02
「よう」
昨日と同じく夕暮れに公園を訪れると、少女が入り口の柵に腰掛けて空を眺めていた。
青峰の呼びかけに気づいた少女が振り向き、ほのかに笑う。
『早速来てくれたのね』
「まあ…ヒマだし」
会う日の約束はしていなかったため、青峰は部活をサボり屋上で寝ていた。そのうち行くかという程度に思っていたのだが、別れ際の少女の寂しげな表情と嬉しそうな笑顔が脳裏に浮かぶと、じっとしていられなくなり足を向けたのだ。
少女がいたことにかすかな安堵を覚えた青峰は、それを不思議に感じながら少女の隣の柵に腰を下ろす。
しかしこれといって話題はなく、かといって無理に話す必要も感じず、ただふたりで空を見上げた。
ゆったりとした時間が流れる。
日中の騒々しさや、すぐ近くの繁華街の賑わいから、ここだけが切り取られているようにも感じられた。
「なあ」
たゆたう雲を目で追いながら、青峰が少女に呼びかけた。応える声はなかったが、空から青峰に視線を移した少女は次の言葉を待っているようだ。
それを察した青峰が少女と顔を合わせ、口を開く。
「…アンタ、いつもここにいんの?」
『そうね。この時間は毎日ここにいるわ』
「ふうん。何しに?」
何気無い質問だったが、少女が困ったように笑って足元に視線を落とした。
つられたように少女の足元を見ると、夕陽に伸びているはずの少女の影は公園の木陰に隠れているようだ。自分の影に目を向けた青峰は、足元に落ちていた小石を靴の先で弄ぶ。
『……待ってるの』
ふいに、ぽつりと少女が呟いた。
ゆっくりと少女に顔を向けると、青峰とは反対方向である繁華街のほうを見つめているようだった。青峰の前で、少女のさらりとしたダークブラウンの髪がかすかに揺れる。
青峰がそっと腕を伸ばす。
『ずっと…待ってるんだけどなぁ…』
指先が髪に触れる寸前、少女の寂しげな声にはっとした青峰は手を止めた。ゆっくりと腕を下ろし、少女の後ろ髪を見つめる。
「なんだよ。待ち合わせでもすっぽかされたのか?」
何か言わなければと思った青峰が茶化すように言葉を発した。緩慢な動作で首を振った少女が青峰を振り返る。
『そういうわけじゃないの。約束をしてるわけじゃないんだけど……』
言葉を濁した少女が苦笑を浮かべると、何故だか青峰に言いようのない罪悪感が生まれた。悪りぃ、と小さく謝ると少女がおかしそうに笑う。
『どうして君が謝るの? 謝るのは私のほうよ。気を遣わせてごめんなさい』
「いや…」
『それと、ありがとう』
お礼を述べて破顔した少女から、思わず顔を背けた。おう、とぶっきらぼうに応じる青峰に気を悪くするどころか、少女はくすくすと楽しげに笑う。
そんな少女を一瞥した青峰が、小さく笑みを漏らした。
「付き合ってやるよ」
『え?』
「ひとりで待ってんのも退屈だろ? まあ毎日ってわけにはいかねーけど、時々ここに来て一緒に待ってやるよ」
照れくささから、少女の顔を見ることなく宣言した青峰。少女が驚きを隠せないといった表情で青峰を見つめる。
是も非も言わない少女と、応えを待つ青峰。先ほどの沈黙とは違い、青峰はそわそわと落ち着かない。
「〜〜ッ、なんか言えよ!」
沈黙に耐えかねた青峰が、勢いよく少女に振り向き吼えるように語気を荒げた。
『あ、ごめんなさい…えっと…』
困惑した様子で瞳を泳がせ、言葉を探すように声を発した少女は膝に乗せていた両手に力を込めて俯いた。
自分の提案は返答に困るようなものだっただろうか。そう疑問に思いながらも、少女が困る様は青峰にとっておもしろくないと感じるものだった。
そして、自身の存在が待ち人にとって不都合なのだろうかと思い至った青峰だが、それはつまり相手が男なのではないかという思考にも行き着くこととなり、胸に妙なざわつきを覚えた。
「あー…まあ、ひとりがいいなら──」
『っ、付き合ってほしい…!』
「お、おう…?」
自身の言葉を遮り、勢いよく顔を上げた少女に青峰はたじろぐ。そんな青峰に構わず切羽詰まったような表情を浮かべた少女はまた足元に視線を落とす。
『いつまで待てばいいかわからない。明日かもしれないし、明後日かもしれない。1ヶ月後かもしれないし、1年後かもしれない。もしかしたら……っ、もちろんそんなにずっとじゃなくていいから。君が飽きるまででいい。たまに来てくれるだけでいいから。だから──』
「付き合ってやるって言っただろ。だからちょっと落ち着けよアンタ」
少女が、静かだが必死さの窺える声音でまくし立てるように訴える。その様子に少なからず驚いた青峰は、出来るだけ優しく、しかし強い声で少女を落ち着かせようと言葉を遮った。
『あ…っ』
はっと我に返った少女が青峰と顔を合わせ、恥ずかしそうに苦笑した。青峰はほっと胸を撫で下ろす。
「急にどうしたんだよ』
『……ひとりで待つのは、辛くて。だから、君の言葉が嬉しかったの。それでつい……。ごめんなさい。見苦しいところを見せてしまって』
少女が気恥ずかしげな表情でゆるく首を傾け、横髪をそっと耳にかける。気にしてないことを告げた青峰は柵に下ろした腰を上げた。指を組んだ両手をぐっと空に突き上げ、伸びをする。
高い位置にある青峰の横顔を見上げた少女は微笑みを浮かべた。青峰がくるりと方向転換し少女と向き合う。
「いつから待ってんだ?」
『去年の10月からだから、もう1年になるわね…』
「いち…は!? 1年!?」
『そう、1年』
青峰の問いかけに少女はしみじみと答えた。しかし、せいぜい数日のことだと思っていた青峰は予想外の言葉に驚き目を見張る。
けろりと肯定した少女は去年からずっと、ほぼ毎日ここで待っているという。人通りのない寂れた公園でひとり、ずっと。
「それ、マジで来るのかよ…」
思わず呟いた青峰の言葉に少女が瞳を揺らした。青峰は一瞬、少女が泣くのではと焦りを感じたが、そんな心配をよそに少女は笑う。しかしそれは諦めや自嘲にも似た虚無的な笑みだった。
『わからないけど、待たないわけにもいかないから』
「よくわかんねーけど…報われるといいな、アンタ」
まだ出会ったばかりで、同じ学校に通うふたつ年上の少女であること以外、何も知らない。それでも不思議と自然に、飽くことなく、しかし寂しげに待ち続ける少女の心が晴れることを青峰は願った。
『ありがとう』
昨日の別れ際に見せた艶然たる微笑みを浮かべた少女を目にした青峰は、じわりと胸が満たされるのを感じた。
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