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薄幸少年の小さな日常



ガタンッ。
派手な音が立ち、幼い少女の泣き声が響く。
真っ白な部屋だというのに、視界の隅々には赤い火花が散っていた。

『金輪際近づかないで!この…×××!』




「はっ…!」

弾かれるように目を開く。
目に写るのは先程までの白い部屋ではなく、薄暗く近い天井。
きょろりと見回せばタンスと机が一つずつ置いてあるだけで、他に家具はない。
見慣れた自室にほぅと一息吐く。

―また、あの日の夢を見た。

ドクドクと五月蝿い心臓を宥めるように胸に手を置いた。
体を走り抜けた鋭い痛みは、いつものように我慢した。




顔を洗うため薄い扉を開く。

「あっ!おはようユウ!」

気分とは真逆の明るい声に迎えられて、ドアノブに手をかけたまま止まってしまう。
顔を向けたら優しい瞳がこちらを見ていた。
朝特有の掠れた声でぼそぼそと返事をする。

「お、はよう…ハル」

声が小さすぎたかと思ったがハル―晴哉(はるや)はにこりと笑い返してくれた。

「なぁ、今日はパンでもいい?昨日炊飯器のスイッチ入れ忘れちゃってさぁ」
「うん…いいよ」
「サンキュー。あ!引き留めて悪い、顔洗ってきなよ」
「うん」

頷いて洗面台に向かう間、晴哉は優しい瞳でずっとこちらを見ていた。
胸の辺りが少しむずむずした。


いつものように小さな机へ朝食を並べ、その机を挟むように向かい合って手を合わせる。
きつね色のトーストと湯気をあげる味噌汁がいい香りを立てていた。
焼き魚をつついていた晴哉が顔を上げて口を開く。


「ユウ、今日学校終わったら帰る前にコンビニ寄ろ?俺雑誌買いたい」

肯定の頷きをしながら耳に馴染んだ声を反芻する。
自分も何か欲しいものはあったかと考えて、でも結局何もなかった。
小さな机に並べられたおかずを見つめながらトーストをかじる。
サクッといういい音が正面からも聞こえて顔を上げた。
バチっと二人の目が合う。

「はははっ!まるで新婚みたいだね俺ら」
「……そう、なの?」
「ん?いや、知らね。でも確実に以心伝心はしてそうだよな」

嬉しそうだなと思いながら、もう一度トーストにかじりついた。
サクッという音が口内に響いて、すぐ消えた。


+++

『名前、聞いてもいい?』

そう話しかけられたのは早瀬晴哉が優市(ゆういち)の通う中学に転校してきた一月後だった。
だけど、何故話しかけられたのかその時は全く分からなかった。

晴哉は神様にひいきされた美形、らしい。
170p程の身長で細身だが割りと筋肉質。
無造作のようで整えられた茶髪にいつも優しい表情が印象的な人間。
ややつり上がった瞳にシャープな顔の輪郭は女子に「イケメン」と評され人気だった。
それでいて性格に嫌みはなく、接し方に隔てりがないため敵は少ない。
男子たちはモテる晴哉をやっかみつつ、なんやなんや仲良くしていた。

―そんな話題の尽きない少年が何故?

首を傾げた優市に晴哉は柔らかく笑った。
それが二人にとって初めての交流だった。


それからというもの、晴哉は優市について回った。
徐々に晴哉の周りにいた人が彼から離れていく。それでも晴哉は優市の傍にいた。

その理由を話されてからも、心身ともに疲弊した時も、重大な告白を受けてからも、とにかく晴哉は傍にいた。
それは高校に上がって、寮に入った今でも変わらない。

偶然が重なって、高校での二人は寮の部屋も一緒、クラスも一緒、おまけに席まで近い。
望めば四六時中行動を共にできるくらい近い場所に互いがいる。
もうこれは運命以外のなにものでもない、そうやって晴哉は嬉しそうに笑っていた。
自分もそんな嬉しそうな表情につられて、ちょっと嬉しくなっていた気がする。


だけど、手放しに喜べるほど浮かれることはできなかった。
晴哉からすれば「そんなことはない」と笑うんだろうけど。



「ユウ」

晴哉は他の誰かを呼ぶときにはない、甘さと優しさを含んだ声でこちらの名前を呼ぶ。
反応すれば、途端に彼はとろりと笑って頭や頬に触れてくる。
羽みたいに柔らかい指先の感触と温もりには、晴哉が自分だけに向ける感情を如実に伝える。
心の底から温かくて、真っ直ぐで、安心する気持ち。
晴哉はそれを毎日、毎日、飽きることなく与えてくれる。
何も返すことができないのに、見返りを求めることなくずっと。

「ユウ。ユウ」

眩しいほど笑って彼は言う。

「好きだ、ユウ。愛してる」

世界で一番幸せな言葉に、だけどオレはどう反応すればいいのか分からなくて、俯くことしかできない。

“愛してる”

どうしたら彼のように温かい気持ちを持って、その気持ちを返すことができるんだろう。

分からなくて口を閉じてしまっても、晴哉は承知しているように笑う。
その度に、謝りたい気持ちに襲われるのだ。


オレは、ハルの事が好きだと思う。愛してると思う。
だけど伝えられなくて、謝りたくなる。
ごめんなさい、と。



こんなオレで、ごめんなさい、と。


確かに胸の内に宿っているそれを、どうしたら外に出せるのかわからない。
それがひどくもどかしくて、ずっと忘れてた悲しさすら込み上げてくる。

だけど晴哉はいつも「焦るな」と言う。
「ゆっくりでいいんだよ」と言う。

そんな優しさが少しだけ痛くて、苦しい。だけど、嬉しい、そう思う。


+++

「雑誌なかった」

コンビニから出てきて晴哉は唇を尖らせる。
そんな姿もかっこいいのか、すれ違う人がチラチラと晴哉を見ていた。
だけど晴哉は何も気にしない。
いつだって真っ直ぐに優市のところへ来て、優市にだけ話しかける。

「待たせて悪かったな、帰るか」
「うん…」

共に帰路を歩く。
すると数分しない内に左手に温もりを感じた。
見てみると自分の手より大きい晴哉の右手に掴まれていた。
視線を上げれば気まずそうな顔の晴哉と目が合う。
「繋いでいてもいいか?」と言いたげに繋がった手にキュッと力が入った。
離す理由もないため返事の代わりに手を握り返す。

「ありがと」

ヘヘへと笑って、繋がった手の指を絡められる。
そしてその笑顔のまま聞かれた。

「今朝嫌な夢でも見た?」
「…なんで?」
「んー部屋を出てきた時に元気がなかったから」

三年近い付き合いであるためか、それとも晴哉がよく見ているのか。
こちらが押し黙るとそれを察したのか繋がれた手をにぎにぎと揉まれる。

「溜め込みそうなら吐き出してくれてもいいんだよ」
「…それほどじゃ、ないけど」
「うん」
「……ハルがいてくれて、少しホッとした」
「そっか」

寮へと向かう道を二人でゆっくりと歩く。
住宅に挟まれた道は真っ直ぐに延びていて、その道を行く歩みはどちらもふらつくことなく真っ直ぐだ。
だけど、足下から延びる影を見ると小さい方が僅かに大きな方へと傾いていた。
ジッと見つめてると影の傾きが大きくなる。
ジリジリと二つの影が近づいて、重なった。

ボスンッ。
「おっ?」

頭が何か柔らかいものに当たった。それと同時に晴哉の不思議そうな声が聞こえる。
確認したら、自分の頭を晴哉の肩に預けてる体勢になっていた。
遅れて現状把握をしたらしい晴哉の顔がじわじわと赤く染まる。

「どっどどどどうしたユウ?や、やけに積極的てきテキ…」
「…ちょっとふらついたんだ。ごめん、迷惑…」
「全然!全然!!むしろ大歓迎!って…え?ふらついた?大丈夫?」

真っ赤だった顔をサッと元に戻して慌てた晴哉が正面に回り込んできた。
つり上がった瞼からのぞく綺麗な目と数秒見つめ合う。

「…別に体調不良じゃないよ…足下見てただけ」
「そっか…なら良かった」
「ありがと…」
「ん、」

ごく自然な動作で頭を撫でられる。
柔らかい眼差しと、慣れない触られ方にすごく安心感を覚える。
唯一家族と言える妹とは違う温かさが胸を熱くするようだった。


「…ハル」
「なぁにユウ」
「帰ろ」

晴哉がにこりと笑って、再び手が繋がれる。先程よりも強く優しい力が籠められた指先が熱を持っていた。

帰り道を並んで歩く。
周囲には誰もいない。鳥がたまに頭上を過るだけの道。
静かで、暗くて、息の詰まりそうな空間。

だけど二人分の足音を聞くだけで、鬱々とした雰囲気がかき消されていく。
繋がった手から、直にもう一人の存在を感じることができる。

寂しくない。独りじゃない。


「…ハル」
「んー?どうしたユウ?」

優しくこちらを見つめる瞳を見上げる。
見慣れて、最早離れている方が不自然になりつつある彼へ向けている気持ちがすんなりと口についた。


「……ありがとう」


晴哉は一瞬首を傾げたけど、直ぐに笑って「どういたしまして」と返してくれた。

嬉しくて、少しだけ頬が緩んだ気がした。


++++++
いつも以上にまとまりがない。

元は一発ネタで「絵置き場」にぽいっと投げた二人だったんですが、何か気に入ったのでサルベージ。
二人が通うのは男子校ですが東谷ではないです。どうしようか迷ってます。


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