▼今になって気付くこと


「必死だったんだろうな」
『月』『力』のスタンド使いを越えたシンガポールにて。同室になったホテルの一室で、花京院は例の手帳を片手にそう言った。床や壁に這わされたハイエロファントの触脚は、隣室の様子まで把握しているらしい。ジョセフとアヴドゥル、ポルナレフ、船で出会った密航の少女、とそれぞれ個別に取った部屋の位置はバラバラだが、少なくともこの部屋は安全を確保されている。
承太郎が一足先にと花京院にこの説明をはじめたのは少し前のことだ。今頃はジョセフもアヴドゥルに触り程度は話しているだろう。もっとも、アヴドゥルの方は以前に緒都の描いた予言の片鱗ともいえる紙片を見ているから、早い理解が予測できる。花京院は花京院でひどく驚いた様子ではあったが、こちらも案外受け入れは早かった。目の前に明らかな物証があるからこそだろうか。
「もう忘れたくなかったんだろう。なんだか切なくなってくるよ。君やホリィさんのこと、何が好きとか何が苦手とか、こうも細かに書き留めてあるのを見ると」
「……そっちか」
「予言の方は一通り把握したからね。自分の大きな危機も頭に叩き込んだ。……まあ、格好悪い死に方じゃあないからな。万が一変えられなくても悔いはないが」
「おい」
「冗談ですよ。それに既に奴の能力が明らかになっている以上、この状況には成り得ない」
手帳の中に書かれていた死の文字のひとつが花京院についてであることはすでにお互い理解済みだ。なぜそうなるのかもDIOの能力説明と共に記されている。時を止めるなんてなかなかに反則が過ぎると眉を寄せたのも束の間、そのカラクリをあらかじめ理解できているという利点の方に意識が向けば、すぐに持ち直して攻略法の思案がはじまる。現在承太郎が抱える最大の課題と言うのは、やはりそこだろう。手帳には『同じタイプのスタンド、止まった時間に順応』と書いてあったが、承太郎自身にはまだまだその感覚がつかめない。時が止まったのでは、と疑うような状況を目の当たりにしたことすらないのだから。もちろん、これまでそんな概念が無かったことも一つの理由であるが。可能であるのなら、実際に対峙する前から慣れておきたいところだ。
しかしそのためにはどうするべきか。承太郎は鏡を背に鏡台へ腰かけ、静かに考え込む。そんな承太郎の正面では、ベッドに腰掛ける花京院が手帳を見下ろしながら何事か考え込んでおり、視線はそのまま、間もなくして「なあ、承太郎」と声がかけられた。
「なんだ」
「彼女は君と自分の関係は忘れていても、君が誰なのかはわかっていたんだろう?それはホリィさんも同じで……ジョースターさんもそうだったのか?」
「なに?」
「いや、このメモを見ていると、ジョースター家の親族についてしか書いてない。だが当然君の親戚には……空条家の人間だっているわけだろう。……万一駆け落ち同然だの絶縁だのといった事情があったのなら、余計な詮索を謝らねばならないんだが」
「単に縁遠いだけだぜ。特別問題を抱えてるわけではない」
「そうか……君は彼女が尋ねる以外はなにも強制しなかったと言っていたから。ジョースターさんのことも彼女から聞いてきたのかなと思って」
「……確かに、聞いてきたのは緒都だったぜ。アルバムを持ってきて、これは誰かってな」
「この手帳からするに、彼女はジョースターさんの存在は『見て』知っていた。だが君にわざわざ聞いたということは、その人と自分の関係はやはりわからなかったということだろう?それこそ、君に関しての忘却と同じように。わざわざ『祖父』と書き留めてあるわけだから」
「つまり、何を推測したんだ」
「いや、単なる印象なんだが……まるで過去を未来で上書きされたようだと思ったんだ。気を悪くしないでほしいんだけれども、君のことを覚えていたのは記憶が『残った』わけではなく、上書きされた知識に君と言う存在が『あった』みたいだな、と」
承太郎は思わず目を見開いた。新鮮な考え方だ。なるほどそういう視点もあったか、と素直に感心する。確かにアルバムを持ってきてジョセフについて尋ねた時も、まず指差されたのがジョセフの姿。アルバムには空条家側の親戚の顔もないことはなかったが、緒都がそこに興味を示すことはなかった。確かに記憶にある顔であったのなら、一緒に尋ねられてもおかしくはなかったはずだ。
だがそうなるとむしろ事態は深刻だ。緒都は僅かも残らず完全に記憶を失ったことになる。それこそ、物心ついたころからこの年までの全てを。そして代わりとして持っていたのは、どういうわけかこの旅にまつわる記憶のみ。そう考えると、スタンドの影響を受けていないはずの緒都もまた、別の形で血の因縁に巻き込まれていたという線が濃厚だろう。業を孕む血を引いたからこそ、その血の直面する危機を『見る』ことになったのか。
「その仮説で考えりゃあ……そもそもこの旅が起こりさえしなければ、『見る』必要も『失う』必要もなかった。結局はDIOの野郎のせいだってことになるな」
思い返せば、前に一度気になることを聞かれたことがある。「承太郎が一ヶ月以上家を離れたことってあったっけ」と、何やら考え込む様子で尋ねてきたそれを当時は本当に父のことと勘違いしているのではないかと思ったものだが、今思えばあれは『見た未来』に起こったことと『実際の過去』に起こったこととの判断がつかなかったがゆえの問いだったのかもしれない。緒都の中には承太郎が長らく家を離れたという確かな事実があった。ただそれを未来とは認識できていなかったのだ。
正体のわからない記憶があるというのはどういう気分だろうか。いや、これは花京院の言うように知識と考えた方がいいのか。
最初はきっと良い意味でも悪い意味でも他人ごとだっただろう。だから妹と言われて驚いていたし、自分が空条だと教えられても戸惑っていた。だが、緒都は自分が空条以外の誰かであるとまで思っていたわけではない。自分がどこに所属する人間なのかすらわかっていなかったのだ。迷子と同じだ。家に帰ってこられなかった、それと同じこと。そしてあの夜あの公園で名を呼んだ瞬間、明らかに安堵する潤んだ目。目を閉じれば鮮明に思い出せる。その光景は自然と脳裏に浮かびあがってきた。が、数秒後に鳴った内線の音に掻き消されて、引き戻された現実の中、承太郎は黙って受話器に手を伸ばした。
「なんだ」
『おお。承太郎、ワシじゃ。実は今さっきポルナレフから連絡があった。「人形があった」そうじゃ。先にアヴドゥルが向かっておるが、念のためお前さんらも向かってくれるか』
「ああ……わかった。すぐに行く」
受話器を置いてやはりこのタイミングだったかと心の内でひとりごつ。この対応のため、ポルナレフより先に説明を受けていた花京院は確信めいた目で承太郎を見ていた。それに頷きで対応すれば、花京院は取るべき行動を理解した様子ですぐに立ち上がる。
向かう先は一階下のポルナレフの部屋だ。
だが承太郎と花京院がその部屋に到着した時にはもう決着はついていた。その人形の原型を想像するには細切れが過ぎて、丸焦げの状態からは表面の塗装の欠片すらうかがえない。ポルナレフには目立った怪我もなく、部屋の破損もほとんどない。室内には発見されて困る惨死体も存在しない。すべて望んだとおりの結果だった。
「おお、承太郎に花京院。一足遅かったな。ジョースターさんの方が先に着いたぜ」
「僕らはあの女の子に部屋を出ないよう声をかけて来たので。すみませんね。でも、何ともないようでよかった」
「おう。言われた通り、人形と不自然な冷蔵庫を見つけた時点でルームサービスを装って電話を入れたからな。野郎が出て行ったらすぐにアヴドゥルが駆けつけて楽勝だったぜ。しっかし、なんつーベストなタイミングでの警告だよ。驚いたぜ」
純粋に感心しているらしいポルナレフを見て花京院が肩をすくめる。それから承太郎へと向けられる視線は、一足先に事情を聞かされた身としての居心地の悪さからだろう。話すんだろう、という無言の問いかけに視線だけで答えれば、花京院も納得した様子で口を閉ざした。
ポルナレフにだけ情報の開示が遅れているのは、単にこのシンガポールで彼が標的になるとあらかじめ分かっていたからだ。『一人部屋で不気味な人形、中身の出された冷蔵庫の中に男、ポルナレフが苦戦』という情報には『少女、シンガポール』と時間軸を特定する情報も込められていた。この次に『花京院に扮する節制のスタンド』というものが待ち構えていることは分かっていたので、念のため花京院が本物であるかの確認が必要だったが。
ともかく、まずは悪魔のカードのスタンド使いを撃退してから。そういう結論で、ロビーで別れる前にジョセフがポルナレフへ先ほどのような指示を耳打ちをしておいたのだ。男が現れ次第瞬殺、ではその場に死体が残って面倒事が増えるので、あえて逃がした後に人形の方を始末する、という対応の方にしたらしい。人形が発見された場合にすぐ救援に向えるよう、待機側の花京院とアヴドゥルには先に簡単な説明がされていたわけである。





最初のリアクションは心底驚いた様子の「マジかよ!」で、次のリアクションはしみじみとした顔での「俺はてっきり、全部承太郎の勘の良さだと思ってたぜ……」だった。いわく、ダークブルームーンの本体を最初に言い当てたこと、ストレングスの本体であるオランウータンを顔を見た瞬間に殴り飛ばしたことなどから、異様に鼻のいいやつだとばかり思っていたらしい。
アヴドゥル、花京院がここまで情報を伏せていたことに気を悪くした様子もないように、ポルナレフもまた、ただ驚くだけで怒りをみせはしなかった。振り返ればここまでの船旅では二隻共にスタンド使いに遭遇しているのも事実であったし、安心して話せる暇がなかったことは理解しているらしい。伏せていた情報の中に彼の求める仇の情報があると告げた時には動揺もあったが、それでもことを慎重に運ばなければならない理由に『妹』が関わっているとなれば、それが当然だと言う。
むしろそれほどに外に出すことが危険な情報を自分のためにも提供してくれることを感謝しなければならないと、そう言ったポルナレフにアヴドゥルは感心した様子であった。
「しかしよお、ジョースターさん。DIOの野郎もアンタらの様子を見ることができるんだろう?」
「ああ、確かに見られたと感じたことはある」
「となると、その妹ちゃんの様子も覗かれてるって可能性はねえわけか?家に警護のスタンド使いが配備されてるわけでもねえんだろ?」
「そのことなら恐らく心配はないな。……緒都にはスタンドが無効じゃった」
「へ?」
「以前バランスを崩した緒都を承太郎のスタープラチナで支えようとしたことがあったんじゃが、見事にすり抜けてしまった」
「そ、そんなことがあるのか?スタンドを無効化するスタンドだとか?」
「いや、緒都にはスタンドは見えておらんよ」
ところ変わって、ジョセフとアヴドゥルの部屋。今後の相談という名の攻略会議の途中でふと投げかけられたポルナレフの疑問は承太郎も危惧したことがある。だが、試しにとジョセフが緒都を念写してみようとして、ただ無残に壊れただけのポラロイドカメラを目の当たりにした記憶は新しい。ポルナレフは「ほえー」と間の抜けた声を零してから「世の中不思議なこともあるもんだなあ」とやはり間の抜けた顔で感心していた。
「スタンド以外の何らかの力、ということですか」
腕を組んで呟いた花京院には、アヴドゥルが「認識しえない不思議なものと言うのは世の中にあふれているものだ」と笑って答えた。花京院は「そういうものですか?」と少々微妙な顔だ。スタンドも一般人からすれば心霊現象と同じ部類の『不思議なもの』に部類されるのだが、生まれついてのスタンド使いにとってスタンドはあくまで心霊現象と並ぶものではないらしい。そういう意味での現実主義者、なのだろう。とはいえ、花京院にとっても『不思議』に分類されていた吸血鬼と言う存在を目の当たりにしたことから、完全否定はできずにいるらしいのだが。
そんな花京院たちの横で、日本語で書かれた手帳を覗き込んでいたポルナレフは「日本語ってのはなんで複数の文字を使うんだ?」と心底不可解だと言う顔で唸っている。しかしそのままページをめくりだすこと数秒、「……ん?んん?」と呻り声の雰囲気に変化が訪れたので、承太郎はベッドに寝転ぶ男の姿を見下ろした。
「なんだ」
「あ?いや、ここから数字になってんだろ?それなら俺にも分かるかなと思ったんだが……どういう数字なのかまったくわからん」
「数字?」
「あ?気付いてなかったのか?ほら、後ろの方によ」
「……おいジジイ。見ろ」
重要情報が書かれていた罫線のページならばゆっくり眺めていたが、しばらく続く空白の後にある方眼紙の部分には全く目を通していなかった。覗き込めば確かにポルナレフの言うとおり数字が並んでいるが、日本語への理解があろうがなかろうが、そこにある意味は分からない。
おかげで大の男五人で一つの手帳を覗き込むというむさ苦しい状況を生み出してしまったわけだが、だからと言って承太郎もここから身を引くつもりはない。
「これ、日付かな?だとしたら、すべて過去のこと……とも言えないか。年代まで書いてあるわけじゃないからな」
「あ、日付は俺もわかるぜ!けど隣のは何だ?この……漢字の」
「時間だな。……最初のは六時頃と書いてある」
「で、その下のは?」
「それはわからない。それに、これは元々緒都ちゃんが普通の手帳として使っていたんだろう?特別この旅に関係はないメモって可能性も……ジョースターさんたちに何か心当たりはないのですか?」
日付、時間、謎の数字の羅列。その組み合わせが二ページほどに詰まっているが、最初の羅列部分については『??』と日付と時間以外の数字が書かれていない。
「ワシが緒都に会ったのは出発の前日じゃからのう」と眉を下げるジョセフは、承太郎の方が詳しいだろうという視線をあからさまに向けてきた。とはいえ、承太郎にもこの数字の意味はわからない。わからないのだが。
「この日付」
「心当たりが?」
「ああ。緒都の様子がおかしかった日だ。時間帯もまさにその時だな」
「様子が?何があったんですか?」
「わからん」
「わからんって……」
花京院が困ったように肩をすくめる。ジョセフも「わからんはないじゃろう、わからんは」と自分が把握しきれていない孫娘の状況が気になるようで、何か些細な情報でもいいからと承太郎をせっついた。肩を掴んできた手はうっとおしいので振り払ったが、要望まで跳ねのけるつもりはないので、承太郎が把握している範囲を口にする。
「ババアの話じゃ、料理中に急に立ちすくんで動かなくなったらしい。それから涙目で逃げるように自室にこもっていった」
「ババアじゃと!?承太郎、自分の母親をババアとは!何度言ったら」
「うるせえ。ともかく、俺が自分で見たのはその後からだ。部屋に行ったら耳を塞いで蹲ってやがった。落ちつくまでに数分かかったが……それまで一切反応なしだ。本人いわくよくわからんとのことで、結局曖昧なままだった」
憤るジョセフをなだめるのはアヴドゥルで、状況の不可解さに難しい顔をするのは花京院。それ以上に険しい顔をするのはポルナレフだ。「わからないって、何も?」と花京院が尋ねるのも当然だろう。承太郎だって、妹に問いかけた時はそう思わないことはなかった。だがたどたどしくも断片的なことを伝える妹が心配をかけまいとするように繕う姿を見て、詮索はその場に適切でないと判断した。承太郎から見ても明らかに怯えていた妹は、もうすでにあの時追い詰められていたから。それをわかっていて、それ以上に追い詰めることはできなかったのだ。それでも、それが本当に『わからない』のかどうかの見分けぐらい、十五年も兄をしていれば容易についてしまう。
「……わからない、ねえ……そりゃお前の妹、なんか誤魔化してんなあ」
そしてその事実を見透かしたように、懐かしむように目を閉じたポルナレフは突然そう言った。「根拠は何だ?」と問うアヴドゥルに「兄貴の経験論」とひらひら手を振る様を見て、この男は自分と同じ立場の人間だと承太郎は改めて実感する。
「シェリーもな、困ったことがあると『わからない』だ。嘘が苦手なもんでな。下手に繕っても誤魔化せないとわかってるから、追い詰められるとよくそうやって誤魔化したもんだ」
「そういうものなのか?」
「花京院、てめえ一人っ子か。……まー、誰にでも共通するとは言わねえけどよ。なに、これまでに聞いてた承太郎の妹の話が、俺の妹の話を聞いてるみたいによく似てたからよ。そう感じたわけだ。実際のところはどうなんだ、承太郎?」
わからない。何度聞いた言葉で、何度見逃してきた言葉だろうか。自分でも気になることはとことん突き詰めていく気質だという自覚はあるが、妹に関しては臆病になっていた節がある。記憶が無いからと腫れものを触るような態度になることを避けてきたつもりで、実際のところは腫れものどころかガラス細工に触れるような扱いをしていた。
「あの時はポルナレフの言うとおりだ。そうやって話すことを戸惑っている気配はその時以外にもあった」
たとえば、ジョセフがあの紙に描かれたものについて問いかけた時。あれは誤魔化す方のわからないだ。緒都が言葉通りではないわからないを口にする時、その視線は気まずさから逃げるように逸らされる。その目は遠いどこかへと泳いだり、不安げに組まれた指を見下ろしたり、何かへの怯えを露わにする。
だが緒都が本当に言葉通りのわからないを口にする時。それはたとえば、公園から連れ帰った緒都が己と空条家との人間の関係を問われた時。その目は困ったように、こちらの様子を伺うように上目づかいになる。わからないことが悪いことなのではないかと身構える子供のような顔だ。申し訳なさそうな目がその奥で不安を訴える。
承太郎にはわかっていた。しかしそれを明らかにすることに積極的になれずにいた。それが緒都のためか承太郎自身のためかは、人によって見え方も異なるだろう。
「承太郎、俺も自分の妹のことだったらこう冷静には見れちゃいないだろうが」
「なんだ」
「妹……緒都だったか?その子が自分の『不思議』を理解しきれていないってのもあるだろうが……それ以上に『不思議』だから話せなかったんじゃねえのか?」
「あ?」
「だからよ、その子にはスタンドが見えちゃいないんだろ?だとしたら自分は一人異常と思ってたんじゃねえの?」
「だが『見た』んならスタンドの存在は知っていたはずだ」
「けど、それは起こるかもわからない……言っちまえば夢みたいなもんだろ?承太郎も元々スタンドを持ってた訳じゃないと来たら、その夢を確証づける根拠も足りねえ。奇妙な夢を見る自分って気分だったんなら……ただでさえ記憶のことで心配かけてんのに、そりゃ言い出せねえよな」
寝ころんでいた状態から起き上がり、緒都の心境を想像した様子でポルナレフはやるせなそうに頭をかく。「俺もそれなりにそうだったし、花京院もそうだろう。アヴドゥルもか?」と続けたのは、天性の能力を持ったもの同士の経験についてを言っているのだろう。アヴドゥルは肩をすくめるだけだったが、花京院は口許だけで笑みを作っていた。何も言わないあたり、否定はしないということだろう。
……思えば、承太郎がスタンドを発現してから日本を発つまで、二日と少し。内一日は半分を牢屋で過ごしていたし、DIOの因縁やスタンド能力発現についての話の場には緒都はいなかった。緒都からしてみれば、留置場で突然何かしらの能力を目にして戸惑って、しかもそれが己の見ていた過去とも未来ともわからない景色に突然一致したわけだ。衝撃は大きかっただろう。悪いものじゃない。そう言ったのはこの旅におけるスタープラチナを見ていたから。だがその説明をすることはやはり恐ろしかった。ホリィは見えた腕のことを緒都に話したと言ったが、緒都に見えないとなればそこにあるのはやはり『違い』だ。不安と言うものは、同じものを共有できて初めて打ち明ける恐怖を拭い去れる。あの時緒都にスタープラチナの腕が見えていたのなら話は違っていたのかもしれない。
ジョセフの問いかけにも戸惑っただろう。どうすればいいかわからなかった。手帳を渡した時に言ったように、緒都にはあらゆることがわからなかった。話していたらどうなっていただろうか。しかし承太郎にはその可能性を思考し実行する間も与えられず、ホリィが倒れ、こうして妹を残し家を出ることになった。出発の直前に手帳を手渡したのは、きっと緒都にとって勇気のいる決断だった。
承太郎は妹の様子を振り返ってじっと考え込む。しかし実際の間としてはそれは数秒のことで、シンとした空気の中で口を開いたのはアヴドゥルだった。
「ジョースターさん。もはや、本人に聞いた方が早いのでは?先ほどのポルナレフの言うような不安を抱えていると言うのならなおさら、今の状況を隠さず話して、決しておかしいことではないのだと言ってあげた方がその子のためかもしれませんよ」
「ふむ、そうじゃなあ……本当ならば面と向かって話し合うべきところを、そうするには何もかも急すぎて、我々には時間がなさすぎた」
ジョセフが苦々しい顔で呟く。それから懐にしまっていた懐中時計を取り出してひとり頷き、承太郎の肩を叩いて扉の方へと歩き出した。
「承太郎、来なさい。今から日本に連絡をつけてみよう。シンガポールと日本の時差は一時間じゃ。まだ遅い時間ではない」
「……ああ」
見送る三人の視線を受けながらジョセフの後に続き、承太郎は時差、と心の中でひっかかった単語を呟いた。思い起こされるのは、またひとつ、緒都との会話だ。以前にエジプトとの時差を聞かれたことがある。あの時はなぜ突然エジプトと思ったが、今ならその理由の片鱗を感じられる。あれは、確か雨の中を緒都が裸足で庭に立っていたとき。承太郎はそのときの光景を思い返して、歩きながらに考え込んだ。
行動には必ず理由がある。綺麗だったから。そう答えた妹の言葉の奥には何があったのか。妹が変わらずそこに居るのならと、もういつまでも知らぬふりはできない。緒都の行動にはきっと意味がある。

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