■32
「七海ちゃーん!こっちこっちー!」
それからさらにしばらく経って夏も終わりに差し掛かった頃、当初の予定よりも遅れて快斗さんは帰国した。
なんでも警察の聴取や契約、保険の関係でちょっと手こずり、即帰国はできなかったそうだ。
「はい、これ七海ちゃんのお土産ねー」
今日は快斗さんが車を出して、ドライブに連れて行ってくれることになった。
長袖を着ている快斗さんが包帯を巻いているのかまではわからないけど、でも左手はあまり使わないようにしている気がした。
「怪我、まだ痛むんですか?」
快斗さんからのお土産をありがたく頂いた後で、気になることを聞いてみた。
左手は単なる打撲ではなく、機材に引っかかって切れてしまった上でそこを強打したとのことだ。
「あー…もっと早く治るかと思ったんだけどね」
歳かなー、なんて笑ってるものの、実は私が思っている以上に深い傷だったのかもしれない。
「大丈夫ですか?」
「少し腕が上がりづらいくらいでもうほぼ大丈夫だよ」
指も動くしね、と手をグーパーして見せた。
マジックは繊細な手の動きが肝。
神経がヤラれたとかではないようで、とりあえず安心した。
「今日はどこに行くんですか?」
「山」
車内ステレオから流れる曲にご機嫌に鼻唄を歌っている快斗さんは、目的地をざっくりと言うに留まった。
「たぶんね」
「はい?」
「まだ咲いてると思うよ」
「…何が?」
「それは着いてからのお楽しみ!」
ふんふふーん、と鼻唄を続ける快斗さん。
…「まだ」咲いてると思うもの。
夏の終わりの今も咲いてるもの。
山と言うことだから、平地よりも咲きが遅いし、それはもしかして…。
「ほら!見えてきたぜ?」
快斗さんの声と共に視界には
「ひまわり畑!」
やっぱりとでも言うのか、これでもかというひまわりが咲いてる場所が飛び込んできた。
「あー、近くに来るとちょっと時期遅かった感じもするな」
車を止めてひまわり畑の方へ行くと、最盛期よりもどちらかというと散り始めのひまわりたちが出迎えてくれた。
「どうしてここなんですか?」
「嫌だった?」
「そんなことはないですけど、」
なら良かった、と明らかに見て取れるほど安堵の息を快斗さんは吐いた。
「俺、山で暮らしたいんだよねー」
ひまわり畑の中をのんびりと歩いていると、不意に快斗さんが口を開いた。
「田舎に憧れがあるんですか?」
「憧れ、っていうか…んー…なんて言うのかなー…」
ひまわりの花言葉は「あなたを見つめている」だそうで、その言葉通りに、まるでひまわりたちに見つめられているような錯覚にすらなる。
「いろんなしがらみ捨てて、山のてっぺんでなーんにも考えずに満天の星見ながら過ごせたらなー、って思ってんの」
ちょっとジジ臭えな、と快斗さんは左腕を擦りながら自分で言って笑っていた。
…彼の言う「いろんなしがらみ」がどんな事を指しているのか。
今聞いたら教えてくれるのかもしれない。
でもそれは、「今の私」が聞いていいことでは、ないような気がする。
「…確かに、満天の星空は見てみたいですね」
「でっしょー?でも七海ちゃんを星見に連れ回すのはまだ早いかなーって一応気遣って、昼間のひまわり畑にしたの」
「別に星を見るだけなら早いも遅いもないと思いますが」
「は!?何言ってんの!暗闇デートなんてして、何が起こっても知らないよ?」
「どんな期待してるんですか!」
触れて良いことといけないこと。
この関係を続けていくためには、その境界線をしっかり見極めていかなければいけない。
それはもう、私の中でこの関係を維持する方へとベクトルが合っているということで。
警官としての私。
1人の女としての私。
彼のかけた魔法は、私自身にその生き方を問うほどのものに化けようとしていた。
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bkm