■59
「名前ちゃん、もう大丈夫?」
「はい、ご心配おかけしました」
「いいのよー!じゃあ今日は万座のお湯でゆっくりしましょうね!」
「はい!」
お粥に薬が効いたのか、翌朝目が覚めたらだるさもなくすっかりいつも通りになっていた。
…お粥パワー侮りがたし。
「工藤先生!取材はどうなりました?」
「ああ、お気になさらずに。元々次回作は南の方を舞台にしようと思っていたのでその考えが固まったかな、という感じです」
だったら最初から意味なかったじゃないか、軽井沢…。
いや、奢りだしおいしい思いもさせてもらったしいいんだけどさ。
「あまりお役に立てずすみませんでした」
「いやいや。十分役に立ってますよ」
「え?」
「うちの愚息をモデルにしたものを書くのも実に楽しいかと思ったんでね」
「ああ…」
それは爆笑小説になること間違いないだろう。
推理で決めるところは決めれても後はほぼポンコツっていう主人公の推理小説もなかなか読み応えありそうだ。
…いや、途中で主人公にイラつくのがオチだな。
「新ちゃんたちは?今日は真っ直ぐ万座に向かうの?」
「いやこっから1時間くらいだろ?だったら昨日出来なかった買い物してから行く」
「そう?じゃあ私たち乗馬していくから!」
「有希子さん乗馬されるんですか?」
「ええ。乗馬してる!ってほどしてないんだけどね。でもここに来たら1度はしてから帰るのよ」
「なるほど」
さすが上流階級。
そしてさすが軽井沢。
ポニーかアルパカくらいしかいないうちの田舎とはわけが違うわ…。
「…名前も乗馬したかったりする?」
「いいや、買い物がいい」
「だろうと思った」
昨日行きそびれたし、思う存分買い物して行かないと。
時期的にバーゲンも始まってるだろうし、ここは気合を入れて行こう。
「そういえば新一くんはここのアウトレットには来たことあるの?」
「あー…あるっちゃあるけど、俺興味ねぇからあんま覚えてねぇや」
「それっぽいね」
今でこそ、だいぶ私好みのファッションをするようになったけど、初めて会った時はそりゃーもう酷かったから。
あれで興味あるって言ったら指差して嘘だって言ったな。
「前に来た時も思ったけど広いところだよな…」
「そりゃー、ここに来るためだけに軽井沢来る人がいるくらいだからね」
「おんなじような店にしか見えねぇ」
「…今自分の美的センスのなさを露呈したね」
「ウッセ」
もう少し、お洒落に目覚めてくれたらいいんだけどなぁ…。
「なに?」
「なんでもない」
ま、あれもこれもと望みすぎても良くない。
目の前にいる、彼そのままで受け入れればいい。
「ここ、紅葉シーズンに来ると景色良くていいんだよね」
「結構来てんの?」
「そうだね。東京から来やすいし。紅葉見に車飛ばして来たりしてたよ」
「…誰と来たんだよ」
「なんか言った?」
「…何も言ってねぇ」
「そう?」
ほんとは聞こえてたけど。
新一くんのこういう感情、嬉しくもあるけど、正直戸惑う。
この年で、新一くん以外の男との思い出がないわけ、ない。
私が蘭ちゃんのことで頭を抱えるように、この子も「過去の男」に頭を抱えているんだろうか。
…私が初めての恋人ならなおさらかもしれない。
こういう場面でも、年の差を感じるんだって、初めて知った。
「名前後は?買うのねぇの?」
元々忠犬執事だったけど買った物を嫌な顔1つしないどころか、さも当たり前な顔で持つんだからほんと、工藤家の教育方針には頭が下がる。
「うん、もういいかな」
これ以上は財布が大打撃だし。
私の意見から、車に向かうことになった。
自分は荷物持ちながらも助手席のドアを開けるのがすごい。
「1時間もかからないらしいけど、真っ直ぐホテルに向かうか?」
「んー…。あ、」
「あ?」
「屋上貸し切り露天風呂に入らなきゃじゃないか!」
「…ああ」
万座のホテルの屋上から見る景色はさぞ綺麗なことだろう。
自分から誘っておきながら赤くなるのは、工藤新一の工藤新一たる由縁にすら思う。
「楽しみだね、露天風呂」
「…おー」
赤い顔の運転手に上機嫌の私。
私たちを乗せた初心者マークが輝く車内に、携帯電話が鳴り響いた。
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bkm