「お風呂に!!!入りたい!!!」



女がそうゴネ出したのは数週間前のことだった。年が明けて半月ほど経った頃、唐突に女は普段自分の身の回りの世話……もとい監視役の双子の兵士の片割れにそう主張した。その兵士ーー二階堂浩平は突然の女の我が儘に少し目を丸くしたが、まあ、監禁されてから二ヶ月以上、汲んだ井戸水で体を拭うだけの清拭では女であれば特に不満も募るだろう、と理解した。しかしともなれば女を銭湯へ連れていかねばならない。そんなことを捕虜に許可できる筈がない、と至極当然のことを考える。そしてそれを女へ伝えた。


“だからあのこと、お願いしてね”


そう耳打ちをした女の意図するところは以前から切望していた入浴のことだろうと二階堂は察した。ポケットに忍ばせた飴玉はさておき、近頃顔を合わせればその話題ばかり振ってくる女に二階堂はいよいよ辟易していた。そしてたしかにそのくらいのことは許されても良いのでは、という思考すら芽生えていた。その時点で女の思う壺なのだが、何せ部下たちは鶴見が何故この女をこれほど手元に置いておきたいか図りかねていた。加えて中々尻尾を掴めない“刺青人皮を売り払った客”を追い続けることにも手を焼いていた。つまり近頃の兵舎には停滞した空気が漂っていたのだ。



そして、そんな空気を帝国陸軍第七師団軍曹、月島基もまた感じ取っていた。眼前で背筋を伸ばしあの女について報告する部下、二階堂浩平に静かに視線を注ぐ。その隣には兄なのか、弟なのかどちらかは知らないがーー彼の双子の片割れの姿はなかった。報告を終えた二階堂に月島は口を開く。



「珍しいな、二階堂。お前がそんな進言をするとは」


「…女が、余りにも再三煩いもので。一先ず鶴見中尉殿の耳に入れて頂こうと」



二階堂の言葉にそうか、とだけ告げた月島は暫しの間を置いた。二階堂は相変わらず不健康そうな無表情を貼り付けているが、沈黙の中探るような視線を向ける月島に内心居心地の悪さを感じていた。
双方ともあえて核心に触れぬ口ぶりは厳しく追求されるよりも心理的負荷をかけていた。ややあって月島が普段通りの落ち着いた口調で話を再開する。


「話はしてやるがあまり期待するな。中尉殿はただでさえお忙しい。捕虜の女の風呂事情になど構っていられる暇はないだろう」


「はい。ありがとうございます」


当たり障りのない答えといえばそうだが、訊ねたところで返ってくる返事は十中八九不可、だろうことは月島も二階堂も理解していた。にも関わらず二階堂が月島へ進言したのは一先ず掛け合ってやった、という事実をあの女へ伝えるためだということに月島はすぅ、とその鋭い目をさらに細めた。
初めはなんの因果か、鶴見劇場に巻き込まれた不憫な一般市民の女だと思っていた。それが押収した私物には得体の知れないものが山ほどあり、約二ヶ月間の監禁生活で好戦的であり警戒心の強い双子の片割れを……言い方は悪いが月島には上手く手懐けているように見えた。それも恐らく洋平に比べ多少幼さの残る浩平の方を意図的に選択している。二階堂兄弟のどちらがどんな性格かなど、そんなことを気にする人間は第七師団にいないだろうがーーと月島は考える。自分以外には。


「二階堂」

「は、」


敬礼ののちこの場を去ろうとした二階堂の背中に彼を呼ぶ声が投げかけられる。それに反射的に再度額に手を当てる体制へ戻ったのだが、そんな二階堂へ月島は淡々と問いかけた。



「あの女の名前は、なんと言ったか」



他人が聞けば特別な質問ではなかった。しかしその問いかけに二階堂は通常よりも数秒の間を置いて、そしていつものあの真意の読めない無表情で答えた。女の名前など、気にしたことはなかった。以前は。この時の二階堂の心情はその表情に反して想像することは容易かった。けれど口に出された言葉は裏腹だ。


「さあ、なんだったか。忘れました」


その言葉が嘘であることは月島も二階堂自身もよく理解していた。今度こそ失礼します、と彼が部屋を後にした扉の閉まる軋んだ音だけがその場に残り、月島はひとつ息を吐くと性悪女め、と内心悪態をつくのだった。


01102022



prev | index | next

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -