「わ〜〜!!なんか知らんけどめちゃくちゃ蕎麦屋ありますね!?あ!!あんなところに車!!!」


「………」

「この時代にももう自動車あったんですね〜〜」


「………」

「…………。」



き、気まずい。こちらは気を利かせて喋っているというのに、眼前を歩く男はうんともすんとも言いやしない。加えて縦一列に並んで歩く私たちに往来を歩く人々は好奇の目を向けてきた。というのもそれは現在、私の両手首をきつく締めている縄が原因である。

ここ半月、私はしつこいほどに二階堂浩平へ銭湯へ行かせてくれ、と嘆願してきた。その甲斐あってか先日とうとう浩平が准士官へ掛け合ってくれたのだ。その話は鶴見中尉にも伝わり、下された判断は銭湯へ行くことを許可する、というものだった。ただし監視役として“月島基軍曹を同行させる”という条件付きで。そして今に至るというわけである。


「………」


往来を行く人の賑やかな声が聞こえる。外へ出たのは約三ヶ月振りだった。格子越しの小さな窓から見ていた空は久しぶりに見ると余りにも天高く、前を行く男の背中を追う足取りは少し覚束ない。この三ヶ月間、二階堂浩平の同情を引くことや自由を制限される生活には苦労したが、毎日届く女将からの手紙だけを励みになんとか生きてこられた。
その手紙が数日前、第七師団の誰かの手により代筆ーーもとい偽装されていることに気づいたのが、この作戦を実行するタイミングだった。もっとも、これほど簡単に外出許可が出るとは思わなかったので拍子抜けだが。鬼軍曹の監視付きとはいえ。


女将から届く手紙に横読みが仕込まれていることに気づいたのは年が明けて少しした頃だった。この時代にタイムスリップして間もない頃はよく町中の看板を見ては左から読んでああ、逆かという間違いをよくしていたが、そんな話を女将にしたことを思い出した。
女将から届く手紙は縦書きの短い文がいくつか並んでいるだけだが、その暗号に気づいてから数日前に遡って手紙の文頭を繋げてみた。するとそこに記されていたのは『白石が助けに来る』、というもので、その数日後には横読みは使用されなくなった。きっと白石が女将を逃したのだ、と直感的に悟った。何故なら白石が女将の頼みを引き受けたとして、第一に考えることは相互人質となっている女将を逃がすことだろうから。そして女将と私を天秤にかけた時、白石が選ぶのは間違いなく女将の方だろうから。



「…あれは乗合自動車だ。小樽港から旭川までを繋いでいる。自動車はまだ一般には普及していない」


「あ、そうですか…バスみたいなものですね?」


「蕎麦屋が多いのはこの辺りは私娼窟が多いからだ。営業許可を得ていない娼婦が二階の座敷で客を取っている」


「な、なるほど…」


そんなことを考えていると不意に今まで黙っていた軍曹が口を開いた。かと思えば私の疑問に淡々と的確に答える口ぶりはまるで明治のウィキペディアか何かだろうか、と思わせた。これが浩平ならば「お前の法螺話は聞き飽きた」ともはや恒例になりつつある突っ込みが入るだろうが、この男は否定も肯定もしない。
眼前を行く男の背丈は鶴見や二階堂兄弟たちよりも低いが、その背中は広く、そして誰がお前に絆されるものか、という無言の拒絶を感じた。この男とはほとんど口を聞いたことはないが、どうやら見た目の男臭さに反して他人の性格や心の機微に敏感らしい。大方、私が何らかの目的で二階堂浩平に取り入ったことに感づいている。そしてその何らかの目的、とはもちろん逃亡の機会を得ることである。



「着いたぞ」



そう言ってこちらを振り返った月島軍曹はやはり鋭い視線でこちらを射抜くと手綱を引いて中へ入るよう促した。そこは兵舎から最も近い第七師団御用達の銭湯であるという。果たしてこの男を上手く撒いて逃げられるのか、という不安と覚悟を決める思いでひとつごくりと喉を鳴らした。







中へ入るとそこは現代人の想像する銭湯と然程変わらない作りだった。男女を隔てた扉を潜るとそこには番台があり高齢の女性が番頭として座っていた。開放的な脱衣場の先には洗い場へ続く扉がある。


「あら兵隊さん。今日はお一人?」

「いえ、今日は彼女の付き添いとして来ました」


番台を隔てた先の男湯の脱衣場で番頭の女性とそう言葉を交わす月島軍曹。どうやら名前は知らないまでもやはり顔見知りではあるらしい。そう言いながら彼女、である私を示すためにぐいと手綱を引っ張られると拘束された両手につられて体がつんのめる。


「あの、これじゃ体洗えないんですが」


「贅沢を言うな。手が使えんなら足でも人に頼むでもやりようがあるだろう。俺は中尉殿からお前の見張りを任されている。逃げられる危険性のあることを許可することはできない」


「……(クソ理屈っぽいな〜〜)」


「あらあらそういうプレイ?」


なんだか番頭のとんでもない言葉を聞いた気がしたが、番頭を隔てて、番台と下駄箱の隙間から顔を出しての攻防はなかなか滑稽である。しかしそもそも、肝心なことをこの男はわかっているのか。


「服、脱げないんですけど」

「……」

「着物のまま風呂に入れと言うんですか?」


拘束された腕を持ち上げながら至極当然のことを訴えると、月島軍曹は表情は変わらないながらも失念していた…、という心の声が聞こえそうな微妙な沈黙が三人の間に流れた。そしてややあってわかった、とこぼした月島はやはり無表情で淡々と告げる。


「縄を解いてやるから今ここで脱げ。着物はこちらが回収する。入浴を終えたら番頭に声をかけろ。着替えを返してやる」



裸では逃げられんだろう、という判断とそれともここでは脱げないか?という挑発だと受け取った。番台を隔てて睨み合う私たちをよそに番頭はゆるゆると団扇を仰いで風を送る。そこで月島は思い出したように番頭へ入浴料を片手で払った。その間も視線は外れない。そんな頭のおかしなカップルか何かかと思った男湯女湯双方の客たちが好奇の目を向け始めた頃、わかりました、と返事をした。



「脱ぐので縄を解いてください」



そう言って腕を差し出すと月島は無言でその固い結び目を解していった。どうやらこの男はずいぶん私のことが嫌いらしい。


02102022



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