修学旅行


 今、俺たちは飛行機に乗っている。
 滑走路を飛び立った機械の鳥は、轟音を響かせ大空を舞う。
 機内のモニターは下界の景色を映している。

 俺、実は高所恐怖症。
 なので今、震えてます。

「昴、大丈夫か?」

 愛しい恋人が頭を撫で、頬に優しく触れる。
 それだけで、俺の心は落ち着く──はずもなく。怖いものは怖い。

「アキトぉぉ……」

 自分でもビックリなくらいに情けない声が出た。

「なんだぁ? 高倉ぁ情けねぇー声出してんな」

 正也が前の座席から顔を覗かせニヤニヤと笑う。
 その顔に少し苛つくが、上空にいるという現実の怖さの方が勝り強気で言い返せない。

「着くまで寝てればいいんじゃない?」

 正也に続いて太一もヒョコっと顔を覗かせて、微塵も心配していない表情で提案してくる。
 そりゃ、寝てればあっという間だろうしそうしたいのは山々だけど、それができないから今こんなに怯えているのだ。怖すぎて眠れないんだよっ!

「つーか、完璧人間の高倉にも苦手なもんがあったんだな」

 ケラケラと笑う正也が俺の肩をバシバシと叩いた。

「何だよ、完璧人間って……」

 変な異名をつけないでほしい。
 ともかく、着陸するまでの永遠にすら感じてしまう時間を耐え抜くしかない現実。隣に愛するアキトがいなければ、修学旅行を欠席していたかもしれない。
 愛故に。愛する人との想い出の為に我慢、我慢……。


「おー。思ったより寒いな」
「本当、こっちはもう冬だね」

 十月半ばの北海道は冷たい空気に包まれていた。吐く息も白い。正也と太一が腕を摩りながらこちらを振り返る。

「まだ気分悪いか?」

 隣を歩くアキトが優しい顔で覗き込む。
 ああ。このままあと少し顔を寄せればキスができてしまう。舌を絡めて味わえば、きっと気分も晴れやかに──なるとは思うが、流石にそれをするわけにはいかないのが無念だ。
 移動の為バスに乗り込み、時折流れる景色を眺めながら俺たちの修学旅行が始まった。
 一日めは動物園でホッキョクグマやライオンや様々な動物たちの姿に癒されつつ、俺は隣のアキトとデート気分で園内を愉しんだ。
 それを終えると最初の宿であるペンションへとバスが向かう。ペンションがある辺りはもう雪景色で、雪を丸めて投げ合う生徒がちらほらと窺える。勿論、俺たちもそんな生徒の一部だったりするんだが。
 興奮しすぎた生徒の一人が、先生が撮影するムービーカメラを雪で水没させて壊してしまったのはのちに笑い話として語られた。
 ペンションの部屋割りは三〜四人毎のグループ。もちろん、俺とアキトは同じ部屋。あとはいつも通りのメンバーで、太一と正也が同室になった。
 ……二人部屋がよかったのになぁ。と、うとうとと考えながら眠った。

 翌朝はすっきりと晴れた気持ちのいい空が見れた。俺たちのクラスは午前中にラフティングを体験する。
 インストラクターのお兄さんは何気にイケメン揃いで、女子がソワソワしている。
 俺たちの担当のインストラクターは、巻岡まきおかさん。イケメン集団の中でも飛び抜けて色男な雰囲気の人だ。
 羨ましいのか恨めしいのか微妙な境目の表情で女子に睨まれてる気がするのは気の所為ではなさそうだ。

「昴くん危ないよ、こっちおいで。川に落っこちないように」

 んー……。これは気の所為だろうか?
 巻岡さんの俺に対してのボディタッチの多さが半端ないんだけど。だんだんその白々しさに気持ち悪くなってきた。
 太一が気の毒そうに俺を見つめているから余程だろう。正也は全く何も考えずに、「おにーさん、優しいっスね」とかほざいてるが。
 何より無言を通しているアキトの気持ちが読めない。何度か助けて欲しくてアイコンタクトしてるんだけど、目が合ってもすぐ逸らすし。巻き添えにならないように距離を取ってるだけなのか、嫉妬でもして怒っているのか……。嫉妬されてるとしたら少し嬉しいけど、でも不本意なことで怒らせているのはいただけない。
 このインストラクターは明らかに俺を獲物として見ている気がする。

「夜、遊びに行かない? 連れてってあげるよ」
「いいえ、結構です」
「何で? 少しくらいバレないって。車で迎えに行くからさ」
「行きませんから、迎えにこないでください」
「愉しませてあげるからさ」

 キモい。どうにかしてくれこいつ。自分に自信のありすぎる男って鬱陶しい。
 愉しませるって何だ? 嫌な予感しかしない。
 どうせ口説くなら女子を口説け。俺を標的にするな。首を撫でるな。腰に手を回すなっ! さり気なく尻を撫でようとするなっっ!

「ね? 君も一緒に」

 今度は太一にまで。
 あ……太一のあの表情は本気でキレてるな。普段怒らないやつが怒ると怖いとよく言うが、太一も例に漏れず滅多なことでは怒らないが怒ると怖い。いつも以上に丁寧な口調で侮蔑を並べ、凍てつくような視線で見据え、相手をゴミ虫以下の存在に成り下がった気分にさせる。
 けれど、巻岡──もう敬称なんて付けてやらない──はなおも言い寄るのをやめない。すげー心臓の持ち主だ。

「あはは。本当、キモいんでやめてもらえません?」
「照れなくても」
「……あ、ほら昴がこっち見てますよ?」

 なっ!? 裏切りやがった!
 俺にそのキモいやつ押しつけやがった!
 何て野郎だ──覚えてろ。

「ん? 何、ヤキモチ?」
「……(死んでくれ)」

 好意的に見れば、甘い声、甘いマスクで蕩けるような囁き声で耳打ちする。けれど、嫌悪感しか抱いていない俺からしたら、ただただ気持ち悪さしか感じない。殺意すら抱くほど。

「おーい。高倉、橋田。先行くぞー」

 正也は平和でいいなぁ。
 というか、アキトは何処行った?
 アキトの姿を捜すが見当たらない。さっさと先に行ったのだろうか。
 けれど、集合場所に着いても見当たらない。キョロキョロと見渡すがそれらしい姿はなく、移動の為にバスに乗り込む頃にやっと戻ってきた。

「アキト、何処行ってたの?」
「……トイレ」
「声かけてくれれば良かったのに」

 別に連れションしたいわけではないが、できる限りアキトの傍にいたい。少しでも二人きりになれる隙があるなら二人で行動したい。
 なのに、声もかけずに勝手に行くなんて薄情に思えてしまい批難めいた表情をつい浮かべてしまう。
 そんな俺を見て、アキトも表情を硬くしている。

「アキト?」
「……た」
「え?」
「声はかけた」

 少し不機嫌な様子でアキトが呟く。
 声をかけたのに気づかなかったのは俺だったらしい。それはとても申し訳ない。それなのに、勘違いして拗ねてしまったことに反省する。
 そして、謝ろうと口を開きかけた時、思いも寄らない台詞がアキトから発せられた。

「オマエ、あのインストラクターの男と忙しそうだったしな」
「は?」
「犬みたいに戯れついて嬉しそうだったし」
「はぁ!?」

 心外だ。俺がいつ嬉しそうに戯れついてなどしていたのだと言うのか。終始嫌悪感に苛まれながら、インストラクターのお兄さんだからと少し遠慮して苦笑いで耐えていたのに。
 そこで、はたと気づく。アキトは俺とインストラクターの様子を見て気分を害したらしい。それはつまり──。

「嫉妬してたの?」
「してねーよ」
「じゃあ、何で怒ってんのさ?」
「別に怒ってねぇよ」
「怒ってるだろ」

 あきらかに怒っているのに、頑なに認めようとしない。
 嫉妬したことが恥ずかしいのか? そんなのどんどん表に出してくれていいのに。寧ろ好かれてるんだと実感できて嬉しい。
 思わずニヤケた顔をしそうになった。

「別にオマエなんかに嫉妬してねーって! しつこいな」

 ニヤケ顔を作ろうと動いていた頬の筋肉が引き攣って止まる。
 今までにない衝撃だ。アキトからの「オマエなんか……」発言。照れ隠しの台詞だとしても、胸にぐさりとくる。

「……んだよ、それ……」

 その言葉の衝撃に硬直してしまった俺を一瞥し、ため息を吐くとアキトは席を立った。

「山本」
「何だ?」
「席替わってくれね?」
「ん? いいけど」
「ありがとう」

 え? この状態でその行動……?
 何、これ、喧嘩ってこと?

「…………」

 ヤバイ。俺、泣きそうだ。
 太一が俺を気遣ってアキトに何やら声をかけているが、アキトは沈黙を貫いている。そのうち、太一も諦めてため息を吐くのが見えた。

「高倉も食う? 上手いぞ」

 何もわかっていない正也が能天気にお菓子を貪る音が、バスのエンジン音と共に虚しく響いた。


 さっぱりとした風呂上り。脱衣所から慌てて廊下に飛び出し目当ての後ろ姿を捉える。
 タオルで頭を拭いている間に姿が消えていたから焦ったが、たいした差ではなかったようでほっとする。

「アキト」
「……何?」

 結局あの後も仲直りができないまま、アキトと気不味い雰囲気しか作れていない。
 けど、俺はそんなのは嫌だ。何の為に死ぬ思いで高所の旅に耐えここまで来たのか。アキトと喧嘩する為じゃない、素敵な想い出を作る為だ。

「昼間の事だけど──」

 誤解を解く為に、立ち止まってこちらに振り返ったアキトに声をかけながら数歩近づく。
 しかし、それを途中で遮られてしまった。

「昴くん! 待った?」

 ぎゃ!? 出た!?
 ──てか、何で!?
 予想だにしない人物の登場にただただ呆然と見つめてしまった。その人物こそが、俺とアキトの喧嘩──とは思いたくないけど、それらしい険悪な雰囲気──の根源。

「巻岡…………さん」
「シャンプーの香りって、ヤバイよね」

 何もヤバくないし。キモいよ。本当にキモいよこいつ。
 というかなぜここにいるんだよ? 本当に迎えにきたのか? はっきり断ったのに。

「何でここにいるんですか?」
「ここウチがやってるペンションだから」
「……昨日はいませんでしたよね?」
「うん。昴くんがここに泊まってるの知って手伝いにきたんだよ。──愛感じた?」

 だからキモさしか感じねーよ!
 それ、本気で言ってるなら恐怖だよ。ストーカー行為とか、マジ恐ろしいよ。
 面白がってからかってるにしても、暇人すぎるだろ。他所でしてくれよ!
 そんなキモさ全開の巻岡に圧倒されてる間に、アキトの姿が消えていた。
 何それ、困る。この状況のせいで、余計な誤解を増やしていたらさらに最悪だ。

「ん? さっきいた子なら部屋にでも戻ったんじゃない? 気をきかせてくれたのかもね」

 アキトの姿をキョロキョロと捜していた俺に、ウィンクしながら巻岡が言った。ぞわぞわと悪寒が走る。吐き気もしてきた。
 そして、同時に怒りが湧いた。

「本当にやめてください」
「そんなに嫌? 男は駄目?」

 本気で言ってるのか? 甘い顔で甘く囁けば、相手が男であろうと口説き落とせると本気で思ってるのか?
 どこまで自信満々なんだよ。
 それとも、俺がそんな簡単に靡くような軽い男だと思われてるのだろうか。

「……嫌だし。無理」
「試してみようよ。後腐れないよ、おれ」

 随分軽く見られているらしい。欲求解消の道具に俺を使おうとするなと叫びたい。
 けど、それを叫んだらこの男の事だ、「なら本気ならいいの?」とか嘯きそうだ。……本当に言いそうだな。

「いい加減にしてもらえないと、先生に言いますよ」
「無駄だよ。あの先生とも寝たもん」

 担任の顔を思い浮かべる。
 優しい先生だ。けどきちんと厳しさも兼ね備えている。生徒に対しての飴と鞭の使い分けが上手い熟練教師だ。
 初老のその先生が、最近初孫が出来たと嬉しそうに携帯の待ち受け画面を眺めていたのを思い出す。

「……え? は? ……えぇ!?」

 寝た……って言ったか? 寝たってあれだよな。俺とアキトみたいに熱情の絡み合う行為のことだよな?
 ──マジで!? 不倫っ!?

「ははっ、冗談だよ。本気にするなんて可愛いなぁ」

 花でも飛ばしそうな軽やかな笑い声。

 ──殴りたい! 心底殴りたいっ!
 手を出すわけにはいかないから、心中でボコボコに殴り倒しておいた。少しもスッキリはしなかったが。

「あれ? 高倉くん?」
「近藤さん」

 バインダー片手に現れた近藤さんは、すでに入浴を終えて部屋着に着替えていた。
 きっとクラスメートの点呼を取る為に各部屋を回っていたのだろう。一人きりの学級委員とは何とも忙しい。

「……大丈夫?」

 何かを感じ取ったのか、近藤さんがその言葉以上に心配そうな視線で俺を窺う。

「君、可愛いね! 彼氏いるの?」
「え!?」

 こいつ、誰でもいいのか?
 近藤さんに距離を詰めて、甘い顔と声で追い詰めていく。
 俺に対するのとは違い、触れようとしないのはセクハラだと騒がれない為の配慮なのだろうか? 近藤さんに触れた瞬間に「セクハラです!」って叫ぼうとしていた俺の思惑に気づいたからなのか。
 追い詰められて、驚きと不安の入り混じる表情で困った様子を見せる近藤さん。助けなくてはと思うが、ここで言い寄る巻岡を止めでもしたら、「ヤキモチ?」などとまた嬉しそうな、こちらとしては腹立たしい顔をされそうだ。
 鬩ぎ合う思考に逡巡していると、何ともいいタイミングで近藤さんの忠犬たるクラスメートが浴場から顔を出した。

「正也!」
「高倉? ……と、近藤さんに……」

 まだ濡れた髪をタオルで拭きながら現れたのは、相変わらずの能天気な表情を浮かべる正也だ。
 正也は俺を一瞥したあと、近藤さんの現状を目にし、途端に表情を怖いものへと変えていく。

「インストラクターのおにーさん。何してんスか? 何で近藤さんにそんな詰め寄ってんスか? 事の次第によっちゃ──」
「君もよく見ると、いいね……」
「……へ?」
「うん。戸惑った表情なんかそそるよ」

 手当たり次第だな、おい。
 そして、普段そんなことを言われ慣れていないのだろう正也はなぜか少し照れている。それを逸楽的な巻岡が見過ごすはずはない。さらに言い寄り顎や腰にごく自然な態度で触れる。
 流石にそれには顔を顰めた正也だが、褒め言葉にとことん弱い。徐々に懐柔されていく。
 俺は近藤さんに手招きし、チャンスとばかりにその場から逃げ出した。──正也。お前の尊い犠牲はけして忘れないからな!

「だ、大丈夫かな? 山本くん……」

 心配そうに後ろを窺う近藤さんに、俺は大きく頷いた。

 部屋に戻った俺はほっと一息吐く。そんな俺と入れ違いに太一が部屋を出ていく。ちょっと野暮用らしい。多分女の子関係だろうな。
 となると、この部屋には俺とアキトの二人きり……。
 ベッドに寝そべり小型ゲーム機と睨めっこしているアキトがそこにいる。
 巻岡と俺を置いて、さっさと先に部屋に戻ってしまったアキト。
 俺が部屋に入ってきたことに気づいているだろうに、こちらを見向きもしない。まだ怒っているんだろうか? というか、なぜそこまで機嫌を悪くする必要があるのか。

「アキト……」

 小型ゲーム機から僅かに流れる軽快なメロディーと、アキトの指先が操作するボタンの音だけが静かな室内に響いている。
 呼びかけに返事はしてくれない。

「ねぇ。アキト?」
「何だよ」

 めげずに声をかけると、不機嫌そうに素っ気なく声だけで返事をされた。目線は相変わらず小型ゲーム機を見つめている。

「あのさ──あ……あ、明日はどこに行くか決めた? 自由行動だし、アキトの行きたいところに行こうよ。ね?」

 昼間のこと、巻岡のことを話そうかと思ったが、どうもそんな空気ではない気がして当たり障りのない話題を選んでみた。
 言ってから、もし一緒に行かないなどと言われたらどうしようと半端なく焦っているが。
 言葉を続けられず、アキトの返事を待ちながらその様子を窺っていると、ふいにアキトが振り向いた。むくりと起き上がると無言でこちらに近づいた。

「ア、アキトっ!?」

 いきなりベッドに押し倒され、アキトの唇が俺の首すじを撫でる。先ほどまで小型ゲーム機を操作していた指先が、Tシャツの中へと侵入し甘い痺れを与えてくる。
 膨らみ始めた突起をその指先で引っ掻いて摘ままれた。ピクピクと反応する俺の身体をアキトの体温が包んでいく。

「だ、めだよ……」

 太一と正也が戻ってきたらどうするんだよ。太一はともかく、正也には何て説明すればいいのか困る。ふざけてましたって言い訳が通じると思えないし。いくらバカでも流石に察するだろう。
 アキトの掌が腹を摩り、ゆっくりと下着の中へと入ってくる。熱を持ち硬くなったソコを撫でて通り過ぎ、後ろの窄みに指先が触れる。

「嫌なの?」
「嫌じゃないけど……」

 そういう問題ではない。
 と思うのに、アキトの手は止まらない。声が、顔が、とても怖くて、そこには俺の知らないアキトがいる。
 アキトの手が俺の身体に熱を運び、その愛撫で素直に反応していく。けれど、その手から伝わるのは熱だけで、俺の身体に熱が籠るほど、気持ちが冷たく凍えるような底知れぬ怖さに泣きそうになった。

「あっ──アキ、ト」

 下半身は全て脱がされ、割り広げられた臀部の窄みにねっとりとした舌が触れる。舌先で撫でて圧して解されていく。
 たっぷりと唾液で濡らされ、蕩けるようなその刺激に身体の力が抜けていく。

「ふぅっ……ん、ああっっ!」

 アキトの指がぐにゅぐにゅと肉壁を這い、淫猥な音と痺れをもたらす。俺の身体を知り尽くしたその指が弱い箇所を執拗に責める。
 二本、三本と増えていく指を耐え切れず何度も締め付けた。
 いつもとは違い、乱暴で早急すぎる愛撫に呆気なく絶頂を味わった。
 俺の放った白濁を指先で掬い、ヒクつく窄みに塗り込めると、熱く硬いアキトの屹立したソレが穿たれる。

「はあっ──」

 一気に奥にまで穿たれたソレが、中でさらに質量を増した気がする。腰を掴まれ、じわじわと速まる律動がさらなる疼きを全身に伝える。
 声を出してしまわないよう我慢していると、それを許すまいとアキトの指先が口内を押し広げる。堪らず漏れる嬌声がアキトの荒い息遣いに重なって響いた。
 ただひたすら激しい抽送に快感よりも苦痛が増す。一際強く突かれたあと、アキトの熱が最奥に吐き出された。
 身体は熱い──けど、心が寒くて、泣いてしまいたいほど切ない。
 アキトが大好きだ。だから、こんなのは嫌だ。
 涙目でアキトを窺うと、そこには気持ちの読めない表情のアキトの顔がある。目が合うとそっと逸らされた。
 汗ばんだ肌と荒い息遣いは、情事の余韻を運んでくる。いつもなら優しく甘い抱擁が俺の身も心も包み込んでくれるのに、今はそれが望めない。
 すっと離れていく体温。アキトは何も言わず、無言で服を着た。汚れた俺の身体を静かに拭くと、空いている隣のベッドにいき、そのまま背を向けて横になった。
 俺はどうしたらいいのかわからないまま、唇を噛み締めてその背中を見つめた。
 何か話さなきゃと思うのに、何をどう言えばいいのかわからず、ただただ切ない気持ちに押し潰された。
 そんな不穏な空気の中、げんなりとした様子の正也が部屋に戻ってきた。今まで巻岡に捕まってたのだろうか? ため息を吐くと狸寝入りな俺たちの方を見たあと、「おやすみー」とひと言呟いて自身もベッドに横になった。そして、すぐに規則正しい寝息が聴こえた。
 その寝息を聴いているうちに、俺も次第に眠りの淵へと沈んでいった。


 修学旅行三日め。
 本来ならアキトと二人で周る予定だった自由行動だが、俺たちの様子に気づいた太一が正也も誘い四人で周ろうと提案してくれた。
 太一の気遣いと、正也の能天気さにはとことん救われる。
 気を抜くと昨夜の出来事が蘇り胸が苦しくなるが、何度も息を整えてぐっと気持ちを引き締める。
 暗い気持ちを空元気で誤魔化して、立ち寄った店でお土産を選ぶ。ガラス細工の店に一歩足を踏み入れると、ランプが店内を柔らかい光で包み、ディスプレイの照明に様々なガラス細工がキラキラと乱反射している。その煌々とした店内は俺の心までキラキラさせた。
 ペアグラスに目が止まり、それを手に取って眺める。どうしても離れ難いそのグラスに、殆ど悩むことなくレジへと足を向けた。
 買い物を済ませて店を出ると、眼前に繰り広げられる光景に暫し唖然とした。アキトと太一も同じようにその光景を眺めている。
 正也が何者かに連れ去られている。「助けてー」と叫んでいるが、声にそれほどの危急さは感じず俺たちはただ見送った。
 薄情かもしれないが、正也を連れ去った相手があの巻岡だったから大丈夫だろう。きっと暇人は今日も暇人な理由でお気に入りに昇格した正也を連れ歩きたいだけだろう。……下手に助けて、それに巻き込まれたくもなかった。
 三人になった俺たちは、気を取り直して残りの自由時間を過ごした。相変わらずアキトとの距離は遠い。並んで歩く時も太一が真ん中を行く。
 視線を感じて振り向くとアキトと目が合う。けれど、目が合うとすぐに逸らされる。気不味い空気を察知すると、太一が当たり障りのない会話を提供してくれる。
 最後の方は、早く自由時間が終わらないだろうかと考えてしまう程、重い空気が辛かった。

 三日めの宿泊先はホテル。
 修学旅行も明日で終わりだと思うと寂しいが、今は少しほっとする。

「高倉っ!」
「正也──どした!?」

 食事のあとから姿が見えないと思っていた正也が、何やら血相を変えて部屋に走り込んできた。

「あいつ何なんだよっ!」
「あいつって?」
「あのインストラクターのやつだよ」
「何かされたの?」

 というか、巻岡はホテルまで追いかけてきたのか? 怖過ぎるだろ。正也の今後が心配だ。

「…………ぐっ」

 正也が何か思い悩むように言葉に詰まる。
 心配はすでに手遅れだったのかもしれない。言葉の続かない正也を気遣うように様子を窺い、もう一度尋ねた。

「何されたの?」
「……口と口がぶつかって、下半身を攻撃された」

 逡巡したあとに正也が答えた。表情はとても暗い。
 キスされて、股間や尻を撫で回されたってことだろうか? どれだけ無防備だよ、正也。

「……んでもって、首にも攻撃されたんだな?」
「へ?」
「ここ、痕になってるよ」

 襟足を彩るその鬱血が何を意味するかなど明らかだろう。
 鏡を使わなければ自分の首元などどう頑張っても見れるわけがないのに、何とか見ようともがく正也が、急にピタリと硬直し目を見開いて俺の背後を凝視する。

「なな中島!? な、ちょ、いつからそこに?」
「最初からいたぞ」

 正也がこの部屋に入ってくるずっと前から、アキトは昨日と同じくベッドに寝そべり静かに小型ゲーム機で遊んでいた。
 声をかけられたアキトは正也の方へと身を乗り出して近づいていく。

「ほえ!? い、やこれはだな……」

 正也は首すじの痕を手で隠して後退る。
 アキトの行動の意味がいまいちわからないが、そのキスマークを確認したいのだろうか? 後退りする正也を深追いはせず、俺の隣までくるとベッドに座り直した。
 俺は正也の方に向き直り、混乱状態で焦る正也に声をかける。

「そんな焦らなくても。巻岡は誰かれ構わずだし」
「……高倉も?」
「俺は回避したよ。あと太一も俺に押しつけて回避してたし、近藤さんは正也が助けたもんね」
「あ、ああ。昨日の……って、みんな回避してんじゃねーかよ。──あ! 中島はっ?」

 少し落ち着いた正也が、なぜか期待に満ちた表情でアキトの言葉を待つ。

「オレはそいつと話したことがない」

 真顔でアキトが答えた。その瞬間、正也の期待は霧散する。

「何だよ! おれだけじゃねーかよ!」
「正也、褒められて浮かれてたからね。けど正也なら大丈夫だろうって勝手に安心してたから、こんなことになるとは思わなくて……ごめんな」

 けど、まあ。明日には帰るんだし、今後巻岡と会うこともないだろう。貞操を奪われたわけではないみたいだから、犬にでも咬まれたと思って過去の出来事として忘れてしまえばいい。
 正也もため息を吐きながら、散々な気持ちを何とか飲み込んだようだ。

「あ。メールきた……」

 相手は巻岡らしい。メアド交換したんだな。随分と仲良くなったもんだ。仲良くなって安心したところを付け込まれたのか? 正也ならあり得る。

「見なかったことにする」
「何て書いてたの?」
「……聞くな」

 一体何が書かれていたんだろう? かなり気になる……。
 見なかったことにすると言いながらも、もう一度メールの内容を確認する正也は、狼に狙われた子羊のようにぷるぷる震えていた。


 修学旅行最終日の朝は曇天だった。いつもより厚着をして外に出る。忘れ物がないかの最終チェックを終えるとみんなを乗せたバスが出発した。
 最後の集合写真を撮影したあと、僅かな時間ではあるが自由行動が与えられている。
 今日も気を利かせた太一に促されるままに四人で行動することになった。太一のことだから女子との約束もあっただろうに、本当申し訳ない気分で頭が上がらない。
 正也は昨日のことを若干引き摺っているのか、時折キョロキョロと周辺を警戒するという挙動不審な態度を取りながらも、海産物を物色したいと申し出たのでそれに付き合い俺たちも後に続く。
 昼食には海鮮丼をたらふく賞味し、集合時間前には集合場所へと移動した。何人かはやはり時間に遅れてくるもので、そんな生徒を待ちながら宅配便で送る荷物をクラス毎に手続きした。

 そして、とうとう飛行場へとバスは向かう。
 修学旅行が終わってしまうとか、そんな感慨に耽ることもできないほど、俺は恐怖に慄いていた。
 行きのように席順はアキトが隣だが、この気不味い雰囲気の中で甘えることもままならない。下手するとまた避けられて席を替わるなんてことがあるかもしれない。
 色んな意味で本当に怖い。
 ぶるぶると震えていると、遅れてやってきたアキトが当然の動作で隣の席に座った。そのことにほんの少し安心したが、これから待つ離陸への不安がすぐさまそれを打ち消していく。
 ちらりとアキトの横顔を窺うと目が合った。──が、またすぐに逸らされた。
 もう慣れてしまいつつあるそれに、人知れずため息を吐いてしまう。折れてしまいそうな心が本当にへし折れる直前に、ぼそりと囁くような声が隣から聴こえた。

「オレ、自分の小ささに情けなくなった」
「アキト?」
「巻岡に嫉妬してた」

 前を向いたままのアキトが静かに話し始める。それと同時に飛行機は離陸の為の助走に入ったようだ。

「あいつは周りなんか気にせず、好き勝手に昴に触れてるのに、オレはオマエの手さえ握れない」

 俯いたアキトが、俺の手をそっと握る。その掌から伝わる温かい体温が俺を優しく包んでいく。
 助走の轟音が途切れ、ふわっとした浮遊感が離陸したことを告げているが、それに恐怖を抱くことはなかった。
 今、俺の全神経は繋いだ手に集中している。

「昴のオレのだから触るなって何度も叫びそうになった。けど、そんなこと言えないし。言って昴を困らせたりしたくなくて」

 指先に籠る力が、切なげな想いを伝えてくる。その指先をきゅっと握ると、アキトも握り返してくれる。

「巻岡と話してる時の昴は、何だか愉しそうに見えて……」
「愉しくなんてないよっ!」
「うん。わかってる。てか、わかったのは昨日だけど。周りのこと考えて我慢してたんだよな」

 黙って聞いていようと思ったのに、つい反論してしまった。
 そんな俺に、アキトは自嘲気味な苦笑をみせた。

「なのに、オレは自分のことしか考えてなかった。気に入らないから、そんな気持ちにさせる昴に腹立って……オレに対して取り繕うような昴の態度にも腹が立って……」

 冷静になれば気づけたことが気づけなくなっていたとアキトが言う。

「相手が男だってことが余計にオレを苛々させたのかもしれない。何で男に取られなきゃいけない、男ならオレでいいだろう! って」

 余裕がなくなるほどに俺を想っているんだと、言外に告げるアキトが情けなさを噛み潰した顔でこちらを向いた。

「昴。オレ、かなり嫉妬深い男みたいだ。──嫌になったか?」
「全然嫌じゃないよ。寧ろ嬉しい……」

 アキトからの嫉妬を俺が疎ましく思うはずがない。俺だって嫉妬深さじゃ絶対負けないと思う。
 それが原因で喧嘩をするのは悲しくて嫌だけど、隠さず素直な気持ちを教えてほしい。

「そっか。ならこれからも嫉妬しちまうかもだけど、いい?」
「……うん」

 それほどまでの想いを伝えてくれるアキトに嬉しくて泣いてしまいそうだ。
 嫉妬に狂うアキト。それをさせてしまったのが自分なのだと思うと背中がゾクゾクした。

「昨日、酷い抱き方してごめん。泣かせてしまって本当に悪かった」

 謝るアキトの顔が近づき、ゆっくりと唇が重なる。
 驚きは甘い熱に溶かされていき、機内であることも忘れて舌を絡めて堪能する。
 ふと気配に気づき薄く目を開けると、そこに木村さんがいた。「あんたたち、こんなところで何考えてんの!?」と言わんばかりの表情で顔を顰めている。
 くるりと背を向けて、他の生徒に俺たちが見えないよう僅かに立ち止まった。自分の席に移動していたのか、他の席へと移動中なのか、そもそも機内をそんな自由に闊歩していていいのだろうかとは思ったが、その木村さんの配慮に感謝しつつ、名残り惜しいがアキトから唇を離した。
 離れていく木村さんの背中を見送り、隣のアキトに視線を向ける。アキトは優しく甘い微笑みで視線を返してくれた。
 繋いだ手にぎゅっと力が籠り、アキトがそっと耳元に囁く。

「大好きだ、昴……」

 俺、今ならバンジージャンプだって跳べる気がする。
 …………いや。無理だけどね。


***


 高倉 昴。十六歳、秋。
 恋人との心の距離に辛く切ない修学旅行だったが、全てを払拭する甘いキスが、何よりの想い出として胸に刻まれた。
 


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