「さゆりちゃん」



布団の温もりに包まれて、微睡む意識の中で私の名前を呼ぶ、誰かの声が聞こえた。


どうやら、眠っている私のことを起こしに来たようだ。でも、私はまだその布団の中の心地よさに甘えていたくて、頭まで布団を被りその声に無視を決め込む。


「さゆりちゃん、もうすぐ9時になるよ。疲れてるかもしれないけど、そろそろ起きないと……」


するとそう急かす声が聞こえ、肩をゆさゆさと揺すられる感覚がする。もう、うるさいな、もう少し寝させてくれたって……


「…………っ!!」


私はそこで薄目を開けて初めてその声の正体に気づき、慌ててがばりと布団から起き上がった。「うわっ!」と横の方で驚いたような声が上がる。


「……ご、ごめんさゆりちゃん。吃驚したよ、いきなり起き上がるから」


鳩が豆鉄砲をくらったような顔のままそう話す、少し垂れ目がちな瞳を持った男──谷崎潤一郎に、私は同様に目を白黒させた。


私は今パジャマだし、髪の毛も寝癖で大変なことになっているし、人に見られるのが非常に恥ずかしい格好だというのに何でこいつは。


「……そ、そっちこそ吃驚させないでよ!!寝てるところに突然谷崎がいるから……心臓止まるかと思ったわ!!」

「……え、あ、ご、ごめん」

「……………」


するとすぐに申し訳なさそうに眉を下げて、謝ってくる谷崎。


……そうすぐに謝られると、何だか此方まで申し訳ない気持ちになってくる。


私は黙って視線を左右に泳がせた後、口を開いた。


「……別に、そんなに謝んなくていいんだけど」

「あ、そっか、ごめん………」

「……………」


会話を成り立たせるのは取り敢えず諦めて、私は頭の中で状況を整理した。


そうだ、私、爆発事件が起こってからナオミちゃんの強引な提案で、怪我が治るまで谷崎の家に泊まることになってるんだった……


昨日は散々抵抗したけど叶わず、谷崎の家に来てすぐに「さゆりさんは早く寝ないと駄目ですよ?」とナオミちゃん言われ布団に運び込まれて、そこですぐ寝てしまったのだ。


それで今、この状況である。いくらナオミちゃんの願いでも、矢張り無理してでも断るべきだった。この先が不安で仕方ない。


「まあ、いいや。兎に角さゆりちゃん、お早う。よく眠れたみたいだね。よかった」


そんなことを考えていた処を、谷崎がそう言って私に向かって微笑んだ。


私はその優しい笑顔に、何だか胸がぎゅっと縮まるような感覚を覚えて勝手に顔が熱くなってしまう。顔が赤くなっているのを悟られないように、私は慌ててふいと横を向いて顔を逸らした。


全く、どうして、私は谷崎のこの笑顔にこんなにも弱いのだろうか。昨日といい、今といい。


「……あれ、さゆりちゃん?どうしたの?顔、赤いけど……もしかして、熱でもあるとか!?」

「いやいやいや!違う!!違うから!!大丈夫だから!!」


すると、谷崎は私の顔の赤さをちゃっかり感知していたらしい。私の額に手を当てようとする谷崎を急いで引き離す。


すると、「あ、そっか、ならよかった」と安心したように微笑む谷崎に、私はまた顔を逸らした。


「それでなんだけど、さゆりちゃん、お腹空いてない?……朝ご飯、できてるんだけど」


そんな私に、谷崎が控えめに笑いながら私に声をかけてきた。


朝ご飯。その単語を聞くだけでお腹が鳴りそうになってきてしまう自分の体が憎いが、取り敢えず谷崎の言葉に甘えて立ち上がる。


そして、食卓まで向かおうとした処をふと考えた。


「お早う」と誰かに言われたのは、起きたら朝ご飯が用意されているのは、何年振りだろう。良く覚えていない。

そういえば、昔──谷崎と、付き合っていた頃も、よく家に来て朝食や夕食を作ってもらっていたような気がする。その頃は、谷崎以外に美味しいご飯を作ってくれる人はいなかった。

私は料理が壊滅的に下手だし、本来料を作るべき家族には──少しばかり、問題があったからである。


私は一旦立ち止まり、谷崎の方を振り返ってもごもごと口を動かした。一応、これだけは──言わないといけないと思った。


「……おはよ、谷崎。……あ、ありがとね」


すると、本当に嬉しそうな笑顔を浮かべる谷崎に、引いてきていた顔の熱が再発してきそうになって思わず目を逸らした。


ああ、本当に、先が思いやられる。
- 7 -
prev | next
back


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -