「あー…昨日の餃子のせいで、まだ息にんにく臭いわ…」
口に手を当ててそう言う霊幻先生に目を向ける。私はポケットからある物を取り出した。
「ブレスケアいります?」
それは緑の蛍光色の口臭除去剤。それをかざすと、お!と珍しそうな顔をした。
「おっ、意外と女子高生ぽいとこあるんだなー」
「…あげませんよ」
「うそうそ。ありがとな」
何気に失礼なことを言う霊幻先生に、渋い顔で手のひらに数粒それを落とした。霊幻先生は面白そうに笑っている。
今日は火曜日の放課後。特に呼び出しもなかったけど、一応新人だし寄ってみるかということで事務所に来た。
すると、すでにモブくんもやって来ており、今は3人で何となくだべっている状態だ。
「…それ、グミ、ですか?」
ふいに、霊幻先生の手のひらに乗ったそれを見て、不思議そうに言ったのはモブくん。
たしかに、すごい蛍光色だし、初めて見たらびっくりするかも。
「これを食べるとにんにくとかの強烈なにおいを消してくれるんだよ。モブくんもいる?」
「そ、そうなんですか!すごいですね…。じゃあ、もらいます…」
驚いたようにそう言って手を差し出したモブくんに、霊幻先生と同じように数粒ブレスケアを渡す。
先にそれを口に入れていた霊幻先生に習って、モブくんも同じようにした。
「……うっ、これ、けっこう、あの…すごい味ですね…」
程なくして苦虫をかみ潰したような顔をするので、まさかと思い慌てて告げる。
「もしかしてモブくん、噛んだ!?それ、薬みたいに飲み込むやつだよ!!」
「ぅえっ!?」
「ブッハハハハハ!!!モブ、お前まじかよ!めちゃくちゃ不味いんじゃねーか!?」
「も、モブくん!お水!!」
横で爆笑する霊幻先生にイラッとしつつ、急いでカバンから水を取り出してモブくんに渡す。
ぺこり、と軽くお辞儀をして、モブくんは水とともにブレスケアを飲み込んだようだ。
「だ、大丈夫…!?ごめん、ちゃんと言わなかったから…」
「大丈夫です。ナマエさんのせいじゃないです。ちょっと口の中が爽やかなだけですから」
「フ、ハハハハハ!!!」
「……」
「れ、霊幻先生」
「ハハ、ハ…わ、悪い」
「………」
「すまん」
「…いいですよ」
「……」
まさかブレスケアでこんな騒動になるとは思ってなかった。ごめんモブくん。
一段落着いたところで、モブくんが握っていたペットボトルに気づき、私にお礼を言って渡す。
「あっ、ナマエさん。お水、ありがとうございました……あ、」
「うん。?、どうかした?」
「い、いえ…」
「そう?」
なんだか急に視線を逸らしたモブくんを不思議に思いつつ、何も無いと言うので特に追求はしなかった。
受け取ったペットボトルをカバンの中に戻す。
「それにしても昨日は焦ったなー。部屋あの惨状のまま放置してたからな。そりゃ慌てて電話かかってくるわ」
思い出したように霊幻先生が言った言葉に、苦笑いがこぼれる。
実は昨日、あのあと無事ラーメン屋は開いていたのだが、食べている途中で依頼人から電話があり、その内容が部屋の惨状についてだったのだ。
除霊して一件落着、とすっかり忘れていた。
私たちは慌てて残りのラーメンと餃子をかき込み、にんにくくさい状態で再びあのアパートに戻った。
もちろん私の仕事ということで、きちんと綺麗に元通りにしてきた。
部屋に入って数十秒で出てきて、部屋がすっかり元通りになっているのだから、依頼人は「イリュージョンだ…!!」と喜んで料金を上乗せしてくれた。
おかげで私たちは無事、即日お給料をもらうことができた。
「でも、すげーよな。手も触れずに一瞬であの部屋元通りにしちまうなんて。モブもだけどさ。まあ、俺は霊専門だからできないだけだけどな」
最後にすごい負け惜しみとも言い訳とも取れる言葉が聞こえたけど、まあいいや。
初対面の時に説明したけど、私には物なら触れずに、人なら触れることで壊れたものや怪我をなおす超能力がある。ただし病気や自分の怪我は治せない。
「でも、自分の怪我は治せないって、皮肉なもんだよなあ…」
霊幻先生が私の頬の傷を見てそう言った。表情から、心配してくれているのがわかる。
「大丈夫です。かすり傷だし、すぐに治りますよ」
「ナマエさんの力は、僕と違って人に向けていい優しい力です」
そう言ったモブくんは自身の手の甲をすっ、と撫でてみせた。そこは昨日ガラス片で傷つけて、私が治療したところだ。
「うん…でも、私がなおせるのは壊れたものや怪我だけだから。モブくんみたいに命は救えないよ」
そう言うと、2人とも不思議そうな顔をして私を見た。
「それって、念動力のことを言ってるんですか?」
「うん。昨日もたくさん助けてもらったし、私一人じゃとても除霊なんてできないなあと思って…」
「何だ、珍しいじゃねーかお前がしおらしいなんて」
「どういう意味ですかそれ」
珍しいも何も、入って2日なんですけど。そう思うけれどもう既に二度も一緒に修羅場をくぐってきたせいか、妙にお互いのことを理解しているように感じるのは私だけではなかったのだ。
そう思うと少し嬉しく感じる。
「そのことで、思ったんですけど僕……」
「あっ!もうこんな時間か!そろそろ依頼人来るからお前らスタンバイな」
モブくんの言いかけた言葉を遮って、事務所の時計を見た先生が思い出したように大きな声を上げた。
「えっ、今日依頼あったんですか」
「ああ。カンタンな除霊だから俺一人でするがな…。モブは一応受付とか雑用要員で呼んだけど、お前は昨日の今日で疲れてるだろうと思ってな」
「そ、そうだったんですか。ありがとうございます……って、えっ!!先生、除霊できるんですか!?」
意外な私への気づかいに気を取られ、お礼を言っておわるところだった。
いや、それより重要なことがある。まさか、先生が一人で除霊するなんて、できるなんて。にわかには信じ難い。
「はあ?何言ってんだ俺は天才霊能力者、霊幻新隆様だぞぅ??お前らの師匠であり先生!!できるに決まってるだろーが」
「……え、は、……いや、まじで?」
さも当たり前に言われて開いた口が塞がらない。モブくんも特に突っ込んでこないし、もしかして先生、本当に霊能力者なの……?
まさかの新事実に考え込んでいると、先生が焦れたように言う。
「こら、来ちまったんたら手伝えよナマエ。まあ、たぶんやることないと思うけど。オイ、モブは荷物持って受付な。案内しろよ」
「はい」
「んじゃ、ナマエはそこのパソコンデスク座って、もし何か調べ物があったら言うから、検索して伝えるなり印刷するなりして手伝ってくれ」
「は、はい。わかりました」
「まあ、今日の客は事前に話聞いた限りでは何もないと思うけどー…」
テキパキと仕事モードになる先生はたしかに敏腕霊能力者と言われれば信じてしまうかもしれない。けれど、モブくんからはあれほどビシバシと感じる霊気が、先生からは全く感じないのは何故だろう……
霊気を隠せるほどの実力者なのか?それとも、やっぱりただのペテン師なのか……?
「(うーん、怪しい…)」
そう考えているとカンカンカン、と事務所の階段を上る足音。依頼人が来たようだ。私は指示されたパソコンデスクに座った。
☆
依頼人は施術室へと案内された。
聞いていた感じ、疲労やストレスからくる肩凝り、腰痛を霊現象と勘違いしているように感じたけど、どうなんだろう。仕事帰りのくたびれたサラリーマンだったし。
何だか霊幻先生は「肩凝り、腰痛の9割は霊のしわざ」って言ってたけど、やっぱりあの人詐欺師なのかな。
「あの、ナマエさん」
そう考えながらパソコンデスクに座っていると、ふいに受付に座るモブくんが話しかけてきた。そちらに顔を向ける。
「何?」
「さっき言ってた、念動力のことなんですけど」
そういえば、さっき何か言いかけていたけど、そのことかな。先生に遮られた話。
あくまで席から立たず、受付業務を全うしながら話すモブくんはちょっとかわいい。とても真面目な子だと思う。
「うん」
「あれ、ナマエさんにもできるんじゃないかと思うんですよ」
「…………えっ」
何の話かと思えば、予想外のことを言われて一瞬フリーズした。
私が?念動力……いわゆるサイコキネシスを使える?そんなまさか。
にわかには信じ難い話だけれど、もしそれが本当だとしたら、嬉しいような、怖いような。
実は昨日、念動力を使うモブくんを見て思った。私にもこの能力かあれば、2人を怪我させることなく除霊ができたのに、と。
そんな昨日の今日だから、モブくんの話は魅力的に思える。けれど、もし私が人や物をふっ飛ばしたり、破壊できる力を持ったなら、それはなおす能力とは違って、私の手に余るのではないか。
「そ、そんなわけないよ。今までだって、そんなことできなかったし」
「でも、日常生活で物を浮かせよう、とか飛ばそう、とかあまり思わないですよね?」
「………それは、まあそうだけど…」
説得力があるんだかないんだかよくわからないモブくんの言葉に困惑する。
素直に受け入れたい反面、嘘であった方がいいと思う自分もいる。そもそも、本当に念動力が使えたならマヌケだ。私は超能力に目覚めて約10年間、自分のもう一つの能力に気づかなかったということになるから。
それとも、非日常的な体験や、自分以外の超能力者と出会って、刺激されて能力が開花したとでも言うのだろうか。
「昨日、部屋をなおしたナマエさんを見て思ったんです。ナマエさんは、手を触れずに部屋中の壊れたものを一瞬でなおしましたよね」
「…うん」
「それって、僕の使うサイコキネシスとそっくりだったんですよ」
「…………そう、言われてみれば、」
たしかに、昨日、悪霊が部屋中のものを竜巻のようにして私たちを襲おうとした時、モブくんが使った念動力は空中で物を静止させていた。
私のなおす能力も、手のひらをかざして、部屋中のものを移動させ結合するものだ。
「手を触れずに物を動かしている時点で、念動力を使えてるんじゃないかと思ったんです」
「……」
「……ためしに、そこのハニワ。割ってみませんか?その場所から」
モブくんが指さしたのはテレビの横に置かれたなんとも言えない顔のハニワ。けっこうかわいい。
モブくんにそう言われて、ごくりと喉を鳴らす。もし、これで本当に割れたらどうしよう…自分の中の未知なる力に戸惑いながら、手のひらをかざした。
壊してなおせる能力。それは魅力的なようで、実は倫理観をぶち壊す恐ろしさを孕んでいるのではないか。
程なくして、
パリンッッ!!
いとも簡単に、ハニワは無残に砕け散った。少しの間、呆然として、やがて静かにその子を元に戻す。
「……やっぱり、ナマエさんにもありましたね、念動力」
「………そんな、まさか」
信じられない思いで自分の手のひらを見つめる。まるで、自分なのに自分じゃないみたいだ。それがとても恐ろしく感じる。でも、
「…これで、モブくんたちを守れるね。少し恐ろしいけど、これはきっと優しい能力になる。私はそう使う」
これが脅威になるかどうかは、能力を使う私自身にある。今は手に余るこの能力だけど、きっといつか立派な器となって誰かを守るために使ってみせる。
自分の中の迷いや恐怖を打ち消すように、ぎゅっ、と手のひらを握った。
そう言った私に、モブくんはハッとしたような表情をして、静かに頷いた。
「僕も、きっとそうします。大切な人を守るために…」
何かをもう一度決意するように、きゅ、と膝の上で拳を握りしめたモブくん。私は、自分の新たな能力の目覚めとともに、モブくんが抱える力との葛藤を少しばかり感じた気がした。それを少しでも共有できたら、彼の肩の荷も軽くなるかもしれない。そう思った。
☆
「いや〜〜〜先生!!すっかり肩も腰も楽になりましたよ!!いやほんと、幽霊っているんですね!!ありがとうございます!!!」
施術室から出てきたサラリーマンのお兄さんは、清々しい顔をして先生にお礼を言っていた。
パソコンデスクに座る私にもにこやかに会釈をされたので同じく頭を下げる。お兄さんはそのまま受付へ向かった。
「えっと、マッサージ代40分コースで3800円になります」
あ、やっぱマッサージだったんだ。そらそうだわな。
あっさりとそう告げたモブくんに、横で何やら霊幻先生がわちゃわちゃしてる。
結局、霊幻先生まさかの本物の霊能力者疑惑はデマということがわかり、私もサイコキネシスが使えるということがわかり、一件落着だ。
超能力も、マッサージが上手いのも、弁が立つのも、みんな個性だ。クラスにいろんな子がいるのと同じように、世界にはいろんな人がいるだけだ。
きっと、その程度に思っておけばいいよね。
「ありがとうございましたー」
霊幻先生の声に、私も奥から声をかける。晴れやかな顔で事務所を出ていく依頼人を見送った。
ふいに喉が乾いたなと思ってカバンから水を取り出して一口含む。そこで気づいた。
「……(あ、間接キス)」
さっきモブくんが水を飲んだあと、何やら言いたげな風だったのを思い出す。それに妙に気恥ずかしく感じつつ思った。
「(青春だなあ、)」