真田主従
大虎が病に伏せ、若虎が大将となった。
元より大虎に病の気があることに気づいていた蝸牛は、猿の報告に驚いた様子もなく、静かに微笑んだ。まるでこれから始まる芝居でも楽しみにしているかのような、期待の込められた笑み。きっと若虎は蝸牛を頼ることになる。そう近くない未来を想像し、猿はなんともまあと他人事ながら若虎を憐れんだ。
両の拳を床につき、頭を垂れる。
戦場での猛々しい姿はそこになく。なまくらの牙を持つ赤き虎は、疲労や悲哀の滲んだ顔で城主を仰ぎ見た。
「金を、貸していただきたい」
「まあ、そうなるよねぇ。兵としては有望かもしれないが、君は大将の器じゃないよ。ワシを頼ったのだって大方信玄君に言われたんだろう」
「……っ」
言葉を詰まらせた幸村の態度は、誰が見ても肯定であった。
実際、幸村がなまえを訪ねたのは信玄に言われたからだ。なまえならば甲斐の危機に手を貸してくれる。同盟国ということもあり、幸村は信玄の言葉を胸になまえに頭を下げることを決意したのだ。
だが幸村を迎えたのは刺々しい言葉。若輩者を謗る笑顔の城主と、その横に待機する自分が殺しかけた忍だけである。
もちろん予想していなかったわけではない。
兵に与える金を計算することなくどんぶり勘定でばらまいてしまったり、武器を相手の言い値で即決したり、気づけば武田を火の車へと追い込んだのは幸村である。
自業自得だと自分でも分かっており、もっと言うならば自分に大将の素質がないとも考えていた。
「ここで君に金を与えるのは簡単だ。だけれど、君はまた湯水のように使ってしまうだろうし、金勘定だって一朝一夕で身につくもんじゃない。幸村君、君は何ができる」
「……戦うことだけでござる。そう、戦うだけだというのに、某は……」
床についた拳に力がこもり、ぎりりと音を立てた。
眉間にシワを寄せる青年はまるで少年のように心底悔しがっているように見えた。幸村の態度を不可解だと首を傾けた城主は、はたと気づく。
「もしかして前にワシに負けたと思ってるのかい?」
人の心の動きに機敏であるのに、空気を読めない城主は真正面から尋ねる。
バッと勢い良く顔を上げた幸村の顔に朱が走り、なにかを叫ぼうと口が大きく開かれる。しかし、開口と同時に遮るような笑い声に、幸村は口をつぐむ。喉を鳴らすように笑い、肩をすくめる城主に、悪の総大将みたいだと佐助は思ったが、幸村と同じく口をつぐんだ。
「あれは不意打ちだからさ。正面堂々やりあって、ワシに勝ち目などあるはずがない。ワシの秘密を一つ、教えよう。ワシは体力や力がない。ひ弱で非力だからこそ、不意打ちや闇討ちのような姑息な手段に頼る。だけれど、それをそうと見せない術を知っている。だから、ワシが刀を向けた相手は妙な期待をするのさ」
「……何故、それを某に?」
「君のことを気に入っているから」
「……」
「そうも素直に嫌な顔をするもんじゃないよ。誤解せんでおくれ。ワシはキレイなものが好きでね、君の容貌が好ましいと思ってるだけだよ」
外見が好き。
正直な意見に、幸村は歪めた顔を戻すことなく、軽蔑すら滲む。失礼な態度を気にすることなく城主は続ける。
「だから、金を貸してあげよう。幸村くんの誠実な態度、熱き魂、強靭な肉体等々ではなく、君の見た目に免じてね」
「……」
「それが嫌なら交渉力を身につけることさ。ワシは将というよりは商人だ。ワシとの話は商談だとでも考えてくれればいい。武田が、甲斐が、他の国に買い叩かれることのないことを願っているよ」
「……確かに俺は商談が下手だ。それに、駆け引き等も苦手だ。だが、正直さと槍の腕ならば日の本一と言えよう。ゆえに!」
びくりと蝸牛の肩が揺れる。突如部屋に響きわたる声に驚いたわけではない。突然敬語を失った幸村に驚いたわけでもない。驚愕にて見ひらかれた目が映すは至近距離の幸村の顔。握られた手からは熱い体温が移る。
「俺が貴殿の友人として、その性根叩き直しましょうぞ」
「……え」
「先ほどから聞いていれば、わざと煽るような口ぶりと態度。それになんだ、この白くて細い腕は。それに目の下のクマも一日や二日でできたものでないだろう。めしも食わず、ろくに動いておらず、睡眠もとっておらぬとみた。これでは日ノ本一の商人になれぬぞ!」
「え、いや、ワシは別に……というかお金を借りに来たんだよね、君」
「話を逸らすな」
「(恐ろしいほどに話が噛み合わないし、噛み合う気がしない)佐助、助けてくれ」
「虎の旦那、その通りだからやっちゃってー」
助けを求めるも、ばっさりと裏切られ、城主は元々しろい顔を更にしろくさせる。
食べたくないし、寝たくもないし、ましてや動きたくもない。全身で拒否するものの、真正面から力では勝てないと言ってしまったせいか、全くびくともしない腕。上半身を後ろに傾けながらも引きずられる姿は散歩を嫌がる犬のようにも見えたと、後に佐助は語った。