!引き続き軽度のグロ注意です
今日は快晴だったから、夕日が真っ赤で澄んでいて目に眩しい。
ふいに、こういう時間帯を、“逢魔時”って言うのだと思い出した。
逢魔時、または誰そ彼時。
世界の輪郭がおぼろげになり、夕闇に紛れて魔物に出会う時間。
そんなことを考えているうちに事務所の前についた。そのまま少し急ぎ足で階段を上る。たどり着いた雑居ビルの一室のドアノブに手をかけるも、ガチャガチャ!と音を立てたのでまだ2人が帰ってないことを知る。
「あー、えっと、鍵はたしか…花鉢の下……」
足元にある観葉植物が植えられた植木鉢を持ち上げると、パラパラと少しの土と共に下に隠されていた事務所の鍵が出てきた。
ほんとにあった。どこの古いドラマだよ、と思わず突っ込みたくなる。
それを拾い上げて鍵穴にさす。ガチャリ、とすぐにドアは開いた。
「……おじゃましまーす…」
誰もいないのはわかってるけど、なんとなくそう言ってしまう。
とりあえず、中に入ってソファーに腰掛けた。ブラインドの隙間から眩しい西日が入り込んで、事務所の中を照らす。
それにしても、2人に話があるから急いで来たけど、いないんじゃあすることがない。手持ち無沙汰でどうしたものか、と考えあぐねてとりあえず『着きました』とメールしておくことにした。
2人も早くスマホに変えてくれないかな。ラインの方が便利だ。
そんなことを思いつつ送信ボタンを押すと、またもやることがなくなって、そういえば喉が乾いたと思い出す。
カバンから取り出したペットボトルに口をつけると、例の間接キスを思い出すものだから、中学生相手に意識をしてしまっている自分がかなり恥ずかしい。
そんな思いを打ち消すようにごくごくと喉を鳴らして水を飲んで、ついでにさっきの観葉植物にも水あげとこう、と思い立って席を立つ。そこでタイミング良く、
プルルルルッ、
と事務所の電話が鳴った。
霊幻先生だろうか、携帯にかければいいのに。そう思って何気なく電話に出る。
「はい、もしもし。こちら霊とか相談所ですー…」
『今夜2時35分。国道沿いのみぞおちアパートの前。電話ボックス。』
「えっ?は、あの、依頼……」
私がそう聞き返す前に、電話は切れ、受話器はツー、ツー、と通話終了の音しか流さなかった。
今夜2時35分。国道沿いのみぞおちアパートの前。電話ボックス。
断片的な言葉だけだったのに、妙に覚えていた。電話の主の、か細い女の人の声も。
「………何…?」
未だに通話終了を知らせる受話器を片手に、呆然と立ち尽くす私。そこにカンカンカン、と階段を上ってくる2人の足音が聞こえて、私はようやく救世主現る!といった風情で慌てて受話器を放り投げて玄関へ向かった。
もう、今日は色んなことがありすぎた。パンクしてしまいそうだ。
「おっ?ナマエ来てんのか?ただいまー、」
メール見ろよ、とかいう突っ込みはせずに、ガチャリと開いた扉のすぐそこで待ち構える。
案の定、まさかそんなところにいるとは思わなかった霊幻先生は私を見るなり「うおっ!?」とビビっていた。
あとから入ってきたモブくんも多少びっくりしていたから悪いことをしたかな、と思う。
「ビビった〜…何してんだよそんなとこで」
「おかえりなさい!あの、帰って早々申し訳ないんですけど、ちょっと聞いてほしいことがたくさんありまして、」
「…何か、あったんですか?」
慌てた様子の私に、横から静かにモブくんが訊ねる。その問いに「ウン」、と返すと、先生ががさりとビニール袋を掲げて言った。
「まっ、とりあえず一旦落ち着こうぜ。ほれ、たこ焼き買ってきたから食いながら話すか」
そう言われて、少し落ち着いた私は黙って頷く。そのまま奥のミニキッチンへ向かってお茶を入れに言った。
☆
「どうぞ」
「サンキュー」
「ありがとうございます」
コトリ、とテーブルに湯呑みを置く。向かいに霊幻先生。モブくんの隣に私が座った。
テーブルには湯気の立つたこ焼きが3パック並べられていた。ちゃんと、私が来ると思ってみっつ買ってきてくれたんだ。ありがたや。
「んで、話ってなに」
若干めんどくさそうに言って、湯呑みを持ち上げてお茶を啜る先生。しかし、
「ぶぁっちっ!!おま、熱すぎだろこれ!!」
「えっ、ご、ごめんなさい。動揺してて、湯加減間違えたかな…」
「湯加減ってお前、風呂じゃないんだから…」
呆れたように突っ込まれ、とりあえず先生は湯呑みを置いた。冷ましてから飲むらしい。隣ではモブくんがさっそくたこ焼きを食べている。マイペースな先輩だ。
「実は、今日学校で事件があって」
「事件?」
「はい。その事件っていうのが、女の子が首筋に噛み付かれて肉をえぐり取られる、っていう事件でして…」
「んぐ、」
今度はたこ焼きを食べようとした先生が動揺して喉に詰めたらしい。モブくんは私の話を驚いたように聞きつつ優雅にお茶を飲んでいる。
「げっほげっほ!!え、な、肉!?をえぐり取られた!?噛みちぎったってことか!?」
「はい。女の子はすぐに病院で手術をうけて大事には至りませんでしたが、5針を縫う大怪我だっそうです。私は偶然それを目撃してしまって、そのことで職員室に呼び出されたんです」
「噛み付くって…まるで吸血鬼かキョンシーみたいですね」
「うん…でも、血を吸うっていうより、肉を喰う、って感じだったからなあ…。傷口を見たけど、出血もひどくて本当に、まるで妖怪か何かに襲われたみたいだった」
そんな話をしている中で、2人とも平然とたこ焼きを食べている。私もひとつぷすりと爪楊枝をさして口に運んだ。
「……で、それはたしかに大変な事件だが、俺たちに話して何があるんだ?」
話の核心をついてくる霊幻先生。少しは冷めたか確認するべくふー、ふー、と冷ましながら恐る恐る湯呑みに口をつけている。
「……私、その加害者らしき女の子と目が合ったんです。被害者の女の子の悲鳴が聞こえた直後。その時に、私を見る形相をみて、この子は人間じゃない、と。」
「取り憑かれてるってことですか」
「恐らく、」
「なるほどなあ。でもちょいと根拠に乏しいし、仮に取り憑かれてたとして俺たちは慈善団体じゃないんだ、祓う理由にはならないぞ」
「……」
どうやら丁度いい具合に冷めたらしい。ようやくお茶を飲むことができた先生は満足そうだ。
しかし、言われた言葉はけっこうシビアなものだった。霊幻先生の言うことはもっともだ。誰からも依頼されていないのに、毎回幽霊を祓っていたんじゃ商売上がったりだ。私の給料も出ない。
「……その加害者の女の子、被害者の女の子とはほぼ初対面なんです。初対面の人間の首の肉を急に噛みちぎりますか?明らかに異常です。これだけでも、根拠の足しにはなるはずです」
「たしかになあ。でも結局依頼されてないんだから俺たちは動けないぞ」
「……師匠、」
見かねたモブくんが何か言おうとした時、“依頼”という言葉に引っかかって言うべきもう一つのことを思い出した。
「あ。そういえば。もう一つあったんです。言うこと」
「え、なに。まだあんの」
「2人が帰ってくる少し前、事務所に電話がありました」
「えっ、おま、それ早く言えよ!依頼の電話だったのか!?」
「それが、奇妙だったんです」
「……はあ?」
次から次に変な話をする私に、霊幻先生もモブくんもこいつ大丈夫かよ……と言いたげな視線である。しかし全て本当のことなのだから致し方ない。
「今夜2時35分。国道沿いのみぞおちアパートの前。電話ボックス。」
「……なんだ?それ、」
「これだけ言って切れたんです。若い女の人の声でした」
「師匠。みぞおちアパートの前の電話ボックスって、」
何かを悟ったように少し焦った様子で言うモブくん。霊幻先生も何か心当たりがあるようで顎に手を当てて考え込むように告げた。
「今日、俺たちが依頼受けて行ってきたところだ。みぞおちアパートの前の、電話ボックス。」
「えっ!?」
「結局、何も無かったんですけどね…行った時は」
バラバラだった点と線が繋がりかけたような、しかしそれは全く思い違いのような、奇妙な感覚が私たちを繋ぐ。
「今日の依頼って、どんなだったんですか」
「…いや、ここ数日、いっつも決まった時間にアパートの前の電話ボックスが光るんだって言うんだよ。その時刻が、」
「深夜の2時35分。」
「……それって、」
「………」
「………」
モブくんが告げた言葉に、しんと静まり返る事務所。私は爪楊枝にさしていたたこ焼きが、べしゃりとトレイの中に落ちた。
更に霊幻先生は続けた。
「……あと、言ってなかったんだけど、ここ数日、事務所に無言電話が多くてな」
「えっ」
「それって、」
「その時間帯が、決まって夕方の5時20分と、深夜の2時35分なんだよ」
「……」
「……」
「……あ、たこ焼き冷めますよ」
「……そうだね、うん…」
「……」
モブくんの言葉に黙々とたこ焼きを食べ、お茶を啜る私たち。けれど、それぞれの頭の中で考えていることは同じだろう。
学校での事件。謎の電話ボックス。告げられた時間と場所。
私には何故だかこれらのことを切り離して考える気にはなれなかった。さきほど落としたたこ焼きを今度はきちんと、口の中に放り込む。
とりあえず、これを食べたら今度こそ観葉植物に水をやろう、そう思った。