▼おじいちゃんと対面です


承太郎拘留事件後、完徹。おかげで緒都は白い顔で、登校しても結局は保健室にお世話になっている。まあ、「JOJOはどうしたの」攻撃にあっていないことを考えれば、ある意味で賢い選択だったのかもしれない。サボりの常習犯であるわりに送迎をキッチリしてくれる承太郎は、結果としてこの頃の出席率がよかったので余計に。
保険医の先生は先生で、教師陣の情報から承太郎の警察沙汰についてはすでに把握済みのようだったので、緒都の心労を気遣って一日中ベッドを占領する図々しさを見逃してくれた。申し訳ない、しかしありがたい。カーテンで区切られたベッドの中で少し眠った後、緒都はそっと手帳を開いて、そこに書きこんだ情報をじっと睨みつけた。
ノートに綴った情報は、昨夜から改めて整理して、緒都の手帳に書き直されている。というのも、旅のお供に渡すのにノートと言うのは大きすぎるし、承太郎に買ってもらったこの手帳ならば、学ランの内ポケットにでもしまってもらいやすいかもしれない、という緒都なりの考えによる行動だ。いやそこは新しいのをちゃんと買ってやれよ、と思わないでもないが、昨日の今日で急遽用意はできなかったのだ。これなら表紙の色も暗くシンプルだし、男性が持っていても何ら違和感はないはず。妥協案だ。どうか許してほしい。
そんなこんなで、ひとまず提出ラインぎりぎりは行けたのではないかと思われるカンニングペーパーもといカンニング手帳。まだ本当のギリギリまで書き足せるものに関しては粘るつもりでいるけれど、仮に今すぐ発つとなってもどうにか、重要な情報は託せるだろう。……あれ、でもこれって、いつ発つかわからないというのはなかなかに危険なんじゃないだろうか。学校が終わって家に帰ったらもういませんなんてことになっていたら、それって本気でシャレにならない。
あっ早退しよ。突き動かされるように思い立って、緒都はベッドから起き上がり保険医に早退を申し出た。事情と顔色とで一切渋られることなく手続きを終えてもらったら、数分後には保健室からそのまま玄関へ向かって、一足早い下校となる。
予想外だったのは、その途中で承太郎にばったりと遭遇したことだ。どうやら釈放後、律儀に迎えに来てくれたらしい。
「あっ」
「……よう、早退か」
「承太郎!」
よかった、まだ居た。普通にまだ居た。安心感から自然と駆け足になれば、承太郎は帽子のつばを片手で下げながら、緒都を歩道側に引っ張って帰り道を歩き出す。
「……昨日は悪かったな。帰るぜ」
「うん!」
「家にじじいもいるがな」
「う、……うん」
いや、忘れていわけではない。決してそういうわけではないのだ。そして一応は心の準備もしてきた。きっちり御挨拶くらいはできる、はずである。
「……あの、承太郎、一緒にいてね」
「ああ」
壁は無事に確保。あとは来たるべき時に向けて志を折らずに保つのみである。緒都は胸の内に覚悟を決めて、刻一刻と近づく対面の時に身構えた。空条家の門をくぐって、玄関を抜けて。そこまでの道のりでうっかり「じじいの友人のブ男もいる」だの「大事な話がある」だの不安要素を耳に入れてしまったが、それくらいでくじける空条妹ではない。それくらいではまだ初対面の祖父に向き合う気持ちが折れは、
「Oh! Little princess! I wanted to meet you!」
……折れ……、
「I know. I'd heard about your problem. Don't worry. Everything is OK. If your memory doesn't come back, I love you. Your mother, your brother, Everyone loves you. It will never change. So, Let's talk with...」
折れた。
英語だ。そうだ、その事をすっかり忘れていた。うわー本物のジョセフ・ジョースターだー!よりも、うわーあそこにいるのは本物のアヴドゥルだ実在したわー!よりも、こちらを見てパッと目を輝かせた祖父の口から飛び出した言語にピタリと固まった。失念していたのだ。一度その心配はしたことがあるはずなのに、他のことにすっかり気をとられて言語の壁を忘れていた。……いや、いやいや落ちつけ。大丈夫だ、そんなに難しい単語は使われていない。早口なだけだ、落ち着いて集中すればどうにか、どうにかなるはず。
……そうは思いながらも止まないマシンガントークについつい怯む。承太郎英語だ、英語だよ、クイーンズなのかアメリカンなのかはよくわからないけど英語だよ。心の平穏を保つためにも頭のなかでこっそり話しかけて、くいっと学ランの裾を引っ張る。そうしてさりげなく身を引いて、195pには195pの壁で対抗することにした。
「……やれやれだぜ。……おいジジイ、がっつきすぎだぜ。そんなんじゃこいつをビビらせるだけだ」
「オー、sorr……すまんすまん……ついはしゃいでしまった。……緒都、どうか怖がらんでくれ。おじいちゃんとゆっくり話をしようじゃないか。な?」
に、日本語だあ!と叫びたい気持ちはグッとこらえ、どうにかこくりとひとつ頷く。ジョセフ・ジョースターは日本語が話せる、と頭のなかに情報を付け加え、心底よかったと安堵する。しかしここで日本語に切り替えたというのは、恐らく犬猫にわんわんにゃーにゃーと声をかけるような、赤ちゃんにいいこでちゅねーとランクを下げた話し方をするような、そういう気持ちでの行為なのであろうことがわかって虚しくもなった。ダイジョウブ、コワクナイヨー、と話しかけてくる怪しい外国人か。決してそこに押し売りのようなよこしまな精神が無いことはわかっているけれどもやっぱり虚しい。背に腹は代えられないので、甘んじてこの状況を受け入れるけれども。
「さてと……緒都、まずは改めて自己紹介じゃな。ワシはジョセフ・ジョースター。お前さんのおじいちゃんじゃ。あそこにいる彼はモハメド・アヴドゥル。少しの間一緒にここでお世話になる」
「……緒都です」
「よーしよしいいこじゃのお!承太郎と違ってかわいらしいまま!My little princess!かわらんのお!」
よしよしよし、と頭をぐしゃぐしゃやられる寸前、承太郎が一歩前に出て自ら壁の役を買って出てくれた。ありがたし。「なんじゃ、可愛い孫娘との再会じゃろうが!」とぷんぷんするジョセフは可愛らしくもあり男前でもあるのだが、少しばかりその勢いを殺して頂かないと色々と厳しいところである。
間にしっかりと距離を保ったうえで「Nice to meet you,Miss」と短いあいさつで済ませてくれるアヴドゥルのような距離感が嬉しい。焦ってつい会釈という日本式での返しをしてしまったが、たぶんきっと通じる、だろう。この人、世界事情には割と詳しそうなイメージなので。そんな彼は空気を読むという能力にも長けているようで、間もなくしてホリィと共に席を立った。これから始まるらしいお話の場に威圧感を与えないようにと気遣ってくれたようだ。
客間に緒都、ジョセフ、承太郎の三人だけになったところで、「まあ、ひとまず座ろうかの」とジョセフにすすめられて、緒都は承太郎を隣に、ジョセフとはテーブルを挟んで向かいあう形でその場に正座をする。
一旦室内が静かになった後、ジョセフはふっと一息ついてから急に真面目な顔になった。真面目なお話の始まりらしい。ついつい身構える緒都は、ぴんと背筋を伸ばして拳を握りこんだ。
「さて、ゆっくり話したいことは山ほどあるんじゃが……緒都に確認せねばならんことがいくつかある。いいかな?」
「おい、怖がらせんな」
「オー、そう難しいことじゃないわい。とっても簡単な質問じゃ。そうじゃな、まずは……ここに何か見えるかの?」
そう言ってジョセフは手袋をつけた手で人差し指をたてて見せる。何か、と問われても緒都にはその指しか見えないので、「……指?」と素直に答えて首をかしげた。ジョセフはそんな緒都の回答にそうかそうかと頷いて、それ以上その問いに関しては何も言わない。……あっ、もしかしてスタンドが見えるか否かの確認だったのだろうか。となると、あの人差し指の先には茨が巻き付いてでもいたのかもしれない。そう予測はできても結局は見えないことに変わりはないので、今の答えに変更はないのだけれど。
そう考えていたら、今度は何やらジョセフのコートから紙片が取り出されて、机の上に広げられた。何事か書き込まれた中身を覗き込んで緒都は硬直する。
「もうひとつ……これは緒都が描いたのかな?」
その中身には完全に見覚えがある。状況を理解した瞬間、今この時まですっかりソレの存在を忘れていた自分を盛大に罵りたい気持ちになった。大きく目立つのは、人の形が四つと、濃く書かれたDIOの文字。緒都がここに来て最初に描いた落描きという名の記憶の描き起こし。なにがどうやってジョセフの手に渡ったし。もはやいつ紛失したかも思い出せない緒都の管理不行き届きが何よりの原因だが、地面に手をついて項垂れたい気分だ。
「緒都。なあんにも悪いことじゃない。怖がらなくていい。ただ教えてほしいだけなんじゃ」
おおう、なんてやさしい声音。いたずらを優しく諭される小さな子供のような気分だ。確かになにも悪いことはしていないのだけれども、ついつい助けを求める様に承太郎の服の裾を握ってしまう。握りつづけるわけじゃないから皺にはならないはずなので、どうか多目に見てほしい。そして対話の勇気をください。そう心のなかでお願いして、緒都はどうにかまたひとつ頷いた。
「そうか……では、これは何を描いたのかな?」
「えっ」
「ん?」
「…………わ、わからない」
落ちつけ、まだ傷は浅いぞ。心のうちでそんなエールを送りながら、緒都は自分で自分を鼓舞して言葉を絞り出した。わかってた、我ながら適当が過ぎるデフォルメだとは思っていた。もはや何が描かれているのかすら伝わっていなくとも驚かない。……と心の内で自虐ネタをかましながら、実際の所の「これは何」がどういう意味で口にされたのかの判断はついていない。彼らを描いた落描きだと理解したうえで、その内容について問いかけているのか、はたまた本当に何の絵なのかが通じていないのか。そのどちらが正解であるにしても、やはり「わからない」というのは安全策である。
「わからない、かあ。ぬう……なぜ描いたのかはわかるか?」
「……み、みた……んだと思う……です」
「見た?いつ?どこで?」
「え……っと……よくわからない……」
嘘ではない。時間感覚は曖昧だし、緒都がDVD再生拷問を受けた友人の家はここからではどこにあるかわからないので。嘘はついていない、毎度の手ながら嘘はついていないのである。
「むむ……そうかあ……」
「……」
「うーん……」
「……」
ああ、おじいちゃん悩んでる、困ってる、申し訳ない。いったい何をどう聞いたものかと思案しているのであろうジョセフの呻り声を聞きながら、緒都は承太郎の学ランを握る手に力をこめた。早く終わりたいの意思表示のつもりである。
ちらりと見上げた視線の先には、こちらを見返してくる瞳があった。いや、ほんと全然何も答えになってなくてごめんね。心の中で謝って視線を落とすけれど、承太郎は責めもしなければ落胆もしていなかった。ノーリアクション。それはそれでしんどいですけれども。
「……もういいんじゃねえのか、ひとまずは。緒都も着替えたいだろ」
あっそれでもこのいたたまれなさは感じ取ってくれていたんですね!内心でホッとして、緒都は弾かれたように顔を上げる。確かに、帰ってきて客間へ直行であったから、ずっと制服のままだ。承太郎が「もういいぜ」と退室を許してくれたのでお言葉に甘えてさっと立ち上がる。
着替えたらそのまま引きこもってもいいよね、ね。そんな気持ちで踏み出した一歩目は、この短い間の正座で運悪く痺れてしまっていたようで、片足で支えるべき体重を下手くそに支え損ねて緒都を躓かせた。
あぶなっ、と咄嗟に突き出した手はギリギリで入口の柱を掴んだので、祖父との顔合わせ直後に派手に転んでみせるなんていう醜態と、そのせいでうっかりスカートがああ!なんて悲劇はどうにか防ぐことができた。ただ、転びかけたという事実だけは完全に目撃されているだろうから、カッと顔が熱くなるのは仕方がない。背後が、背後が沈黙に満ちていて振り返ることすらできません。こういう時ってどんなリアクションをしたらいいのかわからないの。というわけで緒都は熱い頬を手のひらで覆いながら、小走りで客間からの逃走を図った。些細なうっかり事故だ。次に顔を合わせるときには二人ともきっと忘れているに違いない。

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