▼妹は先を考える


年下の叔父が遊びに来てくれるようになったよ!と誰に報告するでもなく喜びの声を心の中にあげてみるのは、実際に緒都にとってそれが嬉しい事柄であるからだ。
東方仗助、高校一年生。なにぶん自分の精神年齢がその辺りなもので、心の年齢の近さにものすごくホッとするのである。加えて緒都の記憶にある彼は小さな可愛い男の子だ。実際の関係の通り、年下の親戚を可愛がるような気持ちで向き合えるので心労が無い。天使が云々はもう終わった話だ。
「そんで、億泰のヤツが」
そして純粋に聞いていて楽しいのが彼らの日常編。その中に「じいちゃん」「形兆さん」というワードが出るたび、嬉しいような微笑ましいような気持ちになって自然と頬が緩んでいく。これってあれだ、子供を眺めて微笑む親戚のおばちゃんだ。実際の関係的には逆転しているとはいえ、年齢差的には事実に他ならないので虚しい気持ちになるが、そんなの気にしない。だって叔父が可愛いんだもの。想像してみてほしい。いや、想像するまでもないだろうが、承太郎とそっくりのあの顔が、ふと喋りっぱなしの状況に気付いて気恥かしそうに唇を尖らせるのだ。なんてこった、可愛い。なんか俺ばっかり喋ってすんません、なんてむしろそれが楽しいのでこのままどうぞと言うのが本心である。年相応の話を、年相応の顔でする仗助にほっこりする。
「……そういえば……ちょっと気になってたんですけど、承太郎さんが兄貴ってどんな感じなんですか?」
こうして、少し離れた場所に居る承太郎を気にしながら、テーブルの上に上体を屈めてこそこそと話しかけて来るところもまた可愛らしい。彼に年齢が近かった時代の承太郎は、良い意味でも悪い意味でも大人びていたものだから。
「いいお兄さんだよ。すごく気にかけてくれるし」
「いや、それは今の様子を見てればわかるんすけど……やっぱりいつもあの仏頂面……じゃなくって、あー……ポーカーフェイスなのかなって」
「うん、そうだね。でも笑う時は笑うし、雰囲気でわかるところもあるから」
「へー……やっぱり兄妹だとわかるもんなんすかね。過ごした時間ってやつかなあ」
仗助の目が電話中の承太郎の背をチラリと見やる。いやーでもその気持ちわかるわかるー、と気持ちだけ女子高生なノリで答えてみつつ、やっぱり表面上はまともな顔で笑っておいた。
……とはいえ、過ごした時間か。緒都はグラスを両手で包みながら、そこにあるちょっとした事実に苦笑する。
「……実は承太郎と過ごした時間って、一年にも満たない……っていうか、半年も微妙なところかなあ……」
「へ?」
「実際はそういうわけじゃないんだろうけど。私が覚えてる限りって話で」
「……それって、記憶障害の話ですか?でも俺が高熱出した直後からが抜けてるだけなんじゃ……」
「あ、そっか。細かいことは聞いてないのか……えっと、二回目です。記憶障害」
はい、仗助のポカン顔頂きましたー。というわけで、一見して気付かないこの衝撃の事実。思い返せば、精神的にも身体的にも現役女子高生だった緒都ちゃん帰らない事件から承太郎のエジプトツアー開始日までにまず一、二ヵ月ほど。原作軸の五十日間は一緒に過ごしたわけではないから除外して、次は第四部の始まりから今現在だ。杜王町で過ごした時間も一ヶ月近くと考えると……半年どころじゃなかった。なんてこった。軽い気持ちで口にしてみたが、思った以上の事実しかなかった。兄妹歴約三ヵ月だとは。それ以外の記憶がぼやぼやなものだから普通に十七年くらいの記憶はあるつもりでいたのだけれども。
だというのに。それでもすっかり妹としての自分が当たり前になっている。緒都は妹歴数ヵ月の事実をかいつまんで仗助に説明しながら、承太郎の背中をぼんやりと眺めた。
「……不謹慎かもしれないですけど」
そこへ、驚き顔の解除された仗助がそんな風な言葉を零したのは少々の沈黙を挟んだ後であり、
「うん?」
「……俺って、すげーいいタイミングに滑り込んでんすね。なんつーか、ラッキーってか、嬉しいっつーか……」
続いた言葉は完全な不意打ちだった。
「……」
「……」
「……」
「……なんか言ってください」
「あっ、うん。いや、びっくりして……ちょっと今のはドキッとしたよ……うわー」
今、東方を名乗る彼にいろんな方面でジョースターの血を気がする。緒都は今更になってやってきた熱をぱたぱたと仰いで飛ばしながら、つられて恥ずかしくなったらしい仗助が照れて机に突っ伏すというあざとさをじっくり眺めることにした。これが健全な高校生ってやつですよ。別に耳をふさぎたくなるような甘い台詞を吐いたわけでもないくせに、さり気ない言葉の中に何とも言えない可愛らしさと気恥ずかしさを混じらせる。素で。すげー、真似できねー。
緒都の記憶には無いエンジェル時代の承太郎にもこんな一面があったのだろうか。こういうことを考えると、ほぼ原作軸にしか記憶が残っていないことが悔やまれる。
いや、でもまあ、皆が皆持ち合わせた気質が違うと言うのも魅力というやつだろう。天使担当は仗助だ。今緒都の中にポジションが確定された。働いてたら間違いなくお小遣いあげてた。おかしい、親戚のおばちゃん気分を含むとはいえ、当初は同級生気分で仗助を歓迎していたはずなんだけれども。
「……だ、だめだ耐えきれねー……話を戻しましょう!えっと、あー……記憶障害……じゃなくてえ、兄妹……でもなくて……そうだ、億泰と形兆さんのとこらへんまで!」
「兄弟仲が、って話だっけ?」
「っす」
ヘアスタイルさえ気にしない性質ならば頭をガシガシかいていそうな雰囲気で、気を取り直すように仗助はグラスに口を付けた。そう恥ずかしがらなくても、少なくとも先ほどの切り返しは空気を重くしない間違のいないイケメン対応だったわけで。
慰めというか、気休め程度にはなるだろうと考えて、その旨を気遣ってくれてありがとう的な何かで伝えておこうかと口を開きかけたものの。
「緒都」
「ん?」
承太郎からの呼び掛けに遮られ、開いた口は全く違う音を紡ぐことになった。そちらを向けば、何やらいつも以上に眉間にシワがよった難しそうな顔がこちらを見ている。長電話をはじめた背を見て何かモメているのかなとは思っていたけれど、この様子からするに緒都にも関わる問題であったのだろうか。
「少し面倒なことになった」
「面倒?」
「この間、母の日があっただろう。毎年何かしら連絡をしていたお前から今年は音沙汰がないから、何かあったんじゃないかと連絡があったそうだ」
「えっ、ママ?」
「日本に来るとまで言い出しているが、今この町に呼び込むわけにはいかん。……というわけでだ、仗助」
まさかのホリィの話題に緒都が不意を疲れる傍ら、承太郎の視線が当然のように隣へ滑る。えっ俺っすか?と完全に不意をつかれた仗助は若干身を固くしながらも、おとなしく続く言葉に耳を傾けた。
「緒都と二人で写真に写ってほしい。お前さえよければ、だが」
「写真?……あの、話が読めないんすけど……」
「血縁上お前の姉にあたる……俺たちの母親への言い訳だ」
「はあ……」
飲み込めない、いまいち理解できない、といったその顔。同じく!と挙手したいところを自重して、緒都は問題に対策が立てられるに至るまでの過程を少し整理してみる。
六月の今現在、五月の母の日は見事に頭から抜けていた、というか日付感覚自体が抜けていたことしか言い訳の仕様がないが、承太郎の言う通り緒都は母の日に何もしていない。というか、ぶっちゃけて空条緒都としての記憶で母の日を通過した記憶もない。とはいえ周囲にとっての空条緒都は毎年しっかりとありがとうを伝えてきた良い子のようで、なるほど、それがホリィに我が子の異変を知らせるきっかけになってしまったと。
異変があったのは事実だ。そりゃあ記憶障害ときて異変がないなんてそんなまさか。だけれどもそれを今伝えられないという承太郎の主張はもっともであり、となるとどれだけ心苦しくとも今は嘘をつくしかない。真実を言えばまず子を思う母の暴走は止められない。仮に止められたとしても、記憶障害を再発させた娘が息子の言う危険地帯にいるとなれば、ジョースター家隠し子騒動に加えて両親の心労がマッハである。
緒都としても両親の危険および心労回避な承太郎の方針……というかもう緒都の行動指針である承太郎の決断については基本的に賛成だ。ではここは大人しく無事を伝えて、母の日をスルーしてしまったことを謝罪するしかない。母の日については恐らくホリィは気にしないだろうし、緒都の無事さえ確認できればそれで話が終わるはず。
そこで残る疑問はそこにどうして『緒都と仗助の写真』が必要になるか、だ。早い話、電話でもして素直にごめんなさいと言えば良いわけで……いや、なるほど、確かにそれは危ない橋だった。頭の中でごめんなさいからの久しぶりの会話のシミュレーションを試みて、恐らくそこから九割方発展するであろう世間話についていけない自分が見えてしまった。電話はいかん。ボロが出る。
となれば無難なのは手紙……もしくは無事でいる何らかの物的証拠。そこで叔父と姪のツーショットと。あっなるほど、生存報告と言い訳を一枚の写真で片づけるわけですね、さすが!隠し子騒動のフォローに奔走して気が回らなかった、が言い訳になるわけだ。それはそれで私も異母姉弟に会いたいと刺激しかねないが……まあ娘の身の危険に比べたら、東方家側のことも考えて控えましょう、でどうにか抑えられるレベルなのだろう。いやー、なるほど、やっぱり頭の回る人ってすばらし……。
――カシャッ。
「はい、お疲れさまでした。では失礼いたします」
緒都がヒント無しに兄の至った結論に追いつくまでにかかった時間というのは、悲しいかな、撮影隊が到着して一枚写真を取っていくのと丁度同程度の時間であった。撮影隊が迅速行動を得意とするSPWのロゴを纏っていたことがせめてもの慰めだ。
「緒都、父の日も一緒にして機嫌でも取っておけ」
「あ、うん」
そして相変わらず、なんだか父には冷たくも見える兄でありました。そんな兄に従う妹も妹で、実は未だに父と顔を合わせたことがないという。いや、認識の問題を無視した事実の方はいつもながら置いておくとして。現在保持している記憶の中のお話だ。
緒都は撮影隊さんが丁寧に用意してくれたメッセージカードに母の日の分を書き終えた後、指示通り父の日用にも無難も無難な『いつもありがとう』を書き込んだ。
それを、前方から興味深そうに覗く視線がひとつ。
「……仗助くんも書く?」
「あ、お構いなく」
意外とこちらも辛辣であった。
見ている限り、彼とジョセフとはそう仲が悪いわけではないようなのだけれども。父とは見れないけど世話の焼けるおじいちゃん、という感覚で見ているのだろうか。まあ年も年だもんね。緒都にとっては今も変わらず頼れる祖父であるが。ちなみにその祖父は恐らく、SPW財団的な何かと行動を共にしている真っ最中だ。この部屋で堂々と繰り広げられる作戦会議の中で、吉良の監視がどうとか所在を確認できていないスタンド使い候補がどうとかと話していたので。じわじわと頭がはっきりしてきたジョセフに「お力を借りても?」と花京院が何やら話していたような記憶がある。
ところでこの第四部、いったいどのあたりで決着がつくことになるのだろうか。犯人の正体はわかって、追い詰められた犯人がどう逃げおおせるのかまでわかっている。吉良吉影はもちろんのこと、後に彼の父親が大量発生させるスタンド使い……になる前の人々にも監視の目を向けているようであるし。となると今はじわじわと布石を敷いている段階なのだろうか。
「つーか父の日って、言うほど一般的なもんですか?」
ペコ、と緒都がペンの蓋を閉める傍ら、純粋な疑問というような調子で仗助がそんな言葉を投げかけたのはどういうわけか承太郎に向けて。少し考えて、それがつい先ほどの『記憶にあるのは一年にも満たない』発言を考慮しての行動だと言うことに気が付いた。
緒都は顔を上げ、仗助と共にちらりと承太郎を見上げてみる。確かに父の日は母の日よりもどことなく影が薄いような。父親と言う存在が身近になかった仗助にしてみればその感覚は余計なのかもしれない。
けどそれって多分きっと空条家もだよね?と視線に込めた問いかけは届いたかも定かではないが、承太郎は「家庭によって違うだろう」と無難な回答をするに留めた。ねえねえそれってやっぱり空条家は……あ、今の承太郎にとっては空条家って二つなのか。いや、でも一つだろうが二つだろうが結局どの空条家でも父の日の影は薄いんじゃなかろうか。失礼を承知の思考なので、もちろん口にはしないけれども。
仗助にとっての姪っ子が緒都であるように、緒都にとっての姪っ子にあたるのが徐倫なわけだけれども、はたしてこの空条間に面識はあるのだろうか。ないことはない、と思うのだけれども、父親が家に寄りつかないとなれば、父方の血縁者に過ぎない緒都なんてもっと関係は薄いのでは。となるともしかして、承太郎の中では緒都に徐倫の存在を伝えるという事項の優先順位はごくごく低い可能性も。
となると、この件に関してはやはり緒都から話を切り出すべきなのかもしれない。遅かれ早かれ第六部の存在については伝えるつもりでいるわけで、今あれこれ考えつつもまごついているのは、緒都の中で第六部伝達のための基盤が出来あがっていないのと、承太郎の意図を測りかねている部分があるから……というだけの話なのである。だが後者についてが緒都の杞憂的な面を持ち合わせていると言うのなら、前者が達成でき次第切り出してみるのがやはり正解な気もする。そして結局、話は緒都の第六部まとめが必要条件だと言う結論に至るわけで。
そうですとも。結局は緒都の低速作業で流れが行き止まるのだ。自覚、アルヨ。一ヶ月以上ホテルの部屋が主な生息地なぐうたら生活をしながらまだ第六部が頭の中に纏まらないとか情けないにも程がある。けれども主張しておきたい、この間決して筋力の低下を甘受していただけではないのだと。じゃじゃーん、と流石にここで空に掲げるわけにはいかないが、承太郎の管理の元にこの部屋に保管されている第五部まとめノート。あれがここ一ヶ月の成果である。
ヨーロッパのどこかにいたポルナレフたちは、近々この杜王町にやって来るらしい。安否確認がどうこうという話が上がったのは一ヶ月ほど前のことだったわけだが、日本にやって来るのにそこまで時間がかかるものなのか……という疑問は実はもう解決済みで、この一ヶ月というのはどうやら追われる身として向こうを発ったその足で緒都のいる、および弓と矢のあるこの場所に来ることを避けるための潜伏期間、であったらしい。追っ手を完全に巻き、足取りを消す必要期間だったそうで。そうまでしてこちらの安全を守ってくれている彼らにまず申し訳なさと感謝を抱き、次いで中途半端な情報では済ませられないという気持ちが強く生まれた。ノートを作ったのはそのためだ。当初、情報を文字にすることに関してはまず承太郎は渋った。ぎゅっと眉間にしわをよせたあの難しい顔はそういうことだろう。とはいえ、まとめなければ緒都には漏れなく伝えるべきことを伝えられる自信がない。事実、今現在直面している第四部に関する情報も書き起こしという形ではなく、緒都の口から直接語るという形式を取っていたのだが、「そういえばさっきのはこうで」「あ、やっぱり順番が違って」とぐだぐだな説明だったのは記憶にしっかり残っている。となれば、何だかさらにややこしいあの第五部説明など、惨事はもはや目に見えている。大まかな流れこそ大体覚えてはいるけれども、その詳細まで全て空で語るのは難しい。「なんかよくわかんないけどこうなった」は最終手段であり、時間さえ貰えたのなら、緒都にはその「なんかよくわかんない」の部分を明らかにして語るだけの知識自体はあるのだから。
そういうわけで、承太郎と二人のとき以外は開かない、をノート作成時のルールとして。実は第五部まとめ自体はほんの数日前に完成している。外人相手に緊張状態に陥ることを考えても、語らずともいいと言う逃げ道は喜ばしい限りだ。というか今更ながら思いっきり日本語で書いたけどいいのだろうか。フランス人とエジプト人に読めるのか。まあいざとなったら承太郎が朗読してくれるだろう。細かいことはそちらにお願いして、緒都はひたすら初対面の外国人を前にしたシミュレーション訓練に励むことにした。

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