近頃はいいことがあって気分がいい、と鶴見中尉は考える。紳士風の口髭を蓄えた初老の男が思わず鼻歌を歌うほど。しかしそんな姿も妙に絵になるものだから、その強面に凄惨な傷跡という風貌にも関わらず道行く婦女子がちらと視線を寄越したりもする。

伏し目がちに卓上の皿の上、三本の串団子に視線を落とす鶴見の背後からは陽の光が差し込み、逆光が彼のシルエットをよく浮き彫りにする。そんな鶴見の対面に座ったーーもとい拘束された男は差し出された団子を訝しげに見つめた。しかし久しく甘味を口にしていないからか、それともまさか毒は盛られまい、と高を括っているのか、ともかく結局団子を口にした男はそれなりに満足そうに頬張っていた。



「ふじみ、ふじみ………」


「……」


「川岸で瀕死の部下が見つかり、指で文字を書いた」



口元に笑みを湛えたまま男は串団子の一本を手に取ると何の躊躇いもなくその上質そうなアンティーク風の円卓に団子のたれで文字を書いた。ふじみ、それが何を意味するのか一番理解しているのは拘束された男ーー顔に痛々しい傷跡を持つ杉元佐一その人である。徐々に自分が窮地に追い込まれていることを悟った杉元は足早にこの場を去ろうと挨拶を残して立ち上がるが、そんなことは許されるはずがないことはこの場にいる誰もが理解していた。
座れ、と左右後方から自分の頭を狙う銃口に杉元は言葉の通りに従うしかなかった。再び椅子に腰を下ろした杉元に俯いていた鶴見中尉は確信とともに犬歯で団子に齧り付くと杉元へ言葉を投げかけた。それは質問ではない。辿り着いた事実である。



「尾形上等兵をやったのはお前だな?不死身の杉元」



空気が一層ひりつくのを肌で感じた杉元はそれを煽るように自分の後頭部を狙う不気味な双子に軽口を叩く。それにまんまと乗ってしまう双子ーー二階堂兄弟の血の気の多さは相変わらずで、先ほど蕎麦屋ーーもとい娼館の前で派手にやり合った因縁もあり三人の間には一触即発の雰囲気があった。


近頃小樽で刺青の囚人らしき男たちの目撃談が相次いでいた。質屋、私娼窟、そしてそれを探る人間も。店先での男と二階堂兄弟の乱闘を威嚇射撃で鎮圧した鶴見だったが、その大立ち回りはいつか旅順攻囲戦にて目撃した鬼神の如き戦い振りのその男を思い起こさせた。不死身の杉元。“ふじみ”、なるほど、点と点が線で繋がった訳である。


「なぜ尾形上等兵が不死身の杉元に接触したのか……それはお前が金塊のありかを示した入れ墨の暗号を持っていたからだ。…とここまで話がつながることを恐れて我々から逃げ出した」


「……」


刺青人皮を持っているのだろう?どこに隠した?、内緒話をするように囁く男の仕草は静かに迫り来る恐怖を感じさせた。しかし杉元も伊達に修羅場を潜ってきた訳ではない。肝だけは人一倍据わっていると自負している。
あくまで白を切る杉元は軽口を交えてのらりくらりと躱してみせる。そんな彼の冗談に鶴見も乗ってみる。背後では上官のブラックジョークに気後れすることもなく存分に笑う下士官たち。一見和やかにも見える彼らを取り巻く空気はしかし風船に空気を入れ続けるような危うさを孕んでいた。いつ破裂するかわからない、まさに一触即発とはこのこと。




「……たいした男だ、まばたきひとつしておらん。やはりおまえは不死身の杉元だ。」




その均衡を破ったのは鶴見中尉の方だった。躊躇なく左頬から反対側まで、頬を貫いた団子の串は痛々しく杉元の顔に突き刺さったままであった。しかし微動だにしない男に鶴見は半ば感心したように自身の中の確信を深める。とはいえ、これでハイそうですかと両者引き下がるわけにはいかない。
決して逃がすつもりはない、と言うように圧力をかける鶴見に杉元は彼を上目に睨みつけては無言を貫く。かとおもえば鶴見もまた先ほどまでの興奮はどこへやら、途端に落ち着いた表情を見せると二人の間には暫しの沈黙が流れた。それが額の傷による情緒不安定なのか、それとも本来の気質なのか、知るところではないがその空気に居心地の悪さを感じた二階堂ーー浩平の方が一度歩兵銃を構え直してガチャリと金属音がその場に響いた。



「……時に、彼女が世話になったね」


「……何の話だ」


「外出許可を与えてやったらまんまと監視役を騙し逃げたお嬢さんのことだよ。部下の証言はこうだ。“顔に大きな傷のある軍人風の男と逃げた”ーーと。」


「貴様のことだろう、杉元佐一」



背後で銃を構える二階堂浩平の肩がぴくりと揺れた。その様子を横目に捉えつつ、杉元佐一はまさかそんなところからも攻められるとは思わなかった、と内心舌を巻く。

正直なところ、あの女は放っておくべきだったのだ。杉元は未だにそう考える。情を持つにはあまりに過ごした時間が短すぎた。もっとも、この男が利益や自分の目的を差し置いて他人を優先するというのは、現時点ではアイヌの少女の他に例を見ないのだが。
あの日、狙撃手ーーもとい尾形上等兵とともに崖の下へ落下したナマエを彼の相棒であるアシリパが助けると言って聞かなかった。尾形はともかく、ナマエだけは助けたい。そんな頑なな彼女に杉元は折れるしかなかった。そうでなくとも、彼女の前には強く出られないところがある。そして川岸まで降りた二人は真冬の川の中で重なるように倒れ、意識を失った彼女たちを必死の思いで引っ張り上げ、そこに運良くか悪くか第七師団の兵士がやってきたという訳である。



「彼女は今軍病院で療養中だ。意識ははっきりしている。時期に回復するだろう。見舞いにでも行ってやったらどうだ?手土産にこの団子を持っていくといい。病院と店の住所を教えてやる」


「そいつァよかったな。だが生憎俺はその女を知らねーし見舞いに行く義理もねぇ」


「ーーつまり私が何を言いたいのかというと」



穏やかな笑みを浮かべた鶴見中尉の表情に杉元の心はざわついてゆく。別にあの女がどうなろうと知ったことではない。アシリパさんは悲しむかもしれないが、彼女の耳に入らなければいい話だ。ただ、しかし、この目の前の中尉とやらはずいぶん夢見の悪い方法を好んで選択する。気味が悪く、いけ好かない野郎だ、と杉元は内心悪態をついた。



「刺青人皮の在り処を彼女にも訊ねることができるということだ。彼女が知っているかは問題ではない。訊ね方も、少々荒っぽくなってしまうかもしれないがーーいいさ、逃げ出した悪い子だからね」


「………」


「それを踏まえて、今夜はここに泊まるといい。連れて行け、二階堂兄弟」



ここに泊まるといい、だなんてよく言ったものだと杉元は考える。要するに、ただの監禁である。ナマエと同様に。鶴見中尉の命令に敬礼とともに小気味良い返事をした二階堂兄弟は、その態度とは対象的に乱暴に杉元を部屋から連れ出す。


つまりはお前が吐かなければ彼女が拷問を受けることになる、助けるほど情のある相手なのだろう?ということだ。川岸で四名の兵士が発見した二人の様子は自力で這い上がって来たように見えた。しかし医者の診断を聞けばどちらも片腕が折れ、特に尾形上等兵は重症だった。どちらか片方の意識があったとして、もう一人を抱えて川岸まで移動できるだろうか?そもそも、お互いに助ける義理もないのである。そうなれば自然第七師団が到着する前に第三者の介入があったと考えるのが妥当だろう。




「……もし俺が彼女を知っていたとして、きっと彼女はこう言うだろう。“鬼軍曹は手強かったが、見張りの双子の片割れはずいぶん素直に心を開いてくれた”、とな」




捨て台詞、とはこのことだろうか。連行される最中、思いついたようにそう吐き捨てた杉元の言葉に間髪入れず歩兵銃を振り上げた二階堂浩平の打撃が彼の顔面に命中する。そしてやれ鼻血を出すやら、鶴見の命令で止めに入る一等卒やら、第七師団兵舎の一室はてんやわんやの騒ぎであった。


25102022



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