01
『こんばんは』
放課後の夕暮れ。いつものように部活をサボり、学校の近くにある繁華街から少しはずれた路地を歩いていた青峰の耳が、柔らかな声を捉えた。
人通りの少ない道で聞こえた挨拶を不思議に感じた青峰は、なんとはなしに振り返る。
つい先ほど通り過ぎた小さな公園の入り口に、桐皇学園の制服を身にまとった少女がひとり立っていた。青峰と視線が合った少女は、わずかに目を見張って驚きの表情を浮かべるもすぐに微笑みを浮かべる。
「……オレか?」
きょろきょろと辺りを見渡した青峰だが、自分と少女以外に人はいない。ということは自分に向けた挨拶だったのだろうと気づいて確認すると、少女は肯定するように笑みを深めた。
顎のラインで前下がりに切りそろえたボブヘアーの少女は、ともすれば中性的な印象を与える顔立ちをしている。
「何か用か?」
知り合いならそうそう忘れそうにないが、と自分の記憶から少女を探すもやはり見覚えのない青峰は単刀直入に訊ねた。
『いいえ。特に用はないけど…あなたも桐皇でしょ』
緩慢な動作でゆるく首を傾げた少女の肩をさらりと髪が撫でた。少女がおいでと手招きをする。わずかな逡巡のあと、少女の傍に歩み寄った青峰は公園の入り口にあるコの字型の柵に腰をかけた。
『何年生?』
「…1年」
『驚いた。ふたつも下なのね』
年下であることに驚きを示した少女は、青峰のぶっきらぼうな物言いは意に介していないようだ。青峰も少女が年上であることに少なからず驚きを感じていた。
改めて少女をまじまじと見る。少々不躾な視線も涼やかな笑みで受け流す少女の落ち着きようは、たしかに年上のそれである。
「てことはアンタ3年か」
『…そう、3年』
妙な間をあけて答えた少女に引っかかりを感じた青峰だが、深く考えることはなく次の質問を口にする。
「アンタ名前は?」
『内緒』
「は?」
『内緒』
「…まあ、いいけど」
何気無く名前を聞いてみた青峰だが、予想に反して曖昧な答えが返ってきて思わず聞き返した。しかし、同じ答えを口にした少女にそれ以上聞く気にはならなかった。
無理に聞かずとも、同じ学校ならすれ違うこともあるかもしれない。今後関わることがあるかどうかはわからないが、名前くらいいつでも知ることができると考えたからだ。
ふたりの間に沈黙が落ちる。
不思議と居心地の悪さはなく、青峰はぼうっと空を流れる雲を眺めた。しばらくそうしていたら、ポケットに突っ込んでいた青峰の携帯電話がメッセージの着信を告げる。
気だるげに携帯電話を取り出した青峰はメッセージの送り主と内容を見て、小さく舌打ちをした。
「あー…オレ、寮に帰るけど。アンタは?」
寮に戻るために立ち上がって少女を振り返った。そろそろ完全に日が落ちる。少女も寮に入っているなら送ろうかと思ったのだが、少女はゆるく首を振った。
『私は家だから、反対方向。近所なの。私ももう帰るよ』
「ふうん。じゃ」
『待って』
近所なら問題ないと判断して背を向けた途端、少女が呼び止めた。再び振り替えった青峰の目に、どことなく寂しそうな表情を浮かべた少女が映る。
『…また、ここで会える?』
「ここで?」
『そう、ここで』
わざわざ公園で会わなくても同じ学校ならそこで会えるのではと思ったが、ほのかに揺れる少女の瞳を見ると疑問を口にすることは出来なかった。
「ま、いいけど」
少女がどういった意図で訊ねたかはわからないが、青峰には再び少女に会う理由はない。会話らしい会話をしたわけでもなく、また会いたいと思えるような事もこれといってなかったが、何故か断るという選択肢は浮かばなかった。
『ありがとう』
少女が艶然と微笑む。喜色の滲んだその笑みにつられ、青峰の唇もわずかに弧を描いた。
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