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誘惑の雨を降らせて


3


降りしきる雨の音、傘に雨が当たる音、直ぐ傍の車道を走る自動車の走行音、そしてその自動車が水を跳ねる音。周囲の音だけがやけに大きく耳に残る中、新一の声は聴こえない。私も、何も言わない。


雨の音さえなければ、このような沈黙にはきっと耐えられなかったのだろう。しかし元はと言えば、雨さえ降らなければこのような状況は決して訪れなかったのだが。新一が傘を忘れさえしなければ。


一体どうして、このような状況に陥ってしまったのだろう。鞄を両腕で抱え込むように持ち、俯き加減に歩いていた私は心の中で人知れず溜め息を吐く。


しかし意識は前方ではなく、私の直ぐ右隣にあった。私の傘を左手に持ち、私の直ぐ隣を歩いている新一に。今のこの状況が全く嬉しくないと言う訳ではないが、それでもそろそろ沈黙に耐えかねてきた私は、意を決して口を開いた。


「……ねえ、新一……」

「……ん? どうした?」


私は俯きながら声を掛けたため新一の今の様子は分からないが、その声の様子から推察するに、機嫌はそれほど悪くはなさそうだ。顔を上げて右を向けばすむ話なのかもしれないが、流石にその勇気は持てなかった。


それに、私の今の顔を見られたくなかった。喜び、悲しみ、困惑……、それらの感情を映し出しつつも、赤く染まっているに違いない私の顔を。


「……な、何で私と一緒に、帰ろうとしたの……?」

「何でって、そりゃあオメー、決まってんだろ?」


緊張に声を震わせながら、一番聴きたかった質問を投げ掛ける。すると、意外な答えが返ってきた。


「オメー一人ズブ濡れで帰らせた挙げ句、風邪を引かせる訳にはいかねーからさ」


それを聴くや否や、先程までの気まずさなどすっかり忘れ、新一の方へと視線を向けた。


「な、何でよ! 私もう1本傘が――」

「そんな見え透いた嘘に騙されるとでも思ってんのか? 分かってんだよ、オメーが持ってたのはこの傘1本だけだって事はな」


……何で、バレたんだろう。その思いを込めて新一を見つめれば、それに気づいた新一は瞳を細め口元を緩ませた。


「バーロォ、昔から分かりやすいんだよ、オメーはな」


つまりは最初からバレていたと言う事だ。悔しいなあと思いつつ、視線を再び下へと向ける。道路にはいくつもの水たまりが出来ており、たった今降ったばかりの雨がその中へと吸い込まれていく。無数の波紋が生まれては広がり消えていく中で、そのうちの一つの水たまりに新一の靴が入り込み、中の水が跳ね上がった。


「オメーはいつでも自分の事は後回しで、他人の事ばかり考えちまうから、見てるこっちとしては気が気でねーんだよ」

「……それで、最終的には新一が助けてくれるんだよね」

「そりゃあまあ、それは当然の事――、……って、名前、オメー何離れてんだよ」

「え……? だ、だって……」


1本の傘に二人で入っているのだから仕方がないのだが、あまりの至近距離に心臓は破裂しそうになるほど高鳴り、ついには呼吸困難感まで覚え始める。


「そんなに離れると濡れるぞ」

「だ、大丈夫だってば……」


それよりもこの距離感の方が正直言って心臓に悪いから、そう思いつつもう少しだけ新一から身体を離そうとした。その時だった。


「……ったく、しゃーねーな……」


その言葉が耳を掠めたかと思えば、新一は鞄を右腕と身体の間に挟ませ、傘を左手から右手に持ち替えた。そして次の瞬間、左肩を触られる感触を感じれば、再び新一は私の身体を引き寄せた。


「ひゃあぁッ! な、何するのよ! 新一の痴漢!!」

「チカ……ッ! ふざけるな! 誰が痴漢だ! 誰が!!」

「だ……、だったら手を離してよ!」


あり得ないってば、相合い傘で下校した挙げ句、肩まで抱かれている場面を誰かに見られでもしたら、どんな噂を立てられるか分からない。万が一その噂が蘭の耳にでも入ったとしたら、蘭がショックを受けるのは当然なのに。なのに新一はどうしてだか私の肩から手を離してくれなかった。


「手を離したら、また俺から離れようとするだろ? 濡れるじゃねーか」

「だ、だからそれは大丈夫だって言ってるじゃない……」

「ダメだ。それは許さない」


その言葉とともに肩を抱かれる手に力が込められる。振り解こうなんて思う気すら起こさせないその力強さに、胸が苦しくなっていく。


「……ら、蘭が知ったら、誤解されちゃうよ……?」


やっとの思いで振り絞った言葉、その言葉を言った後に再び沈黙が訪れる。自分がした事を後悔しているのか、それなら早く手を離してくれないと、私の心臓がこれ以上は限界だと叫んでいる。


しかし依然として新一は手を離してくれないから、気まずさは更に拍車を掛ける。そうこうしている内に、新一は急に立ち止まったかと思えば、こう呟いた。


「……着いた」

「……え?」


新一の言葉に私もようやく顔を上げる。ふと視線を横にずらせば、そこには見慣れた新一の家の門扉があった。因みに私の家は新一の家から数軒離れた先にある。


「……今日は、サンキューな」

「あ、ううん……。どういたしまして……」


気まずさと恥ずかしさから、言葉遣いまでぎこちなくなっていく。そして左肩に感じていた新一の手が離れていくのを感じれば、安心する反面寂しさを覚える。差し出された傘を受け取りつつ、最後に顔を見ながら挨拶をしようと顔を上に上げた時、身体に再び温もりを感じた。


それが抱きしめられていると理解するまでには数秒の時間を要した。そして理解してからは頭の中が真っ白になっていく。一体、何故、こんな事が?


「……蘭は、誤解したりはしねーよ。何故ならアイツは、もう既に何もかも分かっているんだからな」


一体何が、とも疑問を抱く事すら出来なかった私は、黙って新一の言葉に耳を傾けていた。


「それよりも……、俺は――」


新一の吐息を耳元で感じれば、身体は硬直し更に動けなくなっていく。抱きしめられる腕に更に力を込められれば、心臓の鼓動は速まり続け、呼吸をするのさえ一苦労だ。


「俺は……、オメーに誤解される方が辛いんだよ」

「…………え?」


やっとの思いで呟けば、新一はゆっくりと私の身体を解放した。そうすれば自然と、視線がぶつかる。まだ上手く頭が回っていない状況で、それでも私はこの言葉を口にした。


「それって……、どう言う、事なの……?」

「……ッ! そ、それは、だな……。つまり――……」


恐らく、今の私の顔は真っ赤に染まっている事だろう。しかしそれと同じくらいか、それ以下か、それ以上なのかは分からないが、新一の顔も赤く染まっている。


「〜〜ッ! いい加減に気づけよ! この鈍感女!」


いきなり新一にそう怒鳴り散らされた私は、一瞬呆気にとられてしまう。その隙に新一は門扉を開け、家へと向かって行った。


「なっ! 何よ、それ……」


反論の言葉を述べようとしたが、それは雨の音に遮られて新一には届かない事だろう。そして一人その場に取り残された私は、先程まで新一が握っていた傘を強く握りしめる。傘の取っ手には、新一の体温はもう既に残ってはいない。


「……ちゃんと言ってくれないと、分からないよ……。新一のバカ……」


しかし私の身体には、いつまでも新一の体温が残っているように感じるから、暫くその場から身動き一つ出来ずにいた。


絶え間なく降り続ける雨の音さえも、その時の私の耳には届かずに、新一の言葉だけが頭の中で繰り返されていたのであった。







...end.

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