どうしてか、そのとき私は記憶を遡っていた。 何年も前の、とても大切だったひとを思い出していた。失うのが怖いと泣いたこともあったのに、自ら手放してしまった恋心。 今では若気の至りだったと、あれもいい思い出だと、未練も後悔もないはずなのに、どうして今さら、こんな時に? 薄暗い部屋で愛する人と肌を重ねた後。昔の恋なんか思い出す余地も無いはずなのに。 「マユさん?」 「――…はい?」 しゅるっと衣擦れの音がした。 ベッドから離れた椅子に座り、月の明かりだけが照らす窓の外を見ている私は、彼が今ベッドの上でどんな格好をしているかはわからない。 「どうしてそんな顔するんですか」 「…そんな顔って?」 「……私だけ幸せに浸ってるのが馬鹿みたいです…」 そんなことはない。心で答えた。 声を頼りに彼の表情を想像する。 少し拗ねている。口を尖らせて、私を上目遣いで睨んでいる、きっと。 「ねぇ私、どんな顔してたの?」 ギシッとベッドが軋んで、風が流れる。 近づく気配。 「……今にも、ここからいなくなりそうな……、」 月明かりのあたる床にゴツゴツとした足が見えて、あ、と思う間もなく頭が引き寄せられた。 少し強引に腹に押し付けられたら、彼の体が生きる音が聞こえた。 呼吸や、鼓動が私に寄り添う。 「ちゃんといましたね」 「…ふふ、いるよ」 「…………いつも、どこか寂しい…」 「…え?」 「人間はみな、そうなのだと思いますが…」 「………うん」 「寂しいですが、寂しさを埋めてくれるだけの存在ではなく、私はマユという存在が欲しいです」 私の髪を梳く指が止まった。 竜崎の心が震えている気がして、ゆっくりと腰に手を回す。 すぅっ…と彼が息を吸った。 「あのね、思い出してたの。昔…の、」 「…昔の…?」 「…大切だったひと。最近はもう、ほとんど思い出さなかったのに…」 「そうですか…」 「今さら、ね。変なの」 「心のどこかで、未練が?」 「未練よりもっと、…穏やかな気持ち。今の私は、竜崎が好きだから」 「……はい、そうですね」 そのときの竜崎の声は責め立てるわけでもなく、穏やかで優しかった。 だから体を預けて、安心して言葉を紡ぐことができた。 「竜崎のことを本当に本当に好きになって、本当に大切だと思ったから、彼のことを思い出せたんだと思う」 「……私がキッカケですか」 「そう。竜崎を想う気持ちが大きくなればなるほど、いろんなことを思い出せるし、いろんなことを知れるんだ」 「……マユは私を好きになって、何を知りましたか?」 声が近づいてきて、顔を上げたら月明かりを宿した竜崎の瞳が私を捕えた。 見つめ合ったまま、心地好い沈黙が私たちを支配した。 このまま溶けていけるような。 溶けてしまえたらきっときっと幸せな。 「私は、幸せだってことよ」 「ああ…、マユも幸せなんですね」 「うん、竜崎のおかげで」 「…私だけじゃなくてよかったです」 「ふふっ…心配性」 「心配になるくらい愛してますから」 額をくっつけて、くすりと笑った。 そして鼻先が触れ合い、自然と唇を重ねた。 セックスの最中の貪るような深いキスではなく、控えめで、じわりと愛しさが体に広がるキス。 彼の腰に回していた腕を、身を屈めて私に口づける首に移動させ、この愛しいひとからの愛をせがんだ。 ああ、このひとを愛することで、自分の過去も愛せる気がする。 きっと、そうだ。 そして、未来も。 fin. ドS竜崎も好きですが繊細な竜崎も大好きです。たまらんです。竜崎に昔の恋の話を聞いてもらいたいです。 20110724 ←→ |