シガレットキス

 俺はいつも、四限目が終わると体育館裏でタバコを吸っていた。これが日々のルーティーンであり、ここから一日が始まる。だが今日は、どうやら先客が居たらしい。

「チカ」
「おう、なまえ。なんだ、お前もか」
「俺はもともとここで吸ってたんだ。真似してんじゃねぇよ」

 そこに居たのは長曾我部元親。小学校からの腐れ縁だ。
 確かに彼はいつもタバコの香りを燻らせていたが、まさか俺と同じ場所で吸っているなんて。住み分けくらいはして欲しい。胸ポケットから箱を取り出し、振ってタバコを一本取り出す。口に加えれば、チカはすぐそれにライターで火をつけてくれた。なだれ込んだ煙をまずは吐き出し、息を吸う。そしてそれをまた吐き出す。これは本当に、得もいわれぬ快感を与えてくれる。

「っはー、一日が始まる感じするわ」
「本当だぜ。授業なんてかったるくてしょうがねぇ」

 さっきまで文句を言ったくせにそんなことどうでも良くなって、すぐ意気投合する。ここでタバコこそ吸うが、吸殻を持って帰るのが俺の流儀だ。携帯灰皿に短くなったタバコを押しつけ、また新しいタバコを咥える。今度は自分のライターで火をつけた。
 俺が四時間目にここに来るのには、理由がある。今日の五時間目の授業を受け持つ、彼を待つ為だ。
 数ヶ月前、窓から校庭を見て、体育館裏で紫煙を燻らす彼を見た時は教職者がこんなところでタバコを吸うのかとかなり驚いた。弱みを握ったら面白そうだななんて思って会いに行ったが...まさかこんな事になるとは。

「おや、長曾我部か」

 背後から、待ち望んだ声がする。
 ここの高校の国語教師、松永久秀であった。

「げ、松永!」

 チカは慌てて口から離したタバコを踏みつける。
 松永は精悍な顔つきの教師で、生徒から慕われている様なタイプではない。が、色々な物に造詣が深く、その手の生徒からたまに質問を受けているのを見たことがある。万葉集がどうの...とか、この歌人はどうの...とか。美大志望の生徒になにやら手を貸しているのも見た事があった。ともかく、そんな教師に見つかったからには、処分は免れないだろう。だからチカはビックリしてすぐ隠したのだが、そんな事をして隠そうが、もうとっくに匂いでバレているよ。まあ現行犯でなければ処分は出来ないかもしれないが。未だタバコを咥えたままの俺を、チカは訝しげに見つめた。
 そんなチカを気に留めず、松永はこちら側へ入り込み、懐からタバコを取り出すと口に咥えた。
 素早くタバコの先端を手で包み込み、ライターで火をつける。もうこの動作も慣れたものだ。
 松永は煙を吐くと、にやりと笑ってこう言う。

「卿も余計な事ばかり上手くなるな」
「はは、目上の人にゃ気を遣わないと」

 相変わらずぽかんとしているチカ。そんな顔に思わず吹き出しそうになった。

「チカ、隠さなくて良いよ。この人それ気にしないから」
「...は、どういう」
「もうすぐ授業が始まるよ、卿らも早く戻りたまえ」

 松永はいつの間にやら短くなったタバコを口から離し煙を吐くと、そう言った。俺の持っていた携帯灰皿にタバコを押し付けると、さっさと帰っていってしまう。五限目を受け持つ教師がこんなところで油を売っている場合じゃないだろという指摘は、聞かない事にしておく。

「なまえ、こりゃどういう...」
「あの人の授業受ける代わりに黙ってて貰ってんだよ。チカ、行くぞ」

 チカの足元に落ちているまだ吸えそうだったシケモクを拾い、携帯灰皿に入れた。そしてそれをポケットにねじ込み、チカの手首を握ってさっさと校舎の方へ駆け出す。

「アイツがヤニ臭かったのってこういう事かよ...」
「生徒が生徒なら教師も教師だな、ここは。松永の授業ちゃんと聞いてみろよ、面白いぞ」

 笑ったつもりで不思議な顔をしているチカにそう言う。この言葉に他意があるのを、チカは知らないだろう。

***

 教室のドアをガラリと開けると、ドアの近くに座っていた生徒が振り返って俺の顔を見るなり驚いたような顔をした。橙色の髪が鮮やかな、佐助だ。

「なまえちゃんじゃん。どうしたの、最近古典の授業には遅れないよね」
「五限目はマジメに受ける事にしてんだよ」

 ふーん、と納得していないのがわかる相槌を打たれて、佐助の横を通り過ぎる。朝適当に鞄を引っ掛けた机を探し、いつも通り適当に座った。すると、教室の前の方の扉が開き、先ほど見た彼が、出席簿を持って入ってくる。水曜日、五時限目、古典。担当教師の、松永久秀。
 彼はいつものように淡々と、出席を取り始める。

「名字なまえ」
「はぁい」

 頬杖をついて、ナメきった返事をする。
 彼は態度はどうであろうが授業を受けている生徒には特に文句は言わないし、寝ていても起こさない。それは、生徒に興味がないことも意味する。だから俺がいくら耳に穴を開けようが、拳にタコを作ろうが、腕に丸い火傷跡をつけようが、彼の知ったこっちゃないのだ。
 出席の確認は終わり、彼は教科書を開いて授業を始めた。彼の授業は単に教科書の内容を読み上げるだけでなく、その豊富な知識から人物と人物の繋がりを教科書に載らないような所まで教えてくれる、なんとも親切で興味深い物なのだが、いかんせん使う言葉が難しいので分からない生徒はどんどん振り落とされていく。そしてその生徒を助けない。ついて来れる者のみついてこいというスタンスだった。ある程度その分野を掘っていないと、理解に時間をかける事になるが、一度理解してしまえばこの授業の面白さは一目瞭然。しかし、振り落とされ興味を全く無くした生徒が殆どなのも事実だ。実際、俺の後ろからはチカの寝息が聞こえる。周りを見渡せばいつも通りのポカン顔、突っ伏して寝る生徒、辞書を引きながらなんとか理解しようとする生徒、数人いるかいないかの授業を楽しんでいる生徒...。見慣れた光景だ。俺は元々興味があったこともあり、この授業は初めから楽しく受けることができていた。
 松中の声は、よく通って聞き取りやすい。
 怒らせるとそれこそ腹の底が冷えるような恐ろしい声を発するのだが...まあ、怒らせなければ良いだけの話だ。
 その声を聞きながら頬杖をつくと、指先が唇に触れる。
 思わずさっきまでいた体育館裏への入り口に視線を向けた。
 
***

「久秀」
「...卿もか」

 口寂しさに堪え切れず、授業が終わった後また体育館裏へ向かってタバコを吸っていた。
 誰か来たかと思えば、先程まで同じ空間、別の立場で授業に参加していた松永久秀。もう気を遣う必要はないだろうと“二人でいる時”の名で呼んだ。学校から出てからにすれば良いのに、二人でいる時に下の名で呼ばないと怒るのは彼の方だ。全く、普段の落ち着きからは思えない若者のような事を強いる。それが彼の魅力でもあるのだが。
 彼もまたタバコが吸いたくなったらしく、懐から取り出したそれを咥える。

「悪いな、ガス切れだ。これ点けたら終わっちまった」

 もう火のつかなくなってしまったガスライターを見せつけると、彼は「ふむ」と声を漏らした。

「ならば、こちらから貰おうか」

 そう言うや否や、タバコの先端を俺のタバコの先端に押し付けた。火種を絶やさないよう、軽く、息を吸う。
 離されたタバコの先には赤がちらつき、しっかり火がついた事を教えてくれる。

「意外と難しいんだなあ、これ」
「次からはこうして火を貰おうか」
「馬鹿言うなって」

 そんな冗談に笑えば、全く油断していた方向からの気配。生徒ならば脅して追い返してやろうかと目線を向ければ、そこにいたのはチカだった。

「なまえ、お、お前」
「よう、どうした、忘れ物か」

 明らかに動揺した顔。そりゃあそうだろう。
 生徒と教師。男と男。二人の関係を“そうでない”方向に向かわせようとどう論理を展開しようが、拭いきれず脳内にちらつく“その疑惑”。もう九割思考はそちらに傾いているのだろう。見当は付いているのだろう。俺らの関係について。
 なにも言わないチカに痺れを切らし、腕を組んで反対方向に目をやれば、地面に置かれた...否、落として置いていかれてしまったタバコの箱。なるほど、さっきここに忘れたのを思い出して、今取りに来たと言うわけだ。

「てか、ま、松永!あんた生徒に手出してタダで済むとでも...!そ、そうだ、なまえ!仲が良いかは知らねぇけど、ちょっとやり過ぎ...」
「チカ」

 黙れと言う意味を込めて一喝した。口を出すな、俺らのことに。込められた怒りを感じとったのか、チカの体はこわばった。

「今度飯奢ってやるから、黙っててくれよ」

 その言葉は、俺らの関係の肯定を意味した。チカの抱く疑惑を、確信に変える。それが現実であることを、俺の口からはっきりと、必要以上に。
 理解?許容?常識?そんなもの誰にも求めていない。この関係はどうせ、世界からも、社会からも、あんたからも、誰の理解も得ないのだから。
 だから、必要以上に、足りすぎるほどに、俺らの関係を見せつける。見つかってなお、お前には隠さない。
 タバコの箱を拾い上げ、チカに押し付けた。なるたけ優しく笑ってみせる。
 
「わかったら、帰りな」

 チカは震える手でタバコを受け取ると、振り返らず走り去ってしまった。

「少し、やり過ぎではないのかね?仲が良かったのだろう」

 今までずっと黙っていたかと思えば、久秀はそんなことを言った。心配するような口ぶりだが、それも表面的なものだ。

「どうせ、バレることだ。いつかは」

ーーーその日以来、チカとは連絡が取れなくなった。

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