ライン

眠い日



―眠い。


授業のない休日。
電話と、ミニテーブルが置かれた渋澤絵の寮の自室。
机上には社会のテキストと、几帳面な文字が書き込まれたノートが出ている。
パステルカラーの付箋には、細かくポイントが施されていた。
よく見ればテキストの余白もメモがたくさん書かれている。
誰が見ても優等生の持ち物と言える風貌の教材だが、肝心の持ち主が今は勉強をしていなかった。

絵はまるで、行き倒れのごとく床に体を横たえていた。
カーペットが敷かれているとはいえ、固い床に転がるのは心地が良いとは言い難い。
それでも絵に起き上がる気配はなかった。
くってりと力を抜き、普段の半分も開いていない目蓋がゆったりと開閉を繰り返す。

「……眠いなぁ」

ポツリと呟かれた声に力はない。
束ねられることなく床に広がった焦げ茶色の髪を指でつつきながら、今日何度目かの欠伸を出した。

今の絵は月に一度のアレであった。
彼女の場合、周囲の女子に比べて痛みが重くなく、イライラすることも特にない。
その代わり、アレが来ると食欲が増すか、異常に眠くなるのだ。

食欲の方は、食べる量が増えたところで男子校という環境ではいくらでも誤魔化しが利く。
問題は眠気だった。

授業中は気を張ることで耐えれるが、休日まで気張りきれない。
勉強をしないといけない気持ちを持ちながら、襲い来る睡魔に抗えないのが絵の状態だ。
一応やる気が残っているため、眠りに身を委ねきってはいないが、それも時間の問題だろう。
固い床上でうとうととし始めた。


ピンポーン。


「んむ…?」

インターホンの音に絵は首を動かす。
動かないでいればもう一度同じ音が部屋に響いてきた。
のそのそと体を起こして扉に向かう。
髪を束ねないまま、手櫛でまとめて扉に手をかけた。


「…どーした、よ」
「よっす!渋澤!」
「ぉ…うぉ…え、小坂井?」
「そーです小坂井です。はははー驚いた?」

ケラケラと明るく笑うクラスメイトを前に、数秒前まで半目だった絵の眼がカッと見開かれる。
相手の驚いた様子に小坂井は更に楽しげに笑った。

絵が驚くのも無理はない。小坂井は寮生ではなく、いつもなら寮で会えることのない相手なのだ。

「板野に遊びに来ないか〜って誘われてさ。そういえば渋澤の部屋番号聞いたことあるし、ついでに顔出してみようかと思って」
「そ、そっか…はは、ははは…」

ニコニコとする小坂井に会ったことで眠気もぶっ飛んだ絵は苦笑する。
文化祭を過ぎてからというもの、彼女の部屋を訪れる相手は一人だけだった。
なのでてっきり、その彼が来たと思って扉を開けたため、余計に驚きを隠せずいる。

「あれ?そういえば渋澤、今日は髪縛ってないんだな?」
「うぐっ…」
「こうして見るとなげぇなぁ〜邪魔にならないか?」
「あ〜う〜…まあ、ホラ普段は縛ってるから…」
「ふーん」

小坂井の視線がジロジロと絵の髪を見つめる。
絵はそれから目を逸らしながら、青ざめていた。
冷や汗が首を伝う。


「あ、あのさ!板野のとこ行かなくていいのか!?」
「ん?あぁ別に時間決めてないし問題はないよ。むしろ早すぎたくらいだし」
「へ、へぇ〜…」
「なぁ渋澤。お前ってさ…」

絵の表情が強ばる。
何かを考えるような間に、ギュッと目をつぶり体を震わせた。
それに気づかない小坂井の口が言葉を紡ごうと開いた。


「…小坂井?」


しかし、言葉は出る前に第三者の声に遮られた。
感情の薄い、どこか淡々とした印象のある声。
絵が目を開く。
たったひとり、彼女の部屋を訪れている青少年が外階段の前に立っていた。

「うわぁ高内君だ!おぉ!しかも私服だ、すげぇっ!」
「…??」

新たな人物―高内陽の姿に小坂井が目を輝かせる。
制服姿しか知らない相手の私服を見ただけで、どうやらテンションが上がったらしい。
視線が陽にだけ向いている。
そんな小坂井の様子を見た絵はそろりと一歩後退した。
その様子を陽は見逃さない。
チラリと絵を見ると、何かを悟ったのかぴくりと眉を動かす。

「…小坂井は、どうしてここに?」
「板野に誘われたんだ。高内君も一階に部屋があるの?」
「いや…俺は二階だが……小坂井はなぜ絵の部屋に?」
「ん?顔を出しただけだよ。どうせなら学校外で会えない人を見たいなーと思って」

「そうか…じゃあ、俺と絵が勉強のために部屋に引っ込んでも問題はないか?」

え、と絵は顔を上げた。
陽はいつもの無表情にもとれる真顔で小坂井に目を向けている。

「あ、なに?これから勉強会?」
「あぁ…予習も兼ねて」
「そりゃあ…二人とも成績が良いわけだな」

うひゃーと口を開けて驚く小坂井。
陽はそれを見ながらすたすたと絵のいる部屋の入り口へと歩く。
そのまま絵の正面に立つと、陽は彼女と目を会わせる。
そして小声で『お、く』と言った。
慌てて絵はもう一歩後退する。
これでもう、完全に小坂井から絵は見えない。

「じゃあオレもそろそろ板野のとこ行くわ!渋澤また学校でな!」
「ぉ、おう!」
「高内くんも、じゃあな!」
「ああ…」

パタパタと賑やかな足音を立て、小坂井は外階段を上っていく。
その後ろ姿を見届けてから陽は扉の内側に体を滑り込ませ、後ろ手でドアを閉めた。

「…珍しいな」
「なに、が?」
「誰かが寮に来ることと…後は……絵?どうかしたか?」
「………眠い」

小坂井の登場で張り詰めていた緊張の糸が切れたのか、先程とは比べ物にならない睡魔が絵を襲う。
もう瞼は閉じているも同然で、立っているだけの足はフラフラしている。
その様子を危ないと判断したのか、陽は急いでふらつく体を支えながら部屋に運ぶ。

「…扉は開けれるか?」
「いーい…めんど、だからそこで寝る…」
「そこって………床だぞ」
「床でいーい…」

フラリと床に倒れそうになる小さな体を寸でのところで陽が受け止める。
不安定な体勢から体を抱き上げ、陽は絵の顔を真上から覗き込んだ。
いつもならすぐに照れて逃げ出すシチュエーションだが、最早睡魔にとりつかれた彼女に効果はない。

あまりの無防備さに陽はこっそり息を吐く。

「…枕は?」
「ざぶ、とん…そこ」
「体を…痛めるぞ」
「………」
「もう会話すら無理か…」

もう一度ため息を吐いて陽は腕の中の体を抱き直す。
小さい頭を肩に寄り掛からせ、片手で支えるように調整しながら、テーブルの脇に座った。
そして自由な方の手で絵の指した座布団を手に取り、自分の隣へと置く。
抱えていた絵を再度ゆっくり持ち上げ、慎重な手つきで先ほど置いた座布団に腰が乗るよう体を下ろす。
最後に陽は、まるで壊れ物を扱うようゆっくりと絵の頭を自分の膝上にのせた。
所謂“膝枕”の体制になったわけだが、心なしか陽の表情は満足げだ。

いつの間にやら寝息を立てる絵の髪を長い指が触れる。
焦げ茶の髪は指の動きに合わせてふわりと揺れた。

「…絵」

どことなく優しさを含んだ呼び掛けに応えるのは静かな寝息だけだった。





一時間後。
絵を膝にのせたまま律儀に動かなかった陽は、彼女が目覚め起き上がるのと入れ替わるようにその場に倒れ伏した。
彼の足の痺れは二十分ほど治らなかった。




++++++
久しぶりな陽絵ちゃん。
ちょっと前、間接的に「男子校に行ってる女の子ってアレの日どうするんだろ」というものの言い訳(えっ)に書きました。
に、二次元に必要以上のリアルはいいと思いますの…僕…(震え)。


そろそろ小坂井に名前をつけてもよい気がしてきた。使い勝手のよい小坂井くん。

- 148 -


[*前] | [次#]
ページ:





戻る







ライン
メインに戻る