無機質眠り姫

僕は、彼女の笑顔を見たことがない。

毎週水曜日。
それは僕が週に一度彼女に会う唯一の時間。
真っ白な壁紙に、真っ白なカーテン。
真っ白なベットシーツに横たわる白い肌の彼女。
「やぁ。一週間ぶりだね。」
返事はもちろんなかった。
これもいつものこと。
彼女は長い眠りについたまま、決して目を覚ますことはない。
まるで御伽噺の眠り姫の如く、自分の目を覚まさせてくれる者を待つように、静かに眠っていた。
脈も、熱も、呼吸もある。
本当にただ眠っているだけの彼女はもうどれくらい目覚めていないのだろうか。
眩暈がするほどの長い時間、彼女は夢を見ている。
長い長いユメ。
彼女は一体どんな夢を見ているのだろうか。
さらりとした彼女の前髪を払い、僕は彼女の表情をじっと見つめた。
穏やか、というよりは、何も感じさせないほどに、表情がない。
彼女はいつだってそうだった。
何をしても、何をされても、決してその凛とした表情を崩すことはなかった。
僕と彼女が初めて出会ったのはまだ蒸し暑い、そう、夏休みが始まってまだ間もない頃。
あの日僕は母の見舞いに来ていた。
大した病気ではなかったが、洗濯物だの暇潰しだのと命じられるがままに荷物を運んでいた。
母親の使いが終わった僕は足早に帰ろうと病室を出たところで、廊下に蹲る彼女を見つけた。
周りに看護師やら医者は見当たらず慌てた僕は彼女に駆け寄り、ただ、驚愕した。
死を連想させるほどに白いその肌に、相反するような漆黒の髪。
長い漆黒のそれで表情は見えなかったが、特に苦しんでいるような気配はしなかった。
「あ、の、」
気がつけば、僕は彼女と目線を合わせるようにしゃがみ込み声をかけていた。
ゆっくりと彼女が顔をあげたところで、僕はまた驚愕することになる。
あまりにも、あまりにも、人間味のない、表情のない彼女に。
「何?」
「いや、あの、しゃがみ込んでいたから、どこか具合が悪いのかと思って…もしそうなら看護師さんかお医者さんを…」
「必要ないわ。」
彼女はそう言ってゆっくり立ち上がった。
「立ちくらみがしただけ。よくあるのよ。」
感情のない声で彼女はそう言葉を紡ぐ。
人間味がない。
まるで人形やロボットを彷彿とさせる彼女に僕は不思議と恐怖や嫌悪感を感じなかった。
「病室まで送らせてくれないかな。」
言って、自分で驚いた。
つい数分、いや、もしかしたら数秒前にたまたま見付けた病人に気を使うなど、今までの僕では考えられない行為だ。
それでも、どこか、そうしなければいけない妙な義務感が自分の中に芽生えていることにも驚いた。
「好きにすればいいと思うけど。」
彼女は僕を一瞥するとゆっくりと歩き出した。
病室に向かうまでに会話はなく、すれ違う看護師でさえ、まるで僕らが見えていないようだった。
母親の病室から少し離れた棟の一室が、彼女に与えられた空間だった。
母親がいた大部屋と違い、ベッドが一つ、洗面台が一台あるだけの、寂しい部屋だった。
「着いたけど。」
「あ、」
僕は彼女を病室まで送り届けることを申し出た。
ならばここで帰るのが筋だろう。
でも何故か、この人形のような彼女と一緒にいたいと思った。
「時間があるなら、入ればいいわ。」
僕の意図を見抜いたか、それともただの気まぐれで言ったのかはわからないが、彼女は無機質な声でそう言うとベッドに腰をかけた。
ゆっくりと彼女の後を追い、ベッドの脇に無造作に置かれた母親の病室にあったものと同じ椅子に腰を下ろした。
「貴方、変わってるのね。」
じっと僕の顔を見ながら無表情に、しかし不思議そうな声色で彼女は僕にそう呟いた。
確かに初対面の女の子を病室まで送ると言い、部屋にまで入るとは変わっているかもしれないが、入室の許可を出した彼女の方がよっぽど変わっているのではないだろうか。
「普通私を見た人間は大体気味悪がるわ。でも貴方は違う。どうして?」
「どうして他の人は君を見て気味悪がるの?」
「質問に質問で返すとは流儀に反するわ。」
でもまぁいいわ、と彼女は窓の遠くを見つめてポツリと語り始めた。
心臓の病があること。
肌の色素のみが異常に白いこと。
物心ついた時からここにいること。
表情が、失われていること。
「最初からなかったの。悲しいと思っても涙はでないし、楽しいと思っても笑えないし、憎いと思っても怒れない。そんな私を最初に捨てたのは両親だった。気味が悪いと病院にいれて何度も検査をしたけれど特に結果は出なかった。肌のことも同じ。最初は病院の人たちも親切にしてくれたわ。でも表情のない私がいくらお礼を言ったところで気持ちがこもらない。どんどん、皆が気味悪がって、嫌悪していくのだけがわかった。」
訥々と語る内容は、決して楽しい内容ではなかった。
それでも彼女はまるでそうプログラムされたかのように冷たい色で言葉を奏でていく。
「病気でないのなら退院できたけど、新しい病気かもしれないってずっとここにいるの。おかしな話よね。」
無機質なはずのその表情が、いっそう悲しみを表しているように思えた。
当たり前はない、いつも母親は僕にそう言い続けていた。
僕らが当たり前に笑うことも、泣くことも、怒ることもしているなかで、それが当たり前でない彼女。
「なら、僕が君に表情をあげる。」
同情か、好奇心か。
どちらもあったかもしれないし、どちらでもなかったのかもしれない。
それは今でもわからないけれど、僕は、彼女の表情が見たいと、素直に思っていた。
「できるはずないでしょう?」
「できるかもしれないだろう?」
「やっぱり、貴方変わってるわ。」
表情がなくても、彼女の声は笑っていた。

それから僕は母親の使いと言いながら毎日のように彼女の病室を訪ねた。
流行のお笑い番組の話、感動する映画や本、痛ましいニュース、与えられるだけのものを僕は彼女に与え続けた。
それでも、彼女の口角は上がることはなかったし、涙が零れることはなかったし、怒りに震えることもなかった。
そんな日々が続いて、夏休みが終わるその日、彼女は、眠っていた。
僕がいつも座るその椅子に彼女の肌と同じ真っ白な紙に、彼女の髪と同じ色で綴られた僕へ宛てられた文字。
文字を追えば、彼女と初めて会ったときと同じ、いや、それ以上の驚愕が僕を襲った。
彼女は病を患っていた。
病状については書かれていなかったけれど、病の進行で彼女は眠り続ける旨が書かれていた。
そこで、彼女は僕に宿題を与えた。
『眠っていては表情は二の次。だから私を起こす方法を探して。答えがあっていれば私はきっと目を覚ます。他の誰でもない。貴方に起こしてほしい。それまで私はずっと夢の中で表情を探すわ。』
なんと身勝手な話だろうか。
そう、思えればよかったのかもしれない。
憤りを感じればよかったのかもしれない。
でも僕は人形のような彼女と同じように、表情を変えることなく、ただ
「わかったよ。」
そう、言っていた。

それから僕はたくさんの本を読み、たくさんの人の話を聞き、たくさんの勉学をこなした。
それでも、彼女が目覚める方法は見つからない。
何度も周囲はそんな馬鹿げたことはやめろと僕を叱咤した。
それでも僕はやめることをしなかった。
自分でも何故かは分からなかった。
初めて彼女を出会ったあの時、病室に彼女を送り届けなければいけないと思った義務感のようなものと似ている気がしていた。
今日も、彼女は目覚めることはない。
「また不正解か。君の宿題は、本当に難問だ。」
今日の分の答え合わせが終わり、僕はやれやれ、とため息をこぼす。
何が足りないのだろうか。
出題者はヒントすら与えてくれない。
もしかすると答えはないのかもしれない。
それでも僕は、
「まだ少し時間をくれ。また来週までに考えてくるよ。」
また僕はこの病室を訪れるのだろう。
彼女と出会った水曜日に。
無機質な眠り姫から与えられた、終わらない宿題を持って。

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