▼叔父と漫画家は相容れるのか


年上の姪は不思議な人だ。第一印象が人外認定だったという特異な判定基準ではあるが、天使改め人間という点を意識しようがしまいが、第二印象以降に全くと言っていいほど落差が無い。
何故だろうか。仗助は今でも緒都がどこか違う場所に立つ存在のように思えてならない。彼女の抱える特殊な事情のせいなのか、さりげない仕草に感じる雰囲気そのもののせいなのか。仗助が緒都に対して感じるのは、触るとぽっきり折れてしまいそうな、まるで病床に伏せる弱々しい生命を見るような、何とも言い難い触れ辛さだ。出会った場所が病院で会ったことがその一因だろうか。とはいえ当時の状況はその印象とは間逆で、伏せっていたのは仗助の方であったのだが。特別目の前で病弱さを露わにされたというわけでもないのだけれども、もしかすると記憶障害という点が病院を連想させるせいかもしれない。ともかく、気付くと周囲に集まっている女子生徒だとか、その他……プッツン由花子に関してはもう論外だが、ともかく他の女性を前にした時とは緊張の度合いが明らかに違うのである。
由花子といえば、彼女との一件についてはなかなかに衝撃的であった。康一拉致事件はどうやっても忘れようがない。仗助がジョセフのスタンド能力の詳細を知ったのもあの時だ。無断欠席の続く康一を探す最中、なんやかんやとあってジョセフの念写で建物の外観までは突き止めていたおかげで、康一からヘルプの連絡が来た後はもたつくことなく駆けつけることが出来た。まあ駆けつけていようが駆けつけていまいが、康一は一人でもどうにかしてしまっていたわけだが。
とはいえソレがあったからこそ、仗助の中にあったジョセフへの苦手意識はいくらか緩和されている。だからこそしばらく後に母の顔くらいは見せてやろうと誘いをかけたわけで。あの時はあの時で、透明な赤ん坊などという厄介なスタンドに遭遇して大変だった。が、恐らくは仗助とジョセフの事情に気を使ってくれた緒都の誘いに乗ったことで、今の緒都の生活状況を知るきっかけになったうえに、暇をしているからいつでも遊びに来てという更なる誘いまで頂けたわけだが。それでも結局父に母を遠目にでも見せてやろうという試みはお流れのままである。
「なぁによ。珍しく箸が動いてないじゃない」
……母は万一にでもジョセフと出会ってしまったら、どんな反応をするだろうか。
夕食の席ですっかりぼんやりしていた仗助は、出された食事に一口も手を付けずにいた自分に気付き慌ただしく姿勢を正す。危うく食卓に肘まで突くところだった。指摘した朋子は訝しげな顔で「まさか、ダイエットなんて馬鹿なことはないでしょうね」と今は大人しいが、ひとたび肘でも突こうものなら、机の下から重たい蹴りが飛んでくることだろう。仗助は慌てて箸を取った。
「んなこと思ったことねえよ。女じゃあるまいし」
「男だろうが女だろうが、ダイエットの必要があるんならまずは運動。食事制限で体重が激減したとしても、そりゃ不健康な減らし方ってもんよ」
「だから、してねえって。……そういや、康一が体重激減したとか言ってたけど」
「康一……ああ、あのいい子。もう一人あんたが仲いいの……億泰だっけ?三人でどこで遊ぼうが構わないけど、最近帰りが遅いこと多いよ。あんた、ちゃんと勉強もしてんの?」
大皿から野菜を取り分けながら朋子が釘を刺す。仗助は「してるよ」と答えてからハンバーグを一口頬張った。
「なんだ?成績の話か?」
「あら父さん。ご飯、今食べる?」
「おう、食べる食べる」
朋子のお小言につられてやってきたのは祖父の良平だ。片手にブランデーの入ったグラスを掲げている姿を見て、危うく死にかけたことも知らねえで、と思わずにはいられない。アンジェロの身柄はSPW財団にしっかり確保されているとのことだが、それでも仗助は未だ、祖父の手にブランデーのボトルがあると身構えてしまうところがある。もちろん、孫の神経がすり減らされていることなど知るはずもない祖父は呑気なもの。「頼むからじーちゃんに孫を補導させてくれるなよ」とからかい交じりのお小言まで零す始末である。
「俺が勉強してない前提で話進めんなよ。ちゃんとしてるだろ」
「わかっとるわかっとる。じょーだんだよ。しっかしお前は見た目で損してるところがあるからなあ。その恰好で昼間っからほっつき歩いてでもいたらうっかり補導しそうじゃ。今日も一人補導対象に出会ってるしな」
「おいおい、あんま無茶すんなよ。殴られてもしんねーぞ」
「なあに、意外と大人しいもんだったぞ。厳つい顔はしとったがなあ。こう、肩のところにでっかく『兆』なんて文字を入れおって」
「…………ん?」
ぽろりとこぼされた特徴がはたりと頭のすみに引っ掛かる。仗助は箸をくわえたまま考え込み、程なくしてまず日常的に目にしている『億』の文字が浮かんでから、何だかんだと目にする頻度の低くはない『兆』の文字に思い至った。
仗助がその文字を見るとき、大抵がほんの数秒間である。最初に見たときはもちろん例外だ。あのときは流血沙汰のやりあいであったから、例え長時間であろうと服装にまで意識はいっていなかったのである。だがあれ以降……虹村一家が財団から住居を提供されて以降は、彼らの新居はスタンド関係の事件を抱えた際の緊急避難先と化している。おかげでちらりと見かける虹村形兆の姿が繰り返す形で記憶に残り、『兆』の文字も共にそこに収まったようだ。
とはいえチラリと見かける程度ということで、交友関係はほぼないままに等しい。虹村宅で見かけるときにはたむろしている仗助たちを一瞥して奥に引っ込む、もしくは舌打ちつきで奥に引っ込む、が形兆の常なので、会話なんぞ発生するはずもない。大怪我の間田を運び込んだときも動じるどころか完全なるスルーであった。
「なあ、その人何してた?」
「何って、公園で何をするでもなくぼーっとしとったわ。なんだあ、仗助、知り合いか?」
「知り合いっつーか、一応先輩。……けどさあ、じいちゃん。あんまり絡むなよ、あぶねえから」
「危ない友好関係ってんならむしろ放置できんぞ」
「そういうわけじゃねーけどさあ……放っといてやってよ。あの人もあの人でいろいろあんだって」
「色々ォ?」
「なんつーか、必死に突っ走ってきた分、疲れ果ててるっつーか。目標を見失ってどうにも立ち止まってるっつーか」
こいつを殺したときはじめて俺の人生が始まる。あの屋敷で叫んだ形兆の声が蘇る。
思えば仗助も形兆も、場所と形こそ違えど結局は同じものに振り回された過去がある。元をたどれば元凶はDIOという男。仗助が死の淵を彷徨うことになったのも、形兆が父と弟を抱えて生きていくことになったのも。DIOの死によって打たれた終止符で仗助が五十日間にわたる苦しみから解放された時、形兆は身体こそ父親の暴力から解放されはしたものの、心の方はそうとはいかなかったのだろう。人生の枷というよりは結局は心の枷だ。恨む一方で捨てきれない。そういう相反する複雑な気持ちは、仗助にはよくわからない。
「……億泰も兄貴が元気ないって言ってはいたんだよなあ……俺じゃ、何にも言ってやれねーけど」
「なに、その公園の子って億泰のお兄さん?」
良平の分の米をよそってきた朋子が茶碗を置くとともに話に入ってくるのを、仗助は「そ」と短く受け流しつつ止まっていた箸を動かす。口に物が入ってしまえば、もう話す言葉は無い。人様の家の事情をあまりベラベラ話すものではないだろう。甥だの姪だのという直接的にかかわりのある話題でさえきっちり避けているのだ。その辺りの線引きは仗助にもできている。
それを察したのかまではわからないが、朋子もそれ以上を深くを聞こうとはしなかった。結局この話題はここから広がることはなく、朋子の「あ、億と兆?なんかでっかい名前ねぇ」という無難なリアクションでもって話は打ち切りとなる。






「げえ、まじなの?補導?」
「いや、見つけたのは初めてだからって補導はしなかったらしいぜ。……形兆さん、フラフラしてること多いのか?学校じゃあ階が違うから居るかどうかもわかんねえし」
「朝は飯作ってくれて、俺より先に出てっからなあ……普通に学校に行ってるんだと思ってたけどよお」
「え、飯作ってくれんの?……いや、まあそっか。ずっと家族の面倒見てたんだもんな。なんだかんだ、すげーよなぁ……」
「おう、兄貴はいつも……あ?なあ仗助、あれって康一じゃねえの?」
「康一ぃ?」
閑散とした通学路。億泰が指差したのは数メートル先の突き当りで、そこにある小さな後ろ姿は確かに康一のもののように思える。億泰はぱっと笑顔を作り手を上げてその後ろ姿に声をかけようとするものの、その対象が本来曲がるべき方向とは真逆へと歩いていくのを見て、吸い込んだ息は吐きだされないまま喉の奥に消えていくことになった。何だ、と疑問に思ったのは仗助も同じだ。思わず億泰と顔を見合わせ、どちらともなく康一の後姿を追い始める。
「仗助、見ろよあの歩き方。なんか変じゃね?」
「ああ」
「妙にへろへろと……まさか女!?あれが浮足立つってやつなのか!?」
一人で想像して一人で衝撃を受けている億泰の嘆きはともかく、平日の朝っぱらから寄り道をするなどという康一らしからぬ行動には仗助も引っかかるものがある。この一か月近くでスタンド関係の問題に連続して関わってきたこともあり、些細な異変でも何かに巻き込まれているのではないかと気を張ってしまうのだ。
それゆえのこの尾行であるし、事実、たった今尾行対象である康一は誰かの家へと入っていくなどという不可解な行動をしでかしている。やはり何かに巻き込まれでもしたのだろうか。仗助は再び億泰を見る。億泰もまた仗助を見て、二人揃って名札のないその家のインターホンを押すことにした。
間もなくして出てきた康一は一見して平然とした様子であった。けろりとした笑顔に杞憂だったかと思いかけるも、指先に見えた切り傷が目に留まる。その瞬間に異常事態と判断したのは仗助だけではなかっただろう。となると康一は今助けを求められない状況……とまで推測して、ここは一旦離れるふりをして回り込むのが得策、と対策まで練ったのだが。
「漫画家の先生がいてね。知ってるかな、岸辺露伴先生っていうんだけど」
出てきた名前に計画は吹き飛んだ。
「……え、なんて?岸辺露伴?」
「あ、仗助くん知ってる?」
「漫画は知らねえ……ってか漫画家?漫画家だったのかあの人?」
「えっ、個人的に知り合い!?」
「……あー!まどろっこしい!露伴さん、あんた康一に何したんだ!?」
危険人物ではない。これは承太郎が彼を緒都の傍に置いている時点で確定している事実だ。とはいえ康一の様子がおかしいのもまた事実。状況によっては無害とも言い難い存在なのか。何にしても承太郎と繋がりがあると言うのなら、少なくともむやみやたらに人、もとより同じく承太郎とつながりのある仗助に手を出すようなことはないだろう。
が、やはり問題は仗助側の情報不足。岸辺露伴と言う名とその顔については既に二、三回は顔を合わせているし世間話程度に言葉も交わしているけれど、彼がスタンド使いか否かといった込みいった会話まではしていない。いや、その線はもとより濃厚であったのだが、だからといって露伴の能力の詳細という情報は無いわけで。仗助は正面から堂々と乗り込むというこの判断を下しつつ、とりあえずの警戒心は忘れずに抱くことにした。
康一を押し退け足を踏み入れた家の中。背後で困惑した億泰の声があるが仕方がない。無駄に広い家を手当たり次第探して目的の人物を見つけるまでに時間はかからなかったが、振り返った露伴はといえば心底面倒くさそうな顔をしていた。
「うるせーなぁ……」
加えてこの面倒くさそうな第一声である。が、構わず仗助は露伴との距離を詰め、ダン、と作業台に手をつきガンを飛ばした。
「……まあ十中八九そうだろうとは思ってたけどよお、やっぱりあんたスタンド使いだったんすね。康一に何したんだって聞いてんすけど?」
「取材のために話をしていただけさ。まったく……入ってきた以上は追い出すのも面倒だしな……おい、もてなしはないぞ。原稿中だから静かにしてろよ、東方仗助」
「納得のいく答えが聞けたら黙りますよ」
「納得ねえ……スタンド使いが自分の手の内をそう易々と明かすものか?周辺の情報漏洩は彼女の身も危うくするんじゃあないか?」
彼女、の一言に思わず仗助は身を固くする。自分と露伴との間で共通して認識されている女性となると、緒都意外にはない。そもそもアンタはどういう関係者なんだと問いたい部分もあるのだが、露伴の言い分にも考えさせられるところがあるうえ、露伴が康一に何かをしたと言う証拠が足りていない現状にも気持ちが引っかかる。ここはもう少し冷静に持ち直すべきか、と仗助はひとまず肩の力を抜こうとしたのだが。
「仗助ー!平気か!?おい、お前仗助から離れろ!」
露伴とはもう少し距離を取るべきだったか、と後悔したのは、遅れてきた億泰が状況を悪く受け取って早々に攻撃を仕掛けようとしてからだった。
やべ、と思って仗助は咄嗟に身構える。が、すぐ近くで冷静な溜息が聞こえたかと思えば、次の瞬間には仗助の視界の隅を少年のようなビジョンが飛び出して億泰のスタンドに接触。そしてどういうわけか、ザ・ハンドの身体が億泰ともども本のようにめくれ始めたのである。
「なっ」
「仗助、お前まで早まるなよ。これだから血の気の多い奴は面倒なんだ。せっかく康一くんの話で創作意欲を刺激されていたっていうのに」
うんざりした溜息と視線。突然自分の身体に現れた異変に戸惑っているのであろう億泰は、その場に倒れ込んで動けなくなっているらしい。ぱちぱちとした瞬きが繰り返されている。
露伴はそんな億泰を見下ろして「あーあ」と溜息をついてから、「ま、折角だしな」と立ち上がって億泰の『ページ』をめくりはじめた。
いや、何してんだよ。ってか何が起きてんだよ。仗助の脳内に浮かぶのはそんな疑問ばかりだ。しかし「へー」「ああ、なるほどな」と一人納得した様子で記述を追う露伴の呟きに我に返り、咄嗟にクレイジー・ダイヤモンドで攻撃態勢を取る。
「露伴!億泰に何を」
「落ちつけって。……ああ、そうだ。じゃあこうしよう。仗助、僕は君にこの能力の詳細を説明してやろう。それで彼らに危険が及んじゃあいないことを納得できるはずだ。とはいえソレだけじゃ僕だけが不利益を買っているからな、交換条件だ」
「あぁ!?」
「なあに、簡単なことだぜ。お前の初恋について今ここで存分に語れ」
「…………いや、なんでだよ!?」
予想外すぎる要求に思わず突っ込みの声が飛び出る。しかもこれについては康一、億泰ともに同じタイミングで同じ言葉を放っており、露伴は可笑しそうに「今のいいぞ、漫画みたいなタイミングだった」と笑ってズレた余裕をかますのであった。

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