▼兄の親友と彼を惹く血統


承太郎が杜王町へ調査に向かうことは本人からの知らせであらかじめ知っていた。場合によっては応援を頼むかもしれないとも連絡は受けていたし、花京院もそれを承諾して、要請されるサポートにいつでも応えられるよう仕事の調整はつけていた。ジョセフの隠し子騒動には花京院の所属するSPW財団内でも激震が走ったものだが、承太郎本人から零される愚痴を聞いてやる立場であったこともあってか、花京院の自身は案外軽傷。もちろん驚きはあったけれども、それ以上に流石ジョースターさんという気持ちが大きかったのだ。身内の問題にうんざりしながらも年下の叔父に会いに行かなければならないという承太郎をなだめる一方で、やはり魅力的な男性というのは年齢なんて関係ないんだなあと感心していたのは胸に秘めておく。
まあそんな胸の内はさておき、その隠し子のいる町がもとより超自然現象部門の指定警戒区域である町となれば……そこに向かうのが承太郎であるとなればなおさら、町での調査に出向いたことのある花京院としても協力を惜しむつもりはない。電話でのサポートはもとより、必要とあらば現場にいつ呼び出されてもいい準備はしていた。
しかしいざ呼び出しがかかったのが承太郎の杜王町到着初日であったこと、何よりその内容には衝撃を受けざるを得なかった。
受け付けを通さない直通の番号とはいえ、本題の前に「俺だ」くらいは挟む承太郎の第一声が「緒都が倒れた」だ。不意打ちに危うく受話器を取り落としかけたのも仕方のないことだろう。が、勿論すんでのところで踏みとどまって、今回の隠し子騒動にショックでも受けたのかと咄嗟に思考を巡らせる。確か彼女には本家の騒動についてはまだ知らせていないと承太郎本人が言っていたはずだが。まさか今になって情報が渡ってしまったのだろうか。いや、だが浮気だの隠し子だのというピリピリとした空気の中に放り込まれるのは最短期間でいい、と相変わらずのシスコンを発揮して調査段階での情報規制を敷いたのは他でもない承太郎なのだ。ともなればやはり隠し子の存在についてはまだ彼女の耳には入っていないはず。名前と住所まで割り出したとはいえ、本人の顔までは確認が終わっていないとなれば、承太郎の思う『話のまとまった段階』には至っていないわけだから。
というここまでが一瞬の沈黙の間に巡らせた思考であり、結論の後に持ち直した花京院は「どういうことだ?」と比較的落ち着いた声で問い返すことができた。
承太郎によれば、職場に無断欠勤をした緒都を心配して、彼女の同僚が一人暮らしの自宅を訪ねたことで『問題』が発覚したらしい。無断欠勤に加え連絡がつかないという事情が事情なので、とアパートの管理人に頼んで鍵を開けてもらったところ、キッチンで倒れている緒都の姿を発見。もちろん発見した同僚は直後に救急車を呼んで緒都を付近の病院に搬送し、そこから緊急連絡先の承太郎に連絡が入ったというわけである。しかし承太郎は杜王町にて例の隠し子と丁度顔を会わせたところで、なおかつ町にはすでにスタンド使いが潜んでいることがわかっているとなれば、そこを離れるわけにもいかない。かといって緒都を放っておくなんて選択肢はやはりないわけで、杜王町の病院への転院手続きを頼むから自分が不在の間は傍についていてほしい、というのが主な用件だった。危険地帯に招く危険よりも、目の届かないところで妹の身に何かが起こり対策が遅れるということの方が避けたい事象であるらしい。花京院がついているのなら心配はいらない、とあからさまな信頼を向けられられるのは嬉しいのだが、その気持ちを奥さんと娘にも向けてやれとも思うのも本音だ。もちろん、すでに血に巻き込まれている緒都と、巻き込まれずにいられるかもしれない家族とでは話が違うと理解できているから、誰よりも彼の理解者でありたい花京院がしつこくそれを口にすることはないのだが。
まあ思うところはあれど、ともかく状況だけを連ねれば単純にも見えるこの用件。しかしその実、どうしても大きな心配事が付きまとう。というのも、承太郎の予感的な部分が大きいのだが……どうやら彼は十年近く前の出来事の再来を危惧しているらしい。それは花京院も事情だけは知る緒都の記憶障害事件だ。花京院が緒都に出会ったのはその出来事の後であるから、実際に記憶障害が起こった状況というものを理解できているわけではないが……いわく、目立った原因もなく起こる異常と、ジョースターの血筋に関わる事件とタイミングが重なっていることがどうしても気にかかるとのこと。だからこそ「眠っているだけ」と診断された状態から目覚めたとき、傍に誰もいないという状況は避けたいのだそうだ。信頼のおける相手を置いておきたいというその意に頷く以外があるはずがない。そういうわけで花京院は他県の病院にいる緒都を回収後、間もなくここに来る『二人』を待って、護衛兼徘徊防止の待機をすることになったわけである。
病室は当然個室だ。彼女はSPW財団にとっても花京院本人にとっても重要な警護対象であるわけだから、同室に他者を置くなんてことはまずあり得ない。こういう場面でほとほと自分自身と所属組織の同質性を痛感する。ジョースター至上主義。まさにそれだ。花京院自身が宗教じみた目で彼らを見ているつもりはないが、ホリィに、ジョセフに、承太郎に、緒都に、それぞれ全く別の理由でもって彼らに傾倒している自覚はあった。恐るべき血の吸引力。自分の理念と企業の理念とがこうもぴったり一致してしまっては、やりやすいことこの上ない、というやつである。
そういうわけで色々と融通のきいてしまう就職先であるから、スタンド使いとしてあちこちへ飛ぶ忙しさの合間に緒都のための時間を割くことは難しくはなかった。同じくあちこちへと忙しい承太郎の代わりに、彼の手が空いていない時には様子を見に行くというのも日常茶飯事。学生時代、エジプトからの帰国以来の付き合いは今でもそうして続いている。
ベッドで静かに眠る緒都の姿は、最後に出会った一か月前の姿と大差ない。ストレスで痩せただの顔色が悪いだの、そういった要素も全くというほどに見て取れないのだ。もちろん心身ともに健康であるのは良いことなのだが、つまりは倒れた要因の候補がまた一つ排除されたということ。原因不明としか言えないこの状況に関しては手放しに良かったとは言えないというのもまた事実だった。
そう考えてついため息が零れそうになったところ――張り巡らせていたハイエロファントが感知した気配に花京院は顔をあげる。程なくして扉の曇りガラスに映った影は間違いのない二人分の姿。花京院はノックに返事をして、開いたままページの進んでいなかった文庫本をパタリと閉じた。
「花京院さん」
「やあ、露伴くん。承太郎も。一緒に来たんだな」
「道中で承太郎さんに拾ってもらいました。……そちらが?」
「ああ。空条緒都さんだよ」
二人……すなわち空条承太郎と岸辺露伴。電話口で承太郎が指名した彼を加えての二人だ。場をわきまえても好奇心を隠しきれない露伴の目が花京院から緒都の方へ移る。一方で承太郎の目は緒都の方から花京院の方へと移り、無言で状況の報告を求めていた。彼の到着と共にそうなることを理解していた花京院は、サイドテーブルに用意しておいたカルテを承太郎へと差し出す。
「向こうの病院のカルテとうちの医療部のカルテだ。残念ながらSPW財団でも診断結果は変わらなかった。率直に言えば原因不明だ」
「……悪いな、この短時間で」
「構わないさ。身体的な異常は特になかった。栄養状態もよかったし、僕らの目でしか見えない何かがついているわけでもない。保育士の同僚に簡単に話を聞いたけど、前日も元気で何かしらの兆候があったわけではないらしい」
「……そうか」
「で、露伴くんには何を読んでもらうつもりだ?確かに、今日もハイエロファントで手を握ることはできたし、スタンド能力は有効なままのようだが」
「今何が起こっているか、だ。緒都が把握している範囲だけでも情報がほしい」
「なんだ、十年前のことを読むのかと思っていたが」
「そのつもりではいるぜ。だが優先順位がある。今何よりも必要なのは現在の緒都の状況だ」
淡々と述べた承太郎は病室の壁際におかれた椅子2つに手をかけたが、その様子を見て花京院は「ひとつでいいよ」と待ったをかけて立ち上がった。片手には文庫本を抱えて、ゆっくりとした足取りは彼らが入って来たばかりの扉の方へと向ける。
「僕は席を外すから、使ってくれ。必要以上に彼女の内面を覗き見ることはできない」
ひらりと手をふってそう言えば、承太郎は「そうか」とだけ言って止めはしなかった。花京院ならばそう言い出すとわかっていた部分があるのかもしれない。好奇心旺盛な露伴の方は「律儀ですね、花京院さん」という反応だったが、花京院とて人並み程度の好奇心は持っている。それでもあくまでそちらに引っ張られないのは、相手が緒都であるからだ。
「彼女に対しては、僕は誠実でいたいんだ」
見ていないからだとか、バレやしないからだなんて考え方は無しに。しかしその言いぐさに露伴はまた別の興味を持ったようで、「この件が終わったら是非お話を」と身を乗り出して話を持ちかけてきた。花京院はやはりひらりと手をふって、返事は曖昧なまま病室を後にする。
病室に残った彼らはすぐにでも『ページ』をめくり、彼女が目覚めない理由を探し始めるのだろう。そのために承太郎は彼を呼ぶよう花京院に頼んだのだから。
岸辺露伴。花京院がスタンドの指導をした、後天的なスタンド使いである。出会った当初は原稿を見せることでしか発動させられなかった彼のヘブンズ・ドアーも、今では具現化したスタンド体で触れるだけでその力を発揮できるようにまで成長した。
そもそもなぜ花京院がそのような形で彼と関わりを持つことになったのか。露伴との出会いが三ヶ月ほど前と最近であるとはいえ、そのきっかけたる話はそれこそ十年前まで遡る。
それは、当時高校生だった花京院が己に打ち勝つべく挑んだ五十日間のエジプトへの旅路。その旅の中で花京院は何度も緒都に救われた。間接的とはいえ、それがなければ今ここに自分は生きてはいなかっただろう。そのことを自覚してきたからこそ花京院が緒都に感じる恩は大きい。今この行動を取らなければただでは済まなかった、と感じる度、その『行動』が彼女のおかげで取れたものだと痛感してきた。それを自分に、仲間に見ることを繰り返せば、自然と花京院の中における彼女の存在は大きくなっていく。言葉を交わしたことは無いに等しいほどの一言だけであったとしても、返したい、その気持ちは五十日の過程で大きく膨れ上がっていった。
恩人となった彼女とようやくまともに顔を合わせたのは帰国後だ。無傷とは行かなかったが、それでも失わずに持って帰って来られた命は、あらゆる経験でもって花京院の人生に光を取り戻した。荒んだ生だったとは言わない。衣食住には困らず、嗜好品にだって恵まれた贅沢な生活だった。それでも心のどこかにぽっかりと空いていた穴は、世界に対する孤独感。自分は特殊で、独りで、理解者は誰もいないのだとばかり思っていた。けれども十七年間の空虚感は、五十日間にあっさりと塗り替えられた。クリアになった視界で世界を見ると、見えなくたって理解しあえるのだと、全てを知らなくたって想い合えるのだと、単純なことがようやく見えてくる。息をすることがずっと楽になった。両親に叱られ、愛されていたことを自覚した。花京院典明は、ようやく生き直すことができた。
……とまあ、君とお兄さんのおかげだと、感動のあまり思いの丈を全て伝えた高二の春。仲良く留年になった承太郎とは変わらず一学年差でも、無事進級した緒都とは同級生。三人での登校を繰り返しながらもどこかぎこちなかった緒都との関係に終止符が打たれた瞬間である。ノンストップな花京院の告白にぽかんとしていた緒都は、どう考えても褒め称えられている状況をようやく理解して、直後にあわあわと視線を彷徨わせていた。それから照れたように頬を染めて、かと思えば「でも私は全部放り投げただけだった」「あなたを助けたのは承太郎だよ」と自分にはそんな価値はないと言わんばかりの様子で眉を下げる。もちろん、花京院は即座に違うと否定の言葉を口にしようとした。しようとした、というのはそれが彼女の声に遮られたからで、緒都は「でも、帰ってきてくれてよかった」とへにゃりと笑って言ったのだ。無事で帰ることが一番の恩返しだ。そう言った承太郎の声が蘇る。そういう子だ。そういう血だ。あの時、強く実感した。同時に一生をかけて彼らの傍に居たいと思った。彼らの力になりたい、そうあらねばならない。恩返しだけではない。その存在に心が強く惹かれたのだ。
それから、「花京院さん」から「花京院くん」へ。「花京院くん」から「典明くん」へ。徐々に縮んでいく緒都との距離は承太郎が一足先に卒業してからはよりいっそう近くなった。花京院が緒都と共に高校を卒業する頃にはすっかり気心知れて、もとよりホリィも含めての交流があったこともあり、家族と程近い扱いが当然になっていった。
卒業後、幼児教育学部へと進学した緒都と、海洋学部へと進学した承太郎と、情報学部へと進学した花京院とで生活時間はすれ違っていったけれども、それでも彼らとの仲は変わらなかった。この頃になるとバイトのような形でSPW財団からの仕事を請け負い始め、卒業後は正社員への昇格という流れでそのままSPW財団の超自然現象部門へと就職。表向きは情報部門を名乗りながら、まあ結局は名乗る通り、超自然現象についての情報収集が主な仕事だった。エジプトで一時期財団と行動を共にした経験がここで活かされることになるとは当時思いもしなかったが、やっていることはその拡張版のようなものである。そうして、ここでようやく話は杜王町へと繋がるわけで……花京院がこの町に初めて足を運んだのは、やはり仕事の関係上であった。
この頃には三人それぞれ仕事を持ち、承太郎に至っては家庭も持って、顔を会わせる時間はごく少ないものとなっていた。それでも少なくとも月一で会ってはいたので、勤務地の異なる社会人同士では縁が深い方と言えるだろう。
そうした貴重な時間を潰す現場出張。その時の行き先が杜王町であったのは、長年追い続けた情報の尻尾がそこにあると突き止められたからである。それは十年前、花京院もその目で見た、エンヤ・ガイルの頭の中の念写映像。彼女が何者かから受け取っていた弓と矢。それがDIOがスタンド能力を有するきっかけである可能性は花京院が学生をしていた頃から考えられており、その裏付けも、財団に捕らえたかつての敵スタンド使いの情報から得られていた。となれば弓と矢の捜索が始まるのは当然。さらにその所在が杜王町である可能性があるとなれば、花京院が杜王町に向かうのは必然的な流れであった。
町には異常な現象が多発していた。静かな町並みに反した異常な行方不明者数。異常なほどに集中した、スタンド使いの存在。それも後天的なスタンド使いときたものだ。花京院が所在を確認したスタンド使いにはあくまで弓と矢に心当たりはないという部類もあったが、実際は明らかにそうではないスタンド使いの方が多い。そもそも、何より異常なのは、やはり分類できるほどにスタンド使いが集中しているという点。弓と矢の存在が明確になる中で、岸辺露伴の存在もそこにあった。
スタンド使いとして目覚めたばかりの露伴を発見後、保護兼マーク対象として花京院が監督にあたったのが指導のきっかけだ。もともと漫画のためにと好奇心を持って生きる露伴は、ネタとしてもスタンドへの興味があり、初めて出会った他のスタンド使いという花京院の存在は彼の興味をそそったらしい。そこで、能力をより深く理解したい露伴と、スタンド能力を身に着けた人間をマークしておきたい花京院とで利害の一致が生まれたわけである。やがてそれが指導と言う形に落ち着いたのは、あくまで彼が花京院が危惧するような加害者には成り得ない存在だと結論付けたことと、スタンド使いが異様に密集するこの町に居る以上、彼が他のスタンド使いと接触する可能性が十分にあり得たことが理由だ。身を守る手段が必要、しかし「原稿を見せることで発動する」というどこか曖昧な発動条件というのは不意打ち以外で優位な手段に立つことが難しい。そういうわけで、彼なりのスタイルを確立する必要があると考えたのである。露伴の方は露伴の方で必要と思うことへの努力を惜しまないストイックさを持っていたので、この提案への反発もなかった。そういう姿勢が信頼に足るのだ。
やがて三ヶ月の間に十分な力を身に着けた露伴は、築いた関係の延長線上という形で、花京院と協力関係を保っている。承太郎とも一、二回花京院を通じて顔を合わせたことはあったし、その前段階として花京院が彼の能力を承太郎に話してもいる。それゆえの今回、承太郎からの指名だ。もともと露伴の能力を聞いた時点で緒都の抱える問題の解明に有効だと考えてはいたようだが、妹の存在を晒す危険と天秤にかけてその決断を下していなかったというだけの話。今回の緊急性が下がりきらなかった天秤の皿を地べたに叩きつけたのだろう。
彼は役立っただろうか。何か掴むことができたのならいいのだけれど。
花京院は持ち出した文庫本を開く気にもなれないまま、同階のロビーに座って窓の外をじっと眺めていた。





「一人暮らしを許したのは間違いだった」
露伴が去って入れ替わるように戻った病室で、承太郎が零した第一声はなんとも反応しづらい一言だった。流石の花京院も呆れて頬を引きつらせる。
「君な……許すって、それはホリィさんと貞夫さんの権利だろ」
「あの二人はもうずっと海外だ。緒都を日本に残してくと決めた時点で親権は俺にあるようなもんだぜ」
「親権」
今度はあまりの衝撃にオウム返し。彼のこういう面には慣れたはずだったのだが、今回はいつにもまして鈍い反応しかできない。衝撃から回復した花京院が抱くのはやはり呆れだ。
「成人済みなうえに二つしか違わない妹に何を言ってるんだ君は。全く……」
自炊の面に関しては緒都ちゃんの方がよほど保護者だ。というか、君が持ってる親権は徐倫のだろう。そっちをもっと大事にしろ。
と言いたい気持ちを堪えたのは、彼の発言が『何か』を読んだことから来るものなのではと考える部分もあったからだ。一人にすることが緒都の危険を招く……一人暮らしの家で倒れて発見が遅れた点がすでにそうなのだが、それ以上の心配事でも新たに発覚したのかもしれない。承太郎は未だ夢の中な緒都を見下ろして「ともかく、緒都はそばに置いておく」と短く言い放った。彼の判断自体には一切の反論はない。
「新しくツインのスイートを手配するよ。ホテルに連れ帰るんだろう?」
「目覚めりゃあな。花京院、お前の本格的な出張要請を出しとく。……頼めるか」
「断るわけがないよ。サポート体制も配備しておく」
「助かる」
「ジョースターさんたちに連絡は?」
「ここに来させるわけにはいかねえ。この町の問題が片付いてからだ。……ましてや緒都に起こってやがるのが普通のことじゃねえことだけは明らかになったわけだからな」
「……何かわかったんだな。……まあ、緒都ちゃんの職場の方には長期休暇を申請済みだから、もろもろのことは心配しないでくれ。場合によっては露伴くんにも協力を頼むこともあると思うが」
「てめえの指導成果だ。信用してる。ちと好奇心が過ぎるがな」
肩をすくめた承太郎に「職人気質ってやつさ。多目に見てあげてくれ」と苦笑いを返し、「それで有力な情報だったのかな?」と今回の成果を尋ねる。すると承太郎はポケットから何かを取り出し……それを惜しげもなく花京院へと差し出した。
ポケットレコーダーだ。花京院は頭を抱えたくなった。
「……僕が席を外した理由を分かっているか?」
「ああ。だがこれは必要情報だ。てめえが心配するような不要な個人情報はなかった。俺が保障する」
「また保護者ぶって……」
「誰にでも見せる訳じゃねえ。てめえだからだ。……この問題については内々に対処したい」
一緒に考えてくれるだろう、と差し出されたままの手は、その中のレコーダーを花京院が受け取ると確信している。実際、ため息をつきながらも花京院の手は彼の手に伸びているので、その予測は間違いのない正解である。
出されたままの椅子に腰を下ろしてイヤホンを片耳に。眠ったままの緒都へ、心の内で失礼するよと一言声をかける。再生ボタンを押して間もなく聞こえてきたのは露伴の声で、どうやら記録のため、彼に内容を読み上げさせたらしかった。録音されているとは彼も知らなかっただろうに。というかテープの存在を知っていたら間違いなくコピーを求められるだろうから、これに関しては黙っておこうとこっそり決めた。
『……目の前に……何だこれは。塗りつぶしがある……ひとまずバツとしておきますよ?』
『ああ』
『……目の前に××がいる。信じられない。そうだ、こんな目だった。こんな声だった』
布越しであろう低音質の中で露伴が文字を読み上げていく。少なくとも序盤ではまだ、花京院には読み上げられているものの意味はわからない。眠る緒都の身に何が起きているのかを把握するには程遠い。それでも花京院は目を閉じて意識を集中し、詰まることの無い露伴の朗読に耳を傾けた。
しかし突如それを遮る電子音。サイドテーブルの電話だ。花京院は一時停止ボタンを押して目を開け、素早く受話器を取った承太郎の方を見る。
「……わかった。すぐに行く。決して目を離すな」
スタンド絡みの何かだ。緒都を置いて向かうほどの用事となれば、彼に知らされた出来事についての推測は容易い。実際、受話器を置いた承太郎は「仗助がアンジェロを捕えた。行ってくる」と短く告げてコートを翻す。ホテルの方に電話が来ればこちらへつなぐよう頼んであったのだろう。花京院は頷き、不在になる彼の代わりに、再びハイエロファントの警戒線を張った。





花京院さん。ふとした瞬間に耳の奥によみがえる、彼女の声が深く胸を刺す。ホテルのツインを手配、荷物の運び込み、警備サポート体制の準備を滞りなく行う際中にも、ふとした瞬間に花京院の意識は遠い病院の一室へ向かった。
妹が自分を兄と認識できなかったと、十年前にそう言った承太郎の気持ちを理解したつもりで、実際は半分も理解できていなかったことを強く実感する。それが二度目ともなれば、承太郎の胸の内はどれほどのものか。再び全てが消え去ったわけではないことがせめてもの救いだ。……いや、しかしこうなると、今度は緒都の方が苦痛を抱えることになるのか。
病院の前に停めた車に寄りかかり、花京院は腕時計に目を落とした。病室に兄妹が二人きりになってもう二時間以上。電話口でできる指示を終えて、なおかつ承太郎が無事に財団支部へ持ち帰ったアクア・ネックレスの保管、本体の確保も終えて、あとは病室の二人をホテルまで送り届けるだけなのだが。
「花京院」
「……一段落したかい?」
「ああ。とりあえずはな」
ようやく病院から出てきた承太郎の横で、寄り添う緒都はそわそわとしている。その手がこっそりと承太郎のコートを掴んでいる様を見るに、兄妹の間のよそよそしさは解消されたとみて良いだろう。
「なら、乗ってくれ。ホテルまで送っていく」
「お前の分の部屋もとってあるのか」
「もともと君が取っていた部屋の長期契約を引き継がせてもらったよ。ツインで取った部屋に荷物の運び込みは済ませてあるし、緒都ちゃんに必要な分も最低限は搬入させた。足りないものは随時用意していく形になるけどね」
簡単な説明をしながら車の扉を開き、緒都を後部座席に座らせる。反対側から承太郎も後部座席へ乗り込み、花京院は運転席でシートベルトを締める。
「……あ、あの!」
ベルトのロックをかけたところでかかった声は後部座席から。バックミラーに視線を上げて後ろを覗けば、ミラー越しに緒都と目が合った。
「色々と、ありがとう。……その…………典明くん」
様子を伺うように心なしか上目遣いで。そうして紡がれた呼び名に思わずぽかんとして、返事が一拍遅れてしまう。
「……君のためなら。どういたしまして」
何とか持ち直して何でもないふりを装っても、同じくミラー越しにこちらを見ていた承太郎の目は誤魔化せなかったようだ。視線でからかわれるのはまっぴらなので、花京院はすぐにフロントガラスの向こう側へと視線を落とす。今は彼らと隣り合わない座席配置に幸運を感じておくしかないだろう。横から今の顔を覗きこまれてはたまったものじゃない。

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