兄の回想(ss)

黒い書物に記された話。87頁目。

物心つく前から片割れはいつも隣にいた。いつも自分の後をくっついてきて名前を呼んでくるその姿は片割れというよりは弟のような存在で、幼い頃兄ぶりたかった自分としても嫌なものでもなかった。
現在他人から言わせると良好とは言えないであろう家族仲は昔こそまだマシだったのだ。

“おい、與未こっち!”
“與市、待ってよ”
“いらっしゃい市坊、みー坊。当主様方。今日も元気じゃないか”

“…あの子たち怪我しないかしら”
“子供は怪我して大きくなるものだよ、安心しなさい”

村の様子を家族四人で見に行き市場を走り回る自分とそれを追いかける與未。そんな自分たちを見て転びやしないかとハラハラと見ている母親に安心させるように肩を抱く父親、四人を見て声をかける村人たち。覚えているもので自分たちが八を数えた辺りが最後だっただろうか
そうした日常が壊れていくのも時間の問題だった。

最初の歪みは別の一族の烏天狗が父親を尋ねて村に訪問した時だった。今思えばその強い妖力は與未の存在を脅かすものだったのだろう。客人が村から立ち去った数日後彼は急に倒れてしまったのだ。
一度歪みが生じてしまえばその後の崩壊はとても早く、それ以降体調を崩すことが多くなってきた與未は段々とその行動範囲を狭められていき、気付けば動くことができるのは屋敷内のみとなってしまっていた。
父は仕事を理由にあまり屋敷に戻らない日が増え、元々自分との会話が少なかった母は與未に付きっきりになることが増えたため更に顔も見ない日が続いた
時々こっそりと外へ連れ出したりはしていたものの、その翌日には再度寝込んでしまう與未を度々見て周りの者も気づいたのだろう。一度こってりと絞られてしまえば子供である自分にはどうしようもできなかった
與未の体調不良は何が原因か昔の自分は分からないまま、片割れだけが父母に構われることへの不満などが積もり、自分にばかり押し付けられる次期当主という重みに参っていく日々だった。当主というものは父親を見ていても個より全を優先しなければいけないのは幼いながら自分でも分かった。だからこそそんな枠に嵌りたくなかったのだ。

しかしそんなことを言っていられなくなったのも十を過ぎた時だっただろうか、あと数年で成人だという理由から学ばなければいけないだの、色々と縛られることも増え元々座学が得意ではない自分はサボることも多かった。フラフラと当ても無く村の人通りが少ないところに足を運び適当に時間を潰す。
大体その後お目付け役に見つかって怒られるのだが、その日はタイミングが悪かったのであろう。珍しく與未が起きていることに気を取られてしまった自分も悪いのだが、本来なら父がいる場所にいるはずの自分を母親が見つけてしまったのだ。
「與市…?貴方どうしてここにいるの?」
「…………母上」
「また勉強を抜け出してきたのですね」
「何でだよ。まだ何も言ってないだろ」
「お父様に恥をかかせるんじゃありません。次期当主としての自覚をなさい」
普段自分を全く見ない母親の瞳が嫌悪感に塗れた感情をのせて自分を写す。
母親の後ろにいる與未は今じゃ常となっている微かに青白い顔で不安気に自分と母親の顔を交互に見ている。体調はどうなのか聞こうとしたところで自分と彼を阻むような母の口から出たのは他のいつも自分を囲んでいる大人と一緒のことで。
−何も知らない癖に。
ぐっと唇を噛み締め自分の抑えていた感情が体内で煮え滾るのを感じた。
「……なんだよ、こういう時だけ…」
「與市、聞いているのですか。貴方は」
「…るさい」
「母様やめて…」
與未の震えている小さな声が聞こえる。しかし目の前の母親の自分を叱る声は彼の静止の声が聞こえていないかのように止まらなかった。
段々自分の中のモヤモヤとしたものが形になり一つの大きな塊になっていくのを感じる。それが一体何なのか、母の後ろにいた與未が何故どんどん苦しげな表情になっていくのか、その時の自分に考える余裕などなかった。
「貴方さえ、貴方たちさえちゃんと生まれたら私は…」
「っ!」
貴方たち、それは自分だけでなく片割れも否定する言葉だろうか。以前こっそり連れ出した時に與未が発した問いかけが頭に浮かぶ。
−"ちゃんと…ってどういう意味なのかな"
あぁそういうことか。つまり母親の中では自分たちは"ちゃんと"生まれなかったのだ。そして片割れよりも聞き分けの悪い自分は愛される資格などなかったということだ。
「何で貴方は私の手を煩わせてばかり…!」
「っ煩い!與未以外皆…“俺”を見てくれない癖に!!」
「與市!母様!駄目…っ!」
その言葉が起爆剤となったのか視界が白く染まり弾けたように意識が途切れた。與未が叫ぶ声だけが耳に響いていた

女性の泣き声が聞こえる。この声は誰だろうか。自分と、片割れの名前だ。ぼんやりと考えていると強い力で何か暖かいものに触れた。久々に感じたそれは抱き締められている、という認識をどこか遠い頭の中でしていた
次に意識が戻ると目の前には膝をつき息を荒げて自分を抱き締めている父親に周りに倒れている官吏たち、そして父親の肩の後ろから見えたのはかつてないほど顔色が青白く生気がないぐったりとした與未の姿。
「與市…良かった、落ち着いたかい…?」
「と、さま…俺…なんで…與未………」
父の腕の中で動けば明らかにほっとした顔で微笑まれた。こんなに間近で父の顔を見たのは何年ぶりだろうか。
そのまま視線を與未へ移し名前を呼べば、倒れている彼を抱き締めながら俯いていた母親が顔を上げる。自分が正気に戻ったのが分かったのか視線が合うと憎々しげにその言葉は叫ばれた
「この、化け物……ッ!」
そこから先は感情の整理が追い付かず覚えていることも少ない。
はっきりと覚えているのは、この日から與未と会うことが出来なくなったこと。母親もあれ以来どうしているのかは分からなかった。それは後に新月という日に痛い程身に沁みることになるのだが、幼い頃の自分には母親への感情は整理できなかったのだ。
表面上で騒ぎが落ち着いてきた時、父は自分に言った
「與市、お前はまず力を制御することから始めようか。」
「力?」
「お前の妖力は烏天狗の中でも遥かに強い、それは私の力も凌ぐものだ。お前が制御出来ていないのならこの村にとって毒にしかならない」
「毒……」
青白い顔色をした今にも消えてしまいそうな程弱っていた片割れの姿が蘇る。力を制御出来たらもう一度與未に会うことは出来るのだろうか。酷いことをしてしまった自分の名前をまた呼んでくれるだろうか。次期当主でも何でもない〈ただの一つの個としての自分〉を。
不安気な色の瞳のまま小さく頷いた自分に父は安心したような笑みを見せぽん、と頭を撫でるように手を置かれる。じわりと頭から広がるのは人の暖かくて優しい温度だった

與未に会いたい。
その希望だけを胸に今までサボりがちだった座学にも精を出し、ついでに次期当主という肩書きも諦めて受け入れ、その仕事のことなども手を付け始めて早二ヶ月程。
父親にも見てもらい段々自分の有り余っている妖力の扱い方も慣れてきた頃だった。その年の冬は周りが言うにはまた異常な程の冷えがくるらしく、村も春先までの蓄えをしようと動いていた。
そろそろ十一を数える頃になるだろうか、そんな時だった。たまたま廊下で話す屋敷の使用人たちの会話を聞いてしまったのは。
その日の勉学も終え、あとは自室に戻るだけだと廊下を歩いている時だった。こそこそと話している噂好きな使用人二人の声がした。いつもなら興味もなくそのまま去るところだが今日は何故だか引っ掛かる気持ちもあり、廊下の角に隠れてそっと使用人たちの様子を伺う
二人は完全に油断しているのだろう、耳をすまさずとも声ははっきりと聞き取ることができた。
「今年の冬もまた荒れに荒れるとか」
「あぁ恐ろしい…まるで御子息たちが生まれた年のようだ」
「生まれたといえば…お前はあの時のことは覚えているか?」
「覚えているとも。……しかしやはり弟君の方はもう…」
「今は当主様しか近づくことを許されてないらしい。これは消滅するのが早いか、誕生日を迎えるのが早いか……。そうそう、そういえば…」
使用人たちの噂話はすぐに興味を失ったように別の話へと移る。自分はといえば、先程から変に心臓の音が煩く足はその場に張り付いたように動けなかった。
弟君というのは間違いなく與未のことだった。消滅する?片割れが?
ぐるぐると最悪の結末しか浮かばない頭でがむしゃらに走り出し着いたのは父親の部屋。無我夢中で障子を開けようとした手は後ろから伸びてきた手に阻まれてしまった。肩で息をしながら後ろを確認するとそこにいたのはいつも通りの表情の父親。
「與市。私の部屋には近づいてはいけないと言わなかったかい?」
「與未が…與未が何で消滅しなきゃいけないんだ!俺のせいなのか?俺があの時…!」
「………そうか、お前は……………。いいかい與市。これはお前のせいでも、ましてや誰のせいでもないんだ。妖は妖力がないと存在できない、これは私たち烏天狗も同じだ。與未は生まれながらにしてこの力が極端に少なくてね…だから元々生きられても成人できるかどうかだったんだ」
あれはただのきっかけにすぎない、と目の前の父親は言う。その表情は辛いものを耐えているようにも感じるが自分には諦めて手放そうとしているようにしか見えなかった。何故皆與未のことを諦めるのだろう。何故皆與未のことを見ないのだろう。皆が手を差し伸べないのなら、
「俺が何とかする」
「與市。これは大人でも子供でもどうこうできる問題じゃ」
「俺は、俺には與未がいなきゃ駄目なんだ。だって俺たちは双子だ、互いに欠けることなんて考えられない。…父上、書庫の鍵を貸して下さい。俺が何とかします」
書庫には当主代々伝わる資料や禁忌書など一般の者が見ることが出来ない書物があることは知っていた。妖力が足りない。だから消滅する。それは妖にとっては当たり前のことである。それでも諦めきれなかったのだ。
今まで使わなかった敬語まで使い頼み込む息子の姿に折れたのだろうか、暫く無言の睨み合いが続いていたがついに父親が息を吐く。そして懐から取り出されたものは革紐の先についた小さな二つの鍵。間違いなく書庫棟への扉と書庫への鍵だった。
「書庫には当主だけが見れる重要な資料がたくさんあることは知ってるね?」
「知っています」
「與市、お前は当主になりたくないと言っていたじゃないか」
「なりたくないです。俺はそんなものに縛られたくない。器になりたくない。…でも、それで與未が助かるなら当主にでも何でもなってやります。俺が、助けるんだ」
「……条件がある。一つは今まで通り勉学も力の制御の仕方もこなす事。もう一つは助かる方法が見つかるまで今まで通り私の部屋…與未には近付かないこと。存在が危うくなっている今、あの子に負担をかける事は許されないからね。いいかい?」
返事をすることも惜しくて小さく頷くと目の前に出された鍵を半ば奪うように父親の手からひったくる。後ろで父親がやれやれと兄弟揃って云々と、肩を竦めているのが横目に見えたが時間が惜しい今はそんなことを気にしている暇もなかった
書庫は確か客間前の分かれ道から書庫棟へ行けば辿り着く。入口である大きな扉の前に立ち鍵を開ける。子供にとっては大きな扉を押し開き廊下の時点で埃臭い中へ踏み込んだ。廊下を暫く歩けば目の前にも重そうな大きい扉。本当に厳重なのだなともう一つの鍵を差し込む
難なく開かれた扉を覗けば、見た事が無い程の量の書物に囲まれた部屋がそこにあった。
呆けたように部屋に入り辺りを見回していたがこんなことをしている場合でもないと振り払うように頭を振る。今後夜はここで過ごすことになるのだろうな、という予測を胸に、膨大な量の書物のどこかに書いてあるはずであろう與未を助ける方法を探し始めた。

運良ければ手早く見つかるのではと思っていた書物もこの量では容易いことではなかったのだろう。時間が空けば踏み入っていても既に父と約束してから何週間か経っていた。
読み終わった書物は分けているものの既に高い山となっており参ったように空を仰ぐ。書物の難航加減とは反対に妖力の制御は大分出来るようになり、最近では自在に術として操れるようにもなってきていた。
「しっかし……この量は何だよ。全く関係ないことばっか書いてやがる」
埃臭い場所な為ショボつく瞳をゴシゴシと擦りながら、ぽい、と外れだった書物を投げ捨てる。次の書物を、と次の本棚に手をかけると、思ったよりもギチギチに詰まっていたのか少し棚に引っかかっていたのか何度も引っ張ろうとも書物は取れそうになかった。
万が一これに助ける術が書かれていたら、と躍起になって書物を引っ張る。ガコッという音と共に外れたと安堵したのも束の間、強い力の反動で身体は自分が積んでいた山へ激突した。
大きな衝撃と音が鳴ればあとは雪崩のように書物が色んなものを巻き込み崩れるのも時間の問題で、見事に床に転がった自分の上に大量の書物が降ってきたのだった
「っ〜〜〜、いっ…てぇ……何なんだよもう…どれ読んだか全く…………」
落ちてきた書物の角に打たれた頭を擦りながらなんとか書物の波から顔を出すと、今は崩れてしまったが元々あった乱雑に置かれていた書物の影で見えなかった棚があることに気づく。
その棚には書物は入っていなく、引き出しがあるのみで、何かに導かれるように本能のままその引き出しを開けるとそこには一冊の書物があった。少し他の書物とは違う雰囲気も漂い、人の目から引き離されているような書物を手に取りパラパラと数頁、目を通すと自分の心臓が跳ねたように感じられた。
「……これ…………」
思わず漏れた自分の声は口内の水分がなくなったようにカラカラで掠れたもので、禁忌と書かれている文字に怖気づいたのかそれともやっと求めていたものを見つけられた歓喜のものなのかは分からなかった。何度も目はその方法が書いてある頁を滑る。元々理解は早い方であることと器用さが幸いしたのか、簡単なものだけを頭に叩き込むとその書物を腕に抱えて書庫を飛び出した。
焦りと汗で鍵締めに若干手惑いながら父親の部屋まで目指すべく廊下を走る。渡り廊下がここまで長いと感じたのはこの時が最初で最後だろう
部屋に着くと父親の気配はしなかった。待ってる時間も惜しいと障子に手をかけるがその時思い出したのは以前の父親の言葉。
―存在が危うくなってる今、あの子に負担をかけることは…
何故父親が力の制御の練習は怠るなと言ったのか、察しは付いた。
一呼吸置いて感情含めて自分の昂っていた気を押さえつける。何度か目を閉じて深呼吸していると、逆立っていた翼と共に何とか自分の周りが落ち着いてくる。
それが全て治まるのを感じると今度こそ扉に手をかけた。

「っ……と、さま…?」
「…………與未?」
久方ぶりに会った與未は酷く衰弱していた。というよりはまるで片割れの存在がそこに感じられなかったと言った方がいいだろうか。ずっとこの部屋にいるならば普通、微かな妖気くらい部屋に感じられてもいいはずなのに、全くそれがなかったのだ。
青白い顔をしたまま布団に横たわっている片割れの名前を呼ぶ自分の声は情けなくも震えていた。声で自分だと分かったのだろう。薄らと開いた琥珀色の瞳に自分の姿が写り、嬉しそうに微笑まれた
「與市……よかった、このまま会えなかったら…どうしようかと……」
「……悪い。俺、お前の体のこと何も分かってなくて」
「謝ら、ないで……これは僕に架せられたものだから。與市は悪くない……ねぇ、僕は與市の役に立てるんだったら………與市?」
何故かその先の話を聞いてはいけない気がして、布団の中に手を突っ込んで與未の手を握る。手から伝わる片割れの暖かさがまだここに存在している、ということを伝えているようで再度決意は固まる。
もう一度真っ直ぐと與未の瞳を見つめ怖がらせないようにゆっくりと言葉を紡いだ。
「なぁ、與未。今からすることはお前にとって苦しいかもしれない、痛みもあるかもしれない。それは俺の自己満足だと怒っても構わない、それでも俺はお前を助けたい。」
「………………。」
「與未…お願いだ、俺と一緒に生きてくれ」
「……馬鹿、じゃないの…與市がそう、望むのなら僕は…」
手を握り返す力も今はないのかもしれない。話すことさえもキツいのかもしれない。それでも真っ直ぐと片割れとしての、兄としての、ただの“自分”を見てくる瞳に救われたような気になった。万が一これで二人揃って命を落としたとしても、両親には悪いがそれはそれで自分たちらしいだろう。
静かに持っていた書物を置いて該当した頁を開く。やるならば今人がいない時にやってしまった方がいいだろう
「…ねぇ、僕、は何か…」
「お前しんどいだろ。大丈夫、俺もまだ成人してねぇからさ。ちゃんとした方は出来ないんだ」
「ちゃんとした方…?」
「そう、自分の珠玉使うらしいんだけどさ。成人してないと取り出す行為自体が危ないらしくて、お前も痛み続くの嫌だろ?」
不安と怯えを含んだ與未の瞳がこちらを見てくる。その気を逸らすようにいつものように微笑んでから、前髪を掻き分けると額をコツンと合わせる。
頭に叩き込んだ書物の内容を思い浮かべ自分の身体に満ちている妖力を彼と合わせている額へと集中させながら、静かに目を閉じる。
自分の動作を間近で見ていた彼の瞳もそっと自分の動きに導かれるように閉じられた
二人の呼吸が合わさった時に、今まで制御していた妖力を爆発させるように自分の中から押し出した。ぐっと空気が重くなり、片割れの方に妖力が移動したのか多大な妖力を失い身体も一気に重くなった。父親がまずは制御をできるようにしろ、と言ったのはこれに関してもあったのかもしれないと他人事のように納得した。
握っている與未の手にぎゅっと力が入り爪を立てられた痛みと段々苦しげに小さな悲鳴を上げ始めたことに目を開けそうになった。しかしそれでは集中が途切れ逆に命の危険も増してしまうという不安から、子供をあやすように何度も“大丈夫、大丈夫”と小さな声をかけながら手を握り返し自分はここにいると示した。
どのくらいそれを繰り返したであろうか、もしかしたら何十分も経っていたかもしれないし経っていないかもしれない、時間はあやふやだった
自分の中から抜き取られるように移動していた妖力の動きが止まり、身体の五感が一定戻ってくるともう大丈夫だろうとそっとくっつけていた額を離した。正直頭は殴られた後のようにガンガンと痛みを訴えていたし、視界もクラクラと揺らいでいる。片割れの具合はどうなのだろうと下を見下ろせば、成功か失敗かと言えば成功したのであろう。全く感じられなかった自分に似た與未の妖気は微かに感じられるようになり、血の気のなかった顔も少し朱が戻ったように見えた
ただ莫大な自分の妖力を元々ある量以上にその身体に受け入れることは負担でしかないことは変わらないのか呼吸は安定しているものの意識は失ってしまっているようだった。
“痛い”、“助けて”、“ゆるして”、“苦しい”分け与えていた最中に零れた叫びは與未の本音であることは間違いない。ただこれで片割れの命が助かるならば、自分の隣に存在し続けるのならば誰に止められようが否定されようが自分はこの行為を強いていくのだろう。
「あー…流石に限界……」
連日の睡眠不足にこの妖力の損失は自分でもキツかったらしい。ぼふん、と音を立てて與未の隣に沈めば未だに痛みを訴えてくる頭痛と迫り来る睡魔に抗えるわけもなくそのまま意識を飛ばした。

その後は目まぐるしい早さで変化していった。父親には勝手にしたことについて叱られ、あれからすっかり元気を取り戻した與未からも父の許可を取っていなかったことを怒られた。
自分の我が儘で片割れの生命を延ばしてからの日々は順調とはいかないながらも進み、いつも彼が隣にいることに安心感を覚えていた。
その後は二人で成人を迎え、父が離れに住むと言い出し、自分が事実上の当主となった。與未はそんな自分の補佐役として側にいてくれと父から頼まれ、現在も自分の隣にいる。
屋敷の外に出た與未に世間は厳しかった。彼に向けられていた言葉が聞こえていなかったわけではない、與未が言葉に出せなかった“助けて”という思いが聞こえなかったわけではない。当主は平等であれ、そんな幼い頃嫌っていた誓約が今は重くのしかかっていた。気が付けば自分に向けて伸ばされていた腕は下ろされ、與市と呼んでいた口もいつしか自分を兄と呼ぶようになり敬語も使い始めた。それは與未の命を自分勝手に延ばしておきながら見捨てた自分への罰だろう。それでも当主としての自分ではなく、ただの個としての自分を見てくれていることは変わらないのは片割れの、弟の優しさだ。だからこそ自分も問い詰めようなどとは思わなかった。
ただ、母親から自分を守ろうと一人新月の日に犠牲になっていたことを知った時は流石に叱り飛ばし、生まれて初めての喧嘩もした。その喧嘩以来、新月の夜は母親の気まぐれも含め二人で相手をしていた。あの時が互いに本音でぶつかりあった最初で最後の記憶だ。
まぁ今はそんな終わりのない話などどうだっていい。自分も弟もこの現状を何とかしようだなんて思ってもないし、現状を何とかした所で幼い頃のようにろくに共にいれないなんていうのは自分としても避けたかった。

「身内の不始末は身内がつけるもんだしなぁ」
「?、兄様、どうかしましたか?」
「いいや、少し昔の夢を見てさ。……ってなんだよ、その顔。崩れてるってもんじゃねぇから俺以外には見せんじゃねぇぞ」
思わず口をついて出てしまった言葉を自分の髪を櫛で梳いていた與未が拾い反応を示した。誤魔化すものでもないと素直に述べれば、弟に好意を寄せている女性たちが見れば卒倒するのではないかという程のしかめっ面を見せた。そんな弟に吹き出して笑ってやれば、溜め息を吐いて表情を戻し止まっていた手を再度動かしながら続きを促す。
「お前、結局ここまで生きちまってるが、あの時死にたかったか?」
ピタリと櫛で梳いていた與未の手が止まる。
息を詰める様子から彼の動揺が痛い程伝わってきた。村の事業に関わっていくようになり、弟が一番助けを求めてきた時に当主の仕事を優先して手を離した自分は幼い頃自分が嫌っていた父そのものだっただろう。
成人を迎え、他人の前に出ることが多くなった與未が今でさえもその少ない妖力故、冷たく扱われているのは痛い程知っていた。弟が何度楽になりたいと言っても、その意思を殺して隣に立たせているのは自分だった。
だからこそ、自分がこの問いかけをしたのは意外だったのだろう。朝には似合わない重い沈黙が辺りに満ちた。
「…………あの時、確かに兄様に必要とされなければ僕はあのまま楽になりたかった。でも昔も今も、兄様は僕を必要としてくれているじゃないですか。それなら僕は必要とされなくなるまで生きるだけです。楽になりたいと言っても離してくれないんでしょう?ただ」
「ただ?」
「もし万が一僕の方が早く尽きる時が来たら消滅する前に僕の妖力を兄様が取り込んで下さい。兄様の糧に僕はなりたい。」
「…………、お前そんなこと言って、後に慕う奴が出来ても知らねぇぞ」
「兄様こそ。僕に隣にいて欲しいばかり言っていたら婚期逃しますよ」
誰に似たのか頑固な態度で意志を曲げるつもりのなさそうな弟は再度櫛を持っていた手を動かし始めた。もう何を言っても口で負かされそうな気配に困ったように肩を竦めた。
「兄様、明日は朝起こしに来れないので自分で起きて下さいね」
「あ?…あーそうか、今日新月か。分かったよ」
髪を梳き終わり櫛を片付けている弟の様子を見守りながら思い出したようにぼんやりと呟いた。
母親からのあの歪な愛を普通の愛情だと思っていて自分から暴力を甘んじて受け入れている與未と、それを分かっていて送り出す愛されたことがない自分。端から見たら自分達も存外可笑しいのかもしれない、と口端が自嘲気味に吊り上がった。
「ほら、兄様。早く居間に行って朝餉にしますよ。今日やらなきゃいけないこともたくさんあるんですから」
「分かった、分かったから」
「使用人の方も待たせているんですから本当に急いで下さいってば」
「はいはい、お前が“お兄様早く!頑張って!”って言ってくれたら考えなくもねぇぞ」
「冗談はいい加減にして下さい」
あながち冗談でもないのだが、與未の表情はこれ以上言ったら明日どころか数日は朝起こしに来てくれなさそうだということを物語っていた為、それ以上言葉は飲み込んだ。渋々と足を早めて弟の隣に立つと機嫌は直ったのかそっと微笑まれる。その表情に自然と癖になっている手の動きは與未の頭をぐしゃりと撫でた。
母親のことで可笑しいと言われようとも、これが自分で選んだ道なのだ。だからこそ、自分は過去を繰り返したとしても何度もこの道を選ぶだろう。弟が片割れとして自分の隣にいる限り、それは変わらないことなのだ。
「…今の所、俺にはお前だけだからなぁ」
「兄様?」
「何でもない、行くか」
雪は降り止まぬままで、春風はまだ遠く感じた。

−此れは人が欲しがる全てを手に入れても、愛されることを知らないまま育った兄の話。

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