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誘惑の雨を降らせて


2


授業も終わり放課後、委員会の仕事を終えた私は、帰宅の途につこうと教室を後にして下駄箱へと向かっていった。


雨は弱まるどころか更に強く降りしきる。雨と授業が終わって時間が経過しているせいか、学校内は閑散としていて先生たちと僅かな生徒しか残っていないようだった。


私も早く帰ろう、そう思い、下駄箱で靴を履き替え歩き出す。その時、昇降口に一人の人物の姿を見つけた。その姿に見覚えがあった私は、歩み寄ると彼の名前を呼んだ。


「どうしたの? 新一。今帰り?」


私の言葉に振り向きながら、微笑みかけてくる新一。その笑顔に心臓が大きく鼓動を鳴らす。


「ああ、そうなんだ。……って、オメーも今帰りか? 随分遅いんだな」

「委員会の仕事をやってたら遅くなっちゃってね……。それより、新一はこんなところで何をしているの?」

「えっ……? あ、いや、その……」


口籠りながら新一は空へと視線を向ける。暗く厚い雲は依然として大粒の雨を降らしており、私もそれを見ればようやく納得がいった。


「……もしかして、傘、忘れたとか……?」

「え、あー……、まあ、何と言うか……。その通り、だけどよ……」


一瞬言い訳をしようとしたのだろうか、素直に忘れたと言えば良いじゃない。新一の態度におかしくなり、ついからかってみたくなる衝動に駆られる。


「全く……、洞察力と推理力は探偵の基本でしょ? これくらい予想出来なくて、立派な探偵はつとまらないんじゃない?」

「……ったく、うっせーな……」


すっかり拗ねてしまった表情を見せる新一に、更に笑いが込み上げてくる。しかし直ぐにそれも治まると、今度は心配になって問い掛けた。


「でも、これからどうするの?」

「あー……、どうすっかなあ……。止むまで待つかな……」


しかし雨は止むどころか、弱まる気配さえ見せない。しかも此処は学校なのだから、いつかは鍵を掛けられてしまうだろう。そうすれば待つ事さえ出来なくなってしまう。


どうしたら良いのだろうか、そう考えつつ俯けば、視界の端に自分が手にしている傘が入る。それを見た瞬間、私は何の迷いもなくそれを新一に差し出していた。


「じゃあ、この傘を使って!」

「……え? その傘を使えって、それじゃあオメーはどうするんだ?」

「私は教室にもう1本傘を置いてあるから大丈夫よ!」


教室にもう1本傘を置いてあるなんて、真っ赤な嘘だ。私だって今日はこの傘1本しか持っていない。しかし新一を置いて帰るなんて出来ないし、かと言って一緒に帰ろうだなんて、そんな事恥ずかしくって言えやしない。


だって、1本の傘で一緒に帰ろうって事は、それ即ち“相合い傘しない?”と誘っているようなものだから。確かに、したくないと言う訳ではないのだが、女の方から誘うのは勇気がいるんだから。


それに新一にとって私と言う存在は、ただの幼馴染みでしかないのだから。恋人同士であったなら誘う事も出来るのだろうが……、そう考えていれば虚しさが胸に込み上げてくる。


「じゃあ私は教室に戻るから、先に帰って! また明日ね!」


持っていた傘を無理矢理新一に押しつけながら、私はそう言った。そしてこれからの事について考える。


もしかしたらまだ蘭が学校に残っているかもしれない。その場合は蘭の帰りを待って、蘭の傘に入れてもらおう。勿論、もう部活は終わってとっくの昔に帰っている可能性も否定出来ないが。


その場合はどうしようか……、まあ、暫く待ってから濡れて帰るしかないか。それでも今は教室に行く振りをしなければ、新一に嘘を吐いていた事がバレてしまう。


それだけは何としてでも阻止しなければと思い、踵を返し歩き始めようとした。しかしそれはとうとう実行には至らなかった。私の腕を掴んだ、新一の手によって遮られてしまったのだ。


「……新一?」


振りかえるとそこには、真摯に私を見つめる新一の姿があった。その眼差しに胸をときめかせていれば、彼はとんでもない事を言い出した。


「……帰るぞ」

「…………はぁ?」


あまりに唐突な内容に、思わず間抜けな声を出してしまった。しかし新一はそれに怯む様子も見せず、掴む手に力を込めて私の身体を引っ張った。


「一緒に帰るって、そう言ったんだよ!」


頭の中はすっかり混乱しきってしまい、思考能力は完全に停止してしまう。


一緒に帰るって何!? もしかして本当に相合い傘をするって言うの!?


「そ、そんなのダメだってば! 蘭に知られでもしたらどうするのよ!」

「は? 何で今蘭が出てくるんだよ!」


新一ってば、時々私に残酷な事を言う。それを、私の口から言わせたいと言うの。分かっているんだから、私には。新一の気持ちが。心の奥深くが痛みを上げる中、私は新一に掴まれた手を解こうと必死になっていた。


「そ、それは……。……そ、そんな事よりも、そんなに恥ずかしいならいいってば!!」

「はあ!? 俺がいつ恥ずかしがってるってんだよ!!」

「恥ずかしがってるじゃない! ならなんで、そんなに耳まで赤くしてんのよ!!」


私がそう言い放つと、新一は黙りこくってしまった。ホラ、やっぱり、私の言った通りじゃない。


「これは、その……。恥ずかしがっているとかじゃなくて……」


しどろもどろに答える新一に、説得力に欠けると考える。どうせ私みたいなのと相合い傘をしながら帰るなんて、恥ずかしいと思っているんでしょ。


「……そうじゃなくて、これはだな――……」


言い訳はもう良いから、早く帰ってってば。一緒に帰ろうと誘われた時の喜びと、恥ずかしがられていると知った時の寂しさ、虚しさと言う感情を表す今の私の表情を、これ以上新一に見られたくないから。


「あーッ! クソッ! 良いから帰るぞ!!」


しかし新一は何かに耐えきれないと言った表情で叫ぶと、私の腕を掴む手に力を込め、一気に自分の方へと引き寄せた。


「えっ!? やっ! ちょっと、新一!!」

「暴れるなって! 濡れてーのかよ!!」


傘を広げ歩き出す新一に連れられ、私も足を動かす。程なくして傘に雨が当たるのを音で確認すれば、もう後戻りは出来ないと知る。


嬉しいのか悲しいのか分からないまま、二人で校門をくぐり抜けた。

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