たったひとりで生きていたんだ。
こんなにもたくさんのにんげんが生きているこのせかいで。
誰と融合することも決してできずに、わたしはずっとわたしのままだ。

せかいは知らず知らず消えていく。


彼を愛しているということ。

彼を愛してしまったこと。

1秒後に消えてしまうかもしれないひとが必要不可欠な存在であること。

それがこんなにもわたしをひとりにさせる。


あなたを愛することは何より恐ろしい行為だった。













チカチカと点滅する青が非通知からの着信を知らせていた。
恐怖か、期待か。奥から沸き上がる説明しがたいドロドロの感情が冷静さを一瞬にして押し流す。今のわたしはそれを失うことを最も嫌い恐れているので、深呼吸をして極力心を落ち着けてケータイを開いたら、5件の着信が届いていた。


まだ、わたしに連絡を寄越せるなんて。

彼は意外と―――…


再び彼に向かってしまう思考を掻き消すよう、頭を振る。きっと彼でもこの場所には辿り着けない。“もう会わない”その覚悟で逃げてきたのだから。
住人のいない金魚鉢。数束の水草は茶色になって砂が敷き詰められた底に沈む。もう光合成も呼吸もしていないようだ。

ぽちゃん、とその中に飲み込まれていく。

機械は勢いよく底に向かい、水草の上に横たわった。もう死んでしまった。わたしたちを繋ぐ塊。こんなにも簡単に死んでしまうことが、心を少し楽にしてくれる気がした。

金魚鉢を抱えて覗き込むと波紋がいくつか広がったので自分が泣いていることに気づいた。



そうだ。消してしまうなら、早いうちがいい。今よりももっと手遅れになったらわたしは泣くくらいじゃ済まない。わたしが消えてしまうと思う。消える前に消すんだ。さようなら。もういいの、もういいの。重たい。あなたを愛することは重たい、怖い、寂しい。堪えられない。「もしも消えてしまっても」なんて話をわたしに真剣な顔でするほどに消失と隣り合わせのあなたを愛することはもう辛い。
必死に逃げて、今わたしはここにいる。あなたと繋がる細い糸ももう切ってしまって、残っているのは強く掴まれたときの指の跡。


『どこへ行くのですか』


最後に聞いた言葉が耳の奥にこびりついて離れない。あなたの声も手も視線も全て振り払って捨てたはずなのに、血液に乗って体中をぐるぐる回る記憶。
もう言わないで。消しても消しても消えない。逃げても逃げても。
離れようとすればするほど、色濃くなるわたしの中のあなた。

止まらない涙は、抑えきれない愛情だとわかっている。
わがままなわたしを諭すときの少し怖い目も、宥めるときも優しい指先も、名を呼ぶ低い声も、わたしを映す瞳も全てわたしのもので、彼がわたしに与えてくれた記憶だった。全ては彼が消えるときにおびただしい数の切り傷となってわたしの心に残る。現実を見つめても傷が痛むだけ。

愛し通す自信が無いから逃げた。

だけど、結局駄目だった。鉢の中の水が全て私の涙になって体中の水分が枯れ果てても、あなたが1秒後に消えても、わたしがあなたを必要としていることは変わらない、これからも続いていく。


ちっぽけな恐怖に負けた弱い弱いわたしに、連絡が寄越せる彼が羨ましかった。
愛を捨てない彼が。


彼は、人一倍素直なのだ。


腕に残ったあなたの跡に、ぎゅむっと爪が食い込んだ。








それから。

何時間経ったのかわからない。
何日経ったのかもわからない。
死んでるのか生きてるのか、も。


金魚鉢は割れていた。


水分はとうに蒸発して跡形もない。
わたしだけがしゃがみ込んで、未だ残酷なまでに生きていた。




足音が聞こえ、背後にひとの気配を感じる。
振り向くこともせず、ただ呼吸を繰り返す。



わたしはもう、あなたの中にいる。
わたしのせかいは、あなたの中にある。
あなたの死はわたしの死。





「マユ……迎えに来ましたよ」




あなたが消えたらわたしも消える。
そうだ。それでいいんだ。あなたの消失も、もう怖くない。

誰にも言わない。彼にも言わない。
きっとわたしより先に逝ってしまう彼に、わたしは一つだけ隠し事をしよう。




時が来たら、一緒に消える。



「…L……」

「逃げられると…思いましたか?」



無のせかいに。
無という概念すら無い、真っ白のせかいに。



「ううん。迎えに来てほしかったの」





ああ、涙がとまらない。
わかったわ、あなたを無くさない方法。






Fin.


病んでるように見えて、本人はわりとポジティブ。一生懸命生きてます愛してます。竜崎の素直で優しいところを書きたい!
20110807




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