▼お勉強のお時間です


さてさて、そろそろ真剣に取り組もう。いざ、掘り返せ半分船をこいでいたあの頃の記憶!
というわけで、緒都は部屋のど真ん中に正座をして、頂いたお小遣いで買ってきた実物カード付きタロットカード解説本、『これで簡単!タロット占い』を真剣に眺める。外歩きに同行してくれる承太郎には「やれやれだぜ」という目で見られはしたが、まあ女の子なんだから占い事に興味があってもおかしくはないだろう。
これはいつか来るかもしれない困難のための大切な準備なのだ。力無いただの女子高生という身であっても出来ることを必死に探したい。なにせ最も身近な家族が傷つき、失うわけだから。自分に関係のないところで起こる災厄などではないのだ。それをわかっていて、どうせ兄は無事なのだからなんて知らないふりはできやしない。
曖昧な記憶の中でもスタンド能力というものがタロットになぞらえて登場することはわかっているので、緒都はこうしてカードを手に取ることで、そちらから本体の人間や彼らにまつわる展開の記憶を引き出していこうと考えている。人名、スタンド名はストーリーの記憶が曖昧でも、友人の口から何度も聞いているので、それだけの情報なら簡単に割り出せるのではないか、という淡い期待も込められている。
というわけで。
まずは承太郎だ。スタンド名はスタープラチナ。名前からして星のカードだろう。緒都は手に取ったタロットカードの中から星のカードを引き抜いて膝元に置く。
続いて花京院のハイエロファントグリーン、ジョースターさんのハーミットパープル、アヴドゥルのマジシャンズレッド、ポルナレフのシルバーチャリオッツ、イギーのザ・フール。スタンド名を聞いただけではその意味するところが分からないものも多数あったけれど、音の響きを頼りにアルファベット表記を見ていけばどうにか分類は出来た。少なくともパーティメンバー分は明らかになったので、引き抜いたカードをまとめて一つの山に。
残るカードは二十一引く六で十五枚。味方はこれで全て出したはずであるから、つまりは15人も敵がいるのだろうか。バトルストーリー、すごい。いや、まだ全てのカード分敵がいるかどうかは曖昧な記憶ではハッキリ断言できないのだけれど。
しかし、それにしても。
「……いかん、疲れた」
早くも頭が疲弊を訴えている。もともとお勉強大好きっ子というわけではない。集中すれば没頭するが、記憶を掘り起こしながらの照合作業というのは思いのほか体力を消費するらしい。
緒都はうーんと唸って、十五枚のカードの中から最後の一枚だけ手に取った。『The World』、世界。DIOを示す二十一枚目のカード。
なんかもう面倒くさいので、今はとりあえず6対15ということで、カードを二山に分けて納得しておこう。ついでに正座に疲れたので布団の上にうつ伏せに寝転がり、六枚の山の方から星のカードも引っ張り出して目の前に手に取った二枚を並べる。
承太郎とDIO。最も重要な二枚のカード。緒都が何をしなくても、困難の末に星のカードは世界のカードを打ち破る。それはすなわち、DIOの死を意味するし、それ以外にも死んでいく誰かはいるはずだ。承太郎の大切な人ならば生きてほしいと思うけれど、それ以外に関してはどうだろう。緒都がこうして記憶を掘り起こして何かしら力になれることを探したいと思うのは、今ここで、緒都の現実に承太郎が生きているからで、それはつまり緒都の心の大事な位置に彼が存在しているからで。DIOのサイドに関して、誰に生きてほしいという明確な思いが無いのは、ただそれだけの差なのだろうけれど。
ああ、でも人間そんなものだろう。ほんの少し心に引っ掛かりがあっても、誰も死なず円満解決、なんて綺麗な纏まり方を描くことも、そのために奔走するということもない。平和の使者じゃあないんだから。
だけども今緒都が好きでいる人には平穏を得てほしい。それは悪いことではないはずだ。そのために出来ることがあるのなら、得られる情報があるのなら掘り起こしておくべきだ。それをどう使うかは保留にするにしても。
緒都はころりと体の向きを変えて、うつ伏せから仰向けに。二枚のカードは腹部の上に両手で握ったまま、視界に移る木目を無心で見つめる。考え事をするときに天井を眺めるのはもう癖なのかもしれない。
しかしそうしていると次第に瞼が下りて来る。これもよくあるパターンである。
瞼に覆われて暗くなった視界で、緒都は思い出せる敵スタンドを思い出してみる……が、消去法で思い浮かべていくときには視覚情報は是非欲しいところで、あとでやっぱり何かに書いてまとめよう、とぼんやり考えた。本当はタロットに直接書いてしまった方が楽ではあるが、勿体ない精神が働いてそれはなかなかに難しい。承太郎、と書かれたタロットカードはなんだか可愛い気もするが、やはり勿体ないので却下である。
となると、また適当な白紙にリストでも作ろうか。ああ、そういえば何時ぞやの落書きは結局どうしたんだっけ。探そうと思って探していないような気もするけれど……たぶん紙の類を適当にしまった引き出しにでも入っているんだろう。今度探そう、そうしよう。今は動くのがだるいので後回しだ。
そうして明日明日と放り続けてやがては完全に忘れ去ってしまう展開が待っていても、緒都は重たい瞼を開けて重たい体を動かす気にはなれなかった。そしてお決まりの、お休みターイムである。





で、翌日の夜にはさらなるお勉強。
「お前、最近寝汚いぜ」
のつもりでいたその朝に、またしても寝過ごして兄に起こされてしまった緒都は、起き掛けに静かなる暴言を吐かれたのである。
「……お?」
「布団も被らねえで、風邪なんかひいてないだろうな」
「……おはよう」
「おはよう。……起きろ。ババアが心配してるぜ」
「……むーん」
未だ寝ぼけ眼の緒都のそばへ承太郎がヤンキー座りでしゃがみ込み、仰向けの腹のあたりから何かを拾い上げた。二枚重なるカードをスッとずらして眺める彼の目がどういう感情を伴っているのかは、寝ぼけておらずとも恐らく測れない。
緒都が起きたくない体と格闘してひとまず横向きの青虫に進化したころ、承太郎は布団の外にあるカードの山の方に興味を移しており、彼の手の中にある二枚を除いた五対十四のタロットを指先で弄っているところだった。
「……承太郎、ごはん食べた?」
「ああ」
「……そっか……じゃあ食べてくる……」
「ああ」
芋虫から人間に進化して、四つん這いから二足歩行へ。ふらふらと襖を開けて食卓へ向かう緒都を尻目に、兄がまだタロットの山を眺めていることなど気にもならない。それよりもよほど、彼が指摘した通り少し鼻が風邪っぽい違和感を抱えていることの方が気にかかって、目を擦りながら本当に風邪を引いたのかもしれないと呑気な思考を巡らせていた。
洗面所で顔を洗ってから食卓に向かうと、テーブルの上には一人分の食事が綺麗に置かれている。緒都がやってきたことに気付いたホリィはおたまを振って「緒都ちゃーん、おはよー!」と今日も今日とて元気な笑顔だ。
「……おはようございます」
「はあい、おはようございます。ふふふ、お寝坊さん!ごはん入れるわねー」
「あ……お味噌汁は自分でする」
「うんうん、お願いねー」
まだ暖かい鍋から漆器のお椀に味噌汁を注ぎ、それを持って席につく。ホリィが持ってきてくれた白いご飯と、焼き魚、ほうれん草の胡麻あえ。純粋なる日本食だ。
「いただきます」
「いただいてくださいな」
正面に座ってニコニコと笑うホリィの視線をそれほど煩わしくは思わない。おいしい?と問うたびにおいしいと返してくれる娘というのが嬉しいゆえの笑顔なのだろう。承太郎はアレであるから、うっとーしいぜこのアマ!で、なかなかおいしいの一言がもらえないのだと思われる。承太郎が言葉にしない部分は自分が言葉にしようと心がけるのはせめてもの親孝行だ。承太郎もおいしいと思っているだろうから、一応代弁にもなる。
だって緒都が作るよりよほど上手だ。さすが主婦歴を重ねた母の味。緒都も夜ご飯なら少しずつ手伝っているが、朝はご覧のとおり、兄曰くの「寝汚い」状態なので手伝いすらままならない。夜にお勉強タイムを持ってくるがゆえのだらしなさだが、気をつけようにも原因は夜更かし、というよりは、考えすぎて溜める疲労、だろうからその辺りの改善と言うのは難しい。
「……あら?緒都ちゃん、ちょっと風邪引いちゃってる?」
「へ?」
「今お鼻をすすってたから。それに、ちょっとだけ鼻声かしら」
「……そうかも」
「風邪はひき始めが肝心よ?帰ってきたらママがホットミルク作ってあげる」
「うん、ありがとう」
緒都は箸で魚の身をほぐしながら頷く。空条でない方の母よりよっぽど母親らしいホリィに心が安らいだ。
……ちなみに、ここまで育ててくれたはずの、本来の母親の顔はぼんやりとしか思い出せない。苗字が出てこなかったように、父や母の名前も出てこないし、緒都にこの世界を教えた友人の名前も今では欠片も出てこない。
そんな人がいた、こんなことがあったと、そういった記憶ならしっかり持っているはずなのに。
そうして緒都の中の彼らの存在が希薄になっていくぶん、彼らに対する緒都の感情も同等に薄れていっているような気がした。寂しいと思うこの気持ちは、例えばそう、あいさつ程度にしか話さないクラスメイトが転校すると聞いた時のような。おしいとは思うけれど、どこか他人事。代わりになるように心に入り込んでくる家族の存在があるから、余計だろうか。名前も思い出せないあちらの母よりも、ホリィの方をよほど愛しく感じ始めている。
この世界に自然と順応していく自分自身が少しばかり怖い。
が、それをありありと顔に出せばホリィに余計な心配をかけさせてしまうことはわかっているので。あちらとこちらに関するもやもやとした気持ちはすべて胸の奥にしまいこむことにしている。この調子だと、やがてあっさり割り切れてしまうような気もするから。
だから今朝もごちそうさまでしたと笑顔で両手を合わせて、相変わらず空条の血もジョースターの血も感じさせない自分の顔を鏡に映しながら身だしなみを整え、兄と二人並んで門をくぐり、今日も今日とて途中で合流するお姉さま方の群れが見える前の静かな通学路を歩く。
承太郎はいつもこちらに歩幅を合わせてくれるので、小走りになったり息が切れたりすることはない。これで一応は紳士の血を引いているのである。加えて、不良とはいえ緒都が記憶する時代からは少し逆行した時代の不良。全員が全員とは言わないが、大多数が彼らなりに通すべき意思を持っていることは、学校で見ていてもよくわかった。
だって彼ら、基本的に女子供には手を出さない。常連化しはじめている保健室で見ていても分かることだが、保険医のお姉さんには生意気は言っても絡んでいくようなことはないのだ。彼らの諍いを見かけるときは男子生徒同士か男性教師と相場が決まっている。
承太郎も女子供、弱者に対しては絶対に手は出さない。こちらはこちらで子供っぽいところもあるが、それにしたって彼なりの通すべき信条に従ってのものなのだ。
だからきっと、家族を人質に取られるようなやり方をされたら承太郎はガチギレなんだろう。……旅に出た理由ももしかしてそれだろうか。道中時間が無いとか何とか言っていた気がするし、何だかやけに「ホリィ」という名前が出てきたような気が。
……つまり、そういうことなのだろうか。
よくよく考えてみればそうだ。理由もなく、祖先の因縁なので吸血鬼をやっつけにエジプトまで行ってきます、なんてボランティア精神で動くなんて承太郎らしくもない。旅立つには理由があるはずだ。承太郎を突き動かすだけの大きな理由。
それは承太郎にとっての大事なもの。彼の不可侵の領域内の何か。つまり、家族。本来緒都はここにいる存在ではない、と考えれば、残る可能性のうち有力なのは、彼の母親。
ホリィに何かがあったから、承太郎はDIOを倒しにエジプトへ向かう。
「緒都?」
考えて、事の重大さに自然と止まってしまった足は、歩幅を合わせてくれていた承太郎との間に僅かな距離を作る。立ち止まった緒都にすぐに気付いた彼がこちらを向くけれど、緒都は不安を露わにした顔で彼を見返すことしかできない。
ホリィの身に何が起こるというのだろう。誘拐?人質?可能性を浮かべてみても、それがいつ、どのようにして起こるのかさっぱりわからない。折角この先に起こることを知っていても、肝心のことが分からなければ阻止することもできやしない。
どうしよう、と口をついて出てしまいそうな言葉を、唇を片手で覆ってどうにか留めた。そんなことを零してしまえば、承太郎は何を不安に思っているのか問いただすに決まっている。でも、それに応えられるだけのカードを持っていない。否、持っていられたはずなのに、持ってこなかった。あの時の自分には全く重要な事柄ではなかったから。
仕方がないとは分かっていても罪悪感に苛まれる。なんでもないと笑って兄に追いつかなければ。そう思うのに、地面に足が縫い付けられたように動けない。
ホリィは承太郎ではないから。何かあっても絶対に大丈夫なんて気楽に構えることなんてできない。
「緒都」
「……」
「どうした」
「……」
私、帰る。そう言いそうになって、また言葉を物理的に抑え込む。駄目だ、落ち着こう。冷静にならなければ。
家にホリィを一人残して来ていることが心配で仕方がない。けれど、少し落ち着いて考えれば、彼女に何かが起きるのはまだ先だということにも簡単に気付ける。
だって、始まりは承太郎が牢の中にいるところ。承太郎を迎えに行くのはホリィだ。大丈夫、承太郎はまだ警察の厄介にはなっていないし、何より今目の前にいる。だからホリィも大丈夫。
緒都は余計なことを口走らぬようにと口元にあてていた手をそっと剥し、開いた隙間からゆっくりと空気を取り入れた。承太郎から視線を外して深呼吸を繰り返せば、一瞬焦りからパニックに陥っていた頭も落ち着き、動かなかった足も動くようになる。
「……ごめん、ちょっと気分が悪くなってた」
「帰るか」
「ううん、平気。もう治った」
パニックはだめだ。特に承太郎の前では。
パニクるときは自室でパニクろう。妙な決意を胸の内に固めて、緒都は再び歩き出す。一歩目は少し足が震えたけれど、二歩目にはもういつも通り。ひとまず、始まりの目印は承太郎の牢屋入り。それを忘れないようにすれば、これ以上兄の前で失態を晒すこともない、はず。
警察の厄介になるなんて身内としては重大な出来事であるはずが、その内容などもはやどうでもいい。そんな自分の思考状態を顧みたら、少しの能天気さに気が楽になった。

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