「今日は日差しがあちーな」



かっちりしたグレースーツに身を包み、しっかりネクタイを締めた霊幻さんが言うから、切実だと思う。

たしかに今日は暑い。制服のブレザーなしという軽装の私でもそう感じるくらいだ。
隣を歩くモブくんの黒ずくめの詰襟の学ランも相当暑そうに思える。


事務所を出て暫く歩いて、駅前の方に来た。通りを少し入ったところにある住宅街に、その依頼者はいるらしい。


「いいですね、この辺。駅近だし大通りから少し離れて、静かだし」


町並みも小奇麗な家々が並んでいて、治安も良さそうだ。


「でも師匠。普段はお客さんに来てもらうのに、今日はどうして家まで来たんですか?」


そのどちらの質問にも答えず、霊幻さんはあるアパートの前に立ち止まった。

一見、普通のシンプルなアパート。学生とかが住んでいそうな、清潔感のある外装だ。でも、


「うわ、ここ…」

「これは…」




「事故物件だそうだ。ここの2階が依頼人の部屋だ」



小奇麗な外観に似合わぬ、どす黒い雰囲気を感じる。しかも、2階の角部屋から。確実にあそこだ。


「行くぞ。」


それにしても、かなり嫌〜〜などす黒い雰囲気。重苦しいというか、圧迫感があるというか。

私も普段ちょこちょこ霊は見るけど、こんな雰囲気は初めてだ。隣のモブくんを見ると、無表情だけど少し困惑したような顔をしていた。

ちょっと、ヤバいんじゃあないかな…。








「……あれっ」


カスッ、カスッ、と空気の抜ける音が聞こえる。どうやらインターホンが壊れているようだ。
仕方なしに霊幻さんはドンドン、と軽く扉を叩いた。


「すみませーん!お電話受けて来ました、霊とか相談所の者ですけどー」


そう言うとすぐに部屋の中からドタドタと足音が聞こえてきて、身構えた私たちの前で勢いよく扉は開いた。


「おっ!お待ちしてました……ありがとうございます……!あの、中はちょっとアレなんで外で話してもいいですか」


部屋から出てきたのは大学生くらいの男性だった。
Tシャツにジーパンという軽装。髪型も普通。一見どこにでもいるような大学生に見えるが、その依頼人の表情は暗く、頬はこけ、顔色は真っ青だった。

ごくり、と喉を鳴らす。こんな状態普通じゃない。


「ええ。大丈夫ですよ。それでは、被害状況を詳しくお聞かせ願えますか」



そう言うと霊幻さんはスーツの内ポケットから手帳とペンを取り出した。意外とちゃんとしてるんだな。
依頼人のお兄さんは頷いて後ろ手に部屋の扉を閉めた。


「……僕がここに越してきたのは一ヶ月前なんですけど…。四月からこっちの大学に通うために田舎から出てきて一人暮らしで、仕送りはもらってるけどなるべくバイトで生計立てたかったから安い物件に決めたんです」

「なるほど。親思いの素晴らしい息子さんだ」


そう言って爽やかな笑顔を浮かべて手帳に何やら書き込む霊幻さん。
それを盗み見ると『依頼人の特徴:親孝行』と書かれていた。いらないだろ、それ。


「ここは駅近だし、静かだし、何より安いし、一目で気に入りました。あまりに条件がいいから曰く付きかもと思ったんですが、あまりそういうのを信じない質でして……今思うとなんて軽率だったんだと昔の自分を怒ってやりたいです…!」


「そうですか…しかし失敗は誰にでもありますからね…気を落とさずに」


そうしてまた手帳に書き込む。
追加されたのは『依頼人の特徴:おっちょこちょい』。だからいらないだろそれ!


「霊障、っていうんですか?……それは、引っ越したその日からずっとです。急にテレビや電気がついたり消えたり、物が倒れたり、ラップ音がしたり。でもそんなことは些細なことでした…」

「と言うと、更に何か…?」

「はい。…毎晩、毎晩、金縛りにあうんです…。ヤツは僕の上に跨り、ひどい時は首を絞めてきます。それがもう一ヶ月以上も続いています…。最初は、家賃が安くて条件がいいからって、必死に我慢してました……でも、もう限界なんです!!」

「ちょ、山田さん」

「たった一ヶ月で10kg痩せました!!毎日寝不足で、授業もバイトも身が入りません!!本末転倒です……!!!」

「わかりました。山田さん、ちょっと落ち着いて」

「あ……す、すみません……」


目の下に深いクマをつくった顔色の悪い男が、大声でまくし立てるのは中々怖かった。慌てて霊幻さんがなだめると、依頼人は我に返ったようにハッとし、力が抜けたように弱々しく謝った。


「安心してください」


うなだれる依頼人の肩にポン、と霊幻さんが手を置く。それに依頼人がゆっくり顔を上げた。


「うちには私ほどではないにせよ、優秀な弟子が二人もいます!更にはこの霊能界の超新星、霊幻新隆が本気を出せば、悪霊の一体や二体すぐにオゾン層に還して見せましょう!!」

「……オゾン層?」

「僕にもよくわからないんです」

「……そっか。まだまだ修行が足りないね、私たち…」

「そうですね」


そんな霊幻さんの言葉に、依頼人は目を輝かせてすがりついた。


「ありがとうございます!ありがとうございます!!!お金ないし、近場で安い業者利用しただけだったけど、なんだかすごい先生が来てくれて……俺安心しました!!やっと安眠できるんですね!!」

「その通りです。正しい判断でしたね。あ、それで料金の方なんですけど……Aコース、Bコース、Cコースがありまして…」

「コース!?」

「ええ。あとうちでは除霊マッサージもやってまして、安眠できるって好評なんでよかったらどうぞ〜」

「まじっすか!今度ぜひ行かせてもらいます!!」


何だか心なしか元気にになった依頼人は、一番高いCコースを注文し、この場を後にした。どうやら除霊中は友達の家にお世話になるらしい。

それにしても霊幻さん、商売上手だなあ。



「うっし。それじゃあ入るか」



私たち3人だけになり、仕事が始まる。

私の初仕事ということ、除霊に挑戦することでそれなりに緊張している。

先頭に立つ霊幻さんがドアノブを回した。


「……」


ギィィィ……

嫌な音を立てて開いていく扉。
昼間だと言うのに、部屋は真っ暗でどんよりとした雰囲気が漂っていた。

霊幻さんが一歩ずつ部屋に踏み入り、玄関の照明をつけた。それに続いて私とモブくんも部屋に入る。


「……え?」


明かりの灯った部屋で見たのは、アパートの外観と似ても似つかない、古ぼけた和室の部屋だった。

ここに来るまでの外観は白を基調としたスタイリッシュなデザイナーズマンションのようだった。それが、この部屋は。


「来る途中携帯で調べたけど、ここのアパート丁度3年ほど前にリフォームされたばっからしいな。改装前は古いおんぼろアパートだったらしい」


「……ということは、この部屋だけリフォームされなかったんですね」

「そういうことだな」


モブくんの問いに、霊幻さんが答える。その言葉が意味していることは、大体察しがつく。

リフォームしたくてもできなかった。きっと、原因不明の怪我や病気が横行したんだ。その証拠に部屋のところどころの壁は剥がされた途中で、ベニヤ板がむき出しになっている。それを依頼人はポスターなどで隠していたようだ。


「あの依頼人、よくこんな部屋借りようと思ったよな…」

「……すごい、嫌な感じ…。気持ち悪い…」

「ナマエ。そんなんじゃうちの仕事は勤まんねーぞ!おし、入るぞ!」


そう言って霊幻さんが革靴を脱いで板間に足を下ろした瞬間。


バチンッッッ!!!



「うおっ!切れやがった」



耳元につんざくような激しいラップ音と共に、蛍光灯がショートした。いや、ブレーカーが落ちたのかもしれない。

霊幻さんが何度もバチバチとスイッチをつけたり消したりしても何の反応も起きない。


「暗くて、何も見えませんね…」


部屋に窓はあるが、カーテンは締め切っている。何よりここは日当たりも悪くないのに妙に薄暗い。

暗闇に目がなれてない私たちはほんの数秒、狼狽えたその隙に。


バタンッッ!!



「ッ!!」


今度は背後の扉がすごい勢いで閉まった。一番後ろに立っていた私はいきなりのことに跳ね上がってしまう。

私は少しでも部屋に明かりを入れようと、再び扉を開けるためドアノブに手を伸ばした。しかし、



「……あれっ!?」



ガチッ!ガチチッ!!


開かない。鍵なんてかかってないのに。

なんだ。幽霊はとりあえず停電させて閉じ込めるのが十八番なのか。
数日前のスーパーでの一件を思い出し、そう思った。


「閉じ込められたが…まあいい。俺たちは除霊しに来たんだからなあ!ちゃちゃ!っと溶かしちまえばすぐに出られる!」


強気にそう言った霊幻さんはズボンのポケットから携帯を取り出した。そして妙にかっこつけてその画面を開き、目の前にかざした。


「だから悪霊!!無駄な抵抗はやめてさっさと出て来……」


その瞬間、私たちの目の前すぐそこに、おどろおどろしい姿をした悪霊が立ちはだかっていた。


「ぎゃああああああああ!!!」


お化け屋敷やホラー映画も真っ青のモノホンの悪霊の気合の入った脅かしに、まんまと叫び声を上げる私。

しかし霊幻さんは「うおっ!?」と普通に驚いただけで、モブくんに至っては「わっ」だけだった。少し尊敬した。


「出たな!依頼人を苦しめる陰湿な悪霊め!くらえ!この霊幻新隆必殺……」


言ってスーツの内側に手を突っ込む。

何やら必殺技が炸裂しそうな雰囲気だ。ごくりと生唾を飲み込んでその時を待つ。



「盛塩パンチッッッ!!!!」



普通に食塩まぶした拳でぶん殴っただけ!!!

しかも幽霊って殴れるんだ…。

一応拳を食らった幽霊は短い叫び声を上げて、よろよろと後ろに下がって行った。

その隙に私たちは玄関から部屋の中へ入る。


「チッ、くっそぉ…いてぇ…いてぇよ……!!母ちゃんにも殴られたことねえのに……!!!」


どこかで聞いたような台詞を言いながら、頬を押さえる幽霊。

そいつは小太りで、髪はスチールタワシのようにもじゃもじゃで、メガネをかけている男だった。着ているTシャツには何かのアニメのキャラらしい女の子が描かれている。

いわゆる、オタクっぽい人だった。


男は頬を押さえていた手を外すと、恨めしそうにこちらを睨む。
幽霊に痛覚があるのかよくわからないが、効いてるならよしとしよう。


「はっはっはー!どうやら俺の必殺技には、手も足もでないようだな!!よぉーっし!あとのことはお前らに任せるぞー。俺がやるとお前らまで溶かしちまうし、何より今日はナマエの実力を見ないといけないからな」

「!…は、はい」


前者はともかく、後者の言葉はその通りだ。私がしないと。できるか、わからないけど…

ようやく暗闇に目がなれてきた。私は霊幻さんとモブくんの間を抜けて、スッと先頭へ躍り出る。

急に前に出てきた私に、幽霊はきょとんとしたようだったけど、すぐににやりといやらしい笑みを浮かべられた。


「ぐへへ…女かぁ…久しぶりだなぁ…。ほんじゃ、ちょいと、遊んでやるかッ!!」



「ナマエさん!!手のひらをかざして!自分のエネルギーを幽霊に撃ち込むんです…!!」


襲いかかってきた幽霊に少し怯んだけど、モブくんの初めて聞く力強い言葉にハッとして手のひらをかざした。

自分のパワーを感じる。これを、あいつにぶち込めば…

そう考えた時だった。


「ぐっ!?」

「ナマエさん!!」

「ナマエ!」


突然真横から飛んできたのはブラウン管テレビ。20kgを越える重圧が、更に遠心力も加わってとてつとない威力となって襲いかかってきた。

しかしテレビが私の体を完全に圧迫する前に、すんででモブくんがテレビをはじき飛ばしてくれ、なんとか無事だった。


「モブくん、ありがとう…」

「いえ。それより…」



パリィィン!!

ガラスの割れる音。破裂音とともに飛び散ったガラス片が私たちの体を掠める。


「霊幻さん!!後ろ!!」


今度は霊幻さんの背後にあった大きな本棚がぐらりと傾いて、慌てて大きな声を張り上げた。


「うおっ!?」



ドッ!!シーーン…


瞬時に飛び退いた霊幻さんの瞬発力でなんとか巻き込まれずに済んだけど、雪崩のように襲いかかる本や本棚に挟まれたら骨折で済んだかどうか。


薄暗い部屋。視界が悪い上、ここにあるもの全てが武器になる。…特に、


「……(ああ、思ったそばから)」



さっきの割れたガラス片。あれはやばい。

ふわふわと浮かび上がったガラス片はやがてピタリ、と静止する。


……私たちの方を向かって。


キッチン用品も危ないと思ったけど、どこの家庭もそんなに鋭利なものばかりある訳じゃない。ましてや男の一人暮らしだ。

その点割れたガラス片なら細かくても全てが鋭利だし、数も私たち3人をめった刺しにするくらいはある。


本当は、モブくんならきっとこんな幽霊、すぐにでも除霊できるんだろう。それをしないのは私に除霊が任されているから。

私が頑張らないと2人が怪我をするかもしれない。いや、現にもうしている。しっかりやらないと。



「……ねえ、一つ聞いていい?」



いやらしい笑顔を浮かべて舌なめずりをしていた男だが、まさか話しかけられると思わなかったのか、少し驚いた表情をした。



「なんでこんなことするの?」



至極カンタンな質問。
けれど、それ以上でも以下でもない。この霊障の原因だ。


「なんで?おもしれーからだよ。生きてる時にはできなかったあんなことやこんなことができるんだからなー!」



ケッケッケ!と笑って言う男に、今度はモブくんが問いかけた。



「それだけの理由で人は幽霊にはなれないよ。あなたの未練は何?」



「オイオイモブまで…。あのな、幽霊に同情してちゃこの仕事勤まんねーぞ!ほれナマエ!さっさと溶かしちまえって」

「すみません師匠。少し黙っててください」

「え…」

「これはナマエさんの初仕事ですよね。だから僕たちが邪魔しちゃいけないと思うんです」


そう言ってくれたモブくんに、私は会話を続けていいのだと安心した。霊幻さんもそれ以上何も言わなかった。



「聞かせてください。あなたの思い残したこと」



そう言うと、男は俯いたまま少し黙った。
私たちの眼前には依然、命を狙うガラス片が静止している。そんな中、部屋の空気は男の次の言葉を待つものへと変化していた。奇妙なことだけれど。


「………ッ、それ、は…」


男が小刻みに震える。私は彼の言葉をじっと待った。そして、




「てめえら生きてる人間が憎いからだよバァァーーーカ!!!」






「……え…?」


顔を上げた男は目を剥いて、唾を飛ばしながら口汚く私たちを罵った。

その目は憎悪が血走っているように見えた。よだれを垂らし、声を荒らげながら男は続ける。


「俺が女にフラれんのも、勉強ができねーのも、金がねーのも、友達がいねーのも、自殺したのも全部てめえらのせいだよ!!」


「……」


「俺はこんなにも性格のいい人間なのに!!努力しているのに!!あいつらはいっつも俺をバカにしたように笑いやがる!!」


「……」


「辛い時も苦しい時もだぁーーれも助けてくれなかった!!オフクロは気の利いたことひとつも言わねーし、親父には勘当されるし、みんなクソだッッ!!クズ人間だ!!!」



目の前で吐き出される言葉に、唖然とした。何も言葉が出てこなかった。ただ、怒声を上げる男の声をぼんやり聞いていた。



「……だから。お前ら生きてる人間はバツを受けるべきなんだよ…。お前らは、救える人間を救おうとしなかったんだからなァァ!!!!」




「……!!」


その言葉に、どこか他人事のように聞いていた意識が、一気に自分の手の中に戻った感覚がした。

息が詰まる。

同時に、ある人の顔を思い出した。



彼のお母さんは、息子が自殺したと知った時、何を思ったのだろう?

息子の苦しみに気づけなかった親が悪いのか、彼を追い込んだ周囲の環境が悪いのか、自ら死を選んだ彼の弱さが悪いのか。

ただ、言えることは、きっと彼の両親は、彼を救えなかったという傷を一生負って生きていかなければならないということ。

それはけして両親の罪ではない。そうでなくとも、心のどこかで誰かが言う。

『お前が殺した。』

と。



「当然の報いだ!!俺が死んだのはテメーらが悪いんだァ!ここに越してきたヤツも、楽しいキャンパスライフなんて送る権利はないんだぜ!!なんたってみんな生きてる人間が悪」






「あのなあ。死んでまでカッコ悪ィこと言ってんじゃねーよ。」



動揺する私の頭の中に響いたのは、あっけらかんとした声だった。

男の声を遮って言った霊幻さんは、ぼんやりしていた私を押しのけて、ずいっと目の前に立った。そして、男と対峙する。

ガラス片が今にも私たちを襲いそうな中、スーツのポケットに片手を突っ込み、男を見据える彼の目は飄々としたものだった。底の見えない人だ、とその目を見て感じた。


「お前の過去に何があったか知らねーが、死んじまってまでグダグダ言ってんじゃねーよ。親が悪い?周りの環境が悪い?そらそうかもな。そういうこともあるよなぁ」


ウンウン、と頷いて見せる霊幻さん。男も急に出てきて何を言い出すんだ?と奇妙な顔をしていた。


「けどな。結局自分を変えれるのは自分しかいねーんだよ。月並みなこというけど、これ、本当だから」


「……あ?」


「俺にはお前が口だけの甘えた人生送ってきたガキにしか見えねーが、それでも自殺しちまうくらい追い詰められてたっつーんなら同情はするよ。けどな」


淡々と話す霊幻さんの言葉は止まらない。私とモブくんはただ黙って彼の話を聞いた。


「同情なんてなんの役にも立たないぞ。現状が苦しいなら自分でぶち破ってみろよ。別に逃げたっていい。時間なんて死ぬまでにたっぷりある。好きなことやれる時間も、努力できる時間も、恋する時間だってあったんだ。生きてさえいればな。」




「もっぺん言うぞ。救うとか救えねーとかそんなのねえんだよ!テメーはテメーでしか救えねえ。自分を変えられるのは自分だけなんだよ!!」







「……(霊幻さん)」



救いたかった。救えなかった。

誰でも、多かれ少なかれ経験はあるだろう。例えば、イジメられている同級生を救えなかった。道端に捨てられている子猫を救えなかった。親の死に目に会えなかった。息子の自殺を止められなかった。

けれど、救う、とか救ってやれなかったとか、なんて自意識過剰なんだろう。

罪の意識を感じることもあるかもしれない。けれど、自分一人の行動で誰かの人生を左右できるほど、私たちの影響は大きくないのだ。何をうぬぼれていたのだろう。



霊幻さんの言葉を聞いて、私はたしかに救われた。




「なあ、死んじまったんなら最後くらい格好付けて潔く逝こうや。せめて来世は、自分で自分の人生を生きられるように……」



霊幻さんが男に語りかける。男は霊幻さんの話を黙って聞いていたが、ぷるぷると震える拳とともに、顔を上げると、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった怒りの形相で、一層の怒号を響かせた。


「っるっせえ!!!何が自分を変えるのは自分だ!?偉そうに説教してんじゃねえよ!!テメーに俺の何がわかる!!お前らみたいな優しさのカケラもない人間がいるから、嫌なんだ!!!俺は……俺は……!!!」




悲痛な叫びが部屋に響き渡る。

同時に部屋中の家具や散乱したものたちが一気に台風のように周囲を渦巻く。ものすごいパワーだ。しかしこのパワーは、男がこれだけの未練をこの世に抱えているということ。


「ナマエさん。お願いします」


私たちの周囲をすんでで飛び交っていたものたちが、ピタッ、と時間が止まったかのように静止した。あるものは空中に浮かび、あるものは私の頬すれすれで止まっている。

すっ、と手のひらをかざした。

この除霊は私の初仕事だけど、私の精神の揺らぎを救ってくれた霊幻さんと、こうして身を守ってくれたモブくんと、2人がいなければけしてできなかった仕事だ。


「〜〜〜っ、……!!俺、は」


目の前のガラス片が飛んでくる。足に、腕に、頬に、目に。

せめて最後は、安らかに成仏してほしい。そう、なけなしの情を込めた。

かざした手のひらの先から、ほんのりとしたパワーを感じる。
それは青く、冷たく、静かに泣いているようだった。




「幸せになりたかった、だけなのに」




こぼれた言葉だけが落っこちるように、しん、と静まり返った部屋に残った。

しゅるるる、と煙に巻かれたように男は消えた。
私はかざしていた手をそっと下ろして、静寂の中に身を置く。

きっと私は、男の最後の言葉を死ぬまで忘れないのだろう。ふとした時に思い出し、このなんとも言えない虚無感と、物悲しさを感じるのだろう。

そう考えると、何だか泣きたくなった。





「よう、できたじゃねーか除霊」






「わっ、」


落ち込んだ夕暮れの部屋に、似合わない明るい声が響いた。

声とともにぐしゃぐしゃ、と急に髪をかき乱されて、驚いて顔を上げる。

見ると、窓から差し込む夕日に照らされた霊幻さんが、なんだか優しい表情をして私を見下ろしていた。
まるで私の労を労うかのように、その目はそっと細められ、乱暴に触れられた手のひらからは安心するぬくもりを感じた。



「おーーっし!依頼も完了したし、ナマエの初除霊記念に、ラーメンでも食いに行くか!」


「いいですね」


私の初仕事を静かに見守ってくれていたモブくんも、そう言って僅かに笑ってくれた。表情は豊かじゃないけれど、とても優しい笑顔だった。


私はなんだかほっとして、緊張の糸が切れるように少し目の奥が熱くなる。



「ナマエ、チャーシューは2枚までだぞ」

「あっ。じゃあ僕のチャーシュー1枚あげます。そしたら3枚ですよね」

「……ふふっ、ありがと。モブくんは優しいなあ」

「師匠も優しいなあ」

「いってないですよ、師匠」


すっかりどす黒い雰囲気のなくなった部屋は、どこかぽっかり穴がいたように物悲しくて不思議だった。ともあれ、これであの親孝行で誠実そうなお兄さんが、充実した大学生活を送ることができる。

霊幻さんがドアノブを回すと、さっきまでのことが嘘のようにあっさり開いた。


部屋を出ると、廊下から見える大きな夕日が辺り一面を照らしていた。まるで、これから食べるラーメンの半熟卵みたいな色。

そんな夕日を見ながら、ぼちぼち歩き出す私たちの横で、霊幻さんは依頼人に電話をかけ除霊が終わった旨を伝える。電話越しにも聞こえるくらい、依頼人が感謝し倒してる声が聞こえた。


「依頼人、明日事務所来て料金払うってさ。だからお前らの給料も明日な」

「えー、初報酬楽しみにしてたのに」

「いいだろ、ラーメン奢ってやるんだから。ほら、さっさと行くぞ!」


そう言って一人足早にカンカン、と音を響かせて元来た階段を下る。
その後ろに続いてモブくんと階段を下りた。


「…ナマエさんは、何ラーメンが好きですか?」

「えっ。うーん、どれも捨て難いけど、醤油かとんこつかな。モブくんは?」

「僕も醤油です。同じですね」


あまり口数の多くない印象だったモブくんから、話を振られて嬉しかった。
モブくんは今日も醤油ラーメンを注文するのだろうか。だとしたら、私も同じにしようかな。

ふと、私たちの少し前を行く背中に視線を向ける。グレーのスーツがほんのりオレンジに染まってる。

その背中に、声をかける。




「霊幻先生。は、何が好きなんですか」




そう問うと、その足はゆるやかに速度を下げ、オレンジがかった背中は、ちらりとこちらを振り向いた。


「俺は味噌かなー」


たわいない会話。あったかい夕暮れの空気。むせ返るようなまどろみ。彼は幸せになりたい、と言っていたけど、果たしてそんなに大きな幸せを望んでいたのだろうか。

私なんて今、けっこうかなり幸せなのになあ。だとしたらオトクだ。こんな小さなことに幸せを感じられる私は、幸せ者だ。


「師匠はいつも味噌ラーメンですよね」

「おー。って、こんな話してたらめっちゃ腹減ってきたな…よし。餃子も追加するか!」

「えっ。いいんですか、師匠。僕の卒業式以来ですね」

「わーい霊幻先生太っ腹ー」



霊幻、先生。

本物の霊能力者じゃないけど、人生の先生として。

初めは楽そうだし、ある程度のお金が貰えるしで引き受けた仕事だった。でも今は、この人について行ってみたい。そう思っている。


初めての除霊は、この前のスーパーの時みたいに上手くいかず、後味の悪いものだったけど、けして後悔はしていない。

彼は私の中で思い出となってたしかな存在を残し、生き続ける。時には私を苦しめるかもしれない。けれど、それでいい。これまでも、この先も、そうしてたくさんの人たちや思い出が糧となって、私の未来を作っていく。


「師匠。お店定休日だったりしませんよね」

「大丈夫だ。この前の二の舞にはならない」


隣でそんな会話をする2人にくすりと笑う。

そう、悪い思い出ばかりじゃない。今日の除霊のことも、このあと食べるラーメンの味やにおいもきっと、いつか懐かしい思い出として思い出せる日が来るんだ。

だとしたらどんな思い出も、忘れられない大切な記憶だ。



「臨時休業だったりして」

「おま、縁起でもないこと言うなよ!」

「有り得ますね…」



とりあえず初仕事お疲れ様。私。



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