■覚悟の代償
生まれて初めて警察との追いかけっこをした翌日。
まだ薄暗い中帰ってきた俺を待っていたのはお袋だった。
「決めたの?」
白い服は目立つ。
とりあえずシルクハット、モノクルを外しジャケットを脱いでいたものの、いつもとは違う格好の息子にすぐ気がついたようだった。
「母さんは知ってたんだな」
「そりゃあ、私がノウハウ叩き込んだんだもの」
「………は?」
それからしばらく、お袋と話しをした。
怪盗キッドの誕生秘話。
「嘘だろ、怪盗夫婦だったのかよ…」
「まぁ、言うなればサラブレッドってところよ、あなたは」
ぜんっぜん嬉しくねーサラブレッドだ。
何が「王子様」だよ、真逆な家じゃねーか。
あ、
「やっべ、あおいちゃんと会う約束してたんだ」
時計を見ると日もすっかり昇り、そろそろ準備を始めたい時間になっていた。
「その事も決めなきゃだめよ」
俺が話しを切り上げて、立ち上がろうとした時、お袋が口を開いた。
「あなたがその道を進むと決めたのなら、あの子のこともどうするか決めなさい」
「…何?」
「今のあなたの選択肢は3つ。1つ、決して勘づかれずこの事に関しての一切を秘密にし今まで通り側にいること。…このままあなたの近くにいる以上、あの子にも一定数の危険が出てくるし、あなたにもしもの事があったとしても、彼女は知る術がない方法ね」
お袋は人差し指を立てながらそう言う。
「1つ、全てを打ち明けあの子を共犯者にする。…これは私はオススメしないわ。あの子はそういうタイプじゃないもの」
人差し指に続き中指も立てて言う。
「そして最後の1つ。あの子とお別れすること。あなたには酷な選択だけど、これならあの子を巻き込まなくて済む」
お袋はあおいちゃんの事を気に入ってたはずだ。
でも至って冷静にそう告げた。
「この事に関わることがどういうことか、きっとあなたもこれから身に沁みてわかることになる」
「…」
「だからこそ、あの子を絶対に巻き込まないという方法もあるのよ」
…違うか。
あおいちゃんを気に入ってるからこそ、闇雲に巻き込むんじゃねー、ってことか。
「愚問だな」
「え?」
「俺は共犯者になんてさせねーし、別れるつもりもねーよ」
「快斗、」
「何も変わらない。昨日の夜は何もなかった。いつもと変わらない夜だった」
「…」
「話しは終わったよな?じゃあ俺出かける準備するから」
そう言って席を立った俺に、
「それがあの子の幸せとは限らない、ってのは、忘れるんじゃないわよ」
お袋が言ってきた。
「あおいちゃんの事ほんと好きだよなー、千影さんも」
「あら、今さらでしょ。あんなに真っ直ぐに私を『お母さん』て呼んでくれる可愛い子、他にいないもの」
「可愛くない息子で悪うございました」
怪盗キッドになると言うこと。
…それは犯罪者になると言うこと。
「一生忘れられねー誕生日だな」
誰に言うわけでもない言葉が空を切る。
あの子が「家族」と呼んでいる工藤新一は、サッカー界とはすっぱりと縁を切り、高校生探偵として頭角を表し初めている。
警視庁もアイツを頼り出してんだとか。
犯罪者の俺と、探偵のアイツ。
親父の死の真相を突き止めること、仇を打つこと。
そう決めたことに後悔はないし、それを曲げることはないだろう。
ただどうしようもなく心に浮かぶ言葉は「なんで」だったり「どうして」だった。
今の俺がそれを選ぶつもりは毛頭ない。
でもこの日初めて、あおいちゃんから離れると言う選択肢が心の中に芽生えたのは紛れもない事実だ。
「快斗くん、何かあった?」
そんな俺に気づいてんだか気づいてないんだか、家に行ったらあおいちゃんが不意に聞いてきた。
「何かって、なんで?」
「え?うーん…、なん、か、ちょっと違う?」
上手く言えないんだけど、と言うあおいちゃん。
…この子はポーッとしてるようで、よく人を見ていると思う。
「んー…ちょっと寝不足?」
「大丈夫?眠れなかったの?」
心配そうに俺の顔を覗き込んでくるあおいちゃんに、お袋に言われた言葉がフラッシュバックする。
「そうだ!じゃあ少し寝る?枕いいよ」
太ももをパンパンと叩いてあおいちゃんは言う。
「…へ?」
「この前園子にしたら私の腿ちょー気持ちいいって言われたんだー!蘭は筋肉つきすぎてダメなんだって」
だからいいよ、とあおいちゃんは言う。
…いやいやいやいやいや、俺今少しメンブレ起こしてんのに膝枕とかされたらもう
「大丈夫だから、どうぞ!」
にこにこ笑うあおいちゃんに、抗うほどのメンタルが今はない俺は、
「じゃあ…失礼します、」
「どうぞー」
膝枕してもらうことにした。
…やべー、マジで気持ちいいこの枕。
「快斗くんはさ、頭良いから考えすぎちゃって眠れなくなっちゃうんだよ」
いつも俺があおいちゃんの頭を撫でるけど、この時ばかりは逆で。
「そんな難しく考えなくても案外するっと上手くいくものだよ」
あおいちゃんはまるで子供をあやすかのように俺の頭を撫でた。
「例えばの話、」
なんでこんなことを聞いたのか。
「あるかどうかわからない危険回避のために、自分の思いとは裏腹なことをしなきゃいけない時がきたらあおいちゃんはどうする?」
自分でもわからないけど、そう聞いていた。
無意識に顔を右腕で隠しながらそんなことを聞く俺の姿は、その漆黒の瞳にどう写るのか。
「え、しなきゃいいんじゃないの?」
なんて考えている時、あおいちゃんが予想外の事を口にした。
「だって『あるかどうかわからない』んでしょ?じゃあないよ」
思わず腕を退けて、下からあおいちゃんの顔を見上げたら、あおいちゃんも俺を驚いたような顔で見ていた。
「いや可能性の話しでさ」
「あのねー、快斗くん。起こるかどうかわかんないこと考えてても時間の無駄だって。『あるかどうかわかんない』ならそれはもうないんだよ!なのに自分が思ってることとは違うことしなきゃなの?それおかしいよ」
あおいちゃんは、何言ってんだオメー、みたいな顔で俺を見る。
「『あるかどうかわかんないこと』がもし起こったら、それはその時考えればよくない?なんで今そんなこと悩むの?」
思わず起き上がって頭を掻いた。
いろんな可能性を考えた上で行動する俺に、この考えは新鮮すぎた。
でも
「あおいちゃん」
「うん?」
「やっぱ添い寝して。一緒に寝よ」
少し心の靄は晴れたのは確かで。
「あおいちゃん、シャンプー変えた?」
「そう!夏用に変えてみたの」
「この匂いいいね。夏っぽい」
あおいちゃんの髪の匂いを思い切り吸い込み、昨夜からの出来事を完全に自分の中に落とし込むためにもゆっくり瞳を閉じた。
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bkm