懐カシイ温度



「………ッ…………………………………!?」


「………さゆり、ちゃん……………………」



私はーー彼に抱き締められていることに気づき、一気に心臓の鼓動が加速するのを感じた。



もう幾年ぶりの、彼の体温、匂い、感触に、きゅうっと胸が締め付けられる。すぐさま突き放したい筈なのに、何故だか私は言葉を発することも、彼の私よりずっと大きな背中を引き剥がすことも、できなかった。


「良かった………………本当に良かった………さゆりちゃんが、無事で………………」


彼は私のそんな様子に気づかず、さらにぎゅうっと抱き締める力を強くする。そのあまりに取り乱した彼の姿に色々な感情が溢れてきそうになるものの、力を掛けられた腕が急激に痛み、「痛っ」という声が反射的に漏れた。すると慌てたように「あ、ご、ご免………!」と腕の力を弱め私の体の拘束を解く彼。


「…………ご、ご免ね、久し振りに会ったし、2日も眠ってたから、その、感動しちゃって…………」


そう辿々しく頭を掻きながら言う彼に、此方にも照れが移ってきてドギマギとした気持ちになってしまう。そして、自分への羞恥が一気に湧き上がってきた。



ーー私、先刻、潤くんに抱き締められてた…?しかも、けっこう長い間……………!!



「………あ、え、一寸さゆりちゃん!?駄目だよまだ動いちゃ!!」


「う、うるさいわよ!!大体、何で私がこんな所に…………」



彼の言葉に言い返そうと口を開いた時、逃げ出そうとした私を再び痛みが襲った。私はその痛みに為すすべなく、呻き声を上げて白いベッドに倒れ込む。

あー、だから言ったのに………と言う彼に一気に羞恥で顔が熱くなるが、私はただ黙って彼を睨むことしかできず、八つ当たりとは知りつつも彼に鋭い口調で尋ねた。



「ていうか……………此処、何処なの」



すると彼はああ、と思い出したように言って、笑顔で私に語りかけた。



「そうだ、その説明が先だったね。此処は、武装探偵社の医務室だよ。」


「武装、探偵社……………!?」




私は彼の口から発せられたその名前を聞いて、急速に危機感を募らせた。


武装探偵社といえばーー我らがポートマフィアの敵であり、潰すべき対象である組織の一つだ。そんな正義の組織である探偵社に、私が保護されているだなんて……………もしかして、軍警に引き渡すために彼が探偵社に運んだ?否でもそれにしては対応が丁寧すぎる。ならば…………………



「もしかして潤く……谷崎は、武装探偵社の、社員……………?」



恐る恐る尋ねてみると、彼は少しだけ眉を下げ控え目に微笑んで告げた。



「……うん、そうだよ、一応。でも、他の調査員の人に比べれば全然大したことないンだけどね」



彼の唇から紡がれた答えに、私は急激に彼との距離が開いていったような気がした。



ーー嗚呼、彼は、光の世界を生きているのだ。



沢山の人を助け、沢山の人を笑顔にする、正義の仕事に就いて、きっと幸せな日々を過ごしている。




ーーそれに比べて、私は。




沢山の人を殺し、沢山の人の笑顔を奪い、沢山の屍を踏み越えて生きている。


まるで、光と闇のようなものだと思った。彼と私の世界には、絶対に越えることのできない厚い壁がそびえ立っている。


私は、自分の膝に視線を落としてぎゅっと拳を握り締めた。

私は、此処に居てはいけない。でないときっと、私みたいな闇の住人は光の熱量に焼き殺されてしまう。マフィアに戻れるかどうかは判らないけれど、早々に此処から遠い、何処かへと逃げなければ。


「…………………谷崎」


「何?さゆりちゃん」



私の呼び掛けに優しい微笑みを向ける彼。それにずきりと胸が痛んだものの、私は此処から逃げるため彼に嘘を吐こうと思った。そうすれば、余計な面倒を振り撒かないで済む。


「谷崎、私………………」

「兄様あああっ!大丈夫でしたかあ?」

「おわっ!ちょ、ナオミ!?……って痛った!?」



突如、鈴の音のような声を上げながら走ってきた学生服の少女が、谷崎に向かって凄まじい勢いで抱きついた。

私はその声にも聞き覚えがあった。彼に向かってこんな勢いで抱きつくことができる人物なんて一人しか居ない。



谷崎の妹ーーナオミちゃんである。



「ああ兄様、ご無事で本当に良かったですわ。依頼で酷い爆発事故の現場に訪れたと聞きましたので………私、先刻から心配で胸がはちきれそうで」


と、そこまで言った処で、私の存在に気づいたナオミちゃんが私の方に目を移し、驚いたように大きな瞳を丸くさせた。


そのまま暫く沈黙する彼女に、私は谷崎と私に起こったあの事件のことが蘇ってちくりと胸が痛むのを感じた。


もしかしてーーナオミちゃんは、私のことを嫌っているのではないだろうか。谷崎を、あんな目に逢わせてしまった私を。


きっと、そうに違いない。矢張り、私なんてーー此処に居て良い人間ではないんだ。そう考え、今度こそ彼に嘘を吐いて此処から逃げ出そうと口を開こうとした、その時。



「……さゆりさんっっ!!!」

「え?……うわあっ!!」



ナオミちゃんは突然瞳をぱあっと輝かせたと思ったら、勢い良く私に向かって腕を伸ばし抱きついてきた。

私は混乱のあまり体の怪我の痛みも忘れ、ただ抱き締められたまま呆然と固まるしかなかった。



「お久しぶりです、さゆりさん……!また会えて本当に嬉しいですわ!」

「え………ちょ、ナオミちゃ…………え?」



私の予想とあまりにかけ離れたナオミちゃんのテンションに思わず目を白黒させてしまっていると、それを察したのか谷崎が私に助け船を出した。



「……あーこらナオミ!さゆりちゃん怪我してるンだから気をつけないと」

「……………あら、ご免なさい、私としたことが。久し振りで感動してしまってつい」



ナオミちゃんは谷崎に宥められて私から離れ、にこりと昔と変わらない可愛らしい笑顔で微笑んだ。

私はその表情に、心の奥から温かいものがじわりと滲んでくるような感覚を覚えて涙が溢れてしまいそうになる。何だか、ほんの、ほんの少しだけーー二年前に戻れたような気がして。

そしてナオミちゃんは私の手を取って興奮気味に口を開いた。



「そうですわ!私、さゆりさんに聞きたいことが山ほどあるんですのよ!!」



ねえ、兄様もそうでしょう?と言ってナオミちゃんは私の手を握った状態で谷崎の肩に勢い良く頭をくっつけた。ドン、と少し鈍い音がしたような気がした。

そんなナオミちゃんに谷崎はははは……と乾いた笑いを零したが、すぐに私の方に目を移すとまるで日溜まりのような優しい笑顔を向けこう続けた。


「そうだね。ボクも、さゆりちゃんの今までのこととか色々聞きたいな」


そして昔と変わらないしっかりとした眼差しで私を見る谷崎に、私は胸が再びドキドキと高鳴るのを感じて思わず目を逸らした。

何で、どうして、こんな気持ちになってしまうんだろう。決別するってーー決めたはずなのに。


「それじゃあ、私から質問させていただきますわね!先ず、さゆりさんはどうしてあのビルの中に居たのですか?」


すると、ナオミちゃんがいきなり核心をつく質問をかまし私は一気に窮地に立たされてしまった。

冷静でいようとする自分の意思に反して、目がきょろきょろとあちらこちらに泳いでしまう私に、ナオミちゃんは不思議そうに首を傾げる。



「どうしたんですか?さゆりさん」

「え、あ、いや、あのその………」



私はどんな嘘を吐けばいいかと、焦りをいっそう募らせたその時、


「やあお嬢さん。できたら私達にもそのお話、聞かせてもらえないかな?」


唐突に聞こえた若い男の声。少し驚いてその声の方を振り向くと、扉の近くに長身の男が二人立っていた。

一人は黒い蓬髪に人の良い笑顔を浮かべ、もう一人は眼鏡をかけ如何にも気難しそうな表情をしている。多分、声を掛けたのは前者の男の方だろう。

そしてその男は私の寝ているベッドに歩み寄り至極愉快そうな口調で私に言った。


「真逆、あんな酷い爆発事故に君みたいなお嬢さんが倒れているとは思ってもみなかったからねえ。本当羨ましいなあ。私も彼処に居合わせてたら苦しまずに自殺できたのに」

「え、じ、自殺………?」

私がその男の意味の判らない理屈に混乱を覚えていると、谷崎が乾いた笑いを零しながら「気にしないでいいよ」と言った。何なんだ一体。

するともう一人の男が溜め息を吐いて口を開いた。


「おい、貴様はこれ以上周りに迷惑を振りまくな。少し黙っておけ。それより、早くこの小娘に事情を聞かねばならんだろう」


そう先刻の男に吐き捨てると、くるりと向きを変えて顔を此方に向けた。

その瞳に宿っているのは、私に対する疑念、訝しみの感情。


「小娘。お前は何故あんな処に居たんだ?あの会社はお前のような十代の娘が居るような場所ではないぞ。何か隠していることでもあるのではないか?」


核心を突いた男の言葉に、私は先程の動揺が再発して更に加速するのが判った。


確かに私はあんな所に居るには不自然だし、一人だけ怪我をするだけで済んでいるというのもよくよく考えてみれば明らかに怪しい。どうしよう、どうやって言い訳すればーー


俯いたまま何も答えない私に、周りの空気がどんどん疑念を孕んだものに変わっていく。張りつめていく空気が更に私の動揺を誘い、どうしても頭が真っ白になって言葉が出てこなくなっていってしまう。冷や汗の滲んだ拳をぎゅっと握り締め、流石に何か言おうと口を開こうとした、その時。



「ああ、さゆりちゃんは関係者なンですよ。あの会社の」



谷崎はまるで明日の天気を答えているかのように、ごく普通にさらりと言った。驚いてそちらの方に目を遣るが、谷崎は何一つ動じる様子も無くいつも通り微笑んでいるだけ。そして谷崎はそのまま平然と言葉を重ねていく。



「正確に言うと………情報提供者です。彼女は、あの会社が追っていたマフィアの重要な情報を知っている数少ない人物の一人だった。だから、あの会社が彼女を引き止めていたンです」



ね、さゆりちゃん?と谷崎が私に同意を求めて視線を移し、にこりと微笑んだ。

私はこの状況に戸惑いを覚えて暫く何も言えなかったが、周りの視線を受けて恐る恐る頷いた。


「……ふむ、成る程。そういうことだったのか。すごいねえ、マフィアの秘密を君みたいな女の子が手に入れちゃうなんて」

「え、あ、ああ、はい」


私は混乱を押さえきれず、先刻の自殺男に話しかけられても途切れ途切れに答えることしかできなかった。

そして、様々な疑問が頭の中を埋め尽くす。確かに私はあの会社に情報提供者と偽って何度か調査に出向いていたけれど、どうしてーー谷崎がそれを知っているのだろうか。偶然にしては当てはまりすぎているし、一体何で……………



「そうだったのですね、さゆりさん!早く言って下されば良かったのに」

「わっ!ナ、ナオミちゃん」



すると胴体に軽い衝撃がきてナオミちゃんが再び私に抱きついた。

驚く私と周りの視線を余所に、ナオミちゃんは私の髪の毛先をくるくると弄りながらそういえば、と続けて周りに尋ねる。


「与謝野女医(せんせい)はどうされたんですか?さゆりさん、腕を骨折してしまっていますし…………」


ナオミちゃんが心配そうな声色で言うと、谷崎がそれがね…………と少々口ごもりながら答えた。


「与謝野女医(せんせい)、乱歩さんと一緒に海外へ仕事に行ってて、暫く帰国できない状態みたいなんだよね………」


谷崎の言葉にナオミちゃんは「そうですか………」と言って視線を落とし俯いたが、暫くしてあ、そうですわ!と何かを閃いたように表情を明るくさせて私の方をくるりと振り向いた。


まるで悪戯っ子のような不適な顔で笑うナオミちゃんに、私は急速に危機感を募らせていった。あれ?何だか猛烈に嫌な予感が…………



「さゆりさん、怪我が治るまで私と兄様の部屋に泊まりましょう!きっとそれがいいですわ!」

「え」

「ええええええええええ!?」



私は思わず沢山の人が居る前で絶叫した。え、何それ、何なのそれ。ナオミちゃんが居るとはいえ、何で今会ったばかりの元彼の家に何日も泊まらなきゃいけないんだ。


「い、嫌よそんなの!何で谷崎なんかと………………」


そう言って、同意を求めちらりと谷崎の方を見たが、谷崎は少し照れたように頭を掻きながら黙り込むばかり。それにナオミちゃんがにやりと勝ち誇ったような笑みを浮かべた。



「じゃあ、決まりですわね!」

「いやいやいや!!嫌だよそんなの!!いくらナオミちゃんの頼みだからって…………」

「え〜、駄目、ですか?さゆりさん………」



するとナオミちゃんは途端に悲しそうな瞳になって、まるで子犬のようにしゅん、と萎れて俯いてしまった。瞳には、うっすらと涙が滲んでいるようにも、見える。


私はう、と言葉に詰まった。ナオミちゃんの策略だとは判っている。判っているけれど、私は毎回ナオミちゃんのこの顔に弱いのだ。この顔を向けられると、どうしても彼女に強気に接することができなくなる。


私は俯きながら前髪をぐしゃぐしゃと掻き上げ、はああ、と深い溜め息を吐いた。


「……………………本当にちょっとだからね…………?本当に……………………」

「やったあ!嬉しいですわ!」


私の言葉にぱあっと表情を明るくするナオミちゃんに、私は頭を抱えて再びはあと溜め息を吐いた。嗚呼、結局また、私は谷崎達と訣別することができなかった。私は、こんな温かくて、心地のいい環境になんて居てはいけない人間だというのに。


谷崎達の顔を見れば思い出す激しい罪悪感の記憶が、脳裏に蘇って私にこれでいいのかと悪魔のように囁いて心を揺らす。

でも、何だか今日は、その罪悪感よりもあの笑顔の傍にいることの安心感の方を強く感じてしまっている自分が居た。


そんな風に感じてしまっている私は、矢っ張り昔と同じで弱いままだ。



「それじゃあ、改めてよろしくお願いしますわ!良かったですわね、兄様!」

「あ、う、うん。よろしくね、さゆりちゃん」

「……………………」



私は谷崎の言葉に為すすべなく、二人を無言で睨み返すことしかできない。

その精一杯の抵抗にも谷崎は気づいている筈なのに、彼は一切動じずに笑顔を浮かべるだけ。



ああもう、どうして君はーー諦めて私のことを嫌いになってくれないの。

君がそんなに優しいから、私は。 







描写が分かりづらいですが只今さゆりちゃんは腕を骨折して包帯ぐるぐるの状態です。
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