に真っ白になってしまった頭で考える。取り敢えず落ち着かなければと。しかし、深呼吸して落ち着こうとしたユリは、老人の一言で思い切り咳込むことになった。

「あんたがたに婿が来たんか!はぁえぇ事じゃえぇ事じゃ、今からみんなに言うて来るけん、早よいんでから。今日はようけ人が来るで」

「っな、ッゴホ、ケホ……ッ」

「ユリさん!?」

焦って老人を止めようとするユリだが、老人の老体とは思えぬ軽やかな足取りと、自身の咳によりそれは叶わず。ローに背中を撫でてもらいながらユリは頬を真っ赤に染めてどうすればいいのかを考えた。一方殆んど何を言っているのか聞き取れなかった4人だが、『婿』というキーワードから、ユリの結婚相手が来たと思われたのだと感じ取った。

「大丈夫か?」

「はい……すみません、あのごめんなさい、つるのおじいちゃんが」

ユリの言葉にやはり自分たちの認識は間違っていなかったらしいと4人は無言で頷く。そしてよく分からないが取り敢えずこれでユリとの対面と家への行き方の2つの問題が解決できると、ペンギンは車の方へ向かう。この分だとローは運転しないだろうからと、しっかりと運転席に乗って。シャチとベポは、キャプテンがユリさんの婿!?一緒に騒いでおり、いつの間にそこまで関係が進展したのか、寧ろ何故一緒に住んでいた自分たちに教えてくれなかったのか、水臭いとローに詰め寄っている。ローはうんざりしながらシャチたちを車に追い払い、抱き締めたままのユリを見つめた。

「おれは別に、構わねぇ……婿でも」

「ローさん……」

まぁ逢ったばっかりだ、付き合う所から始めるとローは微笑を浮かべて、そのままユリの唇に己の唇をそっと重ねた。ユリは固まったままローにされるがままにキスをされる、そしてそれをいいことにローはだんだんとユリとのキスを深いものにし、そっと舌先で唇を割りユリの舌を撫でる。力の入らない手でギュッと自分の服を握りしめるユリに満足げに目を細め、崩れ落ちてしまわないように支えてやれば、ユリは小さく嬌声をあげた。

「んっふぁ……っ、やぁ」

「逃げるな……もっと、」




「……キャプテン、こんな道端で」

「まぁ、長くお預け状態だったんだろうなとおれも予想できるけど、けどさ!!」

「これじゃあ日が暮れるぞ……シャチ、早くキャプテンとユリさんを呼んで来い」

「おれ!?いや絶対今行ったらキャプテンにあの世に逝かされるぜ!?」

「シャチがおれたちの中で1番適任だと考える」

「お前同じ外科研修受けてただろうが!?」

車内で揉める3人は、一向に終わらないローとユリのキスに気まずそうに目線を逸らした。しかしこのままでは埒が明かないのも事実。結局じゃんけんで負けたシャチが呼びに行くことになる。

「絶対おれ今日命日だ……はぁ、キャプテン、ユリさんの家で続きしてくださいよ、このままじゃユリさんまで野宿になりますよ」

取り敢えず命を護る為の最大限の努力をしながら発言すれば、もの凄い視線を受けたものの、何とかキスを止める事に成功する。どうやらユリさんの名前を出したのが良かったらしく、呼びに行ったシャチを置いて、ローはユリを連れて車に乗り込んだ。

「置いてかないで!!」

慌てて乗り込んできたシャチが今度は助手席に座った。あの状況で後部座席に戻れば、今度こそローに何をされるか分かったもんじゃない。ようやく発進した車は、それから15分ほどでユリの家に着く。すると、先程の老人が言った通り、家の周りには多くの住民たちが集まっていた。

「あらユリちゃん、男の車に乗って帰って来たの?レイさんたちが勝手に始めちゃったわよ」

車を降りてすぐに話しかけたのはシャッキー。ユリは男という言葉にローを見て、それから頬を染めて俯く。ローは特に気にした風もなくユリの肩を抱き寄せた。ペンギンは他の住民たちに粗品を渡して回りながら挨拶をし、シャチはユリの不在の家で勝手に酒を飲んでいる老人たちに驚き、ベポは老婆たちに囲まれ可愛がられていた。

「あの、この方たちは、お医者さんで……来てくださったんです」

私の代わりに、とユリが呟くと、シャッキーは苦笑して4人を見た。

「ユリちゃんは私たちの可愛い娘で孫。ユリちゃんが信頼してる医者なら、私たちも信頼できるわ」

「その通りだな」

中で酒を飲んでいたらしい老人は酒瓶片手にウッドデッキから降りてきて、シャッキーの言葉に頷いた。誰だ、とローが耳打ちすれば、ユリが小さくシャッキーの夫であることを説明する。

「私はレイリー、ユリちゃんを小さい頃から見てきた育ての親でもある。この子は幼い頃から医者を目指していたが、彼女の身体がそれを許さなかった。キミ達がユリちゃんに新しい道を示してくれたんだろう?それは私やシャッキー、ここの住民には到底出来ないことだった。……ユリちゃんの親代わりとして、礼を言おう」

いくら自分たちが医者以外の人生を勧めても、代々この地に住んでいる者たちの言葉は、ユリにとっては重荷にしかならない。たとえどれだけ本気で言っていても、ユリ自身が自分の血筋は医者でなければと思ってしまうからだ。彼女の母親も父親も、祖母も祖父も、みんな医者だった。それを知っている者たちに囲まれて暮らせば、無意識にそういった考えになっても仕方ないと、レイリーは思った。

ユリはレイリーの言葉に涙を浮かべる。自分で医者を目指し、それが出来ない身体だと分かっても、諦めていると言っても、心のどこかで諦めきれない自分が居た。そしてあの日、あのブログを読んでユリの世界は広がった。あのブログでローと出逢い、新たな道を知った。世界を見ることが出来た。ペンギンやシャチ、ベポに会い、友達との会話や医者としての知識を知ることが出来た。全部全部、4人が教えてくれた素晴らしい世界だった。

「ローさん……」

潤んだ瞳でユリはローを見た。こうして今、ここに居てくれること。初めてコメントをくれたこと、チャットに呼んでくれたこと、電話をしてくれたこと、自分を好きだと言ってくれたこと。言い出せばきりがないくらい、ユリはローにたくさんの感謝の気持ちを持っている。だから。

「ありがとう……ローさん」

ユリには一言でしか表現できず、それで上手く伝わるのかユリには不安で仕方なかった。けれどローはユリの頬に手をあて、フッ笑みを浮かべる。

「あぁ……」

すると周りからは歓声が上がり、戸惑うペンギン、シャチ、ベポはシャッキーによってユリの家へと案内された。他に集まっていた住民たちも後を追うように家の中に消えていき、結局車を停めた庭にはユリとローだけが残される。

「……ユリさんの家だろ?勝手に入っていいのか?」

「……ここの人たちは、みんな結構、こんな感じで。都会は違いますよね、わ、悪気はないんです皆さん」

必死に弁解するユリに、ローは苦笑する。

「成程な、この状態には慣れろってことだな。ユリさん方言でしゃべらねぇのか?」

「あ、……その、方言で話すおじいちゃんたちには、そっちの方が会話が通じるんで、ローさんは普通の方が……いいですよね」

「話しやすい方でいい、どうせ周りがそればっかりになるんなら同じだ」

ローはいまだに頬の赤らみが治らないユリを見つめて、それからユリを抱き締めた。突然のことに、再びユリが固まって混乱してると、ローの低く耳朶を這うような甘い声が耳元で囁いた。

「……ユリって呼んでいいか?」

「っはい……」

「じゃあユリ、おれと付き合ってくれるか?」

「はい」

「愛してる……」

「私も、愛してます」




知り合ったのはほんの少し前で、今の今まで相手の顔も知らなくて。それでもこんなにも相手を愛おしいと思える。不思議な感覚だった。出逢って育む愛もきっとこれからあるだろう。だが、それでも今、こんなにも心が満たされる相手が居るのは、きっとあの日ユリがくれた短いコメントがあったから。コメントをもらった頃も、チャットで会話したあの日も、初めて声が聴けた日も、そして今も、その瞬間で1番満たされていた。きっとこれからもそれは続くと思える。

「ユリ、今日からまたよろしくな」

「はい!」

この素晴らしい日々を、これからも前を向いて生きよう。




(今日からおれたちここに住むんだね)
(キャプテン起こす係りはユリさんに決定だな!)
(早く病院を開業して、ユリさんと一緒に働きたいな)
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