ストゥと呼ばれる制裁を加えるための棒(乱用は許されないらしい)で喧嘩両成敗となった杉元と私は大人しく今しがた投入されたばかりのシャチ肉が踊る鍋を囲んで正座していた。白石の提案でシャチから取れた大量の脂を使い竜田揚げを作ろうということになったらしい。肉と交換に酒や醤油を調達してきた白石の交渉力はやはり頼りになる男だと思わせた。
臭み消しに肉を酒と醤油に漬け込んで、片栗粉をまぶして油で揚げる。現代に比べると質素な明治時代の食事の中で、やはり揚げ物というのは少し特別に感じる。パチパチと薄い黄金色の油の中で揚がったそれを皿代わりに重ねた樹皮の上へ取り上げてゆく。それぞれいただきます、と手を合わせてかぶりつけば、中から溢れ出す肉汁にはふはふと口から熱い湯気がこぼれる。



「はちっ、はちぃ……」


「………」


「アシリパちゃん食べないの?」


「…このシャチは人を殺した悪い神だから食べられない」


「アシリパさん。辺見和雄に致命傷を負わせたのは俺だ…俺が殺したんだ。だからそのシャチは」


「そうだな」


みんなが美味しそうに竜田揚げを頬張る中で一人手を付けずじっと座っていたアシリパさんに声をかけたのは白石。聞けばいつか彼女が語ってくれたウェンカムイ、人を殺し悪い神様になってしまった動物は口にしないという掟。それを厳粛に守ろうとするアシリパさんに杉元は自分が殺したのだ、と言い聞かせるも、彼女は頑なに拒否する……と思いきや。あっさり杉元の言い分を認めたアシリパさんは独自解釈を交えてモッサモッサとわんぱくに竜田揚げを頬張り始めた。さすが頼もしい。



「別にこのシャチは辺見を食べたわけじゃ無いしなッ。人を食ったウェンカムイを食べるなっていうのは単純に気持ち悪いからかもな。ヒンナヒンナ」



「………」


「そもそも人を殺して食べたヒグマをウェンカムイと呼んで必ず討ち取りこらしめるのは人の弱さを知って人肉の味をおぼえた危険なヒグマを野放しにしないためだったりするんだ、きっと。だからヒグマ以外はウェンカムイとは言わないんだ、多分」


「竜田揚げ食べたいからってアイヌの教えを都合よく解釈するんじゃないよ!」


いつになく饒舌なアシリパさんの解釈にはたぶんとかきっとなど曖昧な表現がふんだんに盛り込まれているが、この食欲をそそる香ばしい香りと黄金色の衣を前にしては致し方ない。杉元の的確な突っ込みをよそに、私たちは食事に感謝する言葉を口々に述べてその熱々の竜田揚げを頬張った。
そして白石が先ほど舟上で獲ったという子持ち昆布も食べることになり、案外というかイメージ通りというか、白石は器用に包丁と竹串を用いて串揚げを作ってみせた。それもまたサクサクプチプチ、程よい塩味でお酒が飲みたくなる美味しさだった。


そんな一時の団欒の中で、私は約一年ぶりに再会した白石にきちんと伝えておかなければならないことがある。一先ず食事を終えた私たちはそれぞれ片付けや胃を休めたり、思い思いの時間を過ごしていたが、私が不意に白石の方へきちんと向き直ると、彼もまた何事か、とこちらへ注意を向ける。



「白石」


「エッ、ど、どしたのナマエちゃん改まって……」


「女将のこと、助けてくれてほんとにありがとう……」



心なしか緊張した空気に、白石が居心地悪そうに目を泳がせる。なんとなく、改まった空気や真面目な話や責任のあることを、この男は嫌っている気がした。白石の生い立ちは知らないが、初めて彼と出会った時、気はいいがあくまで利害の一致がなければその笑顔はこちらへ向けられることはないのだろうと思った。そんな男が、別れ際に私へ告げた忠告。そして第七師団というこの男にとってできれば関わり合いたくないだろう奴らを相手取って、危険を犯してまで女将を助けてくれた。その感謝の気持ちを、次に会えたなら必ず伝えようと今日までこの男を探してきたのだ。



「……や、やめろよナマエちゃん!!俺は辛気臭ェのは御免なの!!」


「……」


「それに、俺だってきちんと報酬があったから助けたんだぜぇ??そうでなきゃ、あんな危ねー橋を渡るのはもう懲り懲り……」



予想いていた通り、白石は真正面から素直な言葉を投げかけられるのは苦手みたいだ。頬をかいてみたり、視線を泳がせたり、終いには口笛でも吹こうかと唇を尖らせるものだから、私は白石のその忙しない手を取って、その案外節の張った男の手を、両手でしっかりと包み込んで祈るように感謝を告げた。
そんな私の行動に行き場を無くしたもう片方の手は宙を彷徨い、握られた手のひらはじんわりと汗ばんでいる。心なしか、脈拍も早く感じる。私は目一杯の感謝の気持ちと、ほんの少しの下心を込めて白石の手を握り続けた。彼が私の味方であり続けてくれますように、と。



「あーーハイハイ終わり終わり。さーーお片付けしましょうねーー、鶴見中尉来ちゃいますよーー」




そんな私たちを引っ剥がしたのはまるで引率の先生のような台詞とともに白石の顔面をぐい、と押しのけた杉元であった。ぐえ、と変な声とともに頬を潰された白石は砂浜に転がる。以前の小樽の森での野宿では、自分は酒に酔い潰れて片付けはアシリパさんに任せ切りだったと言うのに、今は率先してこなす杉元に白い目を向けると同じく鋭い視線で睨まれた。


「…白石よォ、ちょっとこのひとに気を許しすぎだろ。あの鶴見中尉が、仮にも一度逃げ出した人質をこんな首輪までつけて飼うと思うか?俺なら迷わず足の腱を切って地下牢にでもぶち込むね。どこぞののっぺらぼうのようにさ」


「残念逃げ出したのは一度じゃなく二度だけどね」


「ホラーー!!前科二犯じゃん!!」


「つまり杉元が言いたいのはーー…私がすでに鶴見中尉の仲間だってこと?」



暗に杉元が白石へ伝えたかった言葉を、自ら口にした。途端に先ほどまで和やかだった海辺の空気がひりつくようだった。杉元佐一は警戒心の強い男だと思う。私の中に、彼の好まない何かが琴線に触れるように存在するのかもしれない。だとしたらそれは少し残念だ。だって私は、少なくともあの小樽の森の中で一切の迷いなく告げた彼の言葉を、あの時の表情を、眩しいと感じたのは紛れもない事実だったから。惚れた女のため、大切な誰かのために戦っているのはこの男も私も同じはずなのに。



「……そうなのかよ、ナマエちゃん」


「……ふ」


「フ?」


「ふっっっっざけんな!!!って言いたい!!!」



「どうしたナマエ!!」



「けど半分正解。だって私はこの後第七師団へ戻るつもりだから。残念だけど、アシリパさんたちと旅を共にする気はない……」


「んなのハナっからこっちも思ってねーよ」


「あン?」


「やんのかゴラ?」



まさか命の恩人である女将を人質に取られ、監禁され、挙げ句首輪までつけられて犬扱いされているというのに、そんな男の仲間だなんて、こんな屈辱的な誤解はない。しかしかと言ってこのまま再び逃げ出し、アシリパさんたちと行動を共にするという考えもまた、私の中にはなかった。アシリパさんや白石に申し訳ない気持ちで伝えたその言葉を、関係のない杉元に揚げ足を取られ再び睨み合いに発展するも、隣でストゥを手のひらへ打ち付けるアシリパさんの動作に私たちの視線はそれぞれ気まずそうに外れた。



「……けどさナマエちゃん、七ツ屋の女将はもう本州へ逃したし、アンタも未来とやら?嘘か真かは知らねーが、帰る場所があるんだろう?いつまでも変態中尉に飼われてる必要はねーよ」


「鶴見中尉は女将の居場所をすでに把握してるよ」



「………」



「……それに、私が着いていくって決めたんだ。鶴見中尉に」



「…どうして、」


「……それは、……女将の息子が、日露戦争で戦死したとされていた息子が、網走監獄の中で生きていると聞かされたから。金塊の鍵を握る、のっぺらぼうとして」



この三人へ伝えなければならなかった言葉を、ようやく口にすることができた。俄には信じ難い、衝撃的な内容に白石は「まじかよ…、」と小さくこぼし、アシリパさんは「それは誰から聞いたんだ?鶴見中尉か?」と出処を確認しようとする。杉元はといえば一人ただ眉間に皺を寄せ私の話を聞いていた。



「私も無闇に信じてるわけじゃないよ。仮に女将の息子がのっぺらぼうだとすると、そもそも時系列がおかしい。網走監獄の集団脱獄が今から四年前で、日露戦争はその次の年。彼は戦場にいたはず」


「それに仮にあーー……鶴見中尉の言う“身代わり”?にされたとしてもぶち込まれるのは網走じゃなく軍事監獄だろうぜ」


「……軍と典獄に癒着があったとか…?」


「それはない。少なくとも第七師団と網走監獄典獄の犬童四郎助は金塊を巡って対立してる。どちらも相手を殺す機会を窺ってるよ」


「………」


「……だったら、何故鶴見中尉はそんな嘘をついたんだ……?」




「ナマエさんの中に、鶴見中尉の必要とするものがあるからだろ」




よっこいせ、と今まで黙って聞いていた杉元がようやく口を開き発した言葉は、さもそれが真実であるように置き去りにされ、当の本人は腰を上げると外套の尻についた砂を払い、凝り固まった体をほぐすようにひとつ伸びをして見せた。水平線の向こうでは静かに日が落ち始め、シャチの解体作業をしていたアイヌたちもそのバラした肉塊を舟に詰め込み、自分たちのコタンへと運ぶ準備を始めたようだった。

そしてそんな杉元の意見に私も概ね同意だった。初めて会った時から、鶴見中尉は私の中に何かを見ている。私が鶴見中尉に着いていくと決めた理由のほとんどは、女将の息子が生きて網走監獄にいるかもしれないという、それが事実かどうか確かめたいというものだったが、それに付随して心の何処かで知りたいと思ってしまった。あの男が私の中に何を見るのか、その正体を。あの男が私に向ける視線は窮屈で、そして優しかった。



「…私は網走監獄へ行く。私がそう望むなら、その手助けをしてやるからそれに報いろとあの男は言った」


「……鶴見中尉の策略にまんまとハマったワケだ」


「……そうかもね」


「刺青人皮を追う以上、のっぺらぼうの正体を知ることは避けて通れないからな」


「私たち、またどこかで会うかもしれないな」



やはり皮肉を置き土産に一人足早にこの話題から抜けた杉元は夕日に染まり始めた砂浜をなんとはなしに歩き始めた。その後ろ姿を見送って、アシリパさんと、白石と、もう一度最後にお互いの目の奥を見つめ合った。次に会う時もまた、できれば二人が味方であればいい。そう願うのはやはり自分の利益のためと、そして大切な人たちと傷つけ合いたくないからだ。


そうして楽しい宴はお開きとなり、私は血まなこで私を探しているだろうおっかない上等兵殿が迎えに来るのを浜辺で待つことにした。それとなくブーツのつま先で砂を蹴って遊んだり、子供のような暇つぶしをしているとなんだか童心に帰ったような気がして気づけば鼻歌がこぼれていた。



「ーーやあ、いい歌ですな、お嬢さん」



不意に、波音に混じって低い男の声が耳に届いた。見ればそこにはいつの間にか、長い白髪を潮風に靡かせた老人ーーと言うにはあまりに背筋がしゃんと伸びた、切れ長の鋭い目をした男がそこにいた。


「……どうも、」


「なんという歌なのかな?」


「……早春賦という、春の訪れを待ち侘びる歌です」


「そいつはいい」


私も春が好きでね、そう言って少し笑ったその老人は若い頃は……もといもしかすると今でもご婦人たちが黄色い声を上げるのではないか、と思えるほどに格好が良かった。老人は外套を羽織っているが、その下はシャツと、黒のベストにストライプの細身のパンツとブーツ……どこか既視感のある服装な気がして、考え倦ねているうちにも老人は軽く挨拶をして杉元たちが向かった鰊番屋の方へ歩いて行ってしまった。
春と聞かねば、知らでありしを。聞けば急かるる胸の思いを。この北海道という地において春の訪れを待ち侘びる気持ちは一入だろうと、去ってゆく老人の背中を見送り私は歌の続きを口ずさむのだった。


07062023



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