女が世話になっていた質屋の女将が逃げたらしい。無論、目の前でライスカレーに喜ぶ阿呆面の女はそれを知る由もない。この女が監禁されて約二ヶ月。年は明け、北海道は本格的な厳しい冬を迎えていた。女の部屋はもちろん炬燵などなく、この寒さの中毛布と掛け布団で乗り切っていた。やはり女と言えど人質であることには変わりない。そんな女の見張り役ーーもとい世話役を任された二階堂兄弟、この場合浩平はさっさとこんなクソさみー部屋を出て居間の炬燵で温まりたい、と考える。
女の食事が早く終わらないものか、とその風景をぼんやり見下ろしていた浩平だったが、ふと日課である手紙を渡すことを忘れていたと思い出す。



「オラ、今日の分の手紙だ」


「あ、ありがと浩平」



カレーを食いながら返事をする行儀の悪い女に顔をしかめながら手紙を渡す浩平。名前の呼び捨てに関しても、最早咎める気力は起きなかった。それを受け取って早速喜々と読み始めるたった数行の短い手紙に、ほんの僅かに浩平の良心が痛んだ。というのも女将が逃げ出してからは彼女の筆跡を真似た兵士が手紙を代筆していたからだ。もちろんその理由は、女将が無事に(かどうかは知る由もないが)逃げたと知れば、女もまたどんな手段を使ってでも今度こそここを逃げ出す可能性があるから。反対に言えばそれほどまでに鶴見中尉殿はこの女をこの場に留めたいらしい。


「……カレーライスはね、あ。この時代ではライスカレーなのか」

「お前のその未来人とかいう法螺話は聞き飽きた」


「だからほんとに未来から来たんだって。未来ではライスカレーもお湯で茹でたりレンジでチンするだけで食べれちゃうんだよ」


「……………意味がわからねえ………そんなわけねえだろ………(れんじでちん?)」


「ほんとだって。たしかあと六十年もすれば食べられるよ。浩平ギリ生きてんじゃない?」


「六十って……お前俺をバケモンかなんかだと思ってんのか。あと六十年も生きれば俺は八十過ぎだぞ」


「あ、平均寿命も違うのか……」


そんな荒唐無稽な話をしながら女はライスカレーを完食した。ご馳走さまでした、と手を合わせる姿は約百二十年後の未来でも同じらしい、と考えて浩平はまんまと女の術中に落ちていると考えを改める。
鶴見中尉殿が押収した女の私物には数冊の本と、舶来品のような菓子と、化粧品や、何か板のような機械(のように見えた)など様々な得体の知れないものがあった。
そして女は時たまこうして自分の故郷を懐かしむように話をする。おおよそ思いつきで話しているならとんだペテン師だ、と思わせるような荒唐無稽でいて、そして冷たく荒れた北海道の地に居ながら自由と少しの希望を感じさせるような未来の話。いつの間にか浩平は心のどこかでそんな女の話を楽しみにしている自分がいた。女は自分のことを“浩平”と呼ぶ。周りは自分たちを二階堂と呼ぶのに。浩平、と。


「私が小さい頃はね、まだ料理ができなかったからその簡単カレー、レトルトカレーばかり食べてたよ。うちは父子家庭だったから」


「……感染病で死んだのか?」


「ううん。母は私を生んだときに亡くなったの。未来では結核も不治の病じゃないしね」


「フーーン…」


「浩平や洋平の家族はどんな人たち?」


「べつに、普通の親だよ」


「家族が恋しい?」


「そういうお前はどうなんだよ」


「……私はわかんないな」



普段飄々とした態度を崩さない女が時折り見せる隙に浩平は好奇心をくすぐられる。血液で汚れたシーツや浴衣を前に自分に助けを求めたときも、今も。気づけば洋平と交代で女の見張りをしていたところをほとんど浩平がその担当をしていた。その事実に女は気づいているのか、気づいているのなら見てみぬ振りをしているのか、女が次に紡ぐ言葉を知りたい、と思ってしまう自分がいることを浩平は決して認めたくはなかった。


「おい、浩平。交代の時間だ。食器を下げてお前は休め」


「あ、ああ……」


そんなことを考えている内に扉の先には交代の洋平の姿があった。浩平は我に返ったように曖昧な返事をするといつものように食器を乗せた盆を持ち上げると部屋を後にしようとした。そんな屈んだ彼の耳元に「浩平、」とほんの二人の間にしか届かぬ女の囁き声がこぼれた。思わず動きを止めた浩平の耳許で内緒話をするように女は言葉を紡ぐ。


「浩平が少しでも故郷を思い出せるように、贈り物」


そう言って軍服のズボンのポケットに女は何かを押し込んだ。不意に触れられて浩平は図らずも内心動揺したが、何事もなかったように部屋を後にする。そして離れ際に「だからあのことお願いしてね」と続けた女の言葉に浩平は自分がいいように利用されているのでは、ということを薄々感じ取っていた。しかし確かに女の言うことも一理ある、などと同情に見せかけた言い訳を携えて浩平は本日の勤務を終えた。
後にポケットに押し込まれたものを確認すると個包装された飴であった。飴が一つ一つ包装されているとはなんとも滑稽だ、と思いつつそこに描かれたみかん……もとい本当はオレンジの絵を見て浩平は女の言葉を理解する。


“浩平が少しでも故郷を思い出せるように”。


その言葉の通りに封を切って口に入れようかと思ったが、やめた。得体の知れない物だし。何が入っているか知れん、などとお決まりの言い訳を内心で述べつつ、その飴を今度は軍服の内ポケットへ大切に仕舞った。そうして彼が向かうところは、あの男の元である。


12092022



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