■16
「いらっしゃいませ」
「…あれっ?遅れちゃった?」
21時48分。
入り口のドアが開き入ってきた男性は私の姿を見つけるとそう言いながら近づいてきた。
「いえ、私が早く来たんです」
すみませんと、3分の1ほど口をつけた飲みかけのカクテルを軽く持ち上げた。
「うわ!ごめん、待たせちまったんだな」
「私こそ先に飲んでてすみません」
「いやいや、飲んで飲んで!じゃあ俺はー」
バーテンダーに快斗さんが注文すると個室に移るか聞いてきた。
「んー…、今日は止めておこうかな。もう少し距離つめてから使わせてもらいます」
ね、と快斗さんはステージで見せた顔とはまた違う笑顔で私に言ってきた。
「じゃあ、今日は見に来てくれてありがとう」
「お疲れ様でした」
快斗さんの前にもカクテルが出され、2人でカン、と音を立てて乾杯した。
「ほんとは来てくれないかと思ってた」
アルコールを一口、口に含んだ後で快斗さんは言った。
「…本音を言うとあまり乗り気じゃなかったんですが、中森警部にまで言われたので」
「そっちじゃなくて、ここに」
ここ、とカウンターテーブルを指差しながら快斗さんは言った。
あぁ…。
「あんなことされたら、拒否権てなくなりません?」
全くのマジシャンと観客という関係で、先ほどのマジックをされたらきっと純粋に喜べたと思う。
でも既に私たちは出逢っていて、彼は意図的に私を選びあのマジックを見せた。
ああいうメッセージを添えて。
それならもう、私に拒否権なんてほぼないようなものだ。
「そんなこともないけどなー」
とぼけたように快斗さんは笑い、グラスを傾けた。
「ん?でもショーに来るのは乗り気じゃなかったってこと?」
私の方に体を向け、覗き込むような仕草で聞いてきた。
「…知ってて先手を打ったと思ったんですが?」
「知らない知らない!ただ手堅く行っときたいなーと思っただけだよ」
「手堅く、ですか?」
「そ!だって佐藤さんとどうしてもお近づきになりたかったし」
見事成功したわけだ、と快斗さんは満足そうに頷いた。
「何故?」
「え?」
「どうして『お近づきに』なりたかったんですか?」
私の言葉に何度か瞬きをした後で、
「そりゃー、一目惚れした子、お近づきになりたいでしょ」
パチンと音が出そうなほどの綺麗なウインクをしながら言った快斗さんを見つめながら、今度は私が忙しなく瞬きをした。
「………そういう冗談は好きじゃないです」
「冗談じゃないから言ってるんだけど?」
本当におかしそう笑う快斗さんは、やっぱりステージのそれとはまた違っていた。
「そ、れは、どうも…?」
「どーいたしまして」
一目惚れだと言われ、どう答えていいのかわからずとりあえずお礼とも言えない言葉を口にした私を、快斗さんは笑顔で受け止めた。
「佐藤さんて案外口説かれ慣れてない?」
その一言に思わずゴフッと飲んでた物を溢しそうになった。
「…なんでそう思うんですか?」
「勘」
私の問いに即答され、どう答えてみようもなくなってしまった。
「俺ちょっと勘違いしてたかも」
「え?」
「佐藤さんて、警視庁期待の才女って言われてるんでしょ?だからもっと男を冷たくあしらうのかもなーって勝手に思ってたんだけど、」
「けど?」
「ほんとは男に慣れてないだけの女の子だったんだな、って」
ぽん、と頭に手を置かれ、思わず目を見開いた。
「快斗さんは、女性の扱いが上手そうですね」
「あ、それ」
「え?」
「佐藤さんが名前で呼んでくれるなら、俺も佐藤さんを名前で呼んでいい?」
自分が名前で呼んでいる手前、断る理由なんてない私は、頷くことで返事をした。
「ありがと、七海ちゃん」
この日の快斗さんに対して恋愛的な意味で好意があったのかというと、自分でもわからない。
だってあのショーで自分にだけ特別にあぁいうマジックを見せてくれた、そういう第三者に対する優越感にも近いような高揚感は確かにあったわけで。
でも=それが恋なのか言われたら、それはどこか違うような気もする。
だけど初めて名前を呼ばれたこの瞬間、確かに胸が鳴ったのは覚えている。
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bkm