▼その信頼は無償


車に乗り込むとジジイが泣いていた。
冷静を保つために目にしたものを一言で表現してみるが、残念ながらイラッと来る気持ちは収まらない。どうやら緒都との最後のやり取りが聞こえていたらしい。大丈夫アピールのために張り上げた声が仇になったのだろう。感動で目頭を押さえるジョセフの大袈裟な仕草に加え、恐らくは花京院に通訳をされて状況を理解したらしいアヴドゥルが本気で感動して胸に手を当てているものだから余計にうっとおしい。花京院だけは「素敵な妹さんだ」と落ち着いた反応をしていたが……それでも車内の四分の二が麗しき兄妹愛ムードでいては……いや、何故か運転手まで感極まった顔で「ああ、なんと麗しきジョースターの血」と涙ぐんでいるから正しくは五分の三だが、ともかく場の空気はほとんど変わらず、やれやれだと承太郎は帽子を深くかぶる。このままふて寝を決め込もうかとも思ったものの、「まあまて、承太郎」とエジプト訛りの英語で声をかけてきたアヴドゥルによってその試みは阻止された。先程のことについてなにか言われるのかとげんなりしたのだけれども、どうやらそれが声をかけた理由ではなかったようで、アヴドゥルはタロットカードを取り出して承太郎に差し出す。
「カードの暗示はスタンドの暗示でもあり、運命の暗示でもある。さあ、一枚選ぶといい」
手渡されたソレを見て一番に浮かんだのは妹の顔だった。二枚のカードを腹の上に伏せて眠っていた緒都と、頭上に二つに分けられていたカードの山。しかし承太郎は脳裏に浮かんだ光景を振り払い、さっさと一枚のカードを選ぶ。くるりとひっくり返して見た絵の面にあるのは『THE STAR』の文字だ。一度振り払ったはずの妹の姿……というよりは、その手に握られていた二枚のカードのうちの一枚が再び頭に浮かんだ。絵柄こそ違えど、そこにある番号と文字は同じ。
「星のカード……命名しよう、君のスタンドは『スタープラチナ』だ!」
スタープラチナ。与えられた名をそっと反芻する。緒都があの手に星のカードと共に握っていたのは何のカードだったか。ぼんやりと覚えている柄面には、四つの生き物が描かれていた。
その時はそこで一旦考えるのをやめたわけだが、承太郎があのとき分けられていた山にどんな意味があったのかを理解する機会というのは案外早くに訪れた。それは搭乗開始までの待ち時間のこと。各々が時間を潰す最中、緒都に渡された手帳の中身を覗いたときのことである。
まず、絶句した。それは言うまでもない。
タロットカードの番号順に並べられたリストの中、その十七番目。『THE STAR/スタープラチナ/空条承太郎』。よくよく見れば、ジョセフ、アヴドゥル、花京院の名もリストの中に記されている。
未来予知というジョセフの例えが再び現実味を帯びた。承太郎のスタンド名が決まったのは、この手帳を渡された後であるのだから。
所々空白のタロットカードのリストの次には、耳に馴染みのない神の名前が連ねられている。その横にも、複数の名前が乗っている。しかし何より目を引いたのは二十一番目のタロットの名前。『THE WORLD/ザ・ワールド/DIO』。DIO、だ。
これはこの世界に存在するスタンド使いのリストだ。ページをめくった先でわかったことだが、それも今後承太郎たちに関わりを持つことになるスタンド使いのものである。それぞれ情報量に差はあれども、各スタンドについての情報が細かに記載してあるのだ。そしてそこには承太郎たちの行動も共に綴られている。
役に立つかはわからない、何の意味のないものかもしれない。緒都がそう言っていたことから察するに、信憑性については緒都も自信を持ってはいないのだろう。
頭の中に次々浮かんでくる妹の言動についても曖昧な表現が多い。「見たんだと思う」。あれは確か、例の紙に書かれた絵についてジョセフが尋ねたときだ。見た。ここに描かれているものを見た。だがそれが何なのかはわからない。未来なのか、なにか別のものなのか。緒都にはそれがわかっていない。自分の置かれている状況が理解できていないのだ。そしてそれをどうしたらいいのかもわからずに、それでも承太郎に託した。
託された承太郎はといえば、信じるかと問われれば間違いなく応、である。根拠はある。すでに複数の予期がされているのだから。だが己の命をかけてもいいのかと問われて誰もが迷いなく頷けるかと言われれば、普通ならば迷いもあるところだろう。それでも承太郎には妙な確信があった。元来博打打ちの気質を持ち合わせていることもあるが、一か八かの賭けと言うには勝ちを確信している部分が大きい。何よりの根拠は妹がしたためた手記である、という点だ。
しかしひとつ気になったのは、今から飛行機で向かうはずのこの旅を、海や砂漠や、やけに長い経路で綴ってあること。すなわち、この飛行機の旅は何らかの理由によって海路陸路を用いた長旅に移行するということだ。それが意味するのは、このまま飛行機に乗ることで何らかのアクシデントが生じるのだということ。緒都の予言を信じるのであれば、最悪今から乗る飛行機は落ちる可能性がある。
……だが、信じるからこそ、それを越えても承太郎たちは生きているのだとも確信を持てる。落ちると信じて乗らないか、落ちる訳がないと信じずに乗るか。選択肢は一見その二つであるようで、しかし実際は信じて乗る、という選択肢が存在する。承太郎が選ぶのは勿論それだ。心配するのは己の生死ではなく、今この道筋を外れることでせっかくの全てが無駄になるかもしれないということだ。その道筋しかわからないと言ったのは、変わって変化する先のことはわからないということだろう。
ならばこのまま。大筋は変えないほうがいい。本当に変えたいもの……見下ろした先の『死』という文字を、塗りつぶすために。
そう考えれば今回はむしろ丁度いい検証の機会だ。承太郎の確信の裏付け、という方が正しいかもしれないが。このまま飛行機に乗ってどうなるか。バードストライクでも起こそうが、ハイジャックでも起きようが、エンジン不良で墜落でもしようが、少なくとも今誰一人欠けることはない。
そういうわけでこの手帳のことは、この旅が記された軌道に乗るまで、ひとまず他の同行者には伏せておくことにした。いずれにせよ、安全を確保できた時点でしかこんな重要な話はできない。





結論として、飛行機は落ちた。航空機内に紛れ込んでいたスタンド使いによって操縦士が殺され、不時着を余儀なくされたのだ。飛行機の墜落は人生三度目だの、プロペラ機の操縦しかしたことがないだのと今更な情報を溢すジョセフを操縦席に座らせた承太郎の中に不安はなかった。問題ない。成功する。そうして妹の手帳にあるような事態が、きっとこの先で起こる。
その確信通り飛行機は海上に不時着。救助船に拾われ、一行は香港からの再スタートを切ることとなった。
承太郎は一人になったタイミングで手帳を開いてペンを握る。航空機内でアヴドゥルがもたらした情報によれば、あのとき襲ってきたスタンド使いは『タワーオブグレー』。この手帳のなかでは空欄になっていた部分だ。妹の弱い筆圧の中に並べて承太郎は空欄へとその情報を補完し、これは終わったと文字に重ねて一本線を引く。次に起こることはなにか、明確にその順番が示されているわけではないが……一通りは目を通した。あらかじめ例の紙片に目を通していた承太郎が留置場での状況に既視感を覚えたように、今後同じことがあればすぐに気づけるだろう。
そして、そのときは案外すぐにやってくる。香港のレストランで声をかけてきた観光客がそれだったのだ。『ポルナレフ、電柱みたいな髪形』。なんだそりゃ、と読みながらに思ったが、なるほど実際目にするとその通りだ。このフランス人はどうやらこのあと攻撃を仕掛けてくるらしいが、他のスタンド説明にも何度も名前が出てくる辺り、紆余曲折を経て旅に同行することになるのだろう。読みながら何だか不憫なやつだと思ったものだ。今ここで手帳を広げるわけにはいかないので、その詳細を改めて確認するわけにはいかないが。
もちろんそんな承太郎の思考など知るはずもないジョセフは、警戒しているのかいないのか、あっさりと男を同卓に引き入れた。大の男が揃いも揃って窮屈に顔を付き合わせたあげく、頼んだ料理はゲテモノと来たものだ。やってられないぜ、とため息をついて間もなく、顔をひきつらせながらも箸を取った男はついに行動を起こした。星形に切り抜かれた人参を箸で器用につかんで……そこからも完全に手帳にあった通りだ。ポルナレフのシルバーチャリオッツに対処するのはアヴドゥルのマジシャンズレッド。場所を変えての決闘を承太郎、ジョセフ、花京院で傍観して、結果はアヴドゥルの勝利。その後どうやらポルナレフにもかつて花京院に埋められていたのと同じ肉の芽が埋め込まれていたらしいと発覚し、それを除去したあとは承太郎の推測通りに男の同行が決まった。
そこで明かされたポルナレフの事情には、さすがに承太郎にも思うところはある。
「そこにいるワシの孫……承太郎にも妹がいる。許せぬ気持ちはよくわかるじゃろう」
求められた『確認』のためにはずしていた左手の義手に手袋をはめ直しながらジョセフがそう言うと、ポルナレフは承太郎を見て「そうか」と表情を緩ませた。ついさきほどまでの殺気を押し殺したような顔つきとは打って変わって、そこにはなんとも生暖かい慈愛の念が見てとれる。
『ポルナレフの妹の仇』。手帳の中のどれかのスタンドに書かれていた情報が頭の中に呼び起こされたのは当然のことだった。仇を探しているというのなら、その答えの一部は承太郎の中にある。
「ジジイ」
「お?」
「船に乗る前に話したいことがある。ちょっと面を貸しな」
あの手帳の有用性はこれで明らかになった。この情報は共にDIOへと立ち向かう仲間には共有されるべきであろう。これはポルナレフの襲撃が一段落し、もはや誰の目から見てもあの手帳が予言に間違いなくなった時点で考えていたことだ。例えそこに己の死の予言を見ることになる人間がいるとしても。
だがその前に、承太郎にも踏んでおきたい手順がある。ジョセフを呼んだのはそのためだ。くいっと顎でコンテナの影を示して歩いていけば、ジョセフは不思議そうにしつつも大人しくそれに従ったし、身内の内々の話、と受け取ってもらえたようで、わざわざ席を外しての会話に無粋な突っ込みを入れて来る誰かはいない。承太郎が先にジョセフと話すべきだと判断したのは身内という点も大きいが、すでにこの集団の中の中心人物として認めているからこそでもある。判断を仰ぐという意味でも、緒都に託されたこれを見せておく必要があると考えた。
「承太郎、どうしたんじゃ?話は構わんが……どうせ丸三日は船の上じゃぞ?別にそこででも……」
「船、だからな。条件に当てはまってる可能性がある」
「条件?何を言っておるんじゃ」
「これだ」
三人からは見えない位置に辿り着いてから、承太郎はスタンドを出現させて周囲に警戒を払う。突然出現したスタープラチナの姿に敵襲かとジョセフは一瞬身構えるが、承太郎があくまで動かないことから単なる人払いだと理解するのは早い。むしろ、そうまでする話の重要性に気を引き締めた様子で、差し出された黒い手帳を慎重に受け取った。
「これは?」
「出発前に緒都から受け取った」
「緒都じゃと?」
ここでその名が出るとは思わなかったのだろう。ジョセフは目を見開いた。が、その名がすでに重要な何かであるという認識は済んでいたので、手帳を開く動作はより慎重になった。緒都の名前と共にこうして何かを見せるのは二度目になる。一度目のカフェで見せた紙片……それと同じ類のものではあるが、今回はそれ以上に危険なものだ。
日本語は読めるな、と念のために確認するが、幼い頃の記憶にある通り心配はいらなかったらしい。ジョセフは一つ頷いてそれを肯定してみせた。そして案の定、黒い紐のしおりがかかったページを眺めてすぐ、その顔色は一変する。
「……なんと……」
「ポルナレフの件で信憑性に疑いの余地はなくなった。……俺としては、飛行機が不時着になった時点で完全な確信になったが」
「飛行機の時点で?」
「俺たちは飛行機でカイロに向かうって言うのに、そこに書かれてたのは数時間じゃあねえ、何十日に渡るであろう長い旅路だったからな。数時間で向こうに着くってのが叶わないとはわかっていた」
「お、おまえ、わかっていて試したのか!?呆れたわい!まったく、大胆なところは誰に似たんじゃか……あ、ワシか……」
「んなことはどうでもいいから、まずは『月』のカードと『力』のカードの詳細を見てみな。俺が船での話を避けたい理由はわかるだろ」
ダークブルームーン、ストレングス。どちらも船で起こるスタンドバトルの記録だ。となると船に乗った時点で近くに敵が潜んでいる可能性は高くなる。そんな危険地帯でこうも重要な話をできるはずもない。ジョセフはなんてことだと口元を覆いながらも、すぐに納得してくれたようであった。
「ポルナレフの妹の仇についても書いてある」
「何!」
「この旅で死ぬ仲間がいるとも」
「……な……」
「それによれば、どうやらあと一人……いや、一匹加わるらしいが……ともかく一緒に旅を続ける以上、あそこの三人にもこの話をすべきだと考えた。そして俺は、ある程度はこの流れに沿って進めていくべきだとも考えている」
「……確かに、流れを理解しているのであれば対策も立てやすい。被害を最小限に抑えることも叶うじゃろうな」
「そういうことだ。だが、俺の独断で進めるにも危険なところがあるからな。先にてめえに相談してる。……ジジイ、てめえはどうすべきだと思う」
ここで承太郎の考えが軽率だと言うのなら、ジョセフはそう考えるに足る根拠を示してくれるだろう。承太郎の考えが至らなかったというのなら考え直す余地はある。例え公開すべきでないと結論が出ても、承太郎自身がこれを無駄にしないことだけは変わらぬ決意であるのだから。ただ、どちらの結論を下すにしてもことは慎重に扱わねばならない。重々に承知しているジョセフも真剣な顔で考え込んでいる。
「……問題のひとつは情報そのものの正確性じゃが……それに関しては、すでに十分有力じゃの。それに承太郎、お前の言った一匹についてじゃが、実の所すでに要請は出している。なかなかに癖のある奴で、連れてくるのには手こずっているようじゃがの」
「……犬のスタンド使いってのはやっぱりマジなんだな」
手帳の中には、確かオランウータンもスタンド使いとして書いてあったか。それが確か、ストレングスという船そのもののスタンドであった気がするから、承太郎は船旅でオランウータンを見かけたら瞬殺すると心に決めている。一撃で意識を奪えば四方八方が敵スタンドそのものであっても問題はないはずだ。
「しかし承太郎、緒都の身の危険を考えると、うかつに情報を漏らすことはできん。ワシにとってお前やアヴドゥルは最初から信頼のおける相手。花京院については飛行機で身を張って闘ってくれた時点で信頼はしておる。だがポルナレフとはまだ出会ったばかりじゃ」
「何も今すぐにとは言わねえよ。てめえの判断がついたらでいい」
「……お前自身はもう信頼が置けると判断したわけか?」
「俺は緒都が書いたものを信じてる。そこにそういう男だと書いてあるから、そういう男だと認識してるってだけだ」
「そうか……」
ジョセフはぺらりとページをめくって、目を伏せ深く考え込んだ。しかし、ここにある情報を利用するという点に関しては異論はないようであったし、情報を共有するという点についても基本的には同意の姿勢を見せている。
問題はその時期、相手だ。ジョセフは己の中に一切の曇りない信頼がある状態でしかこの決断を下したくはないのだろう。しかし承太郎が指定した制限時間はもう僅か。低く大きな汽笛の音が、船の入港を宣言している。
「いずれにせよ、今は時間が無いな。次に安全を確保できるまで、ワシも必ず皆を見定めよう。承太郎、それまではまだこの手帳のことは隠しておきなさい」
「ああ」
まだ全てに目を通したわけではないのだろう。それでもジョセフは手帳を閉じて承太郎へと返し、それが学ランの内ポケットへと確かに仕舞われる様を見守っている。好奇心を切り離した状況判断のできる男だ。改めて下した評価は胸の内にしまいつつ、承太郎は何事もなかったかのように周囲を警戒し続けていたスタンドを戻した。
他の三人がいる港には既に船が停泊していた。

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