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彼と幼馴染みのにらめっこ(未完)




「彰くん!」

がくんっと右腕にかかる体重と、むわっと鼻を掠める甘い香りに廊下の中ほどで長谷川彰は立ち止まった。
ちらと右に目を向ければ、明るい色の柔らかそうな髪が目に入る。ぎゅっと右腕を掴む力を込めてこちらを見上げる知らない女子生徒。
彼は隠す素振りもなく溜め息を吐いた。
女子生徒が顔を僅かに歪ませたが、それすら視界に入れない。

今の彰はただただ、不快でならなかった。
全く面識のない相手に気安く触れてくる生徒に苛立ちを覚える。自らの気持ちを押し付けるだけの身勝手な行為が彼は嫌いだった。
こういう場合に声を低くして、真正面から拒絶すれば退散することを彰は知っている。億劫そうに目を伏せるが、このままでは午後の授業に遅れる可能性がある。

「おい、」

お前、と発しようとした口が止まった。
視線を移す最中、見つけた彰達を凝視する瞳。


巧だ。


目を見開いた彰が彼を認識する時には、その姿は二人に背を向け遠ざかり始めていた。意外な早さでその背中はみるみる小さくなっていく。
もう、女に顔を向けることも面倒になっていた彰は隠そうともせず舌打ちを鳴らした。

「放せ、邪魔だ」

想像より低く、怒気すらこもった言葉だけを吐く。そして、絡まる腕を無理矢理ほどき、足早にその場を去った。



1組の教室より幾分か離れたところでやっと逃げた背に追い付き、彰はその肩を勢いよく掴み己へと振り向かせた。
ビクリと体を震わせて巧が顔を歪ませる。

「あ…なに、長谷川…?どうしたの?」

歪んだ表情で笑いながら話す巧。それを見て彰は険しい顔になる。
『違う、これはあの顔じゃない』
ギリと奥歯を噛み締める小さな音が響いた。


「何だ、そのよそよそしい態度は」
「え、なんのこと…?」

巧はとぼけたような口調で首を傾げる。
それに彰は盛大な舌打ちをし、ぐいと掴んだ肩を更に引き寄せた。

「おい、何を思ったか知らないがさっきのは…」
「ごめん長谷川!おれ急いでるから!!」

彰が口を開いた途端、巧は顔色を変え普段からは考えられない強い力で肩を掴む腕を払い除けた。
そして、再度彰に背を向け一目散にその場を走り去る。
彰は再び舌打ちをして、逃げた背中を凝視していた。



彰が巧を屋上へ呼び出されたあの日から、一ヶ月が経っていた。


+++

長谷川家は、世界にごまんと存在するような一般家庭だ。その家でたまたま彰は物覚えがよく、成績も優秀だった。
周囲は彼を褒めた。
「頭がいいね」「勉強ができて偉いね」
けれど彼は他人が嫌いだった。正確には当たり前のように嘘を吐き出す人間が嫌いだった。
年齢以上に聡い彰は、世の中を生きていくには嘘が必要な場面があることを理解していた。しかし、それでも理解ができなかった。

笑顔で嘘を吐ける神経が。自らまでも偽って生きる精神が。
そして、何もかもを自分の中に隠し込むその意思が。

+++

「はせぴょん。ちょっといーい?」

ざわつく教室の中で変わったあだ名で彼を呼ぶ明るい声が響く。
何百人と生徒がいるこの学校でも、そんな呼び方をする(勇気のある)生徒は一人しかない。

彰が振り返れば、予想通りそこにクラスメイトの桜庭明が立っていた。


「何か用か?」
「うん。けっこー大事な用事」

へらりと笑って隣まで近づいてきた明はじ、と彰の目を見てきた。それを何とも思わず見返して、彰は気づいた。
メガネフレームが光を反射しているその向こう。
桜庭明の瞳がひどく冷たいことに。

「今日巧と何かあった?」

笑ったまま、凍りつくような瞳を彰に向けて彼の幼馴染みの名前を出す。

正直、彰は全くといっていいほど明に対しての情報を持っていない。
ただ、明が巧の幼馴染みであることだけは知っていた。
二人がどれだけ親しく、近しい仲なのかは知らずに。
だから知らなかった。

明は普段、どんな人の前でも巧のことを「たく」と呼ぶことに。


「巧ってさ、隠し事が下手なんだ」

様々な音に溢れた教室だというのに、明の声は何にも遮られていないかのように彰に届いた。常の明るさからは想像し難い、底冷えする淡々とした声。

「でも巧はすぐ我慢をする。自分ばっかり傷つく我慢。知ってる?そんな時の巧ってすごく笑顔が痛々しいんだ。しかもいつも以上に無理して笑おうとするんだよ。
…さっきも、あんまり下手な隠し事してるからちょっと話をしたんだ。そしたらたく、泣きそうになっちゃった」

もう一度明がにっこりと笑う。そこに分かりやすいほどの怒りと苛立ちを込めて。

「お二人さん、付き合ってるんだって?」

周囲に配慮してだろう、身を屈め座る彰に顔を寄せて明は小さく囁いた。だのに、その声は余計はっきりと彰の耳に響く。
何を言いたいのか、そう言いたげに彰は近づいた冷たい瞳を睨む。

「たくの片想いにOKしてくれたんだってね」
「ああ」
「はせぴょんは何でOKしたのかな?」
「なに?」
「はせぴょんはどうしてたくと付き合おうと思ったの?」
「どういう…」

「もしも本気じゃないなら、今すぐ巧と別れてくれよ」


彰は瞠目した。
桜庭明はいい意味で穏やかな人間だった。間違えても威嚇するような冷たい声で話したり、はっきりと相手を突き刺すような言葉を口に出したりはしない。
だというのに、今の彼は確かな声で彰を攻撃した。
明のメガネフレームが鈍く光る。

「巧が、どれだけ苦しい気持ちで人を好きになるか分かる?そうして、どれだけ悲しい思いをしてきたか考えられる?
軽い気持ちで巧を弄ぶつもりなら、巧と今すぐ縁を切ってくれ」

いつの間にか明の顔からは笑みが消えている。彰に近づいた時から握りしめていただろう拳が震えていた。
それだけ明にとって巧が大事な人間であることが無知な彰にも伝わった。
明は巧のために、本気で彼のことを思って彰と対峙している。
その意思をありありと感じ目を細める彰。そして、おもむろに口を開いた。


「勝手に軽いと決めつけられるのは心外だな」

明の眉がぴくりと動く。

先ほどまで言葉を聞いていただけの彰は既にいない。孤高な狼はギラリとした瞳で彼を睨み返した。

「確かに、あいつに近づいたのはただの好奇心だ。それは白状しよう。だが、それだけで他人の好意を受け取るほど俺は軽薄じゃない」

明がスッと目を細める。そして、再び冷たい笑みを浮かべた。

「じゃあどうして付き合おうと思ったの?」
「相沢巧に、興味以上の何かがあった。それだけだ」「それでどうして巧は傷つかなきゃいけなかったのかな?」
「考えてみろ、俺とあいつの付き合いはたかが一月。それだけの月日でお前ほどの信頼関係を築けるか?
それに、その信頼を築く以前に俺との接触を件の巧は避けている。
明、お前がまず注意すべきはそこじゃないのか?」

冷たい瞳に鋭い狼の表情が映る。これ以上話すことはないと、彰は席から立ち上がった。

「巧はどこにいる?」
「……三階の社会準備室。あそこ先生が授業前に入る以外に人来ないから」
「そうか」

目的地を聞くと彰はさっさと歩き出すが、そこで強く腕を捕まれる。
彼が目を向けると明が掴む腕に力を込め小さくも、はっきりとした口調で言った。


「巧はいつだって臆病だよ。そんな臆病なあいつが必要以上に傷つかないように、守ってあげることしか俺にはできないんだ。
だからはせぴょん。たくをよろしく」

にこりと笑った顔は、誰もが知っているいつもの穏やかな明だった。

+++

社会科資料室に入ると、狭い室内に置かれた資料がまず目に入る。
その荷物の壁が続く先で、巧はこの部屋唯一の窓と対面するように座っていた。

扉側に向けられた背は丸まり、肩が小さな身動ぎを繰り返す。すん、と不規則に部屋に響く音が何であるか認識しながら、彰は後ろ手で扉を閉めた。
その音で巧の体がピクンと跳ねる。彼が背後を確かめるように動き、彰と目があうと素早くまた体を丸くする。

「……相沢」

彰が名前を呼ぶが、返事はない。
しかし、丸まった背中はさらに小さく縮こまる。

仕方なく彰は巧の真後ろまで歩を進めた。見下ろせば巧のつむじが見える位置に立つ。
体育座りをしながら俯く顔は、膝に押し付けられていて見ることが叶わない。
彰はその場にしゃがむと、両手を巧の耳に押し当てた。

「ふ、ひっ!?」

彰の手が冷たいわけでもないのに、それだけのことで巧は体がビクッと震わせ顔を上げる。
漏らした声にも驚いたのか、慌てて両手で口を覆う姿はまるで秘密を隠す子どものようだった。

彰は添えたままの手でぐっと巧の頭を自身に引き寄せる。彼の意図に気づいた巧が抵抗を見せるが、彰の手は耳から首に回り込んでいて逃げることは叶わなかった。

「…っ、っ…!」




++++++
ってとこまで書いたところで携帯の代替わりによりお蔵入り。
明のビジュアルを考えたいんだけど、健お兄ちゃんとイメージがかぶってて形にしづらい…。


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