■焦燥 3
「今頃どこらへんだろうな、調査兵団は。」
訓練兵団の今日の訓練が終わり、珍しくキース教官に呼び出され、執務室を訪れた。
「どこ、で、しょう、ね…。」
何事かと思ったら、まさかキース教官がお茶を用意していてくれて…。
私、何かミスしたんじゃないか、って、ドキドキしていたら、調査兵団の話になった。
「心配か?」
「え?」
お茶を啜りながら、キース教官が私に聞いてきた。
「私にも経験がある。…最も団長になってからはなかったが、もっと若い頃…、今のスプリンガーのように怪我をして、同行することが出来なかった長期遠征があった。」
キース教官は、不意に、夕暮れ掛かった窓の外へと目を向けた。
「置いていかれることへの恐怖。」
「…」
「それは『残された者』にしかわからん。」
窓の外は、オレンジが綺麗に広がる空だった。
「自分が不在の遠征で、大切な仲間が命を落としたら…。」
「…」
「悔やんでも、悔やみきれるものではない。」
あるいはその場に居合わせることが出来たなら…。
居合わせたのに、助けられなかったと、嘆くかもしれない。
だけど、『その瞬間』を共有することもなく、後から聞かされるよりは、ずっと良い。
「私、は、」
「うん?」
「兵士として、…自分ほど、役立たずな人間、いないと思ってます。」
「…」
「もし、この遠征で、エルヴィンさんや、ミケさん、ハンジさん、ナナバさんにゲルガーさんにディータさん。…リヴァイさんに、何かあったら、きっと、一生、自分が許せなくなる。」
「…お前は自分がわかってないな。」
「え?」
カタン、と、音を立てて、キース教官は立ち上がった。
「もう3年になろうとしているが…。」
「…」
「あの日、お前の進言がなかったら、我々はどうなっていただろうな…。」
それは、私の初めての遠征でのこと。
「あの日」巨人が北上していると、進言したことを指していた。
「我々が壁内へとたどり着いたのは確かに全てが終わった後だった。だがそれでも、『あの段階』でたどり着けたことに、意義があると思っている。」
「…」
「マリア奪還作戦にしても、だ。…お前とミケがいたからこそ、あの人数を救出できたと思っている。」
キース教官、真っ直ぐに私を見つめて言う。
「スプリンガー。お前が自分をどう思ってるかは知らんが、『あの日』居合わせた兵士は私を含め全員、お前に敬意を払っている。」
「…」
「それだけは知っておいてもらいたい。」
「…私、は、」
「大体にして、お前が今名前をあげた奴らはそう簡単に死んでやるようなタマじゃない。今の調査兵団において、1番『死』から遠い奴らだ。」
我々はただ帰りを待とう、と、キース教官は本当に微かに、でも「団長」の時は見ることのなかった表情で笑った。
…………まぁ、確かに。
私が日頃仲良くさせてもらってる人たちは、所謂「熟練兵士」と呼ばれる域の人たちで。
そう簡単にやられちゃうような人じゃないんだけど…。
それでも…。
「死なない保障なんて、どこにもないじゃない?」
「むしろその中に死んでくれて構わない奴はいるけどな。」
「…リコちゃん…。」
調査兵団が遠征に行く前は、あんなに書類整理に追われていて、休暇も休暇じゃなかったのに、いなくなった途端に休暇らしい休暇が出来るから、世の中皮肉以外の何者でもないと思う。
「けどまぁ、確かに壁外に行くと死亡率は上がるだろうが、」
「…」
「今のご時世『ここ』だっていつまで平和か、わからないだろう?」
「…え?」
今日はリコちゃんと2人、私たちが訓練兵の頃から美味しいと評判だったトロスト区のパン屋さんのパンを持って、ピクニック、の、ようなことをしていた。
「それって『ここ』も巨人に侵攻される、って、こと?」
「…そうさせないために、『私たち』がいる、ってこと。」
リコちゃんはパンを頬張りながら言う。
…あの後、遠征があって、私が怪我をして、そして訓練兵団に派遣されて、と続いていて、リコちゃんとこうもゆっくりした時間を持てなかった。
「なにか、あった?」
「え?」
「…ピクシス司令に、何か、言われた、と、か…?」
「なんでそう思う?」
「…なんとなく…?」
リコちゃんのこの言い方は、今のこの壁内すら、巨人侵攻に脅かされる、と言うもので…。
元々そんな考えなかったはずなのに、いきなりここまで仮定の話が飛躍するなんて、ちょっと…。
「言われたと言えば言われた。」
「なに、を?」
「来年度編成される班の班長をやってみろ、って。」
「………えっ!!?」
リコちゃんは、パンが入っていた包みをクシャッと丸めて言った。
「班長、って、リコちゃんの班が出来るの!?」
「うん。…最も、キッツ隊長を飛び越えての指令だから、隊長があんまりよく思ってないみたいだけど。」
「それ大変なんじゃ…、」
「んー…、けどまぁ…『うち』もそろそろ、防衛を本気で考えた時、内部改革をしないといけない時期なんじゃないか?」
そう言って、持ってきたコーヒーを傾けはじめたリコちゃん。
…防衛を『本気』で考えた時…。
やっぱり、どこか、変だ。
たぶん、リコちゃんは、司令から、何か言われたような、気がする…。
でもそれはきっと、兵団内のことで、外部には、口外してはいけないこと。
外部に口外してはいけないという物事はもちろん「うち」にもあることだから、責めるなんて、的外れなことだ。
だけど…。
「なんか、」
「うん?」
「…寂しい…。」
あんなに毎日、いろんな話をしていたのに…。
機密事項なんだから、仕方ないことなんだろうけど…。
特に今、104期の訓練兵たちと一緒にいるせいか、無条件で仲良くできてたあの頃が無性に懐かしくなってる。…気がする。
「は?お前クソチビがいないことがそんなに寂しいのか?」
「…リコちゃん、リヴァイさんとも何かあった?」
「…別に何もないけど、」
「うん?」
「アイツは存在自体が気に入らない。」
「…リコちゃん…。」
久しぶりにゆっくり話していたら、リコちゃんのリヴァイさんに対する呼び方が、ただの「チビ」から「クソチビ」に降格していた…。
「悪い人じゃ、ないよ?」
「けど良い人でもない。性格が捻じ曲がってる上、言動がわかりにくい。」
「…そ、こ、まで、性格捻じ曲がってるってわけじゃ、」
「あ!ほら、お前も早く食べな。空が曇ってきた。」
「え?あ、うん…。」
そう言われて空を見上げると、西の空に雨雲が広がっていた。
「…てゆうかフィーナ、ほんとにこの店のべーグル好きだよな?」
「え?」
「この店でべーグル食べてるイメージしかない。」
「…美味しいから、ここのべーグル。」
「もっと美味いのあるぞ?」
「このお店は、べーグルが1番美味しいよ?」
ふぅん、と言うリコちゃんを尻目にべーグルを頬張る。
…どうか、あの雨雲が遠征中のみんなのところまで、行きませんように、と、祈りながら。
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bkm