――それから数刻後のこと。

私は出来る限りの勢いでプリンを完成させ、乱歩さんと共に指定の場所へと急いでいた。一方で乱歩さんは相変わらずの調子で、のらりくらりと夜の倉庫街を歩いていく。

「あー面倒だなあ〜非番なのに僕達が駆り出されるなんて」

ふわあと欠伸をしながらぼやく乱歩さんは、急いでいる様子は微塵もない。……大丈夫だろうか。
社内でよく見かける、国木田さんの怒り顔が思い出される。その怒声は主に太宰さんに向けてだったけれど、もしそれが自分に向けられたらと思うと恐ろしい。
少しばかり不安を覚えながら引き続き歩いていくと、突然乱歩さんが私の方を向いて立ち止まった。いきなりのことで、勢い余って乱歩さんにぶつかりそうになりかけてしまう。すると乱歩さんは「慌て過ぎ」と笑って、私の頭をぽんぽんと叩いた。そしていつも細められている瞳をうっすら開いて微笑する姿に、胸が独りでに高鳴る。

「今日のプリン、美味しかった。次はショートケーキでよろしく!」

そう言うとまたくるりと踵を返し、先刻と同じように歩いていく乱歩さん。私は暫く固まってしまったが、直ぐにその後に続いた。

――矢張り、綺麗な瞳、してるなあ。

思い出して再び高鳴る鼓動を押さえて、先を歩いていく乱歩さんを追いかけていった。

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そしてまた暫く歩いていくと、目的地の西倉庫が見えてきた。その周囲に佇んでいる、数人の人影に急いで駆け寄る。

「ご免なさい、皆さん。少し遅れてしまいました……」

私が頭を下げると、よく通る男性の声が頭に降ってきた。

「全くだノエル。呼び出しにはもう少し早く来い!皆待ちくたびれたぞ」

そう怒り口調で言う眼鏡を掛けた男性――国木田さんに私は再び謝罪の言葉を述べた。

「ご免なさい……」

「まあまあ、仕様がないさ。どうせ、乱歩さんに付き合って遅くなったんだろ?」

そう言った艶やかな声の女性――与謝野さんは私の頭を上げさせて微笑んだ。

「いや、でも……」

「そうそう、与謝野さんの言う通りだよ!」

あの美味しいノエルのお菓子を置いていこうって思う方が可笑しいよね、矢っ張り、と私の後ろに立っていた乱歩さんが声を掛けた。乱歩さんがさらりと私のお菓子を美味しいと言ってくれたことが嬉しくて、思わず答える言葉を失ってしまう。

「ノエルさんのお菓子、そんなに美味しいんですか?食べてみたいです!」

その微かに気まずい沈黙を破ったのは、いつものように麦わら帽子を首に掛けた少年――賢治さんだった。私はその無邪気な声に我に帰って、賢治さんに声を掛ける。

「それじゃあ、今度賢治さんにも作って持って行きますね。勿論、皆さんにも」

そう言うと「良いんですか?ありがとうございます!」と丸い瞳を輝かせる賢治さん。その反応が嬉しくて微かに口元を綻ばせていると、国木田さんが溜め息を吐いて一つ切り出した。

「……まあ良い。それより、中の太宰は如何なっているのだ!こんな手紙だけ渡して、俺には何も説明しやしない。くそ、彼奴はどれだけ俺の計画を乱せば……」

国木田さんが言いかけたその時、突然ドオッという低い轟音がして、皆が一斉に倉庫の方を向く。

「この音は………」

私が呟くと、国木田さんは途端に真剣な表情になり皆に声を掛け始めた。

「虎が動き出したようだ……皆で周囲を固めるぞ!」

あとは太宰が上手くやってくれるだろう、と呟いたのを皮切りにして皆が倉庫の向こうへと散り散りになって駆けていく。勿論私も人のいない所へと駆けて行った。きっと、太宰さんが解決してくれる、そう確信を持って。

そして暫く轟音が鳴り続けた後、突然ぱったりと音が止んだ。私はそれに気づき国木田さんの元へと走っていく。私が着いた時には皆はもう集まっていて、出入口のシャッターの前に立っていた。そして国木田さんは険しい表情で眼鏡を指で押し上げる。

「未だ如何なったのかは判らないが……取り敢えず皆で中に入って確認してみるぞ」

そう皆を見渡して伝え、私達が頷くと国木田さんを先頭にして倉庫の中へと入っていく。人影や荷物の隙間から倉庫内を覗いてみると、鶴見川で会った少年――中島敦さんが床にビタンッという音を立てて顔からうつ伏せに倒れる光景が見えた。

――わあ、あれはかなり痛そうです。

「おい、太宰!」

すると私の少し前に立っていた国木田さんが倒れている少年の近くに立つ太宰さんに大声で呼び掛けた。そして太宰さんが振り向いてそれに応じる。

「ああ、遅かったね。虎は捕まえたよ」

太宰さんが少年の方を指差すと、国木田さんは虎の正体に感付いたようで一瞬駆けていこうとした足を止めて目を丸くした。

「その小僧……じゃあ、そいつが」

「うん、虎の能力者だ。変身してる間の記憶がなかったんだね」

太宰さんが告げると国木田さんは今までの緊張が解けたのかはあと溜め息を吐き、頭を掻いて一枚の紙を見せた。

「全く――次から事前に説明しろ。肝が冷えたぞ」

その小さな紙には太宰さんの字で、私に電話で伝言した旨のことが書いてあった。

「おかげで非番の奴らまで駆り出す始末だ。皆に酒でも奢れ」

その国木田さんの言葉と共に、賢治さん、与謝野さん、乱歩さん、そして私が、倉庫の中に入っていく。薄暗い倉庫内で、窓とシャッターから射し込む月光と街灯の灯りだけが室内を照らしていた。

「なンだ、怪我人はなしかい?つまんないねェ」

与謝野晶子――能力名『君死給勿』

「はっはっは、中々できるようになったじゃないか太宰。まあ僕には及ばないけどね!」

江戸川乱歩――能力名『超推理』

「ええ、すごいです。こんなに早く捕まえられるなんて」

ノエル・キャリー――能力名『ハーメルンの笛吹き』

「でもそのヒトどうするんです?自覚はなかったわけでしょ?」

宮沢賢治――能力名『雨ニモマケズ』

「どうする太宰?一応区の災害指定猛獣だぞ」

国木田独歩――能力名『独歩吟客』

「うふふ、実はもう決めてある」

太宰治――能力名『人間失格』

太宰さんは腕を組んだまま指を一本立てて、意味ありげに微笑を浮かべた。そして倒れている少年の方をちらりと一瞥すると、いつもの人の良い笑顔になって私達の方に向き直り告げた。

「うちの社員にする」

太宰さんがその言葉を発した瞬間、皆が驚きで暫し沈黙した。そして響きわたる国木田さんの驚愕の声。

「はああああア!?」

私は皆が太宰さんの提案にそれぞれの反応を示す中、太宰さんの言葉を頭の中で反芻した。成る程、敦さんを社員にするだなんて――確かに、思い返してみれば敦さんは、非常に社員にふさわしい人物だったかもしれない。流石、太宰さんですね。

そんなことを考えていると、ふと隣に立っていた乱歩さんと目が合う。すると乱歩さんは悪戯っぽく目を細めて、「何だか……面白くなりそうだね」と小さく呟いた。私はそんな乱歩さんに微笑み返して、一言だけ答えた。


「はい。」


――今日から、今までとは何処か違う日常が始ま
る。そんな予感を孕んだ夜だった。
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