私が目覚めた二日後に尾形上等兵の意識が一時的に回復した。顎が割れ、利き手も骨折している状態でなんとか力を振り絞って彼が示した言葉。“ふじみ”。世話役としてその場に居合わせた宇佐美上等兵は彼の渾身のメッセージをすぐさま鶴見中尉、そして刺青人皮を探しているのだろう他の兵士たちへ伝えた。それは尾形上等兵が第三者と揉み合った結果崖から滑落した可能性を示唆していて、つまり網走の脱獄囚かそれを追う人間に繋がる手掛かりを探しているのだ。そうなれば否応なしにその場に居合わせた私への疑惑も深まるばかりで。



「ぐっ、!?……ケッホ、……だから!!私はほんとに何も知らないって!!森へ逃げて、そしたら尾形上等兵に見つかって、揉み合いになってそのまま崖から落ちた」


「……お前さあ〜〜〜嘘つくならもっとマシな嘘つきなよ。仮にも軍人が女相手にやり合って崖から落ちるわけないだろ?」


「だっ、……ゲホゲホ!!ちょっと!!その引っ張るのやめてよ!!」



無遠慮にベッドの上に蹲踞む(それも土足で)宇佐美はもはや初対面の時の爽やかさも礼儀正しい敬語もない。私は上体だけ起こしそんな奴から後ずさるように距離を取る。が、彼の望まぬ言葉を言うたび、身を引くたびにぐい、とその手綱を引っ張られて体は前へつんのめる。手綱、とは信じ難いことだが現代で言うリードである。リード、そう犬を散歩させる時のアレである。あろうことか宇佐美は逃亡の危険があるから、とどこかで調達してきた大型犬用の首輪を抵抗する私に無理やり装着したのである。その日から私はことあるごとに今現在のような仕打ちを受けている。耐え難い屈辱。そんな不満と攻撃意志を目で示せばまたもリードを引っ張られてただでさえ小さめの首輪が締まる。


「こんなの……現代だったら宇佐美即効お縄だよ………人権侵害もいいとこだよ………」


「あはは、そういやあなた未来から来たとか言ってましたっけ?全然興味無いけど面白い冗談ですね」



「一層冗談だと思ってくれたらこんなことにはならなかったんですけどね」


「え?似合ってますよ、その首輪。鶴見中尉殿を誑かす卑しい愛玩動物みたいで」


「罵倒のレパートリーがすごいな」



こんなことに、と自分の首に巻かれたそれを自虐的に引っ張ってみれば宇佐美はきょとんとして似合っているとかほざき出す。それが罵倒なのか本心なのか測りかねるこの男の発言にはもうついていけない。宇佐美も宇佐美で一向に口を割らない私にひとつやれやれ、とため息をついて、シングルベッドの軋む音を残してようやく私の上から退いた。大方、一度は意識を取り戻した尾形が全快すれば事の真相を聞けると踏んでいるのだろう。


「……」


そうなれば、杉元やアシリパさんが危ない。尾形の示したふじみ、というメッセージはあの時聞いた『第一師団の不死身の杉元』を意味するのだろう。除隊したとはいえかつて身内であった彼の正体へ行き着くにはそう時間はかからないはず。そうなると私の嘘がバレ、加えて彼らと繋がりがあったことも知られてしまう。なんかもう、四面楚歌である。今度こそ爪の一枚やニ枚では済まされないんじゃないか。


尾形上等兵、申し訳ないけどできれば目を覚まさないでくれ。元はと言えばアンタが悪いんだ。と少し人でなしなことを考えたところで、病室の外、廊下の奥から聞き慣れた軍靴の鋲の音が聞こえてきた。月島軍曹だろうか、とそちらへ注意を向けると、しかしその足音は些かせっかちで神経質な印象を与えた。誰だろう、また新たな問題を運んでくる人物でなければいいが、と一抹の不安を覚える私に、その足音の人物が入り口の向こうから顔を出す。


その人物は整えられた口髭を蓄えた背の高い中年の男だった。宇佐美同様、小樽の兵舎では会ったことがない人物だ。男は隣に眠る尾形上等兵を一瞥した後、その視線をこちらへ向けた。鋭い切れ長の目に見つめられて些か緊張する。私の隣では宇佐美上等兵が先ほどの私への態度が嘘のように背筋を伸ばして敬礼し、気持ちの良い挨拶をした。その様子からこの男がずいぶん上の階級であることがわかる。



「和田大尉殿。旭川より遠路はるばるご苦労様です」


「尾形上等兵の容態は?一度意識を取り戻したと聞いたが」


「はい。昨晩一度、ほんの数分のことでした。その際の彼の行動は報告の通りであります」


「そうか。引き続き注意を払え。何かあればすぐに報告しろ」


「ハッ、」


「……それにしても、尾形上等兵ほどの兵士がこの始末、その他四名の兵士が行方不明……武器弾薬を旭川本部から持ち出し……鶴見は一体ここで何をしているのだ!?ーー加えて、」



部屋へ入るなり矢継ぎ早な質問と口調でこの場の空気を忙しなくかき乱した男はどうやら第七師団大尉ーー鶴見中尉の上司であるらしい。加えてご丁寧に男が説明してくれた情報は私にとって色々と便利なものであった。宇佐美の言っていた“単独行動をしていた尾形上等兵”、四名の兵士が行方不明、そして勝手に持ち出された武器弾薬。それらが導き出すのはこの金塊争奪戦は政府からの命令ではなく鶴見中尉単独の思想と行動によるもの。もしくは少なくとも第七師団全体で動いている任務ではないということだ。つまり、第七師団は一枚岩ではない。
ずっと知りたかった事の核心を突く情報に和田大尉ナイス、と内心彼とハイタッチをする。



「加えて、なんだこの女は!?なぜ一般人が軍病院にいる!?そして何だその首輪は!?!?」

「あ、これ逃走防止用です。鶴見中尉殿のご意向です」


「鶴見の!?」


「助けてください(昼飯のたくあんを盗まれたり)ひどい拷問を受けてます」


「鶴見め……気が違ったか……宇佐美上等兵、すぐに解放してやれ。私は鶴見の元へ向かう」


「了解しました」



なんだか人の順応とは恐ろしいもので、首輪をつけられることに当初ほど違和感を覚えていない私だったが、初見の和田大尉にとっては衝撃的だったようでわなわなと震えながらこちらを指さしてきたものだから少し面白かった。そしてようやく第七師団で話の通じそうな人が来たな、と束の間の平穏を感じる。
そうして宇佐美上等兵に指示を出したあと、敬礼の姿勢を崩さない彼を置いて和田大尉は鶴見中尉の元へ向かったらしい。遠ざかるやはり神経質な足音に行かないでくれ、と内心思う。だって二階堂も、前山一等卒も、月島軍曹も、そしてこの男も。つまりは私の監禁に加担していた男たちはみんな鶴見中尉側の人間だということだ。そんな宇佐美が素直に和田大尉の命令に従う訳はなく、彼が去った後姿勢を崩した宇佐美はあからさまにケッ、という顔をする。


「……解放してくれる?」

「んなワケねーーだろ」


「ですよね〜〜」


ダメ元で胡散臭い笑顔を浮かべて打診してみれば事もなげに拒否された。知ってたけど。しかし彼らがみんな鶴見中尉の手中だと言うなら、この、隣で眠る男は?
私だってまだまだ負けてられない。やることがあるんだ。さっきはできればもう目覚めないで、なんて言ってごめん、と内心謝る。この絶望的な状況で一縷の望みがあるとしたらそれは尾形上等兵だ。都合よく手のひらを返した私はどうか早く元気になってくれ、と心の中で願うのだった。


24102022



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