壱
side 敦
――一杯の茶漬け。
梅干しに刻み海苔、それに夕食の残りの鶏肉――それを熱い白湯に浮かべ、塩昆布と一緒にかきこむ。
旨かったなあ、孤児院で人目を忍んで食った夜の茶漬け。
ていうか――
腹減って死ぬ――
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僕の名前は中島敦。
――故あって、餓死寸前です。
もうどれだけ歩いたのだろうか。既に僕の胃の中身は何も残っていないようで、ついに腹の虫も鳴らなくなってきた。減りすぎて。
(孤児院を追い出され、食べるもの寝るところもなく、かといって盗みをはたらく度胸もなく、こんな処まで来てしまった…)
足元がふらつきながらも立ち上がる。そうだ、生きるためには、盗むか奪うしかない。
だけど――
『お前など孤児院にも要らぬ!どこぞで野垂れ死んでしまえ!』
(五月蝿い、僕は死なないぞ――)
彼奴らの言う通りに死んで堪るか――決意を新たにした。
生きる為だ。次に通りかかった者、そいつを襲い、財布を奪う。
足を一歩踏み出し、辺りを警戒すると、丁度後ろに人の気配がした。
(後ろの人には悪いけど――ごめんなさい!)
ついに覚悟を決め、バッと後ろを振り向いた、すると、
「……………へ…?」
そこにいたのは――とても綺麗な女性だった。
混血(ハーフ)なのだろうか。風に流れる髪の毛は金色で、大きな瞳は海のような碧色(あおいろ)。細い頸や手足は陶器のように白い。
一度見たら誰もが見惚れてしまうような、そんな美しさだった。
真逆財布を奪おうとしていた相手がこんなに綺麗な人だとは思いもよらず、言葉を失ってしまう。同時に申し訳なさが一気に込み上げてきた。
「…………あの、…」
「うわっ、はい!」
いつまでも黙りこくっているのを不審に思ったのか、声をかけられた。こんなに綺麗な人と話すのは初めてで、訳もなく緊張してしまう。
「すみません、その、先刻、倒れていたもので……」
綺麗だけど、随分と抑揚の少ない声だった。本来は無口な人なのかもしれない。
それより、先刻倒れていたの、バレていたのか。穴があったら入りたい。
「あ、いや、それはその、ですね……」
羞恥で挙動が可笑しくなる。しかし、どう説明すれば良いものか…。色々と思案を巡らせていると、再びその人が口を開いた。
「あの、もし、私に何か……」
バシャン。
その人が言い終えないうちに、今鳴る筈のない音がした。
そこにあったのは、脚。川から伸びている。
多分、男の人の。
――脚?
僕逹が固まっている間にも、その脚は沈んだり浮いたりを繰り返した。
…暫く呆然と固まる僕。しかし次第に、ピーピーと鳴き声を上げながら無数の鳥が集り始めるその脚。……流石に少し不憫になってきた。
あーもうどうにでもなれ!
「あ、あのすみません!一寸あの人助けてきます!」
「…あっ」
一応一言声を掛けて川へ飛び込んだ。
――ああもう、食べ物手に入れるの、諦めようかな…
本っ当に先が思いやられる、と僕は独りでに心の中で溜め息を吐いたのだった。
「…相変わらず、太宰さんは、仕様がないですね……」
一方で、川辺で女性がこう呟いていたことを、川の中の僕は知らない。
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